第8話 オーガの過去(下)
「化け物め……!」
オーガは腹部に突き刺さった光の剣を手でつかむと、引き抜いて捨てる。
鎧には穴が空いていたが、そこから血は流れていない。
「体の中心を狙ったけど、当たらなかったみたいだね。本体は鎧より小さいのかな? ま、そんなことどうでもいいか、どうせ……」
神が両手を合わせると、彼の背後に無数の光球が出現する。
それらが内包するエネルギーは光の剣よりもずっと大きかった。
「君はここで跡形もなく、消えるんだから」
巻き起こる破壊の嵐。
人智を超えた恐ろしい力を前に、オーガはただ痛めつけられることしかできなかった。
最初は隙を突き、攻勢に出ようともした。
しかし本気を出した神に突けるような隙はなく、オーガは心が折れるまでいたぶられつづけた。
「はあ、はあ……っ」
「まだ立てるとは驚きだね。でもそろそろ終わりにしようか」
神が右手の人差し指を立てると、その頭上に巨大な光の球が現れる。
煌々と輝くその球体は、小さな太陽と形容することができるほど膨大なエネルギーを秘めていた。
「じゃあね」
神が立てた人差し指を下に振ると、光の玉が地面に落下し大爆発を起こす。
その破壊力は凄まじく、一帯の森が消失し巨大なクレーターが出現するほどであった。いくら頑丈な勇者であっても、これを食らえばひとたまりもないだろう。
「ふう、これで終わり……ん?」
仕事を終え一息つこうとする神だが、視界になにかを捉え声を出す。
彼が捉えたのは遥か先で逃走する勇者オーガの姿であった。鎧にはヒビが入り足を引きずっているが、間違いなく生きている。
もし神が万物を見通す『千里眼』を持っていなければ、先の一撃で仕留めたと勘違いしていただろう。
「あれを至近距離で食らって生きてるなんて……。逃走用の魔道具でも持っていたのかな? まあいい。僕からは逃げられないのだから」
そう呟いた神は一瞬にしてオーガのもとへ移動する。
「いつまで逃げるつもりだい?」
「――――っ!?」
神は右手に光の球を出現させると、オーガに向けてそれを放つ。
オーガはそれをすんででかわし、一命を取り留める。
「今のも避けれるとはたいしたものだ。しかし……何人たりとも神の目から逃げることはできない」
神はゆっくりとオーガに近づく。
オーガはすでに万策尽きていた。鍛え上げた技も、習得した魔法も、集めたアイテムも、全て出しつくした。ここから逆転する方法はもう残っていない。
(……いや、一つだけこの状況を変える方法がある)
それを思い出したオーガは、集中しある魔法を発動しようとする。
その魔力の流れを感じ取った神は「……へえ」と呟く。
「それが使えたんだ。でもいいのかい? それを使っても時間稼ぎにしかならないよ」
せせら笑われるオーガであったが、それでも構わずその魔法を発動する。
もうこの魔法しか、すがれるものはなかった。みっともなくても、今は生き残ることを優先した。
「――――異空結界、『無限牢獄』」
オーガは自身を対象に、その結界魔法を発動する。
すると一瞬にしてオーガの体はその場から消え、真っ白な空間に転移する。
「なんとか……なった」
神からの逃走に成功したオーガは、その場に膝をつく。
異空結界の中は、元の世界とは遮断された別の空間。外からここに入ってくることはできない。つまりここにいる間はオーガの安全は保証されていると言っていい。
「少し休み、機を見て脱出しよう。出口の座標をあそこから変えれば、不可能でないはず。なんとしても生き残り……」
オーガが逃走の算段を立てていると、突然ドン!! という轟音と共に無限牢獄の内部が激しく揺れる。
「な、なんだ……!?」
激しく動揺するオーガ。
無限牢獄は元の世界とは遮断された別の空間。当然地震などは起きない。
いったいなにが起きたのかと周囲を見渡すと、オーガが入ってきた空間に亀裂のようなものが入っていた。
その後もドン! ドン! という音が鳴り、それと共に亀裂がどんどん大きくなっていく。無限牢獄を維持するのも困難になってきて、異空結界が不安定になっていく。
「まさか……異空結界に侵入しようとしているのか!? ありえない、そんなことが……!」
想像もしていなかった事態に驚愕するオーガ。
その間にも亀裂はどんどん広がっていき、ついにその亀裂の中から手が現れ、無限牢獄の中に侵入してくる。
(まずい……このままじゃ中に入ってくる……っ!!)
通常他人が展開した異空結界の中に、他人が入って来るのは不可能だ。
結界を張った本人が弱り、結界の強度が下がり壊れかけていたりなどすれば可能性はあるが、この結界はそうはなっていない。
単純に神が、規格外だったのだ。
(おそらく神は私の魔力を辿り、この異空結界の座標を割り出している。しかし今更魔力を止めても、座標が割り出されているから意味がない。ならばこの結界と外の繋がりを完全に断つしかない)
オーガは一瞬の内に数多の分岐を考え、最善の道を模索する。
時間にしてわずか五秒。
オーガはその解答に辿り着く。
「これしか……ないのか」
辿り着いたその答えは、根本的な解決にはならないものであった。
それどころか問題を先送りにし、他の者の手に委ねるようなやり方であった。
勝利か敗北かで言えば、圧倒的な敗北となる選択肢。しかしこれを選ばなければもっと悪い未来が待っている。
ならばいくら後悔したとしても、その選択肢を取る以外に道はない。
オーガは既に取り返しのつかないところまで、間違えてしまったのだから。
「鎧化解除」
オーガがそう言うと、着ていた全身鎧がガシャガシャと音を立てて小さくなり、手甲に変形する。
「急がなければ……っ」
大きな鎧の下からは桃色の髪の美しい女性、桜華が現れる。
彼女は手甲を外し地面に置くと、身につけていた魔道具を次々と地面に置く。
初代勇者の剣『フラウ=ケラソス』。
装着者を護る腕輪『庇護者の腕輪』。
生命力や魔力を吸収し、貯蔵することのできるベルト『生命の腰帯』。
使用者の体躯に合わせ変形する鎧『変幻自在の鎧』。
強力な封印効果を持った宝玉『微睡翠玉』。
今まで何度も命を救ってきた、五つの勇者のアイテム。
桜華は並べたそれらに自らの力を流し渡す。
「これからあなたたちに私の力を渡します……そうすれば私は無限牢獄の発動者ではなくなり、この空間は完全に独立します」
異空結界にはとある仕様がある。
それは発動中に術者が死ぬと、完全に元の世界とは独立し出入りができなくなるというもの。
桜華は人為的にそれを起こそうとしていた。
「そうなれば神もここを見失うはず。しかし私がただ死んだらここに閉じ込めてしまった魔王たちは永遠に元の世界から切り離されてしまう……それは避けなければいけません。なのであなたたちに私の力を渡し、元の世界に戻します」
アイテムに力を渡し、元の世界に戻す。
そうすれば無限牢獄を独立させた上で、後から再び外との繋がりを戻すことができる。
しかしそれを成すためには、何者かが勇者のアイテムを五つ集める必要がある。
善人がそれを成せばいいが、もし創世教の者が集めきったら全てが無駄に終わってしまう。
「どうか……どうか、善き人の手に渡ってください。どうかお願いいたします」
桜華は重大な使命を託されてしまったアイテムたちに頭を下げる。
これらアイテムに意思があるとは桜華も思っていない。しかしそうでもしないと心が潰れてしまいそうであった。
不甲斐ない私の代わりに、どうかお願いいたします。
桜華がもう一度アイテムたちに頭を下げると、力を受け私が完了する。
彼女の力が入ったアイテムたちは光を放ち、宙に浮く。
それを見届けた桜華は、長刀『正宗』を持ち、無限牢獄の亀裂に近づく。
「私が道を開きます。あなたたちは別れ、飛んで行き、身を隠していてください。また会える日が来るのを……祈っています」
桜華はそう言って微笑んだ後、亀裂の方に視線を向ける。
チャンスは一回。この一回だけは失敗できない。
「ふー……」
深く集中する桜華。
手に持った正宗の重い感触が手にかかる。
今の桜華は勇者として得た魔法的能力のほぼ全てを失っている。残っているのは鍛え搾り上げた肉体の能力のみ。
それだけで神を押し退け、道を作らなければいけない。
バキバキとガラスが割れるような音を立てながら亀裂は広がり続ける。
桜華はその亀裂に相対し、正宗を構える。
「――――ここっ!!」
亀裂が広がり、小さな穴が空いた瞬間、桜華は残っている力を全て使い渾身の一撃を叩き込む。
その一撃は無限牢獄の中に入ろうとしていた神の体を直撃し、外へと押し戻す。
「な……!?」
「はああああああっ!!」
油断していた神はその一撃で元の世界へ吹き飛ばされる。そのおかげで空いた隙間を、五つのアイテムが通り抜け元いた世界へと帰っていく。
全てのアイテムが通り過ぎ、一人無限牢獄に取り残される桜華。
今ならまだ、空いた隙間を通って元の世界に戻れるかもしれない。しかし戻れば今度こそ確実に神に殺されるだろう。
それにここを去ったら術者を失い不安定になった無限牢獄を『管理』できる者がいなくなってしまう。今の桜華は無限牢獄を開けたり閉じたりはできないが、残っているわずかな魔法の力で無限牢獄が崩壊しないように調整するくらいはできた。
もし無限牢獄が崩壊すれば中にいる者は空間の狭間に放り出されてしまう。それを見過ごすわけにはいかない。
「……考えたね。確かにこれなら僕も手出しできない」
閉じていく亀裂の向こうから、声がする。
姿はもう見えないが、間違いなく神のものだろう。
「だけど異空結界を完全に閉じれば、君からこちらの世界にも干渉できなくなる。つまり君はもうこちらには戻ってこれないということだ。なにか小細工をしたみたいだけど……無駄だよ。これから勇者の血筋は僕たちが監視する。下手なことはさせない。もし君の秘密を知った者がいたら、その場で殺す。ふふ、君は失敗したんだ」
亀裂の向こうから冷たい声が発せられる。
姿は見えないのに桜華に鳥肌が立つ。背筋が凍り逃げたくなる。
しかし彼女は震えながらもその声に反論する。
「……確かに私は失敗しました。そのことは認めます。しかし、人間はまだ負けていません」
「なにを言うかと思えば……残念ながらこの数千年で僕といい勝負をできたのは君くらいのものだ。その君がいなくなれば、僕の邪魔をできる者はいなくなる」
亀裂はもうほとんどが閉じている。
あと数秒で亀裂は完全に閉じ、二つの世界は完全に分たれるだろう。そうなれば二つの世界が繋がることはもうない。ここに入ることも、ここから出ることも叶わなくなる。
桜華はその恐怖に押し潰されそうになりながらも、気丈に声を出す。
「人間を、あまり舐めないで下さい。私がいなくても、きっと誰かが正義に目覚めあなたの悪事を打ち砕くでしょう」
「……それは楽しみだね。その時を心待ちに待っているよ」
その言葉を最後に、亀裂は完全に閉じる。
残ったのは完全なる静寂。無限牢獄は元いた世界から隔離されてしまった。
「う、あ、ああ……あああああああっ!!!!!!」
桜華は誰もいなくなった空間で膝をつき、絶叫する。
頭の中に様々な感情が渦巻き、ぐちゃぐちゃになる。
後悔、怒り、不安、孤独、寂寥、混乱、嫌悪。
自分のせいで四人の王が無限牢獄に閉じ込められ、寿命で死ぬこともできず苦しみ続ける。おまけに外の世界には神を自称する恐ろしい化け物がいる。自分はその存在を知っているのにそれを外に伝えることもできない。
いつまで続くか分からない無限地獄。
桜華はもしかして最悪の選択をしたのではないかと思い始める。
しかし私の行いは、最悪の結果を招くことになってしまった。
なにが勇者だ、笑わせてくれる。なぜこんな醜態を晒してまで、私は生き残っているのか、生き残ってしまったのか。桜華は深く絶望する。
何時間、何日、何年の間泣き続けただろうか。
いつしか彼女の綺麗な桃色の髪の毛から色素は抜け落ち、銀髪へと変貌していた。
もう生きている価値なんてない、そう思う桜花であったが、今更自死を選択することもできない。
どこまでも続く白い世界。いつまでも続く孤独と後悔の地獄。
その中で桜華は一人膝をつきうなだれると、額を地面に擦り付ける。
誰か、誰か私を……
「――――殺してくれ」





