3-4 タイプ
テントの入口をくぐると、外の話し声が少し遠くなった。荷物の前に座り、ファスナーへ手をかける。今度は引っかからずに下りた。
――ずっと、こうしたいと思ってました。
手が止まった。
ずっと、とは、いつから。
頬を包んでいた掌を思い出し、紗良は唇を結んだ。
離れそうになった服を、自分から掴んだ。あの時は、そうしたかった。でも、その先に何を言えばいいのか、今も分からない。
自分の上着に袖を通し、嶺のものを畳む。膝の上へ置いて、一度だけ深く息を吐いた。
◇
紗良が戻ってきた時、嶺は空いたカップをまとめていた。
「相馬くん。ありがとう。……ごめんね」
何に対しての謝罪だろうか。深く考えないようにして、すぐに答えた。
「大丈夫ですよ」
その場で受け取った上着に腕を通す。襟を直したところで指が止まる。
「……相馬くん?」
「いえ」
嶺は襟から手を離した。顔を上げると、紗良がこちらを見ている。
「何ですか」
「何でもない」
目が合ったまま、少しだけ間があった。紗良が先に視線を外し、置いていたカップを取る。
嶺はファスナーに手をかけたが、上げずに離した。
これを着て、普通に片づけをするのか。
「相馬先輩、これどこですか」
三浦に呼ばれ、顔を向ける。
「どれ?」
どうにか、普段の声は出せた。
◇
朝食を終えると、撤収作業が始まった。
濡れたタープを拭き、テントを乾かしながら畳む。昨日は袋に戻すだけでも手間取っていた一年生たちが、今日は声を掛け合って動いていた。
嶺はロープをまとめながら、その様子を見ていた。朝倉はよく動く。言われたことはすぐに覚えるし、紗良に何か言われれば、嬉しそうに返事をする。
大きな荷物を運び終え、残していた椅子で短く休憩を取る。紗良の隣に朝倉が座った。
紗良がペットボトルの蓋を回す。その手元を見ていた朝倉が、ふと口を開いた。
「日向先輩、指、めちゃくちゃ綺麗ですね」
妙に真面目な声だった。
「……指?」
紗良が顔を上げる。朝倉はその目を見て頷いた。
「はい。細くて、長くて」
紗良は自分の手を見下ろした。
「そう、かな」
「相馬先輩も思いません?」
急に振られ、嶺は朝倉に目を向けた。それから紗良の指へ視線を落とす。
今朝、服の裾を掴んでいた指だった。頬に添えた手にそっと重ねられた時の冷たさも思い出された。
「あー……うん、結構好き」
紗良の動きが止まり目を伏せた。
「……うまい返しですね」
「何が」
「いや。流石です」
朝倉はそれ以上追及せず、感心したように頷いた。
紗良はペットボトルを握り直した。
「……普通だから」
紗良は少し困ったように笑って言った。蓋を閉め、ボトルを膝へ置く。
嶺は笑って、自分のボトルを取った。
「日向先輩って、どんな人がタイプなんですか」
朝倉が続けた。森田が隣を見る。
「急だな」
嶺が言った。
「聞いてみたかったし」
紗良は少し考えた。
「うーん……タイプとかはよくわからない」
「今まで好きになった人はどんな人だったんですか」
「朝倉、朝から飛ばすなあ」
森田が笑った。
「……好きって言うのが、イマイチよくわからないんだよね」
紗良は考え込むように黙った。
嶺は紗良を見た。今朝、触れ返してくれたことでほんの少し期待していた。言葉にしていないだけ自分と同じなのではないかと。嶺は目を伏せた。
「そうなんですか?」
森田が言った。
「うん。友達は、がっしりした人が好き!って、いつも体格のいい人と付き合ってる。そういうのはないかも」
「共通のタイプはないってことですかね」
朝倉が言った。
「……そうかも」
「じゃあ、ドキッとする時って、どんな時ですか」
「ドキッと?」
「こういうことされたら、とか」
紗良はボトルの蓋へ指をかけた。回さずに、少し考えている。
「……近い時とか」
視線がほんの一瞬こちらへ来たのがわかった。
嶺は口元へ運びかけたボトルを止めたが、紗良はもう朝倉を見ていた。
「それは大体みんなそうじゃないですか」
朝倉が笑い、森田もつられて笑った。
「でも参考にします」
朝倉は体を紗良の方へ倒した。
「こんな感じとか?」
紗良が目を丸くする。笑って誤魔化すでもなく、朝倉は紗良を見ていた。
嶺が立ち上がって朝倉の肩へ手を置き、軽く引き戻した。
「いま試さなくていい」
「確認です」
朝倉は笑った。
「びっくりした」
紗良も笑った。
朝倉はあっさり姿勢を戻した。悪びれてはいない。だが、もう一度近づこうとはしなかった。
嶺は肩から手を離した。朝倉がその手を見て、それから二人の顔を順番に見る。
「相馬先輩、動き速かったですね」
「今はコンプラとか厳しいから」
朝倉が笑った。
「それだけ仲いいのに、今まで何もなかったんですか?」
紗良の動きが止まる。
「何もって?」
「付き合ったこととか」
「……それはない」
「ないよ」
同時だった。事実を言っているだけなのに勝手に胸が沈む。
「それなら俺、遠慮しないでいいってことですね」
朝倉が嶺にだけ聞こえるよう声を抑えて言った。紗良は不思議そうに首を傾げた。
「……俺に止める権利ないから」
言ってすぐ、紗良と一瞬目が合った。
朝倉が何か言いかけたところで、駐車場の方から小松の声がした。
「相馬、これで最後?」
「ああ、そこのシートも」
嶺は立ち上がった。紗良もボトルをしまい、椅子から腰を上げる。
「じゃあ、これ畳もうか」
「俺やります」
朝倉がすぐに手を伸ばした。
嶺は一度そちらを見てから、シートを取りに向かった。
◇
荷物を積み終え、車ごとの人数を確認する。
紗良は千晶と話していたが、朝倉に呼ばれて振り返った。朝倉が手元の画面を差し出す。紗良が覗き込むと、その隣へごく自然に並んだ。
「朝倉くん、近いよ」
紗良が笑って半歩ずれる。
「見えます?」
「見える。こっち向けてくれれば」
朝倉は素直に画面を傾けた。その距離のまま何か話し、紗良がまた笑う。
「朝倉、メンタル強いね」
その様子を見ていると隣に来た小松が言った。嶺は横目で小松を見た。
「宣戦布告された」
「口説くの手伝わされそうになってたじゃん」
小松が笑った。
嶺は車の鍵を指に掛け直す。少し先で、紗良が朝倉へ画面を返していた。
「大体はお前がうろちょろしてたら引くのにな」
嶺は眉間を寄せた。
「そんなつもりないけど」
小松はまた笑った。
紗良は朝倉に近づかれても気軽に注意して、そのあとも普通に話している。わりと楽しそうに。
「意外と、ああいうの強いんだよな。いいと思ったら、そのまま言うっていうか。久住さんとか」
「……知ってるよ」
どちらかというと紗良の元彼の久住も、そういう人だった。
鍵の先が掌に当たる。嶺は握り直した。
「小松」
「何」
「今、それ聞きたくない」
「だろうね」
小松はまだ笑っていた。
「相馬くん」
紗良に呼ばれ、顔を上げる。
「体調わるい? 運転しようか」
紗良が覗き込むように少し近づいた。相変わらず妙なところで勘がいい。
今朝、至近距離で見つめ合った瞳が、今は心配そうにこちらを見ている。
「……大丈夫ですよ」
「疲れたら代わる」
まだ目を逸らしてくれない。嶺は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
運転席のドアに手を掛けた。隣で小松が何か言いたそうにしていたが、見ないことにした。
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