○まずは演劇部
なんか出た。
「ようこそ演劇部へ! ふふふ、驚いてるね工藤くん。そう! ある時は2年2組の委員長、ある時は転校生に親切な隣の席のクラスメイト、しかしてその正体はっ! はい、演劇部部長の芝井麻衣です。待ってたよー。さあ、座って座って。あ、おかし食べる? 机の上の適当に食べていいからねっ。はい、これお茶。たくさん部活見学してきたんだよねっ。お疲れさま。うちは四十一番目だよねっ。あ、なんで分かったって顔してるね? ふっふっふっ、部活の横の繋がりを舐めてはいけないのですよ。今日見学したのは、民族音楽部でしょー、手芸部でしょー、オカ研でしょー、あ、血は取られてないよね。貴重な新入部員候補だからオカ研も無理はしなかったと思うけど。いやあ、みんな必死なんだよねっ。うちの高校って部活が多すぎてどこも部員不足なのさ。部活動の多様性を尊重するー、なんて理事長が大々的に打ち出してるもんだから基本的に部員0にならない限り廃部にならないんだよね。一人からでも新しく作れちゃうし。そのせいで部員が分散しすぎて弱小部ばっかりなんだから本末転倒というか。あはは。あ、そうそう演劇部もね、見ての通り部員一人なのです。必死です。廃部はないにしたって、やっぱり一人じゃやれることも限られちゃうし部活会議では肩身が狭いしなにより部費がねえ。と、そんなところに降って湧いた転校生さま。しかも部活を虱潰しに見学してると来たもんだ。これを捕まえに行かない手はないよね。あ、遠慮しないでお菓子食べてね。あれ? お茶減ってないね。喉乾いてない? お茶よりジュースが良かったかな」
机を挟んで反対側に座る芝井がオレンジジュースのペットボトルを片手に首を傾げた。どうやらようやく俺に発言権が移ったらしい。それじゃあ、と一番聞きたかったことを質問してみる。
「世界の半分は?」
俺の言葉に芝井は「んん?」と首を反対側に傾げ直した。
「いや、ほら貼り紙」
俺は背後のドアを指さす。と、芝井の口から「あっ」と声を漏れた。見開いた目とぽかんと開いた口が「やっべえ忘れてた」と全力で自白している。
「おいおい、あんなの準備しといて忘れてたとか――」
追求しようとすると、目の前に手のひらを突き出された。黙れということなのだろうけれども、この程度で引く俺ではない。手のひらを右に避けて芝井の目を見つめ、
「あんな変な張り紙用意しておいて忘れるとか――」
唇に何かが触れた。反射的に頭を後ろに引くけれども唇の感触は離れずぴたりと付いてくる。何ともくすぐったくて振り払おうとした瞬間、その感触の正体に気付いた俺は手を止めてしまった。
机に上半身を乗り出した芝井の細くて白い腕が半袖ブラウスから真っ直ぐ伸びて俺に向けられている。その先端のぴんと立てた人差し指が向かう先は俺がどんなに目を下に向けても見えない場所で、けれどもそいつは明らかに俺の唇の感触とリンクしていた。
体温高いんだな。
そう思った途端に鼓動が激しくなった。クーラーが効きすぎて少し肌寒いくらいだったはずなのに、今は汗ばむくらいに暑い。
「よしよし、しばらくそのままねっ」
黙った俺に満足したらしく、芝井はあっさりと手を下ろした。解放された唇に部室の空気が少し冷たくて、俺は何だか口を開く気を無くしてしまう。
なんか……、なんかずるくないかこれは。
理不尽な敗北感に打ちひしがれる俺をよそに、芝居は軽やかなステップで部室奥へと移動する。と、その肩がすっと高くなった。見れば、芝井の足下が木製の壇になっている。多分練習用の舞台かなにかだろう。
何か実演でもやってくれるのかと期待しながら見つめる。
芝井は舞台の中央に立ち位置を定めると、栗色のショートカットを揺らしてくるりと俺を振り返った。両手を胸の前で祈るように組み、「The 穏やかな微笑み」みたいな表情を貼り付けている。
「よくぞここまで辿りつきました、勇者クドーよ。待ちわびましたよ」
「……は?」
芝井の良く通る声と脈絡の無い言葉に一瞬面食らう。けれども、すぐに思い至った。芝井の足が踏みしめているのは「舞台」でその「台詞」が俺に向けられている。ということはつまり、だ。
俺はちょっとわくわくしながら立ち上がる。
まずは自分の役を推測する必要がある。どうやら、やっと「ここ」に辿りついた勇者である俺を誰かが待ち構えていたという状況らしい。勇者を待っていたというからには芝井の役回りはきっとお約束のあれだろう。
舞台上の芝井を見上げて俺は口を開く。
「もう逃げられないぞ、魔王シバイ」
「魔王じゃなくて神ね。呼び方は、唯一神マイ。工藤君は異世界に召喚された勇者で、魔王の部屋に乗り込んだと思ったら何故か神がいたって状況。分かった?」
「へ? ああ、ごめん。分かった」
演技を中断した芝井から真顔の指摘を受けて、俺は思わず謝ってしまう。が、そんな捻った設定、先に説明してくれなきゃ分かるわけがない。ちょっと不満に思いながらそれでも俺は続ける。
「お前は……唯一神マイ? なぜここに? 魔王はどこに?」
乗ってはみたものの一度素に戻されたせいもあって少し恥ずかしい。対する芝井はさすが演劇部というべきか、
「ここには始めから私しかいませんよ」
そう言って斜め下を見ながら口元だけで笑った。自嘲の笑み、というやつだろうか。ともあれその演技には何ら躊躇も恥らいも見当たらない。
それならばと俺は一つ深呼吸をする。こんなところで恥ずかしがっていては面白くなるものも面白くならない。役になりきろうと決め、芝井がくれた情報から想像を膨らませる。
――ある日目が覚めると俺は変な魔法陣の真ん中に寝かされてて、周りをお姫様みたいな人とか騎士みたいな人なんかが囲んでる。勇者として召喚されたらしい俺はなんだかんだで戦う能力を身につけて、皆を助けるために単身魔王城に乗り込んで、ついに魔王の部屋に辿りついたと思ったら、そこにいるのは旅の途中で一度お告げをくれたこの世界の唯一神マイで、そのマイから魔王なんていないと告げられた。
うん。意味が分からない状況だ。だから俺は唯一神マイに尋ねる。
「……どういうことだ?」
「言葉通りの意味です。ここには私しかいません。私以外の全ては私の想像の、創造の産物に過ぎません。あなたがここに来るまでに見た物、四天王も魔族も魔物も、王も姫も騎士も町民も、空も海も陸も、全ては私の想像の産物。ここには始めから私しかいなかったのです。――あの瞬間まで」
唯一神マイは真っ直ぐ俺を見つめて微笑む。
「あなたが召喚されたあの瞬間から、世界は私とあなたの二人になりました。私は嬉しかった。一人で世界を創っては壊すのにも飽き飽きしていましたから。だから私はあなたを引き止めるために全てを用意しました。ここに辿りつくまでの世界は楽しかったですか? 面白いと感じてくれましたか? ここにいてもいいと思ってくれましたか? もしもあなたがそう思ってくれたなら、こちらに来て私の手を取ってください。それだけが私の願いです」
唯一神マイが世界の中心から俺に向かって手を差し伸べた。
ここで手を伸ばせば俺は世界の半分を手に入れることができる。と、つまりはそういうアナロジーなのだろう。
普通に部活に誘われるよりも何やら心に響くものがあった。俺を勧誘するためにこんな寸劇を考えておいてくれたことが素直に嬉しい。放課後の部室で何も知らないままいきなり劇に巻き込まれたこの状況が面白くて仕方がない。何より、緊張の面持ちで俺の答えを待つ芝井の姿をどうにも放っておけない。
俺は喜んで演劇部への入部を決めようと――
ってそうじゃないな、と思い直す。俺は今、勇者クドーなのだ。
唯一神マイの下へ歩み寄る。
「もし俺がその手を取ったら、この世界の続きが見られるのか?」
「もちろん。私とあなたが望む限り」
こんなに面白そうな世界を望まないわけがない。俺は迷わず唯一神マイに向かって手を伸ばし、
「それなら俺はあなたと一緒に――」
「ちょおっっっっと待った!」