名も無き世界・6
―お師匠様が言っていました
―昔、1人の悪餓鬼を育てたと。その名は、ジーグだと
もしも自分の眼の前に、異界よりの旅人を名乗る者たちが現れたならば、果たして正気の者はどのようなリアクションをとるのか。あまつさえその者たちが、世界の守護者らと一戦を交えた、などと宣った日には。
ナインならば、迷うことなく受け流す。表面上は話を聞いてやるが、内心では決してまともに取り合うことはないだろう。お付き合いするにしても、心理的な距離を置きながらになるに違いない。
実際、似たような話を桃色髪の少女から聞いた際、ナインはそのように応対していた。周囲にそのような幻想的、あるいは狂信的なことを吹聴する輩が居なかったわけでは無いが、そういった連中は大抵、危険なドラッグに依存しているか、根本的に頭がイカレているかのどちらかだったし。
だが、ナインたちの話にまったく疑いを抱かず、さらには自宅へと招いてくれようとしているこの森人の娘は、そのどちらにも該当しそうになかった。
「ど、ど、どうぞ! ジーグ様とご友人をお迎えするにはっ、手狭で、ひ、ひ、非常に、申し訳ないのですが!」
「どうぞっ、て言われてもなぁ……」
「だ、だ、大丈夫です! きちんと、お掃除はしていますので!」
「そういうことじゃなくてね。取り合えず、落ち着いてくれよ」
未だにナインたちを恐れているのか、人と話すことそのものに不慣れなのか。滑稽な程に動揺するメアリから視線を移し、ナインは彼女の“自宅”を見上げる。
それは、実に見事な大樹だった。空に向かって何本もの逞しい枝葉を伸ばし、城の柱の数倍はある太い幹を、大地に張り巡らされた根がどっしりと支えている。植物には大して詳しくないが、樹齢は数百年に達しているのではないだろうか。
「立派なもんだが、この木の上に住んでるのか?」
「いいえ、この中にです!」
訝るナインを前に、メアリが大樹の幹に触れた。すると、幹の一部分がぱかっと口を開く。
扉だ。
「洞の中に住まわせてもらっているんです! さあ、どうぞ!」
呆気にとられるナインやトリーを余所に、大弓を杖のように突きながら、扉の中へと入っていくメアリ。ナインも慌ててその後ろに続いた。
「ほぉ、こりゃあ凄いな」
「おー……」
入ってみると、中は想像以上に広かった。どうやらここは、玄関と一体化したリビングのようで、中央に大きなテーブルと4つの椅子が置かれている。奥には調理場の様な場所も見え、歩き回るのにも十分な空間が確保されているようだ。壁に沿ってカーブしながら配置されている階段は、天井に空いた穴へと続いている。恐らく2階部分があり、そこが寝室になっているのだろう。
御伽噺の、お姫様が幽閉されている塔とそっくりな造りだが、所々開けられた窓から差し込んでくる光と、木のなんとも言えない香りのおかげで、こちらの方がずっと温かい印象を受ける。
「ど、ど、どうぞ! お座りになってください!」
メアリがいそいそと椅子を引きながら、声をかけてくる。ナインが物珍し気に室内を見回す中、トリーとジーグはさっさと椅子に腰を下ろした。
「おう! しっかりもてなしてくれや!」
「……お茶は、温めで……砂糖、多めで……」
「ああっ、私ったら! す、す、すぐにご用意いたします!」
「お前ら、ちっとは遠慮しろ。メアリさん、こいつらの話は聞かなくていいから」
「え? は、はぁ……」
ナインは2人を睨みつけながら、おたおたと台所へ向かおうとするメアリを引き留めた。
こちらの都合で驚かせてしまった上に、家にまで上がり込んだのだ。これ以上気を使わせては、あまりにも申し訳ない。
キョトンとするメアリの腕を引き、有無を言わさずにナインの隣の椅子へと座らせる。そこでナインは、テーブルの中央に何かが置いてあることに気が付いた。
「なんだ、これは?」
興味を引かれたナインが、それに向かって手を伸ばす。
すると突然、メアリが血相を変えた。テーブルに覆いかぶさるようにして、ナインの腕を払いのけてしまう。
「あ! こ、こ、これは、その。お師匠様の、“書置き”です!」
「へ? 書置きって……だが、それは」
「な、な、何でもないんです! お気になさらないで!」
そう言ってメアリは、片手で器用にテーブルの上に置かれていた“何か”を抱えると、反対の手で大弓を握りしめ、一目散に階段を駆け上がって行ってしまう。
その背中を眼で追っていたナインは、即座にその理由を察し、表情を硬くした。
「そうか、あの娘は……」
視線を移すと、真正面に座るトリーがこちらを見つめながら静かにうなずいた。どうやら彼女の方も、メアリの“それ”について気付いているらしい。
再びテーブルへと視線を移す。隅の方に、指でつまめるくらいの小さな四角い木の板があった。そこには、この世界の森人文字が彫られている。鏡写しになっていないということは、判ではない。
ならば……“指で触れれば”、文字の形がはっきりと分かることだろう。
―まあ、わざわざ詮索するべきことじゃぁないよな
メアリが拾い損なった“書置き”の1つを手に取りながら、ナインはそう思った。しかしその意志とは裏腹に、入手した情報が脳内で勝手に組み上がっていき、結論を導き出してしまう。
ナインたちに対する、挙動不審ともとれる態度。そして、あの露骨に過ぎる隠そうとする行動。恐らく、単なるコンプレックスだけではあるまい。
まさか……
「す、す、すみませんでしたっ!」
けたたましい声に思考を強制終了させられ、ナインはびくりと背筋を伸ばした。大急ぎで“書置き”をスーツのポケットにねじ込み、階段を転げるように降りてくるメアリに顔を向ける。
「そんなに慌てんなよ、別に怒っちゃいないから」
「お、お、お客様を、お待たせするのは、し、失礼ですから!」
ぜいはぁと激しく息をつきながら、メアリがふらふらとナインの隣の席に着く。
彼女の息が整うのを待ってから、ナインは努めて冷静に、“こちらが気付いたことに気付かれないよう”に注意を払いながら、語り掛けた。
「遅くなっちまったが、メアリさん。改めて、驚かせて悪かったな」
「そ、そ、そんな! お気になさらないでください!」
ナインが頭を下げると、一拍置いてから、メアリが慌てて答えた。
「わ、私の方こそ、見ず知らずの人に弓を向けてしまって……」
「それこそ、気にすることじゃないだろ。忍び寄られたら、警戒するのが当たり前だ」
「……バレバレだった……けど……」
「うるせーよ!」
横から茶々を入れてくるトリーに内心で感謝しつつ、ナインは大袈裟に舌打ちをした。
すると、どうやら上手く誤魔化せたようで、メアリが話に乗ってくる。
「あ、あのう。そもそも貴方たちは、どうしてこの森に? ここは街からも、森人の里からも離れていますが」
「ああ、それは探し物がてら、隠密技術の訓練をするためだよ」
「隠密技術、ですか?」
「……そう……私が、その師匠……」
不思議そうな顔をするメアリに対し、トリーがぼんやりとした顔つきのまま、えっへんと言った。
これは事実であった。
トリーが述べた通りに。そして団員ナンバー1であるチィが指摘した通りに、ナインは弱い。恐らくは、団長であるノーリにすら劣るだろう。ただでさえ彼女は、異世界への旅を可能とする超魔法の行使者であるというのに、腕っぷしも中々である。どうも同じ団員であるドスから、武術の手ほどきを受けているかららしい。
眠っていた最大戦力が目覚めた今、団におけるナインの存在価値は、著しく低下している。全体、ナイン以外の団員たちが、どいつもこいつも常識はずれな能力をもっているのだから、最初からそんなものは無かったに等しいが。
しかしそれに甘んじ、今後もまた床磨きとして世話になるというのも、面白くない事態だ。何より、ノーリにそっくりな娘に過小評価されたままというのが我慢ならない。
それならば、変わればいい。
今よりも強くなり、団における地位を高めればいい。
そんな考えに基づいて実行されたのが、今回のステルス・ストーキング訓練であった。
「……にしても、なんでお前は気づかれてねーんだよ。そんなジャラジャラうるさいものを着込んでいるってのに」
言いながらナインが、トリーの鎖帷子を指さす。
それにはいわゆる魔法的な力が働いており、周囲の風景にあわせて常に色彩を変化させている。今もトリーの上半身は、まるでこの部屋の一部であるかのように、完全に溶け込んでいるのだ。何も知らない者がそれを見たら、生首が宙に浮いていると錯覚してしまうだろう。
しかし無数の鎖が繋がってできていることには変わらないので、本当なら動くたびに耳障りな音が立ってしまう。だというのにトリーは、メアリのすぐ隣にまで接近してのけた。
どうやって静粛性を維持しているのか、甚だ疑問である。
「そりゃ……当然。……私は、プロフェッショナル……だから……」
ナインの疑念を余所に、トリーが薄い胸を張って言う。するとメアリも、うんうんと頷く。
「ええ! 仰る通りに、トリーさんの存在には、まったく気づくことができませんでした」
「うむ……これぞ……熟練の技術……」
「まったく具体的な答えになってねぇよ」
メアリからの追従を受け、トリーが鼻の穴を広げた。珍しく褒められたものだから、上機嫌になっているらしい。その態度は少々鼻につくが、しかしナインとしても、その実力は認めるほかない。
ナイン自身、過去の軍務の中で隠密・潜入作戦に従事していたし、訓練を通してそのための技術を習得してもいた。だがトリーのそれは、次元が違う。もはや人間離れしていると言ってもいい。
彼女に師事することを決めたのは良いが、その領域に至るまで、果たしてどれ程の年月を要するのか。今から気が遠くなる思いだ。
しかし幸いなことに、ナインにとっては―他の団員らにとっても、勿論そうだが―時間だけはたっぷりある。何せ団とは、不死者の集いなのだ。
時間さえかければ、ナインとて使い物にはなるだろう。そう信じて、研鑽を積むほかない。
密かにそんな決意を固めていると、じっと黙っていたジーグが、急に笑い声をあげた。
「ぬははは! 先は長そうじゃのう、ナインよ!」
「うるせーよ! 見てろ、俺だってその内に、同じくらいのことはできるようになってやらぁ」
「おうおう、その意気じゃ! 負けっぱなし、やられっぱなしでいるなんざ、漢が廃るってもんよな」
そう言ってジーグは、ナインの背中をバシバシと叩いた。
どうもコイツは、何かというとナインに絡んでくる節がある。『気に入った』の何のと言って、事あるごとに身体を密着させてくるものだから、精神衛生的に宜しくないのだ。
なにせ中身は悪童のような奴でも、肉体は紛れも無く麗しのメイド様なのである。彼女の素晴らしい肉体に触れるなど、あんまり素晴らしすぎて……もとい、畏れ多くて仕方がないではないか。
「ったくよぉ……それよりもジーグ。何か用があったんじゃないのか?」
「おお。そうじゃった、そうじゃった。例の、お前さんらが探しとった希少金属。その鉱脈が、見つかったそうなんじゃ」
「マジかよ!」
「……おー」
ナインとトリーが、揃って眼を輝かせた。ジーグの話が本当ならば、団にとっては朗報なのだ。
全体、団がこの世界に立ち寄ったのは、恐るべき同位体1号からの逃避という理由によるところが大きい。しかしその一次目標が達成された現在、新たに解決すべき課題が持ち上がっていた。
それがすなわち、補給である。
「修理……武器や防具の開発……魔法の構成要素……使い道は、いっぱい……」
トリーがうっとりとした声で呟く。
現在、団の城は半壊状態に陥っている。度重なる戦闘の結果、防衛設備は機能不全。内部にあるという食料生産施設は無事だったので、どうにか自給自足は可能なのだが、この状態で未知の世界へ旅立つのは、非常に危険だった。
そのため団員たちは、半年にわたってこの世界を調査していたのだ。ナインが訓練がてら探していたのも、団の補給に役立ちそうな、何かしらの物資なのである。
「アリシア様が、お前さん方のためにわざわざ見つけてくだすったんじゃ。感謝しとけよなぁ」
「そもそも、半分は手前ぇらのせいじゃねぇかよ。恩着せがましいこと言うな」
アリシアというのは、ナインたちがこの世界に来て早々に喧嘩を吹っ掛けて来た、6枚羽の天使様のことである。彼女はあの一件についてかなりの責任を感じているらしく、団がこの世界に滞在している間、全面的なバックアップを約束してくれているのだ。
そういうところもまた、ナインの知る“神”という超常的な概念からは程遠いが、自堕落なジーグとは違って殊勝な分、かなり好感をもてた。
「しかしなぁ、その鉱脈のある場所。ちょいと問題があるんじゃよ」
ふと、ジーグの表情が変化した。いつもの様な、悪戯っぽさと溌溂さを合わせたような笑顔ではない。憂う様な、何かを秘めたような、そんな笑顔だ。
ジーグはぐるりと視線を巡らせ、メアリの方を向き、そして言った。
「……森人の里じゃ」
―軍神ジーグ。反逆の神ジーグ
―聞いていた通りの、素晴らしいお方です!




