カミュ
その日の明け方、ニナは自室の机の上に手紙を置いた。
『トーチャを探してきます。心配しないでください。 ニナ』
それだけ記した手紙。もっと、色々書きたいことはあったのに、上手く言葉に出来なかった。何より、覚悟がブレる気がして。
音を立てないように、祖父母の部屋のドアを少しだけ開け、二人の寝ている姿を見る。
表情はブランケットに隠れてよく見えないが、規則正しい寝息に、胸に込み上げるものがある。
今すぐにでも二人に飛びつきたい衝動を、ぐっと抑え、頬を伝う涙をぬぐう。そうして、唇だけを動かして『行ってきます』と伝え、ゆっくりと、ドアを閉めた。
ニナは振り返らず、小屋までの道を走った。
小屋に着くと、扉の横に少年が立っていた。ニナを見ると、彼は微笑み、手を差し出した。
「待っていたよ。もう扉の先は調整済みさ」
「……どこに、繋がっているの?」
「僕にも慈悲はあるからね。さすがに君がすぐに死んでしまってはしょうがないから、最初の仲間はお膳立てしてあげようと思ってね。このドアの先には、未来の君の仲間がいる。まぁ、実際にそうなるかは、君次第だから必死に懇願することだね」
「が、頑張る!」
「そう、その意気だよ」
そう言って、少年は扉を開くと、ニナの背を軽く押した。ニナは体勢を崩し、ドアの先に吸い込まれるように倒れ込む。
「期待しているよ。君の人生が、面白くなることをね」
そう、少年の声が頭に響いた。
――ドン!
扉の先は、室内のようで、顔から倒れ込んだニナは、床の木目と目が合った。「痛たた」と呟きながら、顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。
「な、なんだぁ?」
赤い髪に、爬虫類のような鋭い眼光。タンクトップから伸びる筋肉質な腕。パッと見ると人間に見えるが、男の頭には大きな黒い角が生えている。男は金色の瞳を大きく見開き、ニナを凝視している。歯磨きの途中だったようで、口からは泡が見える。
ニナは、息を吸い込んで、大きな声で男に叫んだ。
「ニナと、トーチャを助けるのを手伝ってください!」
「……はぁ?!」
男は顔を突き出して、眉を顰めた。ニナはこれまであったことを必死に身振り手振りも交え説明する。
男は頭を掻きながら、「つまり」と話し出す。
「うーん、お前を少年がここに連れてきたと。それで、扉の向こうにお前の仲間になってくれる奴が居ると言っていた……でいいか?」
「あってる!」
「そうかい、色々気になることが多すぎるが、とりあえず迷子ってことで良いかぁ? お前名前はニナであってるのか」
「うん!」
「俺はカミュだ。よし、じゃあニナちょっとそこで座って待ってろ。まだ準備の途中なんだよ、俺」
カミュは椅子を指さし、ニナは椅子によじ登り座る。
周りを見渡すと、そこは古びたこじんまりとした部屋だった。ベッドと小さな机と椅子が一脚ずつ。朝食を食べてた後なのか、部屋にはコーヒーの香りが漂っている。先ほどニナが倒れ込んだのは洗面所だったようだ。
彼は綺麗好きなのか、どこも綺麗に磨かれており埃ひとつない。
「待たせたな」
カミュの声に、振り向くと男は先ほどの下着姿ではなく、かっちりとした制服を着ていた。
「ついてこい」
カミュが部屋を出たので、ニナも慌てて椅子から飛び降り、後をついていく。
廊下に出ると、顔が蛇だったり、手から羽が生えていたりと、亜人が沢山歩いている。
ニナは興味津々な顔をして、通り過ぎる人の顔を見ていたが、カミュがそんなニナの額を軽く小突く。
「亜人はジロジロ見られるのがあんまり好きじゃねぇ。わかったか?」
そう言われて、ニナは何度も頷く。カミュは「いい子だ」と言って、ニナの頭をくしゃりと撫でた。
「しっかし、珍しいなぁ。大抵の子供は亜人が怖くて泣いちまうのになぁ」
そう言って笑う男に、ニナは食い気味に答える。
「角! かっこいいよ」
「クク……かっこいいかぁ。ありがとなぁ」
建物を出て、暫く歩くと、人間とすれ違うようになった。亜人の街というわけではないようだが、すれ違う人間の視線は、凍りつくように冷たく、カミュを見ると顔を歪めた。
ひそひそと話す声が、ニナの耳に入ってくる。
「あの亜人、ドラゴニュートらしいぞ」
「どうも領主様が連れてきたそうだけど、どうしてあんな下賤な者を騎士団に、ましてや副団長になんかしたのかしら」
「団長もなんだか頼りないわよねぇ。お飾りって言われているようですし」
ニナには、理解できなかった。カミュは困ったニナを助けてくれる優しい人だ。それなのに、どうしてこの人達は彼にひどいことを言うのだろう、と。
しかし、カミュは全く気にするそぶりもなく、ずんずんと道を進んでいく。
そうして、カミュは立派な建物の前に立つと、「入るぞ」と言って扉を開いた。
中を進み、ドアをノックすると、中から「誰だ?」と女性の声がする。
「俺だ、カミュだ」と彼が名乗ると、「入れ」と声がした。
カミュが扉を開くと、そこには亜麻音色の髪をした気の強そうな女性が椅子に座り、書類に視線を落としていた。その側には眼鏡をかけた、優しそうな雰囲気の白髪の老人もいる。
顔を上げた女は、ニナに気がつくと微笑んだ。
「どうした? 可愛らしい客人がいるようだが」
「迷子だ迷子。と言っても大分遠くから来たようでな、お前とハミルトンに協力してほしくてな」
「いいだろう。君、名前は?」
そう聞かれ、ニナは少しもじもじしながら「ニナです」と言うと、女は「私はエリサよ。よろしくね」と言った。
老人はニナの目線まで頭を下げ、「ハミルトンですよ。皆優しいから、安心しなさいお嬢さん」と言った。
お嬢さんと呼ばれたのは初めてで、すこしこそばゆさを感じながらも、ニナは「うん」と返す。
そうして、エリサはカミュの方に向き直り、小さく咳をする。
「丁度私も、お前に用事があったんだ。領内で怪しい薬が出回っているというタレコミがあってな。調査を副団長殿にお願いしたくてね」
エリサが視線をハミルトンに向けると、彼は頷いて部屋を出る。
その様子をちらりと見ながら、彼女は続ける。
「ハミルトンにはすでに共有済みの話で、別件の調査にあたってもらっている」
「へいへい、んで俺の調査はどんな話だ?」
「……どうも、貧民街の住人を使って実験をしているという噂だ」
エリサの言葉に、ぴくりと身体を揺らし、カミュが視線を彼女に向ける。
「主な被害者は亜人だ。貴族達はそれを理由に中々腰を上げない。だが、亜人も守るべき我々の領民だ。必ず薬の出所を見つけ、潰す」
エリサは拳を握りしめ、カミュは大きく頷く。
「ああ、俺が必ず見つけてみせる」
「頼むぞ」
「任せとけ。丁度貧民街には行く予定があったしな」
「ああ、いつものか」
「ああ」
そう言って、カミュは袋をエリサに見えるように掲げ、踵を返す。そのカミュに当然のようについて行くニナ。彼は振り返り、しゃがんでニナに視線を合わせる。
「わりぃが仕事が入った。お前はここでエリサと留守番だ」
「いや、ニナついて行く」
「いや、駄目だって……」
「ついてく! ニナ、役に立つ」
「お前なぁ」
二人のやりとりを見ていたエリサが、クスリと笑う。
「いいじゃないかカミュ。お前ならニナのひとりぐらいいざとなれば抱えて逃げられるだろう」
「エリサ! お前なぁ」
「わーい、わーい」
カミュの周りを小躍りしながら歩くニナに頭を抱えながら、彼は大きくため息をついた。
「……ちゃんと大人しくしとけよ?」
「はぁい!」
「しゃあねぇ。じゃ、いくぞ」
貧民街につくと、そこは妙に甘い香りが漂っていた。道端には亜人が座り込み、宙を仰ぎ涎を垂らしながら笑っている。カミュは舌打ちをして、ニナに「行くぞ」と促す。
道路の合間に蹲る亜人、足を引きずりながら荷物を運ぶ亜人、ジロジロと観察するようにニナ達を見ている亜人。貧民街は亜人だらけだ。人間はいても、ぽつぽつとだけ。
ジロジロと見るなと言ったからか、ちらちらと視線を配るニナに、カミュは言葉を発した。
「亜人ばかりだろ? 亜人は人間の社会に疎いからなぁ。簡単に騙されて、このありさまさ。まぁ、亜人を嫌う人間が多いのも、拍車をかけてるがな」
「悪い人、捕まらないの?」
「……残念ながら捕まらない。この街は腐ってるからな。エリサはその膿を潰そうと必死だ」
「膿、潰すと、悪い人捕まるの?」
「ああ、そうなったら俺達の出番だからな。必ず騎士団がしょっ引く」
カミュがニッと笑うと、ニナはぱっと表情を明るくする。
「ニナも、頑張る! 潰す」
「おぅ、ありがとうなっと」
「カミュだ! カミュ」
気が付くと、カミュとニナは亜人の子供たちに囲まれていた。
皆汚れて痩せこけているが、嬉しそうにカミュに抱き着いている。カミュは子供達の頭を撫でながら、持っていた大きな袋を渡す。
「お前らなぁ、びっくりするだろ。ほれ、これ皆で食いな。ちゃんと小さい子にもあげるんだぞ」
「わかってるよぅ。わ、美味そう! パンだ」
子供達はパンに勢いよく齧り付く。ニナはじっと彼等の様子を見つめていた。その視線に気がついた女の子が、パンを差し出す。
「パン、食べる?」
ニナは、首を横に振ったが、お腹がぐぅと鳴る。
小さな声で「半分だけ、ちょうだい」と答えると女の子は笑って半分差し出してくれた。
パンは少しパサついていたが、皆が笑顔で分け合いながら食べているからだろうか、じんわりと胸が温かくなって、美味しい気がする。
その様子をみて、カミュは小さく微笑んだ。
暫くすると、子供達とは大きく手を振って別れた。
カミュは「さてと、行くか」と言って、ニナに手を伸ばす。ニナは、少し戸惑ったが、そっと手を重ねた。大きなカミュの手にすっぽりと収まる小さな手のひら。
「カミュの手、あったかいね」
「まぁな。ニナの手は、ちいせえな。帰ったら、美味いもん食わせてやる」
「うん!」
通りを歩いていると、薄暗い路地で、ローブを着た男が、亜人の男と何やら話をしているのが見えた。
男は、カミュを見ると一瞬、顔をしかめる。その一瞬を、カミュは見逃さなかった。
「ちょっとだけ、ここで待ってろ」
そうニナに伝え、裏路地に向かおうとすると、男は走り出した。
「ちっ」
カミュは舌打ちをして、ニナを抱えると後を追う。
カミュの脚は、風のように速い。ニナを抱えに戻ったというのに、あっという間に男に追いつきそうだ。
その時、逃げる男の前に、さっき別れた子供たちの一人が見えた。
男は、その子供をカミュに向かって突き飛ばす。
カミュは子供を受け取るが、突き飛ばされた衝撃で子供は膝を擦り、泣きわめく。
カミュはニナと子供を置いて、跳躍し、一気に距離を伸ばし男の上に飛び移り、男は鈍い音を立てて地面に顔から倒れる。
「てめぇ、卑怯なことしてるんじゃねぇぞ」
どすの利いた声で、話すカミュに、「ひぃ」と声を上げるローブを着た男。
ニナはその様子を一瞥し、泣きじゃくる子供の患部に手をかざす。
『再生の力を使うときは、どうしたいかイメージしながら、手を翳すんだ』
会話した覚えはないのに、あの不思議な少年の声が頭に響き、言葉を発する。
「再生」
ばちっと緑色の閃光が走り、子供の患部を覆うと、きらきらと星屑のような光が飛び散る。
そうして、子供の患部だった場所には、傷ひとつない肌が現れる。
「ほぉ、ニナは魔法使いだったのか」
カミュは少し驚いた顔をする。
子供はニナに「ありがとう!」と抱き着き、ニナは誇らしげに微笑んだ。
そんなニナの手の甲にある、木の紋章の根元が、ほんの少し緑色の輝きを得たことを、まだ誰も気が付いていなかった。




