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名も無き世界・14

―あのスィスとかいう老人の話、どう思う?

―個人的には信用できません。彼からは、あの恐ろしい不死人の王と同じものが垣間見えます

―ふむ。しかし、タガがあれば問題ないのではないかな

―ノーリという娘ですか。いったいどうやって手懐けているのやら……


 何故? どうしてこんなことに?

 ジーグの頭の中にあるのは、そればかりだった。 


 左手で抑えた腹部からは、生暖かい感触が止めどなく溢れてくる。油断していたとはいえ、存外に傷は深いようだ。喉の奥から、熱いものがせり上がってくるのが分かる。強力な毒まで喰らったのだろう、だんだんと視界も歪んできた。意識も命も、そう長くはもつまい。


「な、何故じゃ……?」


 真夜中の、小さな寝室。ベッド脇の小テーブルにもたれかかりながら、ジーグは眼の前に立つ女性に問う。しかし実際に口から漏れ出たのは、ごぼごぼという配管に水が流れるような音だった。

 自分ですら聞き苦しいと思う声であったが、幸いなことにきちんと意図は通じたらしい。ぬらりと怪しいきらめきを放つ短刀を握りしめながら、その女性は悍ましい表情で答えた。


「愚問よ。お前は許されないことをした。これは、その報い」

「……それは分かる。だがアメリアよ、何故じゃ? 何故お前なんじゃ?」


 つい今しがた自分を刺した相手に向かって、精一杯に笑いかけながら、ジーグは重ねて問いかけた。

 己が今までにしてきたことを思えば、死という報いを受けるのは至極当然だ。無論、とうの昔に覚悟もしている。こうしていざその瞬間に直面すると、恐ろしくて仕方がないものだが。

 しかし分からないのは、なぜ彼女が。妻であるこのアメリアが、下手人なのかということだ。

 

「最後に教えてくれんかのぉ、アメリア。このままじゃぁ、死んでも死に切れん」

「……いいわ」


 ジーグの嘆願を受け、しばしの瞑目の後に、アメリアが頷く。


「長い付き合いだから、それくらいは答えてあげる」


 言うが早いか、短刀を握っていない左手で、さっと肩まで伸びた髪を撫でる。するとその拍子に、毛の色が急激に変化していく。どうやら、魔法的な手段で偽装をしていたらしい。見る間にアメリアの頭部が、燃えるような赤い輝きを放つ。


 赤毛の髪!

 それはジーグにとって。いやこの世界にとって、重大な意味をもつ。


「まさか、お前!?」

「そう、私も“バルバロイ”の一族。もっとも皇帝や兄たちみたいな“力”はもっていなかったから、継承権も何もないけれどね」

「そういうことかい……」


 笑顔から一転、痛恨の極みとばかりに表情を歪めながら、ジーグは絞り出すように言った。


 バルバロイ。

 それは人にして人の道を逸脱した化け物が、代々に襲名する称号だ。

 常軌を逸した膂力、体力、生命力をもち、たった一代のうちに“人族”の国を平らげた初代バルバロイとその子孫たちは、恐るべき戦闘能力と権力でもって、一族の、一族による、一族のためだけの大帝国を築き上げた。


 赤毛の残虐帝。

 人族はおろか、地上の知性あるすべての者どもが恐れ、憎悪するその二つ名が示すとおりに、一族には必ず身体的な特徴があった。

 それが、燃えるような赤毛の髪である。


「まったくお前さんはよぉ。……酷い女じゃ」

「どの口がそんな! お前のせいで、私の一族は滅んだわ!」

「滅んだ方がいいんじゃよ。あんな外道共……」


 激高する妻の、その赤く美しい髪を見つめながら、ジーグは引きつった顔で、どうにかまた笑みを浮かべる。


 そう。あんな人の道を外れた化け物どもは、生かしておくべきではなかったのだ。


 残虐帝とその一族は、ただただ自分たちの欲求のままに喰らい、殺し、犯した。人族の敵対勢力はもちろんのこと、無関係だった森人エルフ鉱人ドワーフたちにまで手を伸ばし、奴隷として生きることを強いた。

 その傍若無人ぶりに苦言を弄する臣下もいたが、そういった者どもは不穏分子として、一族郎党すべてを吊るし上げられることになった。大臣をしていたジーグの父や、母や兄もだ。


 だからジーグは、反逆した。

 己を鍛え、組織を作り、策を練って、つい一月前にようやく残虐帝を討ち果たした。そして後腐れのないように、血族を皆殺しにした。女子供どころか、まだ立つことすらできない赤子ですらも。


 そうして徹底的に、根絶やしにしてやったと思っていたのに、まさかまだ生き残りがいたとは。あまつさえ、それがこの女性だったとは……


 ジーグが、苦痛と怒りと悲哀と、そして“憐憫”で腸を煮やしていると、アメリアが吠えた。


「お前こそ外道よ! 皇帝とその取り巻きならばまだしも、私の弟までその手にっ」

「言い訳はせんよ。どんなに英雄だ何だと持ち上げられようが、結局のところ、俺はただの人殺しじゃ。残虐帝どもと同じく、外道に違いはねぇ」

「そうやって、達観したように! ふざけるなっ!」


 アメリアの、短刀を握る右手が小刻みに震える。彼女にとっては、成程ジーグは憎い仇に他ならないだろう。ジーグにとってのバルバロイの一族がそうであるように、だ。

 これで、彼女による無体の謎は解けた。しかしそうなると、新たな疑問が湧き上がってくる。


「のう、アメリアよ。何故、“今”なんじゃ?」

「っ! ……そ、それは」

機会チャンスならいくらでもあったろ。なして、今なんじゃね?」


 茫然とするアメリアに、ジーグは重ねて問いかける。

 ジーグの指摘した通りに、アメリアにはいくらでも機会があった。

  

 2人きりで、革命の計画を立てていたとき。 

 仲良く火を囲んで、食事をしていたとき。

 師の下で、共に鍛錬をしていたとき。

 初めて人を殺めて、泣いていたとき。

 “行為”に疲れて、ベッドの上で横になっていたとき。


 革命軍のリーダーの右腕として、常にジーグの傍らにいた彼女にならば、好きな時に暗殺を実行できたはずなのだ。実際アメリアは、その為に送り込まれた刺客の一人だったのだろう。それが何故、完全に体制が覆ったこの瞬間まで、牙を隠し続けていたのか。

 彼女の肉親を殺したからか? 否、それにしては不自然だ。最後―と、思っていた―の赤毛の一族を処刑してから、すでに半年以上が経過している。怒りに駆られるにはあまりに遅すぎるし、仮に最後に処刑された赤毛が肉親だったとしても、その後のジーグは、目的を果たして殆ど腑抜け同然になっていた。手を下さない理由が無い。

 

「だ、黙れっ!」


 そうやって考えていると、突然アメリアが叫んだ。驚いたことに、眼に涙が浮かんでいる。

 ジーグが驚いていると、アメリアもそれに気が付いたらしい。咄嗟に目元を拭ってから、短刀を振りかぶる。


「いずれにせよ、お前はここで終わりだ! 自分のしてきたことを後悔しながら、死んでいけっ!」


 歪む視界の中、短刀を握りしめたアメリアが突進してくる。

 ジーグは、腹の傷を抑えていた左手をどけると、まるでそれを受け止めるかのように、大きく両腕を開いた。 






 
















「そんなだから、酷いと言うとるんじゃ」







 例え瀕死の状態に陥っていても、叩き込まれた技術わざと経験値は、勝手に身体を動かしてくれる。

 ほとんど反射的に左手を伸ばすと、ジーグは短刀を握りしめるアメリアの手首を掴んだ。そこにそっと右手を添えて、刃先の向きを変えてやる。後は、彼女が前進してくる勢いを利用してやれば……


 どすりっ


「あっ……ぐぅ……」


 柔らかな衝撃と共に、新たな鉄錆びの匂いが鼻を突く。アメリアの苦痛に歪む表情を間近で眺めながら、ジーグは静かに呟いた。


「あの赤毛の一族として俺の前に立つんなら、俺はこうするより他にねぇだろうがよ……」


 己の短刀が突き刺さった腹を抑えながら、アメリアがゆっくりと膝を折った。ジーグは彼女の背中に手を回すと、力の抜けていくその身体を、優しく床へ横たえてやる。するとアメリアの見開かれた眼だけが、ジーグをぎろりと捉えた。


「の、呪ってやるぞ、反逆者。地獄の業火に、焼かれるがいい……」

「もとより覚悟しとるよ。最初に、反逆を願ったときからな」

「お前の血筋も、これで終わりだ。ざ、ざまぁ見ろ……」

「……ああ、そうじゃな」


 ジーグの腕の中で、アメリアは怨嗟の言葉を吐き続けた。しかしそれも、徐々に意味をなさない繰り言へと変化していく。やがて呼吸も弱くなり、腕に伝わってくる鼓動も小さくなっていき……

  

 ……死んだ。


「俺こそ恨むぞ、アメリアよ。どうせなら、最後まで騙してくれりゃぁ良かったのによぅ」


 息絶えた妻の目を閉じてやると、ジーグはそのすぐ隣にごろりと横になった。血を失い過ぎて、身体に力が入らない。人里離れたこの隠居用の住まいでは、今から電話テレフォンで助けを呼んでも、間に合いはしないだろう。


 なぜ、どうしてこんなことになってしまったのか。


 薄れゆく意識の中、ジーグはそればかりを考える。ようやく闘いが終わり、婚姻を結び、仲間たちに後のことを任せて、第二の人生を始めようとしていた矢先なのに。

 ……ひょっとして、その幸せの絶頂から突き落とすために、わざわざこのタイミングを計ったのだろうか? いやはや本当に、女子おなごというものは訳が分からないものだ。


 だが、そんな愚かしい女であっても、生涯でたった一人の愛した女性であることには変わりがない。こうして喧嘩別れになってしまったが、たくさんの思い出を貰ったのも事実だ。反逆することにばかりかまけて、碌に返せなかったのだから、最後はせめて。


「救済の女神、アリシアよ。我が偉大なる師の盟友よ。願わくは、この迷える魂を汝の御胸に……」


 祈りながら、手探りでアメリアの手を掴む。

 人を殺めた者の行く先は、地獄と決まっているものだ。だがどんな罪人であっても、誰かに祈ってもらうことで、救済の道が開かれる。天上に招かれる可能性があるのだ。

 あまりに大勢の命を奪ってきたジーグは、とても逃れられるものではないが、それでもせめて、妻と“お腹の子ども”だけは……


 死の淵に立ちながらも、ジーグは祈った。


 祈って、祈って……


 ……そして遂に、事切れた。



 





 底の見えない闇から、無数の手が伸びてくる。

 そいつらはジーグの足を、腕を、肩を、首を、とにかく全身を引っ掴むと、力任せに引っ張るのだ。


 死だ。


 今まさに、ジーグは死と言う奈落に引き摺りこまれようとしている。


 それ自体に、不満はない。

 親兄弟の仇という名分を抱いて、ひたすらに殺して、殺して、殺した人生。それはジーグの仇の所業とまるで同じ。ならば同じように暗殺されて死ぬことに、どうして文句を言えようか。


 そう強がりながらも、ジーグの眼には涙が浮かぶ。

 

 せめて自分も、人並みの人生を歩んでみたかった。


 妻と子どもと、三人で慎ましやかな幸せを享受したかった。


 英雄などでは無く、軍神などでは無く、ただの人間として……







 しかしそんな一面の黒い世界が、ほんの一瞬で消し飛んだ。


 光だ。


 死の闇を払いのける、温かく、優しい、安心する光。


 その向こう側には、赤毛の長い髪の女性の姿が。


『救済の女神、アリシアよ……』


 赤毛の女性は、祈っていた。

 ただ一心に、祈っていた。


 何故? お前はいったい誰のために祈るのだ?


 ジーグは問いかけるが、女性は答えない。

 ただ、祈るばかりだ。


『我らが一族の父祖、恐るべき魔人の盟友よ。願わくは、この迷える魂を汝の御胸に……』











「おはようございます、ジーグ様」

「ん……おぉ」


 耳元で囁かれ、ジーグは覚醒した。軽く身じろぎをしながら顔を上げると、すぐ脇にジーグと瓜二つの顔をした女性が立っている。ボブカットされた黒髪に、丈の長いメイド服を着込んだ、タムという名の不死人だ。

 二日酔いが酷いので会議室で寝込んでいたが、いつのまにか夕刻になってしまったらしい。窓の外は、すでに赤く染まっていた。

 

「そろそろお夕食のお時間です。……準備を始めたいので、退けていただけますか?」

「はいはい、分かりましたよぉ」


 再び囁かれ、ジーグは円卓の上に放り出していた両足を床に降ろした。そこで、ふと気が付く。タムの声音が、嫌に優しく感じられる。そっと顔色を窺ってみると、いつもの険が取れている。

 珍しいことだった。ジーグが分身体とやらの一つを乗っ取ったからだろうが、このメイドは常に慇懃無礼な態度でジーグに接してくるのだ。だというのに今日は、むしろ何か深い慈愛を感じさせるではないか。


―ははぁ、そうか


 ジーグは、先輩である救済の女神から聞き及んでいた情報を思い出した。

 確かこの不死人は、分身体同士で感覚を共有しているとかいう話だ。ならば、その肉体に乗り移っているジーグと、何らかの形で交感することもあり得るかも知れない。

 

 ジーグはため息をつくと、タムの方を見て言った。


「皆には言わんでくれよ。特に、ナインにはな」

「何のことか分かりかねますが……理由をうかがっても?」

「変に同情されたくないんじゃよ。あいつとは、今みたいのがちょうどええ」

「ナインの方は、とても貴方に好意をもっているように思えませんが」

「だから、それがええんじゃ。そもそも俺は、他人様に好かれるようなもんじゃぁねぇのよ」


 どうしてこんなことになってしまったのかは分からないが、元来ジーグという男は、人としても神としても崇められる存在ではない。ただただ復讐心に燃え、殺していただけの外道だ。

 だのに人間どもときたら、やれ地上で最も完璧な男だの軍神だのと、あの革命の後から1000年以上経った今でも、ジーグを崇め奉っている。

 まったくたまったものではない。ジーグにとっては、今のように気安くと文句を言ってもらえる方が、心地よくて仕方が無いのだ。


「まあ、分からないことは言いようがありませんので。どうかお気になさらず」

「そうかい。それじゃぁ、これは戯言なんじゃがね」

「なんでしょうか?」


 ジーグは躊躇いがちに、しかし思い切って聞いてみることにした。


「“何故”じゃと思うね?」


 会議室に沈黙が満ちる。

 ジーグがまんじりともせずに見つめる中、タムは逡巡したような様子を見せ、やがて口を開いた。


「はっきりとしたことは分かりません。ですが……」

「ですが?」

「心の底から貴方を憎んでいた訳では無い、とは思います」

「……そうか」


 それきりジーグは押し黙った。

 反逆の神として地上を守護する超存在となってしまったこの身ではあるが、今でもまだ天上にいる“彼女の魂”に直接訊ねることができていない。だからこの1000年、ずっと一人で悶々と考えてきた。

 ひょっとして彼女は自分に、心の底から惚れてくれていたのだろうか。だが肉親を殺されたことを許しても置けず、そうやってずるずると関係を続けた結果、身籠ってしまい。生まれてくる赤ん坊が赤毛である可能性に思い至り、錯乱でもしたのか。

 それにしても、何処か遠くの地に逃げることだってできただろうに、反撃される危険を冒してまで暗殺に踏み切るとは、つくづく愚かしい。


―……まさか俺に殺されなくとも、心中するつもりだったのかのぉ?


 本当に、女子おなごの考えというのは訳がわからないものだ。

 大きく溜息をつき、そこでジーグはたと気づいた。


「お前さん、やっぱり分かっとったんじゃのぉ?」

「さぁぁ? なんのことでしょうか」


 ジーグが口を端を歪めると、タムがころころと笑いながら去っていく。ジーグがこの城に来てから、初めて見る笑顔だった。

 

―いやはやまったく、女子おなごちゅうんは恐ろしいもんじゃのぉ


 ジーグはもう一度、盛大なため息をついた。


―ところで、ジーグの方はどうする。スィスの提案を飲むならば、当然やつの力も必要になるが

―当面は、監視としてあのままにしておきましょう。良い息抜きにもなっているようですし

―違いないな

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