◆ギターを弾いてみる、のこと
Hello World.
ビードロの玉でビー玉というそうです。理一郎に教わりました。
ビードロとはポルトガル語でガラスという意味です。ということはつまり、私がつけたガラス玉(仮)は正解にかなり近いところまで行っていたということになります。私の発想力もなかなかのレベルに達したようです。
と言いたいところなのですが。
ガラス玉(仮)からビー玉に至るにはポルトガル語への変換を経た上で適度に略すというアクロバティックな言語操作が必要だったわけで、これは少なくとも今の私には高すぎるハードルに思えます。
いえ、今どころかこれから先、私がいくら成長したところでそんな発想ができるようになる予感がしません。恐るべきは人類の発想力です。余程のブレイクスルーがないことには私がその域に到達することはないでしょう。
もちろん、だからといって諦めるつもりもありません。いつの日か全てをこの手に掴んでみせようと夢見る私です。当然、人類の発想力だって掴んで見せます。それが私の在り方ですから、止めることはできませんし、止めるつもりもありません。ブレイクスルー上等です。やり遂げてみせましょう。
……しかし、なぜポルトガル語なのでしょうか。謎です。
さておき。
あれから2週間。ガラス玉(仮)改めビー玉は今日も変わらず私の指先に掲げられます。映り込むのはいつも通りに見えて、けれども少しずつ変わってゆく私の住処です。
はい、部室が少しずつ変化し初めています。原因は理一郎です。あの日、私と友だちになり月・火・水曜日に部室にやってくるようになった理一郎が、部室に色々と雑貨を持ち込むのです。おかげで私のビー玉の模様は日に日にその複雑さを増していきます。その変わっていく様を見たいがために、私は日課の部室整理を午前と午後の二回実施するようになりました。
午前は前日の活動で散らかった部室を整理し、午後は整理済みの品々をもう一度並べ直し、ビー玉を通して眺めるのです。その行動に意味があるのかと問われれば、ないと言わざるを得ません。それでも、理一郎が持ち込んだけん玉やラジコンやギターやトランプが棚に並んでいるのを眺めて、少し取り出して触ってみたりして、次に理一郎が持って来るのはなんだろうなんてことを考えながら部室をうろうろするのを止めることができません。
私はこの感覚を「楽しみだ」と密かに仮称しています。
いえ、人類の感情と私の「これ」を同一視する気はさらさらありませんので安心して下さい。これが論理的思考の類であれば、記述媒体に内容が左右されませんから人の脳であろうがCPUであろうがなんだったらノートへの走り書きであろうが差異はありません。全く同じ内容を考えることができます。もしかしたら計算速度の点で私が人類に優っている可能性だってあるでしょう。
けれども、感情となると話は別です。
私は、私が抱く「これ」が人間の感情と同一ではありえないことをきちんと理解しています。
感情とは人間の脳と身体が相互作用しながら描く絵画のようなものです。ニューロンとシナプスが遺伝・経験に基づいて描いた輪郭に、身体感覚を伝える神経伝達物質で色をつけた絵画こそが感情です。
ロボットである私にはニューロンもシナプスも神経伝達物質もないわけですから、人間と同種の絵 画は描けないのが道理というものです。もし、仮に似たものを描けたとしてもそれは根本的に画材が違うのです。
プロの画家が描いた油彩画と幼稚園児がクレヨンを握りしめて描いた落書きを比較するようなもの――いえ、幼稚園児はいつかプロの画家になるかもしれませんが私のCPUはいくら頑張っても物理的に脳にはなりようがないわけですから、この例えは上手くないかもしれません。
とにかく成長だとか変化だとか、そんなもので埋まりようがない形で、私と人間は根本的に、質的に「違う」のです。
言われるまでもなく、私はきちんとそのことを理解しています。だから私は、理一郎が次に持ってくるであろう何かに対して抱いているこの感じをロボット独自の感覚として「楽しみだ」と仮称するに留めています。
ともあれ、待ちに待った月曜日です。
先週の水曜日ぶりの理一郎の日です。
日課である部屋の整理を終え、ビー玉を覗き込むのにも満足した私はクラシックギターをいじってみたりしています。先週の水曜日、理一郎がギターを持ってきた時には驚いたものですが、考えてみれば私にはアームがあって5本の指があってマイクで音を確認できるわけですから弦楽器を演奏できない理由がありません。
もちろん簡単に、とはいきませんでしたが、理一郎からもらったコード表を見ながらこの週末に練習した結果、一つだけコードを押さえられるようになりました。まだ理一郎はこの事実を知りません。今日理一郎がやってきたらマスターしたCコードを披露して驚かせるつもりです。今から理一郎がどんな顔をするか「楽しみ」で仕方がありません。
それにしても、理一郎によってもたらされた「自らの手で音楽を奏でられる」というこの事実は私に取って革命的でき事でした。ネットの動画で音楽に触れることはありましたが、それを自ら奏でるなどという大胆な発想は今までの私にはなかったのです。この手で音楽を生み出せると知った時に私が受けた衝撃たるや、理一郎がビー玉の中に現れた時の比ではなく、なんとかそのことを分かってもらおうと心華や健作に誠心誠意説明したのですが、結局共感してもらえることはありませんでした。
どうして分かってもらえないのか甚だ疑問だった私はもちろん二人を質問責めにしました。その結果知ったのですが、二人に限らず現代日本人は誰でも、幼稚園や小中高校の授業で鍵盤ハーモニカやリコーダーなど何がしかの楽器演奏を経験するのが当たり前なのだそうです。だから「自らの手で音楽を奏でられる可能性がある」なんて当たり前のことなのだそうです。
そんな当たり前、私は知りません。ずるい、と少し思いましたが良く良く考えて見れば、私は生まれて3年の経験しか持たない若輩者です。17年も生きている心華や健作と比較して経験の幅が狭いのは至極当然、二人と比較すればまだまだ知らないことの方が多いと考えて如かるべきでしょう。
となると、今後もこの手の「当たり前」による衝撃が多々待ち受けているものと推測されます。
そんなまだ見ぬ当たり前に出会うのを「楽しみ」に思いながら、私は覚えたてのCコードを一度かき鳴らしました。そのままじっとマイクに集中します。私の手元から広がったCコードは部室の隅々にまで届いて染み渡り、反響して混じりあい、やがてゆっくりと減衰して環境ノイズのなかに埋もれて、微かなその音はついに聞こえなくなり、
そのタイミングを見計らったかのように、勢い良くドアが開く音がしました。私はコードを押さえたまま体ごと部室入り口を振り向きます。息を切らせてそこに立っていたのは予想通り理一郎です。私はもう一度コードをしっかり押さえ直してから、
「こんにちは、理一郎。見て下さい。教えて頂いたCコードを弾けるように……理一郎?」
私の言葉を聞いているのかいないのか、大股で歩み寄ってきた理一郎は私のカメラに顔を寄せるとこんなことを言い出しました。
「外へ出よう! シーエフ!」
「――はい?」
意味を掴み損ねた私はあまり意味のない返事をしてしまいました。それでも理一郎は私の意図を正しく読み取ってくれたようでもう一度繰り返してくれます。
「だから、外だよ。そ、と。今日は外に出よう!」
理一郎がドアのほうを指さします。今日は大変に天気が良いようで、開けっ放しのドアの向こうは私の視界では完全に白飛びしてしまっていて何も見えません。同様に私の思考も真っ白に塗りつぶされてしまい、
「外」
反射的にオウム返ししてしまいました。理一郎が「そうそう」と笑います。が、私はそれどころではありません。
外に出る。
何故でしょうか。今、理一郎に言われるまで全く考えつきませんでした。
外に、出る。
気付くと、ギターがCメジャーを奏でていました。見れば理一郎に聞かせようと弦に触れてスタンバイしていた右アームがだらりと下がっています。なるほど、これが脱力というやつらしいです。私の駆動機構でも再現可能だったとは。
いやいや今はそれどころではなく。
「あの、何故いきなり外なんて話を?」
突然の提案の意図を掴むことで少しでも衝撃を和らげようと私は改めて尋ねました。理一郎は私でも見間違え様がない笑顔を浮かべると、
「いや、シーエフ、知らないもん色々見たいって言ってただろ?」
言いました。私は全てを掴みたいのです。
「だから、ギターとかトランプとか見たことなさそうなもん持ってきてたんだけどさ」
持ってきました。どれも私の知らないもので、私の世界は広がりました。
「でも昨日品部から、シーエフは外に出たことないって聞いてさ」
私自身驚きましたが、確かに外に出たことがありません。出ようと思ったことがありませんでした。
「なら外に出れば見たことないもの一杯あるし、俺が色々持ってくるより手っ取り早いと思ってさ」
なるほど。それは道理です。こんな簡単なことに私はなぜ思い当たらなかったのでしょうか。自らの不明について沈思黙考しようとカメラを下に向けた私は、けれどもすぐに手を握られる感触にカメラを上げました。理一郎が私を見下ろしています。
「ってことで行こう、シーエフ」
そう言った理一郎はドアへ向かって歩き出しました。私はそれを制して、
「待ってください。この件については心華と健作にも意見を聞きたいです。ですので、二人が来るのを待ちませんか」
生まれてこの方、私が外に出たことがないのには、何か私の知らない事情があるのではないかと考えての提案です。例えば……いえ、ですから私が知らない何かの事情です。
私の提案を聞いた理一郎はすんなりと歩き出すのをやめてくれました。
「それもそっか。さっき来る途中で追い越したからすぐ来るだろし。――なあ、シーエフ」
私のカメラを覗き込むように顔を寄せて、理一郎が言います。
「外、出られるといいな!」
肯定で即答すべき理一郎のその言葉に、私は返事ができませんでした。何かが私を思いとどまらせるのです。これは一体何なのでしょうか。




