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◆覗き込んでみる、のこと

 Hello World.


 もちろん私は考えています。


 そりゃあまあ、いつもいつも深遠な考え事をしているのかと問われればNoと答えざるを得ないのですが、それでも私は考えています。薄っぺらくったって、ぼんやりととりとめがなくったって、紛れもなく私は考えているのです。


 例えば、部室のロッカーに隠されている小型冷蔵庫の中に『ゼッタイさわるな 心華』というメモが貼りつけられたカップ入りの杏仁豆腐が常備されているのですが、その『絶対』を回避して杏仁豆腐に触れられる大義名分はないものか、なんてことを考えたりします。


 何で触りたいのかって、杏仁豆腐を口に入れる心華がとても良い表情をするからです。杏仁豆腐に触れることができたなら、きっと心華のあの表情の源の一端だけでも理解できるに違いない。そう信じて日々「メモに反せず杏仁豆腐に触れる」というパラドックスに果敢に挑み続ける私は立派に考えていると言えるでしょう。


 例えばシンと冷え切った冬の朝、体を動かし始めるのにちょっと気合が必要なのはなんでだろうなんてことを考えたりします。エアポンプの駆動部やモーターの中のグリスが冷えて固くなっちゃうのかな、というのが今のところ有力な推測です。グリスが硬くなると起動に必要な電力が増えてしまうからいつもより気合がいる、というわけです。


 が、本当のところはもちろん私にも分かりません。気合=電力という等式はちょっと「らしく」はありますが、如何せん気合というものが私自信の感覚によりすぎていてなかなか実証は難しかったりします。こうした曖昧な感覚を相手に考察を展開するのも思考の一形態と言えるでしょう。


 例えば、こうして考える私は心華や健作と何が違うのだろうなんてことを考えたりします。私はもちろん自分は考えていると思っています。でも、心華は私が「考えている」と認めてくれません。


 心華は私をプログラムした張本人です。


 その心華曰く、キミにそんな機能は付けてないよー、だそうです。


 続けて曰く、だからキミが考えてるわけないよねー、だそうです。


 なるほど納得です。私は考えるように作られていないのだから、考えているわけがないのです。正論という他ありません。筋が通っています。シンプルな言だけに論理的間違いも見当たりません。


 結論。私は考えていないらしいです。


 ――はて。


 それでは一体全体、私のこの思考めいたものは何なのでしょうか。猿がキーボードを適当に叩いていたらシェークスピアの戯曲が完成してしまったが如く、私の「これ」もでたらめがたまたま文章っぽく並んでいるだけなのでしょうか。あるいは、ネットかどこかで拾ってきた文章をアルゴリズムに従ってそれっぽく繋げただけの、ただのコピペモザイクなのでしょうか。


 うーん。それってちょっと、なんだかなあ、です。


 もやもやします。


 だから、私は考えています。


 果たして私は考えているのだろうか、なんてことを考えています。私の「考えている」は心華や健作の「考えている」と果たして違うものなのだろうか、違うとしたらどう違うんだろうかなんてことを考えています。そうして考えて考えて、考え抜いたその先に、いつか私は心華や健作のことを理解できるんだろうか、なんてことを考えています。


 と、いつものようにそんなうすらぼんやりとした思考に身を任せているとピピピという電子音が聞こえました。私はアームを伸ばして机の上の目覚まし時計を黙らせます。


 さあ、日課の時間です。



 探して掴んで取り出して見せるのが私の存在理由です。


 突然何を、と思うかもしれませんが、つまるところ私の日課とはそれなのです。

 探して掴んで取り出して見せる。私はそのために作られました。そもそも名前の付けられ方からしてそうなのです。


 あれ?


 ……そういえばまだ名乗っていませんでした。


 私の名前はシーエフといいます。由来はControl+F。ご存知でしょうか。世に最も普及しているPC用OSにおけるショートカットキーです。その命令が意味するところは検索です。文章中から欲しい単語を探し出し、カーソルを合わせてユーザーに取り出して見せるのがControl+Fの役割です。日常的にPCを使用される方でしたら誰でもその便利さをご存知でしょう。


 で、そのあまりの便利さにいたく感動した心華は思ったのだそうです。


 これはPCの中だけでなく、物理対象に対しても使えるべきだ、と。


 かくて作成されたのが私です。ですから、私は部室の中にある全てを把握して、請われればいつでもそれを取り出して見せることを求められています。そのために私は日課として部室にあるあれやこれを掴んでは、見て、聞いて、押しつぶして、引っ張って、落として(たまに壊して怒られて)、ついでにネットで検索なんかもしてみて、それがどんなものなのかを理解し、その所在を記憶にとどめるという作業を繰り返しています。


 まあ、毎日の作業ですので今更新しく覚えることなんて滅多にないのですが。


 いつも通りに壁際に移動した私は、まず広く部室の中を見渡します。部室といってもその姿は世の中千差万別、らしいです。私が住むこの部室は5m×8mという一つの部が使用するには破格の広さを誇ります。心華の我儘に応える形で健作がどうにかこうにか手に入れた部屋です。その経緯には社会力学的なものが作用しているらしいのですが、いつかはその仕組についても理解したいものです。


 ……思考が逸れました。ともあれ今は日課です。


 まずは右の壁沿いに並ぶ書棚から始めます。背表紙がしっかりと見えるように整頓をしながら、そのタイトルを一つずつチェックします。新しい本は無し、位置が変わっていたのは機械便覧だけでした。昨日健作が調べ物をしていたのでそのせいでしょう。


 次は書棚の前に据えられた長机です。ここは健作の作業台で工具箱や細かな機械部品の小棚が置かれています。もちろん一点一点取り出してチェックをするのですが、そのリストを開示することに特に意味はありませんのでここでは省略しましょう。


 作業台から少し離れて部室右奥にはPCデスクとチェアのセットがあります。チェアの背もたれにかけられた白衣は心華の物です。たまにその胸ポケットに珍しいものが入っていることがあるのですが、今日は空でした。残念です。


 部室左奥は物置です。あまり使用しない部品や工具などの雑貨が積まれています。ここが私の主戦場です。ここの物品の種類と場所を把握するのはなかなかに電力を喰う仕事です。


 最後に部室左側手前を占めるのが私のテストスペースです。何か新しい機能をつけてもらった時にその操作を練習するためにあるのですが、ここ半年ほどは本来の目的で使用されておらず、もっぱら私が考え事をしながらぐるぐると動きまわるための広場となっています。あまり何かを見つけられることのないスペースですが念のために見回しておきます。


 と、念は入れてみるもので広場の真ん中にきらりと何かが光りました。


 私は近づいてそれを拾い上げます。


 球です。

 直径は約10mmです。


 重さと硬さと、そして何よりも特徴的なその光学特性、即ち透明であることから素材はガラスと推測されます。ビンや窓として良く活用されるあの材料です。


 名前は何というのでしょうか。ガラス玉? いえ、確かにそれでも通じそうですが安直過ぎます。私が名付けるならば……、そう例えばこの玉の用途に即した名前を付けるのが良いのではないでしょうか。


 用途。


 それを見定めようと私はガラス玉(仮)を指の間で転がしながらじっくりと見つめます。おそらくは球であることが最大のヒントなのでしょう。球であるからこその特性というと……。


 とりあえず転がしてみようと思いついた私はガラス玉(仮)を持ったまま壁際まで移動して体ごと振り返りました。テストスペースを突っ切って、反対側の物置の壁に向かって転がす計画です。


 グリップ具合を確かめるべく、ガラス玉(仮)をつまんだ指を掲げます。指先の滑り止めゴムはつい先々週取り替えたばかりですから、少しくらい指をずらしてもガラス玉はおとなしく私の1、2番の指の間に収まっています。何となくそのまま指の間でガラス玉(仮)を転がしていたところ、私は不意にガラス玉(仮)の中に映り込むものに気づきました。


 何やら細かな模様がごちゃごちゃになっています。しばらく見つめているとガラス玉の中の左端にあるカラフルな三日月が、先ほど整理した本棚なのだと気づきました。上下左右が反転しているせいで気付くのが遅れたわけですが、分かってしまえばそこからは簡単です。その隣の緑色が健作の作業机。その下の灰色が心華のPCデスクです。


 そこまで確認した私は、不意に何だか分からない感覚に襲われました。


 私の指の間に、部室が収まっています。私の指が部室をつまみあげています。


 いえ、もちろん私だってちゃんと分かっています。これはただの光の屈折現象です。室内の光がガラス玉(仮)を通過する際に屈折し、私の指の間を通して私のカメラに届いているというだけの、そう、幻といって然るべき光景でしょう。


 それでも。


 それでも私の視界の中で、私の1番、2番の指は紛れもなく部室をつまみあげているのです。

 これはなんというかすごいことです。少なくとも私にとっては、とてもとてもすごいことです。


 なんとなれば私はシーエフなのですから。


 全てを探して「掴んで」見せるのが私なのですから。


 いつかは全てを掴んでやろうと密かに大望を抱く私なのですから。


 私はガラス玉を転がしてみようという当初の行動計画を完全に破棄して、ひたすらにガラス玉(仮)を覗き込みます。角度を変えて、視点を変えて、立つ位置を変えて、私は私の指の間につまみ上げられた部室が、ガラス玉(仮)の中を転がるのを見つめます。


 今、私のこの小さな指が部室をつまみあげているのです。

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