○学祭への参加に関する討議
学校から配られた行事予定によれば10月1日は衣替えの日だ。前日から楽しみにしていた俺は卸したてのブレザーに袖を通して颯爽と登校したのだけれども、
「あちー」
勘違いしたのは太陽なのか、海流なのか、気流なのか、はたまた気象庁なのか。
とにかく今日の最高気温は実に29℃を記録し、結果俺の新品のブレザーは現在くしゃくしゃに丸められて通学カバンに引っ掛けられている。袖をまくり上げたYシャツもできれば脱いでしまいたいくらいなのだけれども、いくら放課後でこの暑さとはいっても校内でTシャツ一枚では教師に捕まってしまうだろう。
仕方なく腕に貼りつくYシャツの不快さを我慢しながら、俺の足は自然に速まる。目指すはクーラーのあるロボ研部室だ。あそこまで辿りつけばオアシスがあるんだと自らに言い聞かせながら前を向く。途端に視界に入った人物の暑苦しさに俺は思わず苦言を呈した。
「なあ、品部。見てるだけで暑いんだけど」
「僕はもっと暑い」
「じゃあ脱げよ!」
俺の的確なアドバイスを無視して品部の足は俺以上に部室へと急いでいる。そりゃあそうだろう。腕まくりもせずにきっちりブレザーを着込んでるんだから相当暑いに決まっている。さぞかし部室のクーラーが待ち遠しかろう。
「上着くらい脱いだ方が良くないか? 汗で汚れるしさ」
「校則だからな」
「いやいや、校則って言ってもこんだけ暑いんだし誰も注意なんかしないって」
言いながら早足で横に並んだ俺は驚く。だらだらと汗を流す品部の首もとにはきっちりとネクタイが締められていた。とっくにネクタイを緩めてシャツのボタンも二つ目まで外していた俺は信じられない思いで、
「死ぬぞ」
「水分補給はしてあるから大丈夫だ」
言いながら品部は片手にぶら下げたスポーツドリンクのペットボトルを揺らして見せる。けれども、
「空だぞ、それ」
「え?」
気づいていなかったのか、品部は不思議そうにペットボトルを見つめ、
「大丈夫だ。部室までの我慢だから」
「我慢するくらいなら脱げって」
この上もなく的確な俺のアドバイスを再び無視した品部は、体育館の向こうの部室だけを見つめてただただ早足で歩く。歩幅の差からやや駆け足になりながら俺はその暑苦しい背中を追いかける。
○
「授業お疲れ様です。今日は気温が高いようなのでクーラーを入れておいたのですが、どうでしょうか? 寒すぎませんか?」
「さっすがシーエフ! 最高だ! サンキュー!」
シーエフに感謝しながら扇風機の前に陣取った俺は最大風速で電源をONにして、
「あーーーー」
と、意味はないがお約束の発声をする。
隣にやってきたシーエフは何も言わず俺を観察したかと思えば、
「なるほど」
と、勝手に納得しておもむろに俺を真似し始めた。
「あーーーー」
負けじと俺が声を張ると対抗するようにシーエフも声を張る。声はどんどん大きくなり、
「あああああああああああーーーーーーー!!!」
限界まで息を吐いて満足した俺は、
「あー、喉乾いた」
立ち上がって、ロッカーの隠し冷蔵庫に向かう。入れ替わるようにふらふらと扇風機の前に座り込んだ品部が、あー、と力なく声を出すのを聞きながらコーラをグラス2つに注ぐ。炭酸の弾ける音が実に涼しげだ。それに比べて扇風機の前にへたり込むブレザー品部の暑苦しさたるや。
「なあ、もう部室なんだし脱いでいいんじゃないか?」
「いや、いきなり体を冷やすのも悪いから」
クーラーの効いた部屋で風力最大の扇風機の前に座り込んで言われてもまるで説得力がない。怪しすぎる。そんなに暑い思いをしてまで上着を脱ぎたがらない理由はなんだろうと考える。身体的コンプレックスなら詮索するべきじゃないだろうけれども、そもそも昨日までの品部はブレザーなんて来てなかったわけで、今脱いでも昨日と変わらない姿を晒すだけだ。
まさか昨日の今日で何か身体的コンプレックスを抱えたなんてことは……いやまて。そういえば俺は品部の半袖姿を見たことがない。先日までも品部はずっと長袖のシャツを着ていた。俺は半袖だったのに、だ。ひょっとしたら腕に傷跡でもあって今はそれが汗で透けてしまうから上着を脱ぎたくないのかもしれない。
さすがに深読みしすぎじゃないかと自分でも思うけれども、可能性を否定できない以上安易には踏み込めない。ここは一旦冗談で流してしまった方が良いのかも。
そう考えた俺は品部をまっすぐ見つめて問う。
「品部、今日何か恥ずかしいTシャツ着てるだろ」
「……ノーコメントだ」
どちらともつかない品部の返答に満足した俺はそれ以上の追求をやめてコーラを注いだグラスを品部の前に置く。それから、ひょっとしたら本当に恥ずかしいTシャツが透けているのかもしれない品部の肩を軽く叩いて、自分の分のコーラを一息に飲み干した。
「くー、喉にしみる!」
やっと暑さが引いて落ち着いた俺は作業机の指定席に座る。と、机の上に開かれた台本が目に入った。なんとなくシーエフに尋ねる。
「もう覚えた?」
「はい」
「おー、さすが記憶力いいな。俺、ひと月くらいかかったぞ」
「いえ、私の場合は理一郎と違って授業もないので、一日中これに時間を使えますから」
「それにしたって早いと思うけどな。じゃあ今週から通し稽古できるな」
「はい。私に演技ができるのか不安ではありますが」
「へーきへーき。俺だって初めてだし」
「では一緒にがんばりましょう」
「おう」
学祭の演劇に向けての意気込みを確認し合ったところで、ふと気になった俺はまだ扇風機の前で無意味な発声を続けている品部に尋ねる。
「なあ、品部。ロボ研は学祭何するんだっけ」
「シナイナ」
扇風機に変調された声で、品部は聞きなれない単語を口にする。
「シナイナ? なんだそれ? どっかの料理?」
「いや、何もしないと言ったんだ」
扇風機からこちらに顔を向けた品部の声が今度はクリアに聞こえた。けれどもやっぱり意味は分からない。
「へ? 何もしないのか?」
「ああ」
「え? だって学祭だぞ」
「ん? ああ、クラスは強制参加だが部活はそうではないからな。知らなかったか?」
「いや、強制とかなんとかはどうでも良くて。ってか去年はどうしたんだ?」
「参加していない」
予想外だった。
「いやいやいや、お祭りなんだし何かしようぜ。よし、分かった。今から決めよう。模擬店ならまだ、あ、いや昨日締切りだったか? でも一日遅れくらいならねじ込めるだろうし、今すぐ決めて今日中に持ってけば大丈夫だろ。お好み焼きとたこ焼きなら俺はやったことあるけど、品部は何かやったことあるか?」
「いや、やらないぞ工藤」
「は? なんで?」
「お祭り騒ぎは苦手だからな。僕も心華も」
苦手と言われては強く出られない。それでも諦めきれない俺は、
「楽しいと思うんだけどな」
「見ている分にはな」
「何事もやってみなきゃ面白さは分かんないもんだぞ」
「クラスの方で経験はある。仕事だな、あれは」
淡々と言い切られた俺は早々に品部を見限って、
「シーエフはどうだ?」
「やってみたいです!」
諸手を挙げて賛成してくれるシーエフとハイタッチを交わす。
「よっし、2対1だな」
「いや、シーエフと工藤は演劇部兼なのだから各0.5票だ。そういう取り決めだろう?」
シーエフを演劇部に借り出すためにそんな話をしたのを思い出した俺は、
「……あんな約束するんじゃなかった」
「約束は約束だ」
「くそ、分かったよ。今んとこ1対1な。じゃあ最後に叶能にも聞いてみよう」
「心華もこういうのは苦手だから反対のはずだ」
「そりゃそうっぽいけど、念の為に聞いておこう。呼んでくれたら俺から聞くから。ひょっとしたらちょっとやってみたかったとかあるかもしれないだろ? な? 頼む。断られたら諦めるからさ」
お願いしますと俺が拝むと品部は「ムダだとは思うがな」と言いながら胸ポケットからスマホを取り出した。やけに分厚い、と思ったら外付けの充電池がくくりつけられている。
「なんかゲームでもはまってんの?」
電池消費の激しい使い方をそれくらいしか思いつけなかった俺が尋ねると、叶能への文章を打っているらしい品部はスマホから顔を上げないまま、
「少しはやるがハマるという程やりこんでいるものはない。なぜ聞く?」
「いや、だって普通そんな電池持ち歩かないだろ」
手を止めた品部は顔を上げて、
「ああ、これは……リアルタイムのデータ収集に使っている」
「へー、シーエフの?」
「心華が作ったプログラムでな」
そう言って品部はスマホの画面に目を戻した。俺は感心してシーエフを見つめる。リアルタイムにスマホでデータ収集していると聞くとなんだかとてもハイテクに聞こえる。いやまあ、台本を片手に小声でセリフを練習しているその姿の方がよほどハイテクなんだろうけれども。
「心華から返信だ。『暑いからそっち行きたくない。学祭は参加しない@図書室』」
「返事はやっ。じゃあちょっと図書室行ってくる」
俺が立ち上がると、品部はスマホを胸ポケットにしまいながら、
「ムダだぞ?」
「まあダメもとダメもと。ちょっと説得してくるよ。んじゃまた後で」
ひらひらと品部とシーエフに手を振ってからドアを開け、
「ひゃっ」
「あ、ごめん」
ちょうどドアの前にいた誰かにぶつかりそうになって謝る。が、すぐにその正体に気づき、
「って、あれ? 芝井、どうした? なんか用か」
ロボ研の前で会うなんて初めてのことだったので驚いてしまう。ジャージ姿の芝井は、あははと照れくさそうに笑うと、
「もちろんずっと一人でやってきた部活なので一人の練習メニューなんていくらでも思いつくわけですが、最近は工藤くんとシーエフくんがいることも多いせいで一人になるとちょーっと部室が静か過ぎて落ち着かないわけでして、それでジョギングしてたらここが目に入ったのでなんとなーく様子を見に来てしまったと言いますか、まあ、つまるところ要約しますと」
すー、はー、と吸って吐いた芝井はカッと目を見開き、
「寂しいから私にかまえーっ!」
飛び掛ってきて俺の髪をぐしゃぐしゃにかき回し始めた。
「うわ、何すんだよ!」
そう言って一歩引きつつ、俺は早鐘を打つ胸を押さえる。初対面の時から思っていたけれども、芝井は割とスキンシップに躊躇がない。そのせいで俺がどれだけあれやこれやの色々なものを抑えこむのに苦労していることか。さらに厄介なのは俺がこの苦労を嫌っていない点だ。というか、どっちかというと嬉しいというか、いいぞ芝井もっとやってくれというか。
そんな俺の期待を分かっているのかいないのか芝井はあっさりと俺の横を通りすぎて、
「あ、シーエフくんもかまってーっ」
シーエフと手を握り合っていたりする。ひょっとして遊ばれてるんじゃないだろうか、なんて思うと悲しいようなそれでも嬉しいような、ああ振り回されてるな、俺。
「何をしに来た、演劇部」
そんなちょろい俺とは対照的に、品部はいつも通りのちょっと突き放した態度だ。対する芝井もいつも通りに挑戦的に品部を見上げ、
「ああ、いたんだ?」
転校生勧誘抜け駆け事件以来、この二人は顔を合わせればいつもこんな風に喧嘩腰だ。これで決定的な決別にまでは至っていないのだから、これはこれで仲が良いのかもしれない。少なくとも芝井の方は演劇部vsロボ研というシチュエーションで役を演じて楽しんでいる節がある。
「ふん、安い挑発だな。で、約束を破って火曜日に工藤に会いに来た言いわけはなんだ?」
「あれは演劇部の活動に関する約束だもんねっ。今日はロボ研に遊びに来ただけだからなんっにも問題ないから。ね、工藤くん?」
「まあこのまま劇の練習始めるわけじゃないんだし、いいんじゃないか?」
俺の適当な答えに、間髪入れず品部が続ける。
「ロボ研の活動に支障がなければ、な。今から学祭の話し合いがある。部外者は出ていってもらえるか?」
「いや、さっき参加しないって一言で終わらせただろ」
俺の抗議に品部は首を振り、
「まだ心華の意見を聞くのだろう?」
「そりゃそうだけど、それは今から図書館で」
「いや、ここで話し合う。今から」
品場がそう言うのと同時にドアが勢い良く開いた。息を切らしながら部室に入ってきたのは叶能だ。
「はぁはぁ。お、また、せ」
「え、暑いから来ないんじゃなかったのか?」
叶能は俺の質問をスルーしていつものPCチェアに腰掛けると、深呼吸を繰り返す。息が整う前にもう一度聞くのも悪いかと思ってしばらく待っていると、突然立ち上がった叶能はヘッドホンを外して白衣を纏うと両手を打ち鳴らし、
「さて、学祭の打ち合わせ、始めるよー。あ、芝井さん。ごめんねー。一応部外者は外してもらえないかなー」
「あ、うん。ごめんね邪魔しちゃって」
有無を言わさぬ叶能の雰囲気に押されてか、芝井はあっさりと部室を出て行く。ちょっと悪い気がして表まで見送ると、芝井はまたあしたっ、と手を振ってくれた。にやけそうな頬に気合を入れて部室に戻った俺は、早速叶能の説得に臨む。
「じゃあ話しあおう。ロボ研で学祭に参加したいんだけどさ。模擬店とかやらないか?」
いつの間にやら杏仁豆腐のカップを開けていた叶能はスプーンで一掬いを口に含むと実に良い笑顔で言った。
「あー、私も苦手だからねー。人の相手とかめんどくさいなー」
話し合いは実質そこで終了だった。その後、俺が何を言っても叶能と品部は聞く耳持たず結局ロボ研の学祭不参加が決定された。
……。
だったらなんであんな急いで帰ってきたんだっつーの。
分からん。




