1-07. 休憩と設営
昼食を手早く食べ、嶺は空いた容器をまとめ、午後の予定を確認した。みちるから呼ばれて戻ってきてすぐ、ゴミ袋をまとめて立ち上がった。
「車から虫除け取ってきます」
「相馬くん、それちょうだい」
紗良が手を出した。嶺が足を止める。
「私、お手洗い行くから。ごみ捨てて、車にも寄ってくるよ」
「でも――」
「少し休んで」
声はいつもと変わらなかった。嶺は紗良を見る。ほんの少しだけ間があって、それから手にしていた袋を差し出した。
「……じゃあ、お願いします」
「うん。鍵貸して?」
嶺はポケットから車の鍵を出し、紗良の手に乗せた。紗良が袋と鍵を受け取ると、嶺はその場に腰を下ろした。ペットボトルを開け、ひと口飲む。
「誰か車から取ってくるものある?」
紗良が周りのメンバーに聞く。申し出がないのを確認して、紗良は駐車場の方へ歩いていった。千晶も立ち上がる。
「私、ひよりちゃんたちの方行ってきます」
小松が一年生たちの方を見る。
「俺もあとで行く」
「はい」
千晶が離れていく。千晶の背中を見送り、小松は嶺を見て言った。
「相変わらず、世話焼かれてるな」
嶺が小松を見る。
「何が」
「そのまんま」
小松は笑って、水を飲んだ。嶺は小松を横目で見た。
「……絶妙に頼みやすい理由つけてくるから」
「上手いよな」
小松は目を細めた。嶺は何も言わず、ペットボトルに口をつける。少しの間、二人で湖を眺めた。風が吹くたび、陽を反射した水面が細かく揺れる。
「そういえばさ」
小松が言った。
「なんで、日向さん、キャンプ誘ったの」
「別に」
「後輩、やめる気になった?」
嶺はペットボトルの蓋を指先で回した。
「……迷ってる」
「何を」
少し間が空く。
「このままでいるか」
小松は何も言わなかった。嶺も湖の方を見たまま、しばらく黙っている。やがてペットボトルをもう一口飲んだ。
「でも、半年ほぼ会ってなかったし」
「うん」
「普通に会いたかった」
小松は一度だけ嶺を見た。
「へえ」
それ以上は聞かなかった。遠くから、ひよりの声がした。
「朝倉くん、見て!」
「もう何も見せなくていい!」
嶺が反射的にそちらを見る。小松が笑う。
「休めって言われただろ」
「見ただけ」
ちょうどその時、駐車場の方から紗良が戻ってきた。片手に虫除けを持ち、もう片方の手には車の鍵をぶら下げている。嶺はその姿を見て、ペットボトルの蓋を閉めた。
◇
キャンプ場へ到着すると、嶺はすぐに全体の確認へ回った。車から荷物を下ろす位置を決め、受付へ行く部員を選び、テントを張る区画を確認する。小松も不在がちだった。
紗良は初心者三人と一緒に道具を運んだ。重そうな荷物へ手を伸ばすと、朝倉が先に持ち上げる。
「日向先輩、これは俺が持ちます」
「一人だと長くて持ちにくいよ」
「じゃあ、森田」
「うん」
二人で両端を持つ。三浦も食材の入った箱を抱えた。
「こっちは俺が運びます」
「重いから気をつけて」
「大丈夫です」
三人ともよく動く。朝の怪我を知っていることもあり、気を遣ってくれている。
「日向先輩、次は何をすればいいですか」
テントを広げると、三人が自然に紗良の周囲へ集まった。
「まずポールをつなげようか。同じ色の印を合わせて差し込んで」
朝倉がポールを出す。森田は説明書を広げ、三浦は部品を数え始めた。それぞれが自分の作業を進めながら、何かあるたびに紗良へ聞きに来る。
「みんな、覚えるの早いね」
紗良が褒めると、三人の表情がそれぞれ少し明るくなった。嶺が近づいてきたのは、ポールをテントへ通そうとしているときだった。
「順調?」
「日向先輩が教えてくれてるので」
朝倉が答える。
「分かりやすいです」
森田も続けた。
「じゃあ俺、見てるだけでいいですね」
「部長でしょう」
「見守るのも仕事なので」
「手も動かして」
嶺は笑いながら、組みかけのポールへ目を向けた。
「あ、ここ一本逆」
三人が一斉に確認した。
「あ、本当だ」
「一度抜こうか」
「ごめんね。気づかなくて」
紗良がしゃがみ込もうとすると、嶺が手提げを差し出した。
「日向さんは、これもっててください。左手で」
嶺は持っていた手提げを紗良に渡した。シートに置いてもいいのに、敢えて役割を与えられた気がした。
「朝倉は反対側。森田と三浦は、抜いたポールをまっすぐ支えて」
指示は公平で無駄がない。言い切られて、紗良は仕方なく手提げを受け取った。嶺が一年生たちに手短に指示を出す。ほどなくしてテントは形になり、嶺の指示に合わせ、五人で位置を調整する。
最後に入口上部の留め具だけが残った。紗良が左手を伸ばす。指先は届くが、片手では少しやりにくい。右手を添えようとしたところで、背後から腕が伸びた。
「俺がやります」
すぐ後で声がした。紗良の肩の横を通った腕が留め具をつかむ。身体は触れていないのに、背後に嶺がいるだけで妙に落ち着かない。
「届いてるよ」
「届いてるだけ」
嶺は片手でシートを引き、もう片方で留め具を合わせた。紗良は、動けば腕へ触れそうで、その場に立ったままでいる。
背中へ身体が触れているわけではない。それでも、肩の横にある腕と耳に近い声のせいで、息の仕方が分からなくなり、小さく息を吸う。
直後、乾いた音を立ててバックルがはまった。嶺はすぐに腕を引いた。背後にあった気配も離れていく。
「右手、使おうとしてましたよね」
「添えるだけなら平気かなって」
「朝、使わないって言ったでしょう」
「約束まではしてないよ」
「なら、今してください」
冗談めいた口調だった。紗良が振り返ると、嶺はもうテントの方を見ていた。さっきまで近くにあった体温だけが、肩の辺りへ残っている気がした。
みちるが嶺を呼ぶ声が響き、嶺は一手早く年生たちへ次の指示を出してた後、みちるの班のテントの方へ歩き出した。紗良は自分を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸した。
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