○叶能心華
その高い声に俺が振り向くと、いつの間に移動したのかドアの前には既に品部の背中があった。お陰でそこにいる誰かの姿は俺の位置から見えない。
「心華、今日は来ないという話では」
その誰かに話しかける品部の輪郭の向こうにスカートの端がちらりとはみ出して見える。どうやら女子生徒らしい。もう一人の部員だという女子だろう。確か名前は叶能心華だったはずだ。品部の尋常ならざる動きから顧問の見回りか何かではないかと疑っていた俺は少し安堵する。いや、何か悪いことをしていたわけではないのだけれども。
「そだったんだけど、転校生来てるって聞こえたからさー」
同年代とは思えないくらい高い声で叶能が答える。対する品部はずいぶん声を低く抑えていた。聞かれて困る話なのだろうか。丸聞こえだけど。
「演劇部にも行ってきたんだよねー?」
「ああ。転校生を迎えにな」
「それだけ?」
「聞いていただろう?」
「もちろん。あはは。ちょっとからかってみたかっただけだよー。って、おっとっと。もー、いきなりなにすんのさー」
叶能の不満の声を聞かず品部が前進する。どうあっても部室に入れないつもりらしい。
「どっちにしても遅かったな。転校生はもう帰った。ほら、心華も今日は考え事するのだろう。帰った帰った」
品部は嘘をついてまで叶能を帰らせようとする。どうも俺と会わせたくないらしい。となると、俄然興味が湧いてくる。どんなやつなんだ、叶能心華。
「考え事はもういいから私も転校生見たい! 見せて!」
「だから帰ったんだ、転校生は。明日にはまた来ると思うから」
押し問答をする品部の後ろにそっと近づいた俺はその場にしゃがみ込み、仁王立ちする品部の足の間から向こうを見上げる。
そこには品部から距離を取って不満そうに口を尖らせるちんちくりんがいた。本当に小さい。下から見上げるというアングルのせいもあるのかもしれないけれど、品部の半分しかないように見える。それでいて品部とのやり取りを聞く限りは同学年らしい。
確信が抱けず、ちんちくりん、いや叶能の襟元に目を凝らす。首にかけたヘッドホンのせいで校章が見えづらいけれども……見えた。緑だ。つまり俺や品部と同じ2年ということになる。ちょっと信じ難い。妙に長いスカートと、ちょっとだぼだぼなブラウスが入学当時の成長への期待を思わせて物悲しい。
――。
一応、下から見上げていたと言ってもスカートの中身が見えるような角度ではなかったことは付け加えておく。いや、本当に。
と、俺の碌でも無い考えが察知されたのかも知れない。不意に叶能の視線が下を向いた。俺はとっさに動くこともできず、ばっちり目を合わせてしまった。
仕方がないので無言で手を上げてみると、叶能は「お? お?」と嬉しそうにポニーテールを振り振り駆け寄って来て、品部の前でしゃがみ込んだ。品部の諦めたような長いため息に乗って、叶能の高い声が面白がるように転がる。
「へー、キミが転校生かー」
品部の足の間を介して膝を突き合わせる形だ。今更逃げるわけにも行かず俺は素直に答える。
「そ、俺が転校生。名前は工藤理一郎。2年だよ。よろしく」
俺が手を差し出すと、叶能はしばらく俺の手を見つめてから、
「ああ、握手ねー。はいはい」
品部の股の下で俺は叶能と握手を交わす。何だろう、この絵面は。
「ちょっとそこどいてねー」
少し放心していた俺は叶能に声をかけられて我に返る。
「ああ、ごめん」
場所を空けると、叶能は品部の股をくぐり抜けて立ち上がり、
「私は叶能心華。ロボ研の部長だよー。じゃあ、キミ。早速シーエフの――」
「待て。心華」
品部に止められた。
「なーんでーすかー。嘘つきの健作さん」
半眼で責める叶能に、品部は一瞬言葉に詰まりながらも、
「ごめん。嘘をついたのは僕が悪い。だから、改めて状況を説明させて欲しい」
「いいよ? なに?」
叶能は笑顔であっさり応じる。この程度のやり取りはじゃれ合いの範疇らしい。そういえば、ロボ研の部員はこの2人だけということだから、もしかすると付き合っているのかもしれない。
……ここに入部すると俺は馬に蹴られて死んでしまうのでは?
俺の邪推を他所に品部が説明を始める。
「なによりの大前提だが、工藤はまだ入部していない」
「そうだっけ? じゃあ入れようよー」
「入るかどうかは工藤が決めることだ」
「え? そんなの別に」
「待った。ちょっと外で話そう」
悪い、と俺に頭を下げた品部は叶能の手を引っ張って部室を出て行ってしまった。残された俺はシーエフに尋ねる。
「なあ、叶能ってどんなやつなんだ?」
返事がない。
「おーい、シーエフ?」
正面に回ってカメラの前で手を振ってみると、シーエフはそっぽを向いてしまった。
「あれ? シーエフ、何か怒ってるか?」
そういいながら、そういえば叶能が来る直前、シーエフが何か言いかけていたなと思い出す。ひょっとしたら発言を無視されて怒っているのかも知れない。
「シーエフ、さっきの続き聞いていもいいか?」
果たして、勢い良く俺の方を振り向いたシーエフは、両腕を目一杯に広げて俺を見上げると、
「私はPhysical Search Engine C+F。いずれ世界の全てをこの手に掴むものです。以後お見知りおきを」
唐突に壮大な未来予想図を告白された俺はあっけに取られてシーエフをまじまじと見つめてしまう。シーエフのカメラはあくまでもまっすぐこちらを向いていた。その輝くレンズの奥を覗き込んでいる内になにやら込み上げてくるものがあって、俺は思わずシーエフの手を取って言う。
「分かった。じゃあ俺はそれを手伝うことにするよ。よろしく、シーエフ」
ひんやりと冷たいシーエフの手が一体どこまで届くのか、俺は期待に胸を膨らませる。
「ごめん。待たせた。話の続きを……工藤? 何をしているんだ?」
「キミ、何かそういう趣味の人なのー?」
戻ってきた品部と叶能を無視して、俺はしばらくシーエフと手を握りあい見つめ合っていた。
その後は何やら用事を思い出したという品部たちと一緒に慌ただしく部室を部室を後にした。別れ際に品部から手渡された入部届にはちゃっかり部活名と俺の名前が記載され、工藤のハンコが押されていた。
「うちで部活紹介は最後なんだから協定違反ではない」としたり顔で言う品部は多分、一生悪いことの出来ないやつだ。転校早々に知りあえて良かったと思う。
あとは終始、叶能が何か言いたそうにしながら黙っていたのだけれども、何が言いたかったのかは考えないことにする。少なくとも嫌われてはいないはずだと信じたい。
*
翌日の放課後、俺は入部届けを持って職員室の前に立っていた。自分の心臓の音が聞こえる程度には緊張している。落ち着くためにゆっくりと呼吸を整えながら、昨晩の結論を思い出す。記入済の入部届四十二枚をベッドに並べ、考えて考えて日が昇るまで考え抜いて、これと決めた結論だ。充分に考えたのだから、あとはもう動くだけ。
「うっし!」
声に出して気合を入れた俺は職員室のドアをノックして開け放つ。
「失礼します! 入部届けを持ってきたのですが」
「おー転校生か。どこに決めたんだ」
俺に気付いた担任が人の良さそうな笑顔で近づいてくる。二枚の入部届けを握りしめた俺は、昨晩練りに練った口上を舌の上で転がしてみる。
よし、いける。
「いやあ、本当にこの学校って部活がたくさんあって楽しいですね。前の学校じゃ考えられないくらいですよ。みんな積極的に参加してますし。ええ、見学して回りまして。どこって、あはは、四十二箇所なんで一つ一つは挙げられませんね。いや本当ですって。皆さん歓迎してくれて、はいそれで思ったんですよ――」
――担任は初めこそ援護射撃をしてくれたものの、学年主任はなかなか首を縦に振らず、消耗戦の様相を見せ始めたその時タイミング悪く現れた教頭の威圧的態度は担任の戦意を完全に失わせ、それでも諦めきれない俺は教頭が真っ向から叩き込んでくる正論を回避して情熱を叩きつけるものの、海千山千の教頭は俺如きの語る情熱など聴き飽きたとばかりに鼻で笑い、その嘲笑に担任は完全に打ちのめされてしまい、好機とばかりに勢いづいた学年主任がそのまま話を畳んでしまおうと立ち上がり、やばいと感じた俺は後を追って立ち上がってしまいそうになるのを堪え、こうなったらハンガーストライキよろしくここに居座ってやると覚悟を決めて膝の上で拳を握りつつ学年主任を睨むように見上げて、その時予想外の方角から割り込んできたのは、
「ね、別にいいんじゃない? 校則にもないし。どうしてもやりたいってんなら僕は許可するよ。あ、部費の割り振りがあるからメインの部だけは決めてね。でさ、それより斉藤先生、別件で急ぎの話があるんだけどさ。いい?」
どうやら立ち聞きしていたらしい校長だった。軽い口調で俺の主張にお墨付きを与えてくれた上に、最大の敵であった教頭をこの場から連れ去ってくれた校長に俺は心の中で感謝する。
ありがとう、校長。いつか恩返しするかもしれないです。しないかもしれないです。
さて、こうなってしまえば残る学年主任なんか敵ではなく、校長の公認で勢いづいた俺と担任はついに主張を押し通すことに成功し、満面の笑顔で熱い握手を交わした。
かくて俺の所属する部活は決定した。
演劇部 時々 ロボット研究部。




