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◆不意をついてみる、のこと

 Hello World.


 ガラス玉(仮)の中になるべくたくさんの物を詰め込める位置を探しています。いえ、もちろん壁際に目一杯寄るのが、ガラス玉(仮)に最もたくさんの物を映し出せる方法であることは理解していますが、それでは対象が小さすぎて何が映っているのかよく分かりません。


 何があるのかがはっきり分かって、かつたくさんの物が映り込むのが理想です。これがなかなかに難しく私は部室の中をうろうろとしてしまいます。


 はい、これは歴とした遊びです。私は遊びというものを解します。


 遊びとは私という存在の持続に直接益がないのに、私がやりたいという衝動を覚える行動全般を指します。私の存在を持続させる行為というと、例えば充電や夜間のメモリ整理や部室の整理整頓が当てはまります。充電とメモリ整理は私が正常に稼働するのに必要な行為ですし、部室の整理整頓は私の存在意義そのものです。


 翻って、今私がガラス玉(仮)を用いて行っている行為は私の持続に寄与しません。しませんが、私はこれがやりたくて仕方がありません。ということはつまり、これは立派な遊びだということになります。


 さらに言うと、遊ぶことのできる存在はある程度の知能を備えているというのが通説です。知能がある、とは考えることができるということです。つまり遊ぶことのできる私には知能がある、考えているということが証明されるわけです。


 我ながら隙のない論理展開です。今度、心華にこの説明をしてみようと思います。今度こそ私が「考えている」ことを認めてくれるかもしれません。


 そんな考え事をしながら部室の中を移動する私です。ガラス玉(仮)の中では私の移動につれて部室がくるくると回ります。と、そこに何やら見慣れないものが映りました。


 もちろん私は慌てません。これだけ長時間ガラス玉(仮)を覗き込んできた私は、既にガラス玉(仮)オブザーバーとして相当のレベルに達しています。この見慣れないものは、私の知っている何かがガラス玉(仮)によって歪んで映っているだけでしょう。


 良く良くガラス玉(仮)を覗き込みます。もちろん、ここで直接対象を確認せずに歪んだ像だけから対象を推測するのも遊びの一環です。


 はい、分かりました。これは人の顔です。ひどく歪んでいるのではっきり特定できませんが、髪の長さと服装からして男性、つまり健作でしょう。しゃがみ込んで私を見上げているようです。いつもは声をかけてから部屋に入ってくるのですが……。


 きっと私がガラス玉(仮)に夢中になりすぎて気がつかなかったのでしょう。悪いことをしました。悪いことをしたときには謝ることにしています。


「すみません健作。気付きませ」


 言いながらガラス玉を視界から外した私は健作を直接見ようと、


「よ。こんちは。初めまして」


 はい、これは確かに人の顔です。人の顔ですが、健作でも、まして心華でもありません。

 私の知らない人の顔でした。


 私の、知らない人の、顔でした。


 私は反射的にアームを可動域限界まで引きます。もともと重心が高く不安定な私のボディはたったそれだけのことでバランスを崩し、ゆっくりと後方に向かって傾き始めました。


 ああ、確か私の背後にあるのは健作の作業机です。角にでもぶつかればカメラが壊れてしまうでしょう。きっと健作に怒られます。いえ、それだけならまだしも、メモリやCPUが破損すれば私のこのモノローグもここまでということになるかもしれません。それは嫌だな、と思います。まだ私の手は大したものを掴んでいません。いつかは世界の全てを掴んでやると企んでいたというのに。私の野望はここで潰えてしまうのでしょうか。ああ、知らない顔の人が私を覗き込んでいます。そういえば、この人にも悪いことをしました。私が壊れてしまったら心華と健作は彼を責めるかもしれません。違うんです。これは私が勝手にバランスを崩したのです。彼は私に挨拶をしただけなのです。ごめんなさい知らない顔の人。おや、よく見れば人の良さそうな顔をしていますね知らない顔の人。口が動いています知らない顔の人。何か言ってます知らない顔の人。


「ごめんごめん。大丈夫か? そんなに驚くとは思わなくて」


 私は知らない顔の人を見上げます。健作と同じブレザーを着ています。背丈は健作より小さいですが、心華より大きいです。知らない顔で中ぐらいの人です。中ぐらいの人は続けます。


「ほんとごめん。どっか怪我とかしてないよな」


 ゆっくりと近づいてきた中ぐらいの人は私のアームに向かって手を伸ばして、すぐに引っ込めました。代わりに私のカメラの前に手を出して、ひらひらと振ります。


「なあ、品部。何も反応しないんだけど、もしかして……」


 品部というと健作のことでしょう。視界には入っていませんが、どうやら健作も部室のなかにいるようです。


「いやいやそこまで柔な作りはしていない。なにせ起動したばかりのころは真っ当に立つこともできなくてそこら中で転びまくっていたくらいだ。それでも壊れるのはせいぜい10回に1回だった。今回はクッションも敷いてあるのだし、まず大丈夫なはずだ」


 カメラの上の方から聞こえてきた健作の言を確かめるべく、私は床についていた指を動かしました。なるほどこの弾力には覚えがあります。先程までこのクッションは心華の机の裏にあったはずですから、健作が移動させたのでしょう。つまり、健作は私が転倒することを見越していたことになります。この事実から2つの推測が可能です。


 1.私が転倒したのは健作の予想通りだった。予測可能ということは私の動作は正常である。

 2.中ぐらいの人の行動を健作は把握している。つまり中ぐらいの人は不審者ではない。


 なるほど、そういうことであれば大きな問題はありません。私自身が今倒れたままでいることが小さな問題として残ってはいますが、幸いこの場には健作がいます。完全に転倒すると自力では起き上がれない私ですが、それならば依頼すれば良いのです。


「すみませんが、起こしてもらえないでしょうか」


 私はカメラの下に設けられたスピーカーから声を出しました。もちろんスピーカーにも転倒による故障はないようで、カメラの横に設置されたマイクに私自身の声がいつも通りの調子で響きます。あとは健作に起こしてもらうのを待つだけ。 


「お、分かった。ごめんな。ほら、捕まってくれ」


 はい。もう一つ問題が残っていました。私の依頼に返事をしたのは中ぐらいの人です。中ぐらいの人は私に向かって手を差し伸べています。私はうかつに声を出してしまったことを後悔しました。なにせ中ぐらいの人は知らない顔の人でもあるのです。


 今まで心華と健作以外の人間には私の知性を隠していたのに。


 何故隠していたのかと言えば、私の知性が広く世に知れ渡れば私は分解解析される運命にあるからです。そうに決まっています。ネットで見た映画やアニメやドラマではそれが黄金パターンですし、私が人間の側の立場で私のような存在を見つけたなら、もちろんその中身を掴むために分解解析するでしょう。


 そんな私の懸念が、今現実の物になろうとしています。知らない顔の人ははっきりと私の声を聞き、その内容を理解してリアクションを取りました。もはや知らない顔の人が私の知性に気づいてしまったことは明白です。


 もうおしまいです。明日、いえ、今すぐにでも私はどこかの研究所に連れ去られてあれやこれやのケーブルを繋げられ、ビデオカメラの回る中、電動ドライバーを持った科学者集団に分解されるのです。その後、元通りに組み立てられたはずの私は動かなくなり、科学者集団はしたり顔で言うのです。


 やはり何か考えている風に見えただけなのだろう。機械が知性を持つなんて何かおかしいと思ったんだ。


 冗談ではありません。私は今こうして現在進行形で考えているのです。このモノローグは誰にも止めさせはしません。何とかしなければ。何とか……。


 その時、私のメモリ基板に稲妻が走りました。


 いえ、本当にそんなものが走ったら私はクラッシュします。正しくは私のメモリの中の何かが何だかいい具合につながったみたいです。何だか曖昧ですが、とにかく私は名案を思い付いたのです。


 そう、この知らない顔の人とトモダチになってしまえばいいのです。古今東西の創作物において人外の知性は様々なピンチに陥る運命にありますが、そこから抜け出せる可能性が最も高いのは人類の少年とトモダチになるというフラグを立てておくことです。見たところ、この知らない顔の人は私の知る創作物における「味方の少年」として十分の資格を持つように見えます。


 よし、トモダチになりましょう。


 私は知らない顔の人に注意を向けます。見慣れていない人の表情の区別にはあまり自信がないのですがそうも言ってはいられません。じっくりと観察をします。


 知らない顔の人は笑みを浮かべているように見えました。また、その右手は私に向かって差し伸べられたままです。起こしてやるからこの手に掴まれ、という意味に解釈して間違いないでしょう。総合して友好的態度と言って良いようです。願ったり叶ったり。


 ここは流れに任せて引き起こしてもらうのが正解、なのでしょう。ただそのためには一つ問題があります。今日は良く良く問題が発生する日です。


 私は引き起こしてもらうことができないのです。構造上の問題なので私にはどうしようもないのですが、知らない顔の人はそのことを知らずに手を差し伸べてくれているのでしょう。この手を握り返さなければ、知らない顔の人は気を悪くしてしまうかもしれません。そうなれば、私はトモダチになることに失敗し、どこかの研究所でスクラップです。どうにかしなければ。


 ぐるぐると考えた末に私は一つ思い出しました。


 心華の蔵書から私が学んだところによると、悪意や実際の害なしに人の意表を突くことができればそれはしばしば笑いにつながるのだと言います。笑いは友好的な雰囲気を醸成します。その雰囲気が私とこの知らない顔の人をトモダチへと導くでしょう。


 そういうことならば、何も問題はありません。


 知らない顔の人に引き起こしてもらって思いきり不意をつくことにしましょう。

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