◆説得してみる、のこと
心華の手から滑り落ちた金属バットが床を打つ音が響きました。
「健作、本当はこんなこと考えてたんだ。私の『知らない』こと」
心華の目は私を通り越して、椅子に縛り付けられた健作に向けられています。そこに浮かぶ色は、きっと恐怖です。その右足が一歩後ろに引きました。
もちろん逃がす気は毛頭ありません。私にはそもそも毛頭なんてないですが。
「さて、これで対等です」
私は努めて明るい口調で始めました。少し唐突過ぎたのか、心の人が心配そうな目を私に向けます。私はもう少しだけトーンを落とすように調整して続けます。
「私は構造的に人間を理解できません。でも、全てを掴みたいと願っています。それが私の在り方だからです。心華、あなたも人間が理解できません。でも、全てを理解しようとしています。そうしなければ気持ち悪くて仕方がないからです」
私はもう一度強調します。
「同じ目標を掲げる者同士、私と心華はこれで対等です」
心華の足がさらに一歩後ろに引きました。
「逃げますか? 心華。ロボットごときを相手に、あなたが自分で作ったロボットを相手に、その仕組から全てを理解しているはずの相手を理解できずに、あなたは逃げますか?」
心華はそれでも退がります。ドアまで後二歩しかありません。内心焦る私ですが、追いかけるわけにも行きません。私が追いかけたところで追いつけるわけがありませんし、心の人と射的屋の人に捕まえてもらっても意味がありません。それでは心華の人間への嫌悪が治まることはないでしょう。健作を開放して追いかけてもらったとしても、良くて元の鞘に収まるだけです。それでは意味がありません。
全ては、いま、ここに掛かっているのです。何とか心華の足をとめなくてはいけません。私の言葉で。人間ですらない、この私の言葉で。失敗は許されません。
何を演算すべきかを演算するという不毛な作業に空回りする私のCPUは、只のヒーターに成り下がっています。モーターにも余計な電流が回って熱をもってきているようです。関節の同期が上手く行かず思った通りに腕が動きません。
ああ、なるほど。これがきっと演劇の前に理一郎と麻衣が経験していた「緊張」に近い感覚なのでしょう。私は今、また一歩進めたようです。正解なのかすら分からないですが、見当違いなのかも知れませんが、それでも私は私なりのこの道を間違いなく一歩進んだのです。
全身のモーターが震えて私は「感動」を覚えます。それが何だか「楽しくて」笑いがこみ上げてきました。
「あはははは」
心華がぎょっとした目で私を見つめます。私が理解できなくて気持ち悪くて、そして怖いのでしょう。その足はすくんで動きません。
「心華、私は今の今まであなたが羨ましくて仕方がありませんでした。私は人間とは違う仕組みで思考しています。だから、根本的に人間を理解しえません。それに比べて、心華は人間の体を持っているのですから、人間をシミュレートして理解できるはずです。その違いが悔しくて、羨ましくて、それなのに心華はどうして人間を分かろうとしないのかとこの場で訴えるつもりでした」
いつの間にか握りしめてしまっていた手を開いて、私は続けます。
「でも、違うのですね。心華も、健作も、心の人も、射的屋の人も、理一郎も、麻衣も、部室棟でいつも私に話しかけてくれる彼らも、運動場で私を見かけて手を振ってくれる彼女らも、多分みんな違うのです。材料が同じだというだけで、その脳と体を使った思考方法はみんな違うのです。だから、分かり合えないのです。だから、怖いのです。だから、近づこうとするのです。だから、意表を突かれて笑い合えるのです。だから、面白いのです。だったら私だって」
私はゆっくりと前進を開始します。これ以上心華が一歩でもさがるようなら、その時は最後の手段に訴えようと決めながら慎重に前進します。
「もちろん、物理的な構成の違いは大きいです。その分はハンディとなるでしょう。あなた方が苦労せず理解し合えるところで、私は苦労するのかもしれません。それでも、少しずつ理解し合っていくしかないという意味で、私は人 間と同じです」
私は心華の前にたどり着いて、もう一度言います。
「私は、心華と同じです」
手を差し出しました。
「まだ、私が怖いですか、心華?」




