◆入部してみる、のこと
改めて自己紹介をした麻衣が話してくれたところによると、先程の一連のやりとりは一種のゲームだったのだそうです。何がどうゲームだったのか理解できなかった私が説明を求めると、麻衣は以下のようにルールを説明しました。
・その日最初に二人が会ったらゲーム開始。その場で即興劇を始める。
・1回交代で親になった方が、シチュエーションを決めて先行で演技を開始する。
・理由の如何を問わず、どちらかが演技を続けられなくなったら負けとする。
・5勝ごとに勝者は敗者に奢ってもらうことができる。300円まで。
今回は私に演技を実演するために今日二回目のゲームだったそうです。
何はともあれ、麻衣が理一郎を独占しようとしているわけではないと分かって安心しました。理一郎にはこれからも私の世界を広げる手伝いをしてもらいたいからです。
「というわけで、私と工藤くんの部活はこんな感じなのですよ。どう? 面白かった?」
麻衣が私のカメラを覗き込んで聞くので、私は素直に答えます。
「よく分かりませんでした。何故、わざわざ嘘のやり取りをするのでしょうか?」
これが舞台の上だとか映画の撮影だとかであれば分かります。物語を再現して誰かに見せるという目的があるからです。しかし、理一郎と麻衣のこのゲームには観客がいません。いえ、今回は例外的に私が観客だったようですが、いつもは周りに誰もいなくてもこのゲームをしているそうです。
「あたた、シーエフくんは身も蓋もないこと言うなあ。まあ、確かに全部嘘でニセモノなんだけどっ」
言葉を区切った麻衣は小走りに部室奥へ向かい、そこにある壇上に飛び乗りました。
「ここで私が感じることって、本物にすごーく近いところまでいけると思うんだよね」
分かるかな、と麻衣が壇上から私を見下ろします。
「ごめんなさい。やっぱり分からないです」
「そっかー、うーん。つまりね、確かにお芝居ってニセモノだけどなるべくホンモノと同じ場面を想像して、それを本当だって信じられたなら私が感じたことはホンモノとほとんど変わらないってことで、それってすごいことで本当はできないようなこともできちゃうわけでそれが楽しいっていうか――」
麻衣は説明を続けてくれますが、今ひとつ理解できない私は相づちも打てません。私のリアクションが乏しいのを感じ取ったのでしょう、麻衣の説明は少しずつトーンダウンしていき、ついに助けを求める声に変わりました。
「工藤くん、どう言えばいいのかな?」
と、それまで私と一緒に麻衣の説明を黙って聞いていた理一郎はにやりと笑って、
「ケーキ、ちゃらでいいなら俺から説明しよう」
「なっ……、ふっふっふ。私相手に取り引きとは工藤くんも偉くなったものだね」
「嫌ならいいんだ。ほら、シーエフにちゃんとお芝居の楽しさを説明してやってくれよ、芝井部長」
そのまま理一郎とにらみ合った麻衣は私に一瞬だけ目をよこしてから、
「シーエフくんが納得したら、だからね!」
「分かってる分かってる。まあ、任せなさい」
そう言った理一郎は私の前に椅子を持ってくると背もたれを前にして座りました。
「いいか、シーエフ。演劇ってのはシミュレーションと一緒だ」
聞き慣れた言葉が出てきたお陰でようやく話に付いていけそうです。
「例えば、そうだなあ。飛行機の翼の周りの気流をシミュレーションする場合、何が必要になる?」
「翼の形状と気体の密度、粘度、温度、それから流速の情報でしょうか」
「おしい。大事なものが一つ抜けてるな」
人差し指を立てた理一郎は私の答えを待っているようです。が、何も思いつかない私は、
「すみません。大事なものというのは何でしょうか」
「パソコンのシミュレーションソフトでも、脳みそとノートとペンでもいいんだけど、まあようは演算装置が必要だろ? パラメータを何かで計算しないといけないからな」
なるほどその通り、というか当たり前過ぎて前提にしてしまっていました。
「ざっくりまとめると、必要なパラメータをパソコンに入力すると欲しい結果が出てくる。これがシミュレーションだ」
理一郎は胸ポケットから取り出した手帳を開いてこんなことを書きました。
【パラメータ】→(入力)→【PC】→(出力)→【結果】
私がまじまじと見つめていると、理一郎はメモを指して、
「ここに本物の翼とか気体はいらないだろ?」
「そうですね」
もちろん厳密な計算をするのであれば本物からパラメータを入手する必要があります。けれども、試しにやってみるだけならばそれっぽいパラメータを入れれば良いだけです。必ずしも本物は必要ではありません。ただ、
「それと演劇に何の関係があるのでしょうか?」
「芝井にとっての演劇ってのはこうだ」
そう言った理一郎は手帳に何やら書き加えました。
【シチュエーション】→(入力)→【役者】→(出力)→【感情・経験】
「まず何か興味のあるシチュエーションを設定する。そのシチュエーションを本物として扱って役者が演技をする。すると、役者は本物に近しい感情や経験を得ることができる。本物を使わずに情報だけで演算をするんだからシミュレーションと一緒だろ?」
「――なるほど!」
「演劇のいい点は、どんな無茶なシチュエーションでも設定してしまえるって点だな。現実にはちょっと遭遇できないような状況も演劇なら体験できてしまう。まあ本物と本当に一致するかは別としてそれっぽい経験ができる。多分芝井が楽しいと思ってるのはここだ」
よな、と理一郎が振り向くと後ろからメモを覗き込んでいた麻衣は、
「はー、工藤くんってただのバカじゃなかったんだねえ」
「負けを認めたってことだよな? ケーキはちゃらだ」
「あっ、今のなしなし。ぜんっぜん違うからっ! 私が言いたいのはそんなんじゃないし!」
「え? 違うのですか?」
せっかく理解できたと思ったのにと残念に思いながら私は麻衣を見つめます。すると、
「……いえ、違くないです。全て工藤くんのゆーとおりです」
麻衣は何故か肩を落として溜息をつきました。対照的に理一郎は肩の高さで拳を握りしめて満面の笑みです。私も演劇の意味を理解できたことが嬉しくて、理一郎のメモを何度も見返してしまいます。
なるほどシミュレーションと同じ。PCの演算の代わりに役者の演技。なるほど。
そうやって何度もメモを見ていた所、不意に私のCPUに湧いた思いつきが、その勢いのままに何の検証も経ないままスピーカーからこぼれ出ました。
「理一郎」
「ん?」
「ここの【役者】には私が入っても成り立つのでしょうか?」
いえ、少し考えれば成り立たないことは自明です。私と人間ではハードもソフトも異なりますから、同じシチュエーションを入力したところで出力されるものは人間の感情とは根本的に違う「何か」でしかないでしょう。だから、これは本当にただの思いつきで、ノイズで、即座に否定されるべき詮もない呟きのはずでした。
けれども。
「「もちろん!」」
理一郎と麻衣から返ってきたのは予想外の力強い肯定でした。その勢いに流された私は思ってしまったのです。
ひょっとしたら。
もしかしたら。
練習を繰り返したならば、私の出力がいつか人間のそれに近づくこともあるのかもしれない、と。そんな妄想を抱いてしまったのです。
○
シーエフが演劇に興味を持った。
そう判断してからの芝井の行動は、そりゃあもう早かった。
シーエフの演劇部入部を宣言するメールを叶能と品部に送りつけ、備品のおんぼろPCをいじって何やらプリンタで出力し始め、足音も高く乗り込んできた品部の相手を俺に丸投げし、本棚のクリアファイルから取り出した入部届けをシーエフの前に突きつけてサインを求め、その間にプリンタから出力完了した紙束の左上をホッチキスで止めて俺とシーエフに一部ずつ手渡して、こう言った。
「さ、忙しくなるねっ」
演劇部の横暴に断固抵抗すると表明する品部に適当な相槌を打ちつつ、俺は芝井から受け取った紙束の表紙を見て首をひねる。何故なら紙面中央の「へたれニワトリの飛ばせ方」というタイトルに見覚えがあったからだ。というか、今も俺のカバンの中に同じものが入っている。学祭に向けて今練習中の台本だ。何故もう一冊、と芝井に尋ねようとした俺は、表紙の左下に見慣れない記載を見つけて目を疑う。
※三人用
思わず芝井を見つめてしまう。
いつの間にこんなものを?
俺の視線に何故かウインクで応えた芝井はこんなことを言い出した。
「なにせ、学祭まであと3週間だからねっ。シーエフくん、舞台に立つからには覚悟してもらうよっ」
その口元にはそれはもう楽しそうな笑みが浮かんでいる。以前、俺が台本を忘れて来た時に限界まで校庭を走らされて吐きそうになりながらゴールした時に見た、あの笑顔だ。
少しだけげんなりしながらシーエフに目をやる。少しぶきっちょにボールペンを握りしめたシーエフの手は、ちょうど入部届に名前を書き終えたところだった。
こうして、俺と芝井とシーエフ、三人による演劇部がスタートした。不安はある。学祭までの期間も短い。
それでもこれからの演劇部の活動が一体どうなってしまうのやら楽しみで仕方がない。




