↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はじまりの夏 series 理性か、衝動か  作者: 日蔭野泉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/27

2-9 光

 夜が更けるにつれ、キャンプ場は少しずつ静かになっていった。焚き火の周りに残っていた部員たちも、一人、また一人とテントへ戻っていく。紗良も歯を磨き、女子テントへ戻ろうとしていた。


 けれど、どうにも眠れそうにない。夕方からのことが、頭の中を何度も行き来している。触れた手首、嶺の腕。近かった瞳。


 あのまま嶺が離れなかったら、どうしていただろうか。


 自分がどうしたいのか。分からないのに、思い出すたび胸が落ち着かない。


 紗良はランタンを手にしたまま、少しだけ遠回りして戻ることにした。昼間は広場として使われていた場所へ近づく。木立が途切れる少し手前で、人影に気づいた。


 嶺だった。


 足元には消したランタンが置かれている。少し離れたところに立ち、何もせず空を見上げていた。見回りの途中だろうか。


 紗良もつられるように顔を上げた。


「……わ」


 思わず声が漏れる。嶺が振り返った。


「日向さん。いつからいました?」

「いま」

「ランタン消した方が見えますよ」

「あ、そっか」


 紗良も灯りを消した。急に辺りが暗くなる。最初は嶺の姿さえぼんやりとしか見えなかった。けれど、少し待つうちに目が慣れてくる。木々の輪郭が戻り、地面が見え始める。


 そして。その上に広がる空が、さっきまでとはまるで違って見えた。


「……すごい」


 黒い空に星が散っている、というより。無数の光の隙間に、夜が残っているようだった。宝石箱をひっくり返したような星空。


 紗良はしばらく、その場から動けなかった。


「こっちの方が開けてます」


 嶺が少しだけ場所を譲る。紗良は隣まで歩いた。一人分ほど間を空けて立つ。


「こんなの初めて見た」

「俺も、ここまでのは初めてです」


 声まで自然と小さくなる。二人とも、それ以上は話さなかった。

 

 風が木々を揺らす。遠くで虫の声が続いている。見上げているうちに、胸の奥が急にいっぱいになった。


 ただ、きれいだった。それだけなのに。目の奥が熱くなる。一つ、涙が頬を伝った。紗良は驚いて指で拭った。


「……何これ」


 小さく笑う。美しすぎるという理由だけで、涙が出ることもあると初めて知った。もう一度、空を見上げる。また少し滲んだ。紗良は目元を拭いながら、ふと隣を見た。


 暗闇に目が慣れたせいで、嶺の横顔もさっきよりよく見える。空を見上げたままの頬に、細い光があった。


 星明かりを拾って、右頬が一瞬きらりと光る。紗良は目を凝らした。もう一筋、頬を伝った。嶺も泣いていた。


 思わず、その横顔を見つめる。普段は飄々としていて。誰と話していても余裕がありそうで。何を言われても、少し笑って返す。


 そんな嶺が星を見て泣いている。そのことが妙に可笑しくて。同時に、なぜだか胸の奥が柔らかくなった。 


 嶺が視線に気づく。ゆっくりこちらを向いた。暗くても、目が合ったことは分かった。数秒。


「……見ないでください」


 目元を指で拭いながら低い声で言った。


「なんで」


 紗良は笑みを漏らした。


「恥ずかしいから」

「私も泣いたよ」

「それは見ました」

「じゃあお互い様じゃん」

「俺は見ないふりしましたよ」

「今言ったら同じでしょう」


 嶺が少し笑った。


「確かに」


 また二人で空を見る。さっきまでとは少しだけ空気が違った。けれど、不思議と居心地は悪くなかった。紗良はもう一度、隣の横顔を見た。今度は涙はなかった。


 それでも。


 高校の頃から何年も知っているはずなのに。まだ、自分の知らない嶺がいる。そう思った。


「そろそろ戻ります?」


 しばらくして嶺が言った。


「うん」


 二人ともランタンを点ける。光が戻った途端、星は少し遠くなった。嶺が先に歩き出す。


「ここ、少し窪んでます」

「ほんとだ」

「さっき一回滑ってるので信用してません」

 

 腰に回った手の感触を一瞬思い出して少しだけ首に熱が昇る。


「……一回だけでしょう」

「一回あれば十分です」


 いつもの嶺だった。紗良はその少し後ろを歩く。けれど、さっきまでとは少し違って見えた。テントの近くまで戻る。


「じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 紗良が女子テントへ向かおうとすると、「先輩」と呼ばれた。振り返る。嶺は少しだけ言いにくそうにしていた。


「さっきのは忘れてください」


 紗良は笑う。


「星見て泣いてたこと?」

「声、大きいです」


 紗良は笑った。


「……誰にも言わないよ」


 紗良は嶺を見上げて少し目元を緩めた。


「おやすみ」


 嶺はそれ以上何も言わなかった。少し不満そうな顔の嶺を残して踵を返した。


「……おやすみなさい」


 後ろから聞こえた声に少しだけ振り返って手を振って紗良はテントへ戻った。


 寝袋へ入り、目を閉じる。あれほど綺麗だった星空が浮かぶ。そのあとに右頬を流れた小さな光。見るなと言った嶺の低い声が蘇った。


 紗良は暗い寝袋の中で、もう一度その声を思い出した。


 眠れそうになくて外へ出たのに、今は不思議と落ち着いていた。胸の奥に残った温かさを、そのままにして目を閉じた。

*いいねやコメント励みになります

*Kindleでも同名の続編を配信しています。

まとめて読みたい方は、そちらもぜひ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。