名も無き世界・5
天空に、閃光が走る。
稲光のような攻撃的なものではなく、焚火が爆ぜるような、どことなく華やかさ感じさせるそれが、幾度も幾度も。
そしてその度に温かい浄化の風が吹き荒れ、巨大な渦となって地上に降り注いだ。
やがてそれらは膨大な生命力の奔流となり、定命の者どもをあまねく満たしていく。
木々は青々と生い茂り、花は満開になり、獣たちは眠りから覚め、一斉に雄たけびを上げる。
春の訪れにしては、いささか以上にエネルギッシュなこの現象だが、その本質が高次元の闘争の余波によるものだとは、いったいどれほどの者たちが知覚できただろうか。
「お前、いい加減にしろ!」
「それはこちらの台詞です!」
融け切らない雪が残る山の頂上。そこに不時着した、不死者たちの城の上空にて。今、高次元の存在たちが、激しい激突を繰り広げていた。
一方は、まさに光の化身とでも称すべき眩い輝きを放つ娘。また一方は、6枚の羽根を背負う荘厳な天使。
いずれも現世にはあり得ざる存在なれば、その対立もまた、常人には凡そ理解し難い領域のそれであろう筈だが……実際には、そうでもない。
「さっきからひつっこいんだよ! 変な格好しやがって、このアホ女っ」
「なんて品のない口をっ。大人しくすれば危害は加えないと、先ほどから何度も申しているでしょうがっ、この分からず屋!」
「信用できるか! いきなり襲ってきたくせにっ!」
「先に手を出してきたのは貴女ですっ!」
拳を叩きつけながら罵詈を放つチィに対し、薄衣に身を包んだ天使が負けじとばかりに雑言を返す。
まるで悪童が罵り合うかの如く、程度の低いやり取りをする両者であったが、その実どちらにも余裕はなかった。
チィが拳を放てば、全てを焼き尽くす光の粒子が飛び散る。
天使が斧をひと薙ぎすれば、大気が切り裂かれる。
力無き者に対して振るえば、致命傷どころか完全に消滅させてしまうような、恐ろしい攻撃の応酬である。
「こんなやつの相手、してる場合じゃないのにっ」
忌々しい天使を相手取りながら、チィが一瞬視線を移した。
団の城の壁にある、チィが空けた大穴。そこから見える会議室の中では、団員であるタムに入り込んだ何者かが、愛しいノーリを手にかけようとしている。今すぐに駆け付けてやりたいところだというのに、この訳の分からないことを言う女が邪魔をするせいで、それができないでいる。
そんな状況だというのに、あの新参を名乗る弱々しい男ときたら! 可愛いノーリを見捨てるかの如きそいつの言動もまた、到底許しておけるものではない。一発ぶん殴ってやらないと、腹の虫が治まらない。
ついでにもう1人の、額に角を生やした鎧の女も問題だった。ノーリを人質に取られている手前、誰も手が出せないのをいいことに、城の設備を片端から切り飛ばしているのだ。
課題山積。
ノーリの守護女神にして団の最高戦力であるチィが、こんな時に大人しくしていられる筈がない。
「まずはお前らが先に手を引くべきだろ! 順番があべこべだ!」
「この世界に踏み入ってきたのは、貴女たちの方です! その正体と目的を検めるのは、守護者として当然の責務!」
「そんなの知るか! チィたちは、“友だち”に会いにきただけだ!」
叫びながら、斧を振り上げながら突撃してくる天使に掌を向ける。するとそこから、激しい明滅を伴いながら光弾が発射された。
「友だちですって!?」
斧を振り回して光弾をはじき返す天使に対し、チィは「そうだ!」と答えながら、さらに連続で光弾をお見舞いしてやった。
“友だち”。
それは、チィとノーリが初めてこの世界を訪れた際に出会った、素晴らしい存在だ。
その“友だち”は言った。『自分は君たちについていくことはできない。けれど、またいつでも会いに来て欲しい』と。『困ったことがあったら、絶対に助けになる』とも。
今回、ノーリがあの“貪食”から逃亡する先としてこの地を選んだのは、混沌の宇宙において、この世界が最も安全であると確信していたからだ。そしてそれを保証しているのは、“友だち”の存在に他ならない。
あの優しく、けれどもいつも寂しい思いをしていた“友だち”。チィと同等以上の力を有する、超存在。何故、どうして会いに来てくれない? どうして代りに、こんな訳の分からない連中がやってくるのだ?
―まさかひょっとして、あの“友だち”の身に何か?
ふと、恐ろしい考えが頭をよぎり、チィは攻撃の手を緩めた。
チィとノーリがこの名も無き世界を離れてから、まだ1000年も時間は経過していない。その間に、同じ世界で同位体が3体も出現するなど、あり得ないことだ。しかもいずれも、チィの記憶にない者たちである。
ではまさか、この世界はこいつらによってすでに侵略されており、あの“友だち”は滅ぼされてしまったのでは。
そこでチィは、はっと我に返った。
これ程の強者を相手取る最中に気を散らすなど、危険極まりない行為だ。もう一度、勢いを強めなければ。
そう思い、天使を見据えるが、しかし。
相手もまた、予期せぬ行動をとっていた。否、正確には、行動していなかった。
「まさか、貴女たちは…?」
突如。天使が何の前触れも無く、空中で硬直してしまったのだ。斧を振り上げた体勢のまま、激しく動揺している。
それを見てしばし呆気にとられたチィであったが、すぐに好機ととらえ、天使の懐に向かって突進をしかけた。
「どうりゃぁっ!」
巨大な戦斧の間合いの遥か内側、相手の身体に密着し、一瞬で体内のエネルギーを凝縮。そして、破裂させる。
「くぅぅぅっ」
太陽の如き強い輝きが出現し、天使の身体を包み込んでいく。並みの同位体ならば、確実に半死半生にまで追い込めるほどの高威力だ。
だが、しかし。
―駄目だ、浅い!
渾身の一撃だったというのに、天使は無傷のままだった。それどころか、薄絹に汚れひとつついていない。チィから大きく距離を離しつつも、6枚の羽を広げて難なく衝撃を受け止め、再びこちらを睨みつけてくる。
「貴女の仲間から感じ取れる“不死性”。それに、この城。まさか……」
天使の眼に、異様な光が点った。それは悲哀のようで、怒りのようで、でもどこか決意めいていて。その奥底に潜む本質を、チィには読み取ることができなかった。
「まさか貴女たちは、“奴ら”と同質の存在なのですか? あるいは、ひょっとして一員?」
「何を言ってるんだ?」
「……貴女たちを逃すにはいかない、ということです」
いよいよ訳が分からなくなり頭を振るチィに対し、戦斧の切っ先を突きつけながら、天使が毅然と言い放つ。
「最後の警告です。降伏なさい。そうすれば、命までは……奪いません」
大きく広げた羽に、日の出の光がかかる。まるでこの世界の総意とでも言わばかりのその態度が、チィにはひどく癇に障った。
「……嫌だと言ったら?」
チィが拳を握りしめ、構えをとる。
すると天使も、戦斧を大きく振りかぶった。
「力づくで、屈服させるまでです!」
次の瞬間、両者は宙を蹴立て、眼の前の相手に向かって突撃を開始した。燐光の尾を引きながら、一秒の何万分の一程にも満たない時間の内に、急接近していく。今までの、お互いに様子を見合うような雰囲気はなく、そこにはもう明確な敵意しかなかった。
このままぶつかり合えば、今度はどちらもただでは済まない。そしてその巻き添えを食うのは、城と、そして地上の数多の定命たちである。だが、お互いを無視できない脅威と認識した両者には、もうそこにまで思慮を巡らせる余裕がなかった。
今はただ、恐るべき敵を叩きのめす。
超存在たちが、そんな考えに没入しかけていた、まさにその時だった。
「えっ?」
「あっ!」
今しも接触しようとしていたチィと天使たちの間に、まるで割って入るかのように光の柱が落ちた。
「あれは、何だ?」
“タム”が指さす方向を見つめながら、ナインが呆然と呟く。ナインだけではない。その場の、“タム”を除いた全員が、まるで引き込まれるかのように、壁の穴の向こうに広がる光景に見入っていた。
2つの超存在の間に降り立った、巨大な光の柱。遥か天空を貫かんばかりにそそり立つそれは、その威容とは裏腹に、とても優しい温もりを放っている。注意深く観察していると、ただの柱ではなく、無数の板が螺旋状に並んでいるのが分かった。
光の階段だ。
「俺らの主上様の、ご登場じゃ」
“タム”のその言葉と同時に、何者かがその階段の上に現れた。男とも女ともつかない中性的な、しかし美しい顔つきの“人間”。天使と同じような薄衣を身にまとい、裸足のまま光の階段を一段一段、ゆっくりと降りてくる。
途端にチィが、天使のことなどそっちのけで、その何者かに向かって大きく手を振りだした。
すると向こうも気が付いたようで、はにかみながら手を振り返す。
「……何もんなんだ?」
「“友だち”です」
ナインの問いに、胸元から答えが返ってくる。ノーリだ。他の団員たちのように外の様子を見つめながら、嬉しそうな、しかしどこか憐みが籠ったような表情を浮かべている。
「あの人は、この“名も無き世界”の創造主。そしてそれ故に、常に孤独でいることを強いられる、哀しい人」
ノーリが、誰に対するものか分からない呟きを放つ間にも、事態は進展していった。
現れた“友だち”とやらが天使に何かを訴えかけ、天使が激しく驚いた様子を見せる。そしてややあってから、チィと天使がそろってこちらの方へと飛んで来た。
「皆様! この度は、大変なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした!」
穴から会議室に入ってくるなり、天使ががばっと頭を下げた。
「まさか主上と知己の仲であったとはつゆ知らず、とんだ無礼を……」
巨大な斧を両手で掴み、何度も何度も頭を下げる天使。とても団の最大戦力とタメを張っていたとは思えない低姿勢。知識にある天使としての在り様からは程遠く、むしろ人の好い少女のように思えてしまう。
「やれやれ、どうやら誤解は解けたようだな」
スィスがネクタイを緩めながら言った。珍しいことに、その深い皺にそって幾筋もの汗が流れている。あまり感情の起伏を見せないこの老人だが、この立て続けのハプニングには堪えたのだろう。見れば他の団員たちも限界なようで、床に座り込んだり、大の字に寝転んだりしている。
いつの間に入り込んで来たのか、同位体の1人である女武者が、会議室内を歩き回っては団員たちに、「御免」と頭を下げて回っていた。
―兎に角、危機を脱することはできたらしいな。
ようやくそれを実感できたナインは、深々とため息をついた。そして今度は、チィの方に眼をやる。
「しっかし、危なかったのぉ。危うく全滅というところじゃわい」
「いや、もう、本当に申し訳ありませんでした……」
「そんなにかしこまらないでいいわよぉ。それにしても、貴女もかなり強いわねぇ」
「ふんだ! 本気を出したら、チィの方が絶対強いもん!」
全身どころか羽までがっくりと脱力させている天使の横で、偉そうにふんぞり返る団員ナンバー1。
つい数分前、初めて対面した時にも感じたことだが、全身真っ白という一点を除けば、奇抜な装いも整った顔立ちも、背丈も髪型も同じである。それどころか、このイラっとくる態度。
「ドヤ顔まで同じかよ……」
ナインがぼそっと言うと、途端に胸元でノーリが動いた。抱きかかえるようにしていたナインの腕を乱暴に払いのけると、すたすたとチィの方へと歩いて行ってしまう。
「おい、何だよ」
「話しかけないでください。私のことなんて、どうでもいいんでしょ?」
「んなっ……いや、あれはだな」
「えーえーそうでしょうね。貴方にとって私も、この団も、所詮は都合のいい存在でしかなかったんでしょうね」
「バッカ、オメー! アレは……」
雲行きが怪しくなってきたことを感じ取り、ナインは慌ててノーリへと追いすがると、その小さな肩に手をかけた。
その瞬間。
「喝っ!」
ノーリが振り向きざま、気合の籠った叫びを上げた。そして大きく右手を持ち上げ、ナインの引きつった顔面に向かって振り抜く。
ばっしぃぃーーーん!
「げぶほぉっ!?」
捻じ切られるような勢いで首が後ろの方へ回り、それでも余った勢いで全身がくるくるジャイロの如く半回転。直後、ナインは糸が切れたように床に転がった。
右の開手を突き出し、見事な残心をとるノーリが、地に伏すナインを睨みつける。
「ほんっとーに見損ないましたよ! 最低な人ですね、貴方は!」
「いや、だからですね。アレは本気で言ったんじゃなくてですね……」
必死に弁明しようとするナインであったが、ノーリは聞く耳をもってはくれないようだった。ビクンビクンと床の上でのたうつナインを尻目に、チィのもとへと駆け寄ると、揃って穴の外の創造主サマとやらに向かって手を振る。
「あのぅ、あの方は大丈夫なのですか?」
「……問題……ない……」
『お気遣い無用です。コミュニケーションの一種ですので』
「面妖な……」
団員と同位体たちが、ナインを指さしながらひそひそと語り合う。敵ではないと分かった途端に、打ち解けてしまったらしい。その受容力は素晴らしいと思うが、だったら最初からこうして対話を持ちかければ良かったではないか。
「ぬははは! いやぁ、面白い連中じゃなぁお前さん方は!」
ふと、地に伏すナインの顔に影が差した。
同位体に乗っ取られた“タム”だ。ゲラゲラと笑いながらスカートを翻し、大股を開いてしゃがみ込んでくる。実に不味いことに、ナインは床に這いつくばっているものだから、内部が丸見えであった。
―ああ、麗しのメイド様。これは完全に不可抗力であります。全体、これはジーグなる存在がやらかしたことですので、ノーカウントとしていただきたい。
などと益体のないことを、だらしなく顔を歪ませながら考えていると。“タム”が、とんでもないことを口走った。
「アリシア様に、大師匠様よ。俺ぁ、もうちっとここに残りたいんじゃがね?」
一拍置いて、会議室内から、様々な種類の叫びが上がった。




