名も無き世界・7
―ジーグ様が、仰られました
―これはいい機会だ、必ずお前のためになる、と
スィスは、珍しく不機嫌だった。
右手で愛用の杖をくるくると弄びながら、鼻息も荒く、足早に城内の廊下を進む。すぐ向こうに会議室の扉が見えた途端、思わず唸り声を漏らしてしまう。
かねてより団が求めていたものの、その在り処が判明した。
それ自体は、別に悪いことではない。むしろ喜ばしいことだろう。これで城の様々な設備の修復が出来れば、新たな世界へと旅立つための目途が立つ。
問題なのは、間髪を入れない緊急呼集の方だ。
―別に会議など、後日でもよかろうにな……
まったく忙しないことだ、と思えてならない。不死であるスィスらにとって、時間とは無限のリソースだ。無為に浪費して良いというわけではないが、それでももう少し、余裕をもった使い方ができる筈ではないか。
組織としての今後を占うことの重要性はさておいても、構成員の“プライベートな付き合い”を中断させてまで行うべきことなのかと、仲間たちに問いただしたくて仕方がない。
そんな恨みがましい思いを抱きながら、スィスは扉の前で立ち止まった。そして杖を握りなおすと、近すぎる眉根を戻して、瞬時にいつものポーカーフェイスを作り上げる。
いくら気に入らないとは言え、わざわざ団員たちにその不快感を見せびらかす必要はない。むしろスィスにとって、そういう行為は眉を顰める対象でしかないのだ。
呼吸が落ち着いたのを確認すると、スィスはゆっくりと取っ手をひねった。
「ふむ、これは……」
スィスが会議室に入ると、すでにほとんどの団員たちが顔を揃えていた。団長のノーリを始めとして、チィ、フィーア、ドス、セーミ、ピャーチが円卓の自席につき、さらにその後ろには数人のタムたちが控え、給仕の仕事に勤しんでいる。
件の希少金属の発見の報と、それに基づく緊急会議の召喚はつい先ほどのことだったが、いやに集合が早いではないか。
―さてはこやつら、暇を持て余していたな?
会議室内をぐるりと見回しながら、スィスはそんなことを考える。
団は従来、新しい世界に到着してからは、まずは調査活動に打ち込む。その世界の文明の発展度合いや社会形態、危険度などを判定し、どのように接するべきかを協議した後に、ようやく外界へとくりだしていく訳だ。
ところが今回のような事態に陥ると、そういうふうにもいかなくなる。何せこの世界には、同位体が3体。否、4体も存在しているのだ。あの“名も無き神”とやらは、団長であるノーリや守護女神であるチィの旧友であるからいいものの、他の3体とは少々ややこしい関係になってしまっている。
初接触が良くなかったというのもあるが、彼らはどうにも“不死の存在”というものに対して、何か複雑な感情を抱いているらしいのだ。どうにか敵意の不在を承知してくれてはいたが、こちらの行動如何では、そんなものは容易くひっくり返すだろう。
堂々と監視の名目の下に団員の身体を乗っ取り、城内を闊歩しているのは、まだ団に対する疑いが完全には消えていないからに違いない。
完全に頭を押さえられたこの状況では、いつもの様に好き勝手に振舞うわけにもいかない。故に調査活動の他にはやることもなかった者たちが、こうしてさっさと城に戻ってきたのだろう。一刻も早くこの世界を飛び出したいというのが、団としての総意ということだ。
『お帰りなさいませ、スィス様』
「うむ」
一斉に頭を下げるタム達に応じながら、スィスも自分の席に向かった。背後に立つタムの1人が椅子を動かしてくれるのを見計らい、余裕をもって腰を下ろす。そして卓上に杖を置いてから、タムが紅茶を淹れてくれるのを静かに待つ。
―よし、まったく動揺はない。いつも通りだ。
そう自己評価をしていると、向かい側に座るドスが声をかけてきた。
「なんじゃ、スィスよ。不貞腐れた顔をしとるのぉ」
「……ふん」
すべてお見通しとばかりにニヤつく悪友に、スィスは内心で舌打ちをした。
この武人こそ、団における暇人の筆頭だろう。いつもならば世界中を旅し、腕っぷしに自信のある者たちを見つけては喧嘩を吹っ掛けているのだが、今回はそれができないからだ。
それはそれで不憫ではあるが、その鬱憤をスィスで晴らそうというのは、いい迷惑である。
「何のことかな。我はいつも通りだぞ」
「とぼけるな。“コレ”じゃろ?」
ドスが左手の小指を立てながら、愉快そうに笑う。やはり団の中でも最も交友が深いだけあって、こちらの心情はすぐに分かってしまうらしい。そう言えばここのところ、理由をつけて彼からの誘いを断ることが増えていただろうか。
スィスが黙りこくっていると、他の女性陣らも面白がって追随してくる。
「ねぇノーリ。“これ”ってなに?」
「それはですね、チィ。良い女性ってことですよ」
「えぇ!? それってつまり! ……どういうことですの?」
「つまりねぇ、スィスおじさまは、素敵な女性との逢瀬を邪魔されちゃったからぁ、ご機嫌ナナメってことよぉ」
「……ぬぅ」
フィーアに心情をズバリとまとめられてしまい、スィスは悔し気に鼻を鳴らした。いかにもその通りだった。スィスの不機嫌の理由は、その一言に尽きる。
スィスはこの世界で出会ったとある女性に、心を奪われている。調査がてらに世界を散策していた最中、偶然に出会い、次第に語り合う関係になり、そして気が付けば……惹かれていた。
それについて、恥じるところは何もない。
肉体的にも精神的にも男であるところの自分が、魅力的な女を求めて何が悪いというのか。むしろそれこそが、人生を謳歌するということではないか。
しかし他の団員たちにとっては、そんな純粋無垢な少年の如きスィスの想いなど、この退屈な日々を過ごす為の、ちょっとした糧にしかならないようである。
ノーリが頬を染め、うっとりとした表情で呟く。
「毎日毎日、足しげく通っているんですよねぇ。いいなぁ、そういうの。私もしてみたい」
「ノーリには、チィがいるからいいの! それはそれとして、スィスのいいひとって、どんなひと?」
「それがねぇ、ぜんっぜん教えてくれないのよぉ。占術で覗き見しようとしたら、防壁で妨害されちゃうしぃ」
「うわぁ、わざわざ魔法を使って隠れるだなんて。よっぽど秘密にしたかったんですわね」
「うむ。そういうのをな、密会というのじゃ!」
『実に興味深いことです。恋愛に関するデータ収集のため、サンプルになっていただきたいところですね』
途端に喧しくなった会議室の中、スィスは1人溜息をついた。見れば、紅茶の準備をしていた筈のタムたちまでもが、口元を必死に抑えているではないか。
余程退屈していたらしいが、ここまで食いついてくるとは不覚だった。不干渉を旨とするこの組織に置いて、同じ団員のセンシティブな事柄を話のタネにするというのは、止めて欲しいものである。
―にしても、皆に気づかれていたとはな。我ながら不覚よ……
ここ数カ月間、細心の注意を払っていたつもりだったのだが、どうやら自分でも分からない程に浮かれていたらしい。恥辱の極みである。
「それで、スィスよ。ズバリ、どんな塩梅じゃ?」
「……今一つ、手応えはないな。何度か手土産も持参しているが、あまり興味を引けていない」
もはや誤魔化すだけ無駄だと考え、スィスは素直に質問に答える。
「久しぶりに手強い相手だ。どんなに探りを入れ、揺さぶってみても隙が見えん」
「なんじゃ、いつもと違って自信なさげだのぉ」
「人たらしの異名が無くわよぉ、情けなぁい」
「……ふん、何とでも言うがいい。だがな」
スィスは大きく息を吸い込むと、力強く宣言した。
「我は、絶対にあきらめんぞ。必ずや、“彼女”の心を、この手に掴んで見せる」
おぉっ、と団員らの驚きとも冷やかしともつかない歓声が上がる。頬が紅潮しそうになるような思いであったが、しかしこれは団員たちに対してだけでなく、スィス自身にも向けた、断固たる宣言だった。
スィスは不死人として生きる間に数多くの女性と接し、そして幾度も関係をもってきたが、それらはいずれも一時の欲求のはけ口でしかなかった。
だが、この世界で出会った“彼女”は違う。
彼女こそ……
「彼女こそ、“永久”に我の横に立つにふさわしい女性……!」
瞬間、会議室が水を打ったように静まり返った。
しまった、と思うよりも早く、真顔になったドスが問いかけてくる。
「スィスよ。そりゃぁ、どういう意味かね?」
もうそこには、揶揄うような気色は微塵もない。見れば他の団員たちも、同じような表情をしている。ピャーチとセーミだけは良く分からなかったようで、きょとんとしていたが。
スィスは少し考えてから、答えることにした。全体、もしもすべてがスィスの願い通りになったならば、いずれ彼らに伝えるときがくるのだから。
「無論、我の妻として迎えたい、ということだ」
『なっ……!』
スィスの言葉に、団員たちが息を呑んだ。そしてある者は驚愕に眼を見開き、またある者は静かに目を伏せる。
「スィス! それではつまり、その女性と言うのは。ひょっとして、その、ふし……」
「よせ!」
ノーリの言葉を遮りながら、スィスは団員たちに鋭い視線を送った。
妻として迎える。それは文字通りに、人生のパートナーとすることだ。だがスィスは、他の者たちとは少々その形態が異なるにしても、不死者として永遠を生きる存在である。ならばその伴侶となり得るのは、同質の存在を置いて他にない。
「……この話は、この場にとどめておいてくれ。分かるだろう?」
ガラにもないことだったが、スィスは気の置けない仲間たちに向かって深々と頭を下げ、心から願った。
別に、恥じているからではない。勿論、年甲斐も無く色恋沙汰に興じる自分に、少々情けない思いを抱いてもいる。だが愛するということは、生きることの本質の1つだ。
重要なのは、スィスが恋い焦がれるその人物が、件の3体の同位体たちにとって好ましからざるものである、という可能性があることだ。彼らの、特にアリシアとか言う天使の言動から、それは容易に予想できる。
もしも連中に彼女のことが知れれば、最悪の場合、同位体たちによって彼女が滅ぼされるという事態に陥ってしまうかもしれない。連中が何処で耳をそばだてているかも分からないのだから……せめてこの世界を旅立つ直前までは、あまり大っぴらにはしたくないのだ。
「そこまでに、なさってください」
なんとも生温い空気が充満しかかったところで、鋭い声が上がった。
見ればタムたちがそろって、扉の方を睨みつけているではないか。その眉根は若干つり上がり、表情は強張っている。
それだけで、スィスを始めとする他の団員たちは、全てを察した。
この世界に来てからというもの、団員たちを頭を悩ませて止まない者。殊に、タムにとっては心労の種でしかない人物が、到着したのだ。
ばたん!
扉が乱暴に開かれた。直後、どかどかと大股で足を踏み鳴らしながら入ってくる女性が1人。
「おう、お前さん方! 今帰ったぞぉー!」
そう言って大仰に手を振るのは、メイド服に身を包んだ黒髪の女性。この会議室にも数名いる、タムそのものだった。だが、“このタム”に関しては、中身が完全に別物である。“彼”こそが、タムの分身体の1つに憑依した同位体。
この世界では反逆の神として崇拝されている、ジーグなる存在だ。
「待たせてスマンかったのぉ。ほれ、連れて来てやったぞ!」
そう言ってジーグが、肩越しに後ろを指し示す。すると扉の奥から、ぞろぞろと“3人”の人間が現れる。
2人は言うまでも無く、団員のトリーとナインだった。確か今朝方、トリーがナインを指導すると言っていたので、この珍しい組み合わせになったのだろう。
「それで、そのお嬢さんは何方かな?」
言いながらスィスは、最後におずおずと入室してきた“3人目”を眺めた。
緑色の地味なワンピースを着込んだ、見知らぬ少女だ。大きな弓を杖の様につきながら、しきりに周囲をきょろきょろと見回している。
彼女が首を振る度に、灰色がかった長い金髪が揺れて、尖った耳の先がチラチラと見えた。
『森人?』
トリーとナインを除いた団員たちが、一斉に呟く。
その少女はびくりと肩を震わせると、弓を抱き寄せながら、絞り出すようにして応えた。
「は、はじめまして。わ、わ、私、メアリと申します……」
―でも、私じゃあ無理です
―だって、私は……




