名も無き世界・13
もともと鬱蒼とした森の中を歩いているというのに、天気が崩れたせいで、周囲の薄暗さに拍車がかかっていた。
頬を撫でる冷たい空気に、遠くから聞こえてくる不吉な風と雷鳴の音。朝方までは気持ちの良い晴天だったというのに、城を出るころにはどんよりとした雲が太陽を隠し、先ほどになって遂に雨が振り始めたのだ。
否、これはもう雨などというレベルではない。ほとんど嵐のような勢いだ。
団員であるピャーチの予報では、今日一日は快晴であろうとのことであったが、完全に大外れである。どうやら同位体との戦闘で傷んでいたのは、城の兵器群だけではなかったらしい。
―果たして問題があるのは気象レーダー装置か、義体ヤローの電子頭脳か……
首筋にひんやりしたものが入り込んでくる嫌な感触を覚えながら、ナインはそんな八つ当たりめいたことを考えていた。コートを着て来なかったことを後悔しつつ、歩きながら上着の乱れを直す。
「珍しいもんだな。この半年間、こんなに天気が荒れたことはなかったのに……」
「本当ですね。勘弁して欲しいですよ」
ナインの呟きにそう返したのは、隣を歩くノーリだった。恨めし気に空を見上げ、とんがり帽子を被り直している。にょっきりとそそり立つ円錐に広く丸い鍔は、雨粒を防ぐには中々便利そうである。羽織ったマントも併せて、存外にこの娘の装いは、余所行きに適していたようだ。
反面ナインの方は、今日はスーツだけなので、少々困ったことになりそうだった。この森人たちが住まう森に生えているのは背の高い樹木ばかりであったが、それでも時折、間を縫うようにして雨粒が落ちてくるのだ。ずぶ濡れとまではいかないだろうが、あまり長く外にいては体が冷えてしまいそうである。
「それよりもお前、ついて来て良かったのかよ?」
「向こうも、わざわざ頭領が顔を出してくれたのでしょう? それならばこちらも、誠意を見せるべきでしょうが」
「そりゃあ、そうかも知れんがな……」
今朝の続きのつもりか、ドヤ顔でそう言うノーリに若干の苛立ちを覚えながら、ナインは考える。
確かに、交渉事をする上で責任者が現場に赴くというのは、重要な意味をもつ。直接顔を見せることで、相手に誠意を伝えることができるからだ。部下越しに腹を探ろうとしてくる輩よりも、角を付き合わせてくれる相手の方が、心証はいくらかマシということである。
もっとも、あの石頭の森人どもが、そんなことで少しでも心を開いてくれるとは思えないが。
ちなみにジーグは、酷い二日酔いのためにダウン中である。今回も大した成果は得られそうになかったが、あの男がいないだけでも多少は気が楽だった。
「それより心配なのは、城の方ですよ。まだ屋上は穴だらけなのに、こんなに雨が降っちゃったら……」
「ああ。向こうは大変なことになってそうだよな」
言いながら顔を上げると、その拍子にナインの鼻先に大きな雨粒が落ちてきた。どうやら雨足がさらに強まっているようだ。森の中ですらこれでは、未だに修復が済んでいない城の方は大騒ぎであろう。“護衛の任についていない”タムたちが、今頃必死になって雨漏りと闘っているに違いない。
ナインは顔を拭いながら、胸中で『ご苦労様であります』と呟いた。
「き、きっと、邪神が来ているんです」
ナインとノーリが頭上を仰いでいると、前方から声が掛かった。森人の娘、メアリだ。今日も大きな弓を杖代わりに、腰の高さまである草を掻き分けて突き進んでいく。森人の里へと先導してくれているのはありがたいのだが、盲目の筈の彼女が、こうも足元が覚束なく障害物だらけの獣道をずんずかと淀みなく歩けるのには驚きであった。
ナインが視線を戻し、メアリに問いかける。
「邪神ってのは?」
「この世界に、が、害をなす、悍ましい存在です。じゃ、邪神が現れると、嵐や地揺れ、山火事などの災害が、お、起こると言われています」
「ほお。となると、ここのところ天候が穏やかだったのは、正にこの世界が平和だったからってことか」
「そ、そうです。そしてい、偉大なる神々は、そんな邪神たちを、ほ、滅ぼしてくださっているんです」
「偉大なる神々、か……」
そう言えば、ナインらが恐るべき“貪食”の触手から逃れるようにしてこの世界を訪れた際、まず初めに接触したのは新たな同位体、つまりは“神々”であった。
アリシア、ルイン、そしてジーグ。彼女ら3柱は、この名も無き世界の守護者として、侵入者であるナインたちを排除しようと襲撃をかけてきたのだ。あの時はどうにか誤解ということでカタがついたが、下手をすれば団は、邪神の集団として刈り取られていたのかもしれない。
この嵐も、今もどこかでそのお偉い神々が、あの時の様に闘っているという証左ということか。
「ひょ、ひょっとしてナインさん。神がお、お嫌いですか?」
「……なぜ、分かるんだ?」
出し抜けにメアリに問いかけられたナインは、『顔も見えずに』という言葉を寸でのところで飲み込み、どうにかして問い返した。
確かにナインにとっては、この世界における神という存在には、あまり良い思い入れはない。最悪の初接触だったというのもあるが、その神々の1柱であるジーグとの確執があるためだ。しかしそれにしても、その感情をあからさまに声音に込めたつもりはなかったのだが。
するとメアリは、ややぎこちない笑みを浮かべながら答えた。
「え、えへへ……驚きましたか? わ、私、見えなくっても、その人の気持ちが、ほんの少しだけ分かるんですよ」
「気持ちが分かる? それはつまり、読心術みたいなものなのか?」
「そ、そこまで正確なものではありません。た、ただ、なんとなく、ぼんやりと、です」
「へぇぇ、大したもんじゃないか」
ナインが感心したように言うと、メアリは耳の先まで真っ赤になってしまった。どうやら、こちらの素直な称賛の気持ちを読み取ったらしい。彼女の生い立ちを考えれば、他人から褒められるというのはあまり無い体験だったのだろうが、それにしても存外に初心な反応である。
「……そ、そ、そんなこと、ありませんよっ」
メアリは恥じらいを誤魔化すように、歩く速度を速めた。俯き加減のまま、がさがさと乱暴に草を踏み分けて行く。ほんの短い褒め言葉でしかなかったが、だいぶ嬉しかったらしい。
それを見たナインとノーリが、苦笑しながらそれに追随しようとすると。
「……っ!」
突然、メアリの足が止まった。そして、耳を小刻みに震わせながら周囲を警戒し始める。まるで狂暴な肉食獣の気配を感じ取った、小動物のような怯えようだ。
少女のその様子から全てを察したように、ノーリが表情を硬くした。
「ナインっ」
「ああ、分かってる」
ナインは頷くと、ノーリを庇う様にして一歩前に出た。そして両手を掲げ、無抵抗であることを示す。
すると。
「性懲りもなく、またやって来たか……」
いつの間にか、ナインたち一行の正面に、1人の男が立っていた。地味で薄手の衣服と、奇怪な入れ墨だらけの顔や腕。森人たちの頭領である、コンフュシャスだ。
そして彼に続く様に、続々と森人たちが、木々や茂みの陰から姿を現す。こちらは戦士階級の連中だ。やはり昨日と同じように、手に手に弓や槍を携えている。
どうやら知らぬ間に、彼らの領域に足を踏み入れていたらしい。そう言えば目に入る範囲の木々の並びなどには覚えがある。どのあたりからが境目になっていたのかは、皆目分からないが。
屈強な森人の戦士たちは瞬く間に配置についた。槍兵は前に、弓兵は木々の上に。昨日と同じように、ナインらに対して敵意の眼差しを向けてくる。しかし今日は、それらの武器を構えることまではしていなかった。
「貴様らが何を言おうと、結果は変わらんぞ、メアリよ。それに……」
こちらに歩み寄ろうともせず、コンフュシャスがじろりとナインらを一瞥しながら言った。その視線が、桃色の癖毛のあたりでピタリと止まる。
「お前とは初見だな、無能人の女よ。何者だ」
「はい、私はノーリと申します。団の首領です」
ノーリが答えながら、待ってましたとばかりに前に進み出た。ナインの無言の制止を振り切り、心配そうにしているメアリの肩に手を置いてから、すたすたと場の中心部へ、つまりは森人たちの方へと歩いて行く。
森人たちの間に、緊張が走ったのが分かった。コンフュシャスの目が細くなり、戦士たちの武器を持つ手に力が加わる。下手なことをすれば一切容赦はしないという、圧力だ。
だが、そんな重苦しい空気の中を、ノーリは実に堂々とした態度で進んでいった。薄く笑みを浮かべ、胸を張り、風を切るように腕を振って歩いている。いささか演技じみている。
―ははぁ、成程な
後ろからその様子を見ていたナインは、一人納得した。
周囲で隠密しているタム達を当てにしているにせよ、同位体という恐るべき存在との邂逅によって精神力が鍛えられているにせよ。いずれにしても、森人達はノーリに対し、『肝が据わった娘だ』との心証を抱いたことだろう。これは恐らくはノーリなりの、交渉を上手く進めるための、一種のパフォーマンスだ。
相手になめられないように決してビビることはせず、むしろ殊更に危険な状況でも平然としていられることを、あるいはそれを愉しめる強い人間であることをアピールする。かつてナインが、ギャング同士の小競り合いでよく目にした行為だ。確かに、力を頼むような連中が相手の場合には、効果的と言えるだろう。
しかしこの森人たちが相手では、見通しが甘いと言わざるを得ない。
コンフュシャスの眼の前で立ち止まると、ノーリは2、3度大きく咳ばらいをした。そしてキリリと相手を見据えながら、朗々と語り始める。
「貴方がた森人とこの世界の人間たちとの間に、軋轢があることはよく存じております。しかし私たち団は、それを乗り越える形で貴方がたとの友好を望んでいます。同じ首長として、貴方とはぜひそのような方向で話を進めたいと……」
そこまで言いかけたところで、やにわにコンフュシャスが手を挙げた。そして、呆気に取られているノーリに向けて、短く言い放つ。
「お前がどこの誰であろうと、答えは同じだ。断る」
一刀のもとに切り捨てられ、ノーリはしばし憮然とした表情になった。よくよく話の通じない相手だと言ってはおいたのだが、どうやらここまでとは思っていなかったらしい。完全に目論見が外れたという顔である。
「……左様ですか」
ノーリはくるりと振り返ると、しょんぼりとしながらこちらに戻ってきた。先程の格好良さが嘘のように、背中を丸めて肩を落としている。かなりショックだったのだろう。
ナインはそれを迎えてやりながら、先ほどとは違う種類の苦笑を浮かべ、『な?』とこっそり口を動かした。
土台この連中にとっては、団の窮状などどうでもよいことでしかない。やはり昨日の夜にノーリが言った通り、時間をかけることを覚悟すべき事案なのだろう。
「ま、昨日の今日で上手くいく筈もないさ」
「……そうですね」
「そんな泣きそうな顔すんなよ。また別の手を考えるさ」
すっかり打ちひしがれてしまったノーリを慰めてやりながら、ナインは早々に今回の会合の終了を申し出ようと考えた。
全体、会合にすらなってはいなかったように思うが、それでもまったくの無駄ではない。重要なのは、接触したという事実だ。今後もこうした小さい繋がりを保っていけば、充分解決の糸口になり得る。何せナインたちは、不死人なのだし。
しかしそこで、意外な人物が食い下がった。じっと黙っていたメアリだ。
「ま、ま、待ってください!」
「何だ、お前まで……」
突っかかってくる少女に眉をしかめながら、コンフュシャスが言う。
「わ、わたしからも、重ねてお願いします。どうかこの方たちと、ゆ、友好を」
「我らと無能人との間に友好などない。今までも、これからもだ」
「そ、そんなことを言わずに。どうか、どうか」
「いい加減にしろ。……住む世界が違うと、言ったであろうに」
「そ、それでも、構いません! でもどうか、お話を聞いて、ください!」
「……ならん。聞いてやる理由がない」
一向に引き下がる気配の見えない少女に、森人の頭領が少しだけたじろいでいるのが分かった。戦士たちも、当惑したような様子である。実際ナインと同じように、彼らも不思議でならないだろう。昨日あれだけの扱い受け、死人の様な表情になっていたというのに、それでもまだこの娘は、仲介役として足掻いているのだ。
「で、ではせめて、これを、受け取ってくださいっ!」
それでも頑なであることを止めようとしないコンフュシャスに対し、メアリはとうとう業を煮やしたように叫んだ。そして腰元に吊ってあった小さな鞄から、何か筒状の物を取り出す。緑色をしたそれは、どうやら大きな植物の葉を丸めたもののようだった。
「……何だ、それは?」
「て、て、手紙ですっ!」
メアリが顔を真っ赤にしながら、その“手紙”を突き出す。
「お話を、聞いてくださらないのならっ! せ、せめて、これを読んで、くださいっ!」
「うむっ……」
コンフュシャスは、明らかに動揺している様子だった。メアリの提案を冷たく突っぱねるべきか、それともその小さな手から手紙を叩き落とすべきか。迷っているようだった。
そういえば、昨日もそうだった。彼は、やはり今のように食い下がるメアリに対し、『盲目め』と侮蔑の言葉を吐いた。だが彼はそれを、酷く後悔しているようでもあった。ならばコンフュシャスにとってのメアリとは、言葉や態度で表す程に、遠い存在ではないのではないだろうか。
2人の森人のやり取りを黙って見つめながら、ナインはそんなふうに考えていた。
最終的に。一同が見守る中、少女の剣幕に圧された森人の頭領は、いかにも不承不承といった態度で手紙を受け取ることとなった。
何故なのかは分からない。ただ間違いないのは、団の事情など、彼らにとっては相変わらずどうでもよいことであろうという点のみである。
だとすれば、彼の心をわずかばかりにでも動かしたのは、一体何だったのだろうか。




