名も無き世界・21
―今日もナインさんについていくつもりだったのに、断られてしまいました……
緊急会議が開かれたすぐ翌日のこと。ナインは、また朝から森人たちの領域へと赴いていた。
煩わしい枝葉をかいくぐり、邪魔っ気な雑草を掻き分けて、里のある方向へ向かって突き進んでいく。獣道すらない鬱蒼とした地だが、迷わずに歩けるのは良い。なにせ、“道案内役の娘”を伴わずにすむ。とは言え、毎回毎回スーツに泥だの汁だのが飛び散ってしまうので、あまりいい気分ではないのだが。
それにしても奇妙でならないのは、昨日も、その前にも、確かに同じ場所を通り抜けた筈なのに、この緑の海にはそのときの痕跡が一切ないということだ。まるでナインが訪れるたびに、踏みつけられた植物たちが再生しているかのようである。
元来、植物とはそのように強い生命力をもっているのか、ここが森人たちにとっての聖域なので、不可思議な力が働いているからなのか。
―文明人からすれば、しっかりと舗装して欲しいもんだがな
などと考えながらのしのしと歩いていると、不意にわずかな気配がした。ナインは即座に足を止め、静かに身構える。
すると音も無く姿を現す、数人の尖った耳の男。屈強な身体に皮鎧を着込み、槍や弓を携えている。森人の戦士たちだ。いつものように客人……もとい、厄介者のナインを出迎えているらしい。
「また来たのか、無能人」
「……ああ。邪魔させてもらうぜ」
相変わらず物々しい格好で取り囲んでくる森人たちに対し、ぶっきらぼうに返すナイン。しかし向こうの方も、いい加減に慣れてしまったらしい。眉根を寄せつつも、『入ってよい』と顎で先を示す。誇り高いこの種族にとって、余所者に里を荒らされることは不満でしかない筈だが、彼らの頭領から言い含められているので仕方が無いのだろう。
ナインはチンピラの如くガンを垂れながら、その横を素通りしようとした。そのおり、戦士たちの1人から声をかけられる。
「おい、今日はいないのか?」
「あぁ?」
「メアリとかいうやつだ。あの“めく……”」
「おいっ!」
瞬間的に激昂したナインは、その戦士に詰め寄った。するとほぼ同時に、他の森人たちが殺気とともに武器を突き付けてくる。
一触即発の事態だ。団の代表として赴いた身だというのに、まったく沸点が低くていけない。
ナインは、“悪い言葉”を吐きかけた戦士の胸倉を引っ掴んでやりたい衝動をどうにか抑え、そいつに対して低い声で警告した。
「手前ぇ、顔を覚えたからな。次また言いやがったら、手前ぇの目ん玉を2つともほじくり出して、口の中に突っ込んでやるぞ。分かったか?」
「……」
凄むナインに対し、その戦士は何も言うことはなかった。ただ若干の後ろめたさを匂わせながら、睨み返してくるばかりだ。
「おい、いい加減にしろ。これ以上は……」
「クソがっ」
吐き捨てるように言うと、ナインはさっと身を引いた。そして戦士たちの輪から跳び出すように、早歩きで里へと向かう。背後から『無能人め……』という小さな声が聞こえたが、今度はあまり頭に来なかったので無視した。
里の中に入ると、ナインは一直線に中心部を目指した。
その途中で住人である森人たち、主に女性や子どもたちからの、好奇や侮蔑や憎悪の入り混じった遠慮のない視線を浴びることになったが、やはり無視を決め込んだ。
勿論いい気はしないかったが、それらの全てがナイン1人に向けられているという事実に、不思議と心が落ち着いてしまったからだ。
―まったく、メアリを置いてきて良かったぜ
昨日あんな目に遭ったというのに、メアリは性懲りも無く同伴を申し出て来た。だが今日のナインは、それをやんわりと拒絶していたのだ。
つい今ほどの出来事を見るに、その選択は正しかったようだ。
森人たちの住居、いくつもある大木の内の1本が見えた。ここが目的地だ。
ナインは、その大木の洞にはめ込まれるように設置された扉の取っ手を掴み、ノックもせずに開いた。そしてそのまま、ズカズカと室内に踏み込む。
「来たな」
「……おう」
居間のテーブルでは、すでに1人の男が席についていた。全身に入れ墨を施した森人の頭領、コンフュシャスだ。まるでナインの来訪を見越していたかのように、落ち着き払っている。
恐らく、里の入口にいた戦士たちから連絡を受けているのだろう。無線だの電話だのの如き文明の利器の類は影も形も見えないので、魔法か何かのオカルトな手段だろうか。
「メアリはいないのだな。いつも付き添っていたというのに」
「こんな排外的な土地で、わざわざ嫌な思いをさせることもねーだろ」
ナインは、ほとんど八つ当たりのように答えてから頭領の対面の席についた。実際、この里の森人たちがあのような心無い態度をとることに関して、この男がまったくの無関係とは言えないのだ。メアリの心の痛みを思えば、面と向かって罵倒しないだけでもかなりマシである。
しかしコンフュシャスの方も、のっけからのこんな態度にはさすがに苛立ちを覚えたようだ。
「対話をする気が無いのか、無能人よ。こちらとて、それなりに譲歩をしているのだぞ」
「はいはい分ぁってますよ。悪ぅござんした」
唸り声を上げる頭領に対し、ナインは大袈裟にため息をついてから居住まいを正した。
一応これでも、団長殿から正式な命令を受けてここに来ているのだ。己のセンチメンタルな部分に引っ張られて、その大切な役職まで放棄するわけにはいかない。だが、今からナインが口にするのは、これまでの団の要求とは全く違う。
それは間違いなく彼ら森人の為を想ってのことだが、彼らが納得することは無いだろう。だから、言うのが億劫で仕方がなかった。
たっぷり見つめ合うこと30秒。時間の感覚が長い森人でも、さすがに痺れを切らしそうになった頃。ようやくナインは口を開いた。
「……アンタら森人の一族は、この森に生きる意思疎通が可能な動物の全てを連れて、可能な限り遠くに逃げて欲しい。できれば今すぐにでも」
言い切ってしまってから、じっとコンフュシャスを観察する。
始めは何を言われたのか理解できない様子だったが、ややあってから顔を青くし、それがすぐに赤く変わり、そしてどうにか耐えて。また元の、表面上は落ち着いた顔つきになってから、コンフュシャスは押し殺した声で訊ねてきた。
「ついに本格的な退去勧告か? そして断れば、実力行使に出ると?」
「いや違う、そうじゃないんだ」
だから嫌だったんだ、とナインは胸中で独り言ちた。ナインが朝から不機嫌だった原因には、メアリに対する森人たちの道義にもとる行為の他に、これがあった。
石頭な森人たちにこんな無茶な要求をすれば、強烈に反発されることなど予想できるというのに、ノーリの阿呆が必ず伝えろと譲らなかったのだ。ようやくここまで積み上げてきた彼らとの関係も、これで敢え無くパァである。
「では何だと言うのだ。我らが交渉に応じぬからと、この聖域を丸ごと奪おうというのであろう?」
「……邪神が来るんだ」
「なっ……邪神だと!?」
実に珍しいことに、コンフュシャスが驚いたように眼を大きく見開いた。
邪神。つまり、同位体1号“貪食”。
あの化け物は、どういう手段によってかこの世界の臭いを嗅ぎ取り、何度も侵攻を試みていた。その兆候が、ここ最近における異常気象だ。そしてこの世界における神々、同じく同位体であるアリシアたちでは、それを防ぐことはできない。
『ならばいっそのこと共同戦線を張り、準備万端整えて迎え撃ってやればよい』
団員であるスィスが直々に立案したそれは、『“貪食”殺処分計画』などという名目で、すでに進行を始めている。
団と、この世界の守護者たちの全戦力を結集。
機を見て、“貪食”がこの世界に空けた侵入口を一時的に解放。
対象を強力な結界の中に押し込め、脱出を封じ。
然るのちに、飽和攻撃をかけて塵一つ残さず撃滅する。
大雑把に言えば、こんな流れだ。大勢で取り囲んで一斉に殴りつけるという戦闘の基本を、神サマやら超人やらの集団で為そうというだけである。至極単純で、それ故にコンビネーションも取りやすい。
問題なのは、戦場予定地の方にあった。
「邪神のやつは、俺らの城のほぼ直上に虫食い穴を作ってる。つまり、この森のすぐそばにある山の、その頂上に堕ちてくるってことだ」
「では、我らの里が巻き込まれると?」
「勿論そうならないようには努めるさ。だが、万が一ってことがある」
立案者であるスィスは、成功に絶対の自信をもっているらしいが、ナインを含めた数名の団員たちは懐疑的だった。どれだけ入念に準備した計画であっても、何処かしらで綻びが出るのが常だ。まして相手は、この世界の神々をして対処不能と言わしめる程の超存在である。周囲に被害が及ぶことは、視野に入れておくべきだ。
団長であるノーリもそう考えているからこそ、ナインを介して森人たちへ避難勧告をしているのだろう。
しかし実際にそれを飲ませねばならないナインにとっては、いささか以上に負担が大きすぎた。
「悪いが、その話は受けられん」
「またそうやって……そうまで俺らが信用できないってのか?」
やはりというか、予想通りというか。頭領の返答はにべもなかった。
「それもあるがな。そもそも我らは、森を離れては生きられないのだ。ならばその邪神に滅ぼされるとて、同じ結果であろう」
「死んじまったら、それこそ何もならないだろ。邪神を片付ける間だけでも離れてくれれば」
「無論、我らとて死ぬつもりはない。里を守る戦士たちもいるし、何よりこの聖域には、我らの術によって常に守りの力が働いているからな」
これは事実であった。団員であるフィーアによれば、この里には魔法的な手段による強固な防衛力が働いており、心得の無い侵入者を撥ね退けているそうだ。団員のペンダントによる瞬間移動が使えないのも、それが理由である。
だが、その程度の守りで、あれをどうにかできる筈はない。実物を見ていないので、その脅威の大きさを理解できないのであろうが、見積もりが甘いと言わざるを得ない。
さてどうしたものかと考えあぐねたナインだったが、そこでふと妙案を思いついた。
「万が一この森に被害が出たなら、アリシアって神サマが全部元通りにしてくださるって話だぜ。神サマの保証なんだから、心配する必要はないだろ」
「アリシア……まさか、救済の女神か?」
「そうだ。そのアリシアさんがお救い下さるってさ」
まったくの出まかせではない。あの同位体13号は、団との共闘にあたり、『願いを1つ叶える』との条件を提示してきたのだ。それはつまり、彼女にはそれだけの力があるということに他ならない。ならばこの際、“貪食”との戦闘における損害・被害の一切を肩代わりしてもらえば良いではないか。
とりもなおさず、森人にとってこの土地が重要だと言うのならば、仮に“貪食”に飲み込まれたとしても、また同じ状態にまで戻してもらえれば……
「欺瞞だ」
しかしコンフュシャスは、急に険しい表情になった。苦虫を噛み潰したというより、仇敵の名を聞いた復讐者のような。そんな、強い悪感情が現れている。
「神が我らを救うなど、大いなる欺瞞だ。信用などできるものか」
「何を言って……だって、この世界の神は実在するんだぞ」
「救うというのなら、何故神は我らがこのような理不尽な目に遭うことを良しとする? 道理に合わんではないか」
「だから、それを何とかしようと」
「違う、此度のことではない。これまで我らが被ってきた、血と汚辱に満ちた日々のことだ。何故に我らの同胞が無能人の慰み者にされるのを見過ごした? 何故に我らの父祖が虐げられていたことを見過ごした? 救うというのならば、メアリがあのような目に遭う前に……」
血を吐くように語るコンフュシャスだったが、すぐに我に返ったように、その呪いの言葉を飲み込んでしまった。部外者に、それも森人ではないナインに、推察されることを嫌ったのだろう。
メアリと彼との関係性についてを。
「……そうだな」
少し間を置いてから、ナインはぽつりと呟いた。昨日から続くむしゃくしゃとした気分が、だいぶ安らいでいくようだった。それは間違いなく、彼を憐れんでのことではなかった。
「まったく神サマなんざ、碌なもんじゃねぇよなぁ」
「気安い同情は止せ。無関係の貴様に、何が分かるというのか」
「いいや、分かるさ。少しだけだがな……」
そう言ってナインは、椅子の背もたれに寄り掛かる。メアリのこともあるが、もうひとつこの男とは共感できることがあった。
『何故、救ってくれないのだ?』
そう胸の内で慟哭したことは、ナインにだってある。それも、何度も何度も。
故郷の世界で、巨大な勢力の尖兵として戦場を這いずり回っていたナインは、事あるごとに“力ある何者か”に救いを求めたものだ。
まともな人間としての人生を歩ませてくれ。
このクソったれな殺し合いを止めてくれ。
仲間を、親友を、“彼女”を。どうかどうか、死なせないでくれ。
歪んだ科学の産物でしかないナインに、神だの信仰だのといった確たる考えはなかったが、それでも無形で超常的な何者かに向かって願わずにはいられなかった。
そしてそれは他の仲間たちも、同じ複製人間の戦友たちもそうだった。作られた存在でしかない自分たちだが、どうにかして生き残りたいと。そして与えられた記憶の中にあるような、幸福を享受したいと、各々に祈っていたのだ。
結局あの世界には創造主だの神だのはおらず、よってナインや仲間たちの祈りや願いが叶うことは、終ぞなかった。
然るに、この世界はどうだ。アリシア、ルイン、そしてジーグ。他にも、名前をもたないという創造主まで。正に常軌を逸した存在が、4体もそろっている。
お偉い方々がそれだけおられるというのに、何故、どうして種々の理不尽を捨て置くのだ。
人族と森人との軋轢は勿論、メアリに降りかかる諸々の不遇を、なぜ見過ごすのだ。
人を遥かに超越した神という存在ならば、救うことが出来るはずではないか。
―きっと昨日、私が情けないところを見せてしまったからですね……




