嘘つき魔術師、罠にはまる
――奴だ。
気配を感じたとたん、王都からさほど遠くない森の巡邏中、しかも戦闘中――という認識は、即座にふっ飛んだ。同僚たちの存在も、なにもかも。
イシュダヴァに徴を残した奴の魔力だ。額がじんじんして、虚ろな眼窩に痛みが走る。
魔族は互いに魔力を与え合うことがある。上級魔族は自分の手足として動く下級の魔族を得るために、そうやって契約を結ぶ――だから、本命がいるとは限らない。
だが、奴と縁を結んだ魔族がいるのは確実だ。
イシュダヴァは、ふるえた。それが歓喜によるものか、それとも根源的な恐怖によるものかはわからない。人間の心なんて、そんな単純なものではないのだから当然だ。
彼女はただ、奴の魔力に向かって全力で飛んだ。
我ながら直情的だとは思う。だが、自身を俯瞰するような視点はすぐ失われてしまった。
吸い寄せられるようにイシュダヴァは突き進み、そして視た。
彼女がよく知るあの忌まわしい力を纏った、合成獣を。
あの魔族が創ったのだろう。頭部から首、前肢までは竜のようだ。後肢は巨大な鳥の蹴爪をそなえている。尾は蛇で、ふたつに分かれて蠢いていた。腹はなんだろう? 獣だろうが、よくわからない。背中のあたりはまた別の質感だが、これは合成の素体に使われがちな生きもの――おそらく、人間だろう。それぞれ異質な魔力をそなえているから、もとは別個の生き物だったことは間違いない。
気に入ったか、と奴の声が聞こえる気がした。どうだ、気に入ったか?
――クソが!
湧き立つ頭の片隅で、師団長なら冷静に対処するんだろうなぁと思った。でも、イシュダヴァはイシュダヴァだ。師団長にはなれない。
無詠唱で攻撃を撃ちながら突っ込んで――墜落した。
落ちながらも、なにが起きたのかと頭の中は忙しい。運動阻害系魔術か? いや感触がそれとは違う。あれはもっと縛ってくる感じがある……今感じているのはこう、押しつぶされるような……。
――重力か!
今にして思えば、合成獣の四肢はやたらと踏ん張っている感があった。
そうだ、あれは異常な重力に耐えていたのだ。すると、個別に発動した魔術ではない――空間を規定して発動させる、重唱魔術だ。その範囲に入ったから、墜落させられた。そのまま地面に押し付けられ、身動きもできないだろう。
結論が出る頃には地面に激突したが、事前に展開してある物理防御の反射魔術のおかげで、イシュダヴァの身体は傷つくことなく、ただ少しだけ跳ねた。次いで、想像通りに圧力がかかる。
――当たったな。
煮えたぎっていた頭が、少し冷静さを取り戻している。これも重力のおかげかもしれない。
次はどうする、と考えていると、みしりと地面にめり込む音がした。合成獣の足先を間近に感じる。
このまま合成獣に食べられる――いや、そんなことは起きない。だってイシュダヴァは上級魔族に徴をつけられている。あいつが食べるものを横取りはしないだろう。……よほど頭が悪くて、そのへんの認識ができていないなら別だが。
回収役がいるはずだ。あるいは、この合成獣が囮だけでなく回収役も兼ねているのか?
合成獣の鼻息が聞こえる。焦げ臭いのは、竜の頭部のせいだろう。炎を生成する器官も合成されているようだ。いやまったく、節操がない。
――おいおい、焦がしたら叱られるぞ? おまえの創造主に。
合成獣はそのまま、熱い鼻先でイシュダヴァの背中を突つきはじめた。口にくわえて運ぶつもりだろうか?
イシュダヴァは苛立った。動けない。魔術も、焦点が合わず発動できない――たぶん重力のせいだ。
しかも、仇敵がいない。
――早く来い、決着をつけよう。こんな玩具じゃ、相手にならない。さあ来い、おまえはわたしを食うかもしれないが、わたしもおまえを殺す。絶対に。
だが、奴は来ない。まだ自分では来る気がない……。
イシュダヴァは詠唱をはじめた。どうせ動けないのだから、隙など気にする必要がない。重唱魔術だ。無傷で運ぼうなんて思い上がった真似、許してやるはずもない。
合成獣の身体の中央部を範囲規定。そして、重力を加算した。
もとから異常な重力が課されていたところへ、追加でどーん! だ。合成獣の胴がへし折れ、生き物を編み上げていた魔力がほどける。
さらに詠唱をつづける。
合成獣の周辺以外を範囲規定。ちょっと複雑な形だが、魔力を視ることができるイシュダヴァだから、手間さえかければ可能だ。罠もまるごと消し飛ばす勢いで、重力反転、そらどうだ!
圧が消えた。
いささか咳き込みながらイシュダヴァは立ち上がり、悶える合成獣に無詠唱で魔術を打ち込む。ごく単純な、針のような衝撃を連続して入れてやる。
ほどけろ、ほどけろ。ばらばらになってしまえ!
合成が解け、身体のどの部分も動かなくなるまで――イシュダヴァは、魔力の針を打ち込みつづけた。
そして、我に返った。
罠は解けた、合成獣も無力化した。それはいいが……ここはどこだ?
イシュダヴァはあたりを探る。森の中は、魔力で視るには適さない。魔力を通す植物が多くて、魔族の存在が溶け込んでしまうからだ。さっきの罠にかかったのも、そのせいだった。
少しふらついて、膝をついてしまう。
「……クソが」
本命でもないのに、魔力を使い果たしそうになるまで攻撃するなど。愚かしい行為だ。
高く飛んで木々の上から見渡せば、王都の方角くらいはわかるだろう。同僚たちが戦闘中なら、魔力が視えるかもしれない。多少飛ぶ程度の魔力は残っている。
そこでイシュダヴァは飛ぼうとして――不意に、横合いからぶん殴られた。物理反射の魔術の効果が切れていたと気づいたのは、次に目が覚めてからだった。
イシュダヴァは宿舎に戻っていた。横たわっているのは、自室の寝台だ。医局ではないということは、大した怪我はなかったようだ。身体のあちこちが痛いが。
――奴じゃなかった。
だが、罠にかけられた。あきらかに、イシュダヴァを狙った罠だった。ちょっと遊んでやる、味をみてやる、みたいな。
大きく息を吐き、起きあがろうとして苦痛に呻くことになった。
「お気がつかれましたか、上官」
人型の虚無が、寝台の脇に控えていた。いつもより気配が薄くて、気づかなかった。いや、それともイシュダヴァが疲労しているせいだろうか。あるいは負傷が原因か。苦痛は、集中を削いでしまう。ふだんは意識していないが、魔力で視るには、それなりの技術が必要なのだ。
「ルジェリ……」
「今、白湯をお持ちします」
「いやいい。それより、怪我の状態を知りたい。医官に来てもらえるかな」
「呼んできます。一応……自分が聞いた範囲では、骨は折れていないとのことです。内臓にも影響が出ていたので、それは魔術で治療促進したという話でした。では、行って参ります」
ほどなくして、医官がやって来た。
「イシュダヴァさぁ、全身が、ものすごく運動したみたいになってたよ?」
「ものすごく運動……」
「筋肉がずたずたっていうか、ぼろぼろ?」
「ああ……重力に抵抗したからかな」
重唱魔術の罠にかかって地面に押しつけられた話をしたところ、医官はそれで納得した。
「なるほどね。まぁ骨をやってなくて、なによりだったよ……いやでも骨を折っておいた方が、おとなしくなってよかったかもねぇ。治療もしやすいし、療養もしてもらえそう」
「ひどいな、そんな都合でわたしの骨を折らないでくれ」
「折らないけどさ。魔術の治療は揺り返しがあるのは知ってると思うけど、今回は全身に力を流したからね。かなり来ると思うよ。おとなしく寝ているんだよ、いいね」
「薬湯なしか。ありがたい」
「痛みで眠れないことがあったら、処方するよ」
イシュダヴァは笑って断った。
「いらないよ。痛みを感じて、ちゃんと反省するさ」
「そういう殊勝らしいことをいうときは、必ず嘘ついてるってわかってるんだよね、こっちは」
「信用ないなぁ……」
「ほんと、おとなしくしててよ! 護衛騎士、こいつが起き出さないように見張ってね」
「はい、上官」
美しい魔力の尾を引いて、医官は外に出た。
ルジェリはまだ残っている。イシュダヴァはぼんやりと彼の輪郭を辿った――やはり、いつもより気配が薄いように感じる。魔力がないことに変わりはないのに。
「君がみつけてくれたのかい?」
「はい、上官。いえ――」
「いえ?」
「――正確には、上官を発見したのは竜です。自分は完全に見失いました」
「そうか。わたしの記憶は、なにかに襲われたところで途切れてしまっていてね」
「人型の魔族でした。武器を持っていましたし、魔力以外の方法で攻撃されたのでしょう」
なるほど、と納得してイシュダヴァは枕に頭を沈めた。
外傷がないなら、反射も少しは仕事したのかな。特徴的な魔力は感じなかったから、奴の眷属ではなかったのだろう。そいつがイシュダヴァを殺して食べていたら、奴が復讐してくれたかもしれない。
――復讐って! なんだそれ。面白過ぎる。
とはいえ、自分は死にぞこなった。奴を殺すこともできなかった。
「報告書は明日でいいよねぇ、たぶん」
身体が重い。目覚めたばかりなのに、もう眠い……痛くて眠れるかどうかはわからないが。
「もちろんです。今はお休みになってください」
うん、とうなずいてイシュダヴァは意識を手放した。




