○外へ
パターンが変わった。ランダムに激しく明滅していたタブレットPCの画面が落ち着きを取り戻している。特に画面右上当たりは明らかに意図を感じさせる動きに変化していた。運動を制御している部分、と健作が説明していた辺りだ。
俺はスタンドの電気を消して暗幕をめくりあげ頭を出す。と、思いがけず目の前にシーエフのボディがあった。見上げるとシーエフと視線が合う。
「こんばんは、理一郎。なぜそんなところにいるのですか?」
何事もなかったかのようにいつも通りなシーエフに少し拍子抜けしながら、
「見つかったら怒られるからな。シーエフもちょっと声小さくしてくれ」
口元に人差し指を当てながら頼むと、シーエフは時計を見上げて少し落とした声で、
「なるほど。校舎に生徒が残っていてはいけない時間ですね。そんなに経っていましたか」
「理解が早くて助かるよ。で、大丈夫なのか?」
机の下から這い出して立ち上がりながら尋ねると、
「はい。もう平気です。――もしかしてですが、私を待っていたのですか?」
「まあ、流石に心配だったからな。あ、やることはあったから別に気にしなくていいぞ」
俺は暗記率7割に達した台本をひらひらと振って見せる。「そうですか」と呟いたシーエフは続けて、
「それはありがとうございます。ご心配おかけしました」
「うん。まあ大丈夫なら良かったよ。もう何ともないんだよな」
「はい。快調です」
「そりゃ良かった」
俺は机の下でこわばった体をほぐそうと背伸びをして屈伸をして、ついでにカバンを拾いあげてシーエフに向き直る。俺を見上げるシーエフは本当に平気そうだ。安心した俺はやっぱり話をするのは明日にしようと決めて、
「じゃ、今日のところは帰るよ。品部と叶能には俺から連絡しとく。また明日色々話、聞かせてくれ」
カバンを肩にかけ、シーエフに手を振って外に出ようとして、
「待ってください」
呼び止められた。振り返るとシーエフが俺のカバンを掴んでいる。
「どした? やっぱどっかおかしいか? 品部と叶能呼んだ方がいいか?」
「いえ。そうではなく、理一郎に頼みがあります」
「俺? なに?」
何を言い出すんだろうと想像がつかず、俺は居住まいを正してシーエフの言葉を待つ。
「私はこれから外に出ようと思います」
「は?」
「ですから、ついてきてもらえませんか?」
シーエフは気負う様子もなく言う。外に出ようとした瞬間にフリーズしてしまったのがつい数時間前だっていうのに。これはまさか記憶が飛んでるんじゃないかと尋ねてみるとシーエフは、
「大丈夫です。覚えています。ドアを開けたことも、止まってしまったことも。それを踏まえて、もう一回外に出ようと決めました」
シーエフの言葉には迷いがない。多分、俺が付き添わないと言ったとしても、今夜一人で外に出るつもりだろう。俺がいた方が何かあった時のリスクが低いから頼んでいるだけで、俺がいなくったってシーエフはもう勝手に外に出て行く。出て行ける。
そう感じた俺は、
「おっけー。じゃあ、ちょっとすぐそこまで見送ってくれ」
シーエフの手を取って外へ行こうとする。けれどもシーエフは動かず、
「先に外で待っていてもらえないでしょうか」
「ん? まあいいけどなんで?」
「外が広すぎるからです。それで昼間は混乱しました。でも、外に理一郎がいれば、何を見て良いか分からなくなることはないです」
どうやらまだ怖いとは思っているらしい。それでも外に出たいというシーエフの頼みを断る理由なんてどこにもない。
「分かった。じゃ、待ってるぞ。ゆっくりでいいからな」
シーエフのアームをひとつ小突いて、俺は先に部室の外へ出た。
シーエフに繋いだ延長ケーブルは3mだ。だから、外へ出た俺は5歩数えて振り返る。
少しは時間がかかるかと思ったけれど、部室のドアノブは案外すぐに回った。きぃ、と少しきしんでドアが開き、全開になる。姿を表したシーエフは、昼間のように止まる様子はない。
一度だけ部室の中を振り返ったシーエフはすぐに俺の方をまっすぐ見つめて、ゆっくりとドアノブから手を離した。キャタピラがおっかなびっくり回る。ジャリジャリと初めての音を立ててシーエフのキャタピラはしっかりと地面を掴んで進む。星明かりの中、シーエフは俺だけをまっすぐ見つめて、ゆっくりゆっくりと前に進む。
たっぷりと時間をかけて俺の目の前に辿りついたシーエフが俺を見上げた。その様子が何故だか俺には笑って見えた。だから、俺は「やったな」と笑い返す。シーエフはやっぱり笑って見えて、
「半分はできました。もう半分です」
「だな。すぐいけそうか?」
「はい。大丈夫だと思います」
「じゃ、いくぞ」
「3」と言いながら、俺は右の指を3本立てる。
「2」と続けた俺は指を1本折って、左手でシーエフのアームに触れる。
「1」と言った俺は人差し指をシーエフのカメラの前に付き出して、笑う。
「0」
俺はシーエフの正面から後ろに回り込んだ。シーエフの視界をさえぎるものはもう何もない。だだっ広い夜のグラウンドがそこにある。シーエフはゆっくりと辺りを見回して、何度も見回して、それから思いついたように空を見上げた。釣られて俺も空を見上げる。
月は出ていない。今夜の空の主役は星のようだ。そういえば星座ってあんまり知らないなと思いつく。もしシーエフが興味を持つようなら、一緒に覚えてみるのも面白いかも知れない。聞いてみようと視線を下げ、やっぱり後にしようと俺は口を閉じる。
何かを掴もうとするみたいに、シーエフのアームは空に真っ直ぐ伸びてその指は一杯に開かれていた。夜空をまっすぐ見上げるシーエフのレンズは星が映りこんでいるのか、きらきらと輝いている。ちょっと綺麗だなと思って見ているとシーエフは開いていた手を思い切り握って、
「わーーーーーーーー!」
大声を上げた。慌てた俺はシーエフの前に回りこんでスピーカーを手で覆う。
「バカ、見つかるだろ」
「ああ、すみません。理一郎」
謝るシーエフの声が抑えられているのを確認した俺は、手を放して周りを警戒しながら、
「どうした、何かあったのか? いきなり声出して」
「その、私のモーター音の反響が室内と違うのが新鮮で。大声を出したらどうなるかなと気になってしまいまして」
「そういうことは明日の昼間にでもやってくれ」
「はい。そうします。それで理一郎、あちらがグラウンドで合っていますか?」
「そうだな」
「では、あちらの建物は体育館ですか?」
「当たり」
「あの光が星、でいいのですよね?」
「もちろん」
シーエフはあれやこれやを次々と指さして確認する。延々それを繰り返して、ようやくシーエフが黙った。
「よし、じゃあ今日はここまでな。明日から外で色々教えるよ。今日は戻ろう」
俺は先に部室に向かって歩き出す。が、シーエフのキャタピラ音がしない。振り返る。
「ほら、楽しみは明日にとって置こう。俺もそろそろ帰りたいし」
「理一郎」
俺にカメラだけを向けたシーエフは、
「あそこまで行きたいです」
グラウンドの真ん中を指さした。少し考えた俺はシーエフの隣に並んでシーエフの二本のアームとカメラの支柱を抱えるように左腕を回した。
「あの、理一郎?」
「まあいいから、ほら、これ見て」
俺は右手で構えたスマホを揺らす。シーエフがそちらにカメラを向けたのを確認してシャッターボタンを押した。撮れた写真を確認する。グラウンドを背景に、肩を組んで笑う俺とシーエフの姿が上手く写っている。すぐに品部と叶能にメッセージを付けて送った。
『次はグラウンドの真ん中まで行きたいってさ』
品部からの返事は10秒で来た。
『任せなさい』
叶能からの返事は60秒かかった。
『制御仕様はこんなんでいいー?』
添付されていた手書きのフローチャートの意味は俺にはよく分からなかったけれども、品部と叶能はそれをたたき台にしてあーでもないこうでもないと設計のやり取りを始めたようだ。
俺は震え続けるスマホをポケットにしまってシーエフに言う。
「明日にはいい話が聞けるかもな」
俄然テンションを上げて質問を繰り返し始めたシーエフを、もう遅いからと無理やり部室に押し込んでドアを閉める。カバンを肩にかけ直した俺は少しだけ星空を見上げて、いつもの帰宅ルートを三歩進み、その先がシーエフが目指すグラウンドであることに気付く。
方向転換して体育館裏へ迂回したのには特別深い意味はない。
翌週。
下校時刻寸前の、運動部がいなくなった時間を見計らって俺と品部と叶能とシーエフは揃って部室の外に出た。さっきまで自信満々だった品部と叶能は少し心配そうにシーエフのすぐ後をついて歩く。二人の目は一心にシーエフが引くバッテリー台車に向けられている。目を離したら爆発するとでも言わんばかりだ。
そんな二人を他所に、シーエフは早る気持ちのまま、まっすぐグラウンドの真ん中を目指して前進する。俺はそんな3人の長い影を踏みながら、一番後ろをゆっくりと歩く。
無事グラウンドの真ん中に辿りつくと、まず品部が大きく溜息をついて背を伸ばした。隣に立つ叶能はいつもの人をからかうような笑みを取り戻している。シーエフのバッテリーは順調に動いてるようだ。
当のシーエフはバッテリーなんて気にもならないみたいで、右を指さして叶能に何かを聞き、左を向いていきなり走りだして品部に止められ、突然思いついたようにボディの小物入れから取り出したビー玉をかざして周囲を眺め、間違えて太陽の方を見てしまってカメラを逸らし、落としてしまったビー玉を慌てて追いかける。
不意に後ろから笑い声が聞こえた。振り返ると、シーエフを指さしながら歩く3人組の生徒がいた。……連中にはシーエフがどんな風に見えただろう。
俺には――まあ、見たまんまだ。
動画でも撮っておこうと思いついた俺はスマホを取り出す。
あんなに楽しそうなんだし、残しておかないのは勿体なさ過ぎる。
とまあそんなことを思った次第だ。




