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名も無き世界・4


「やはり、この娘がかなめじゃったか。さすがはアリシア様の見立てよな」 


 ノーリの耳元で、“タム”がさも愉快そうに言った。その細くも引き締まった両腕は、ノーリの首と頭をがっちりと抑えつけている。アラインへの忠誠を貫くメイドの振舞としては、あり得ないものだった。

 否、“タム”ではない。彼女ならば、例え悪ふざけであってもこんなことをする筈がない。

 『その気になれば、本気でへし折る』

 そんな強い意志を背中越しに感じ取り、ノーリはぶるりと身体を震わせた。


「貴方は、いったい何者ですか?」


 どうにかほんのわずかに首を横に動かして、ノーリが問いかける。すると視界の端で、“タム”の姿をした何者かが、にやりと笑いながら言った。


「俺か? 俺は、一応この世界の護り手をやっとる者じゃ。ジーグと呼んでくれや」


 ジーグ。知らない名だ。それにこの世界の護り手というからには、この場に訪れた目的は1つ。


「タムの肉体を奪って……わ、私たちを、捕えようというのですか?」

「いかにもその通り。真正面からぶつかっても良かったんじゃが、下手に抵抗されるのも面倒でな。悪く思わんでくれや」


 タムの皮を被った“ジーグ”なる存在が、悪びれもせずに言った。 

 

 やはりそうだ。この口調や表情、そしてなにより団長たるノーリへの背信行為。普段のメイドとは、全てが異なっている。

 それはつまり、彼女の中に入っている“もの”が異なっているが故なのだ。 


 憑依。

 力をもてども実体をもたない存在が、一時的、あるいは永続的に他者の肉体の制御権を乗っ取る、恐ろしい行為だ。

 悪意をもつ幽霊ゴーストが生者に乗り移る例としては、様々な世界で聞くことがあったが、時折“神”と称される超存在もまた、それを為すことがあるらしい。

 言動から察するに、現在タムの肉体に入り込んでいるのは、恐らく後者であろう。この世界の“現在”の守護者として、異分子たるアラインを排除しようとしているのだ。


「あり得ない……結界にも警報装置にも引っかからずに侵入してくるだなんてぇ……」


 仲間たちとともに“タム”を取り囲むフィーアが、信じられないといったような顔で呟く。


「確かに、“1号”の被害を受けてはいたけどぉ。誤魔化すなんて、不可能なのにぃ」

「ぬははは! 俺の先輩は“目が良い”御方でな。ちぃと時間はかかったが、俺とルイン様が潜り込めるだけの隙間を見つけるなんざ、造作もねぇことなのよ」

「まさか、その脆弱性を知覚できたというのか。馬鹿な……」


 カラカラと笑う“タム”に対し、スィスが忌々し気に舌打ちをした。

 その言い分が正しければ、この同位体たちは、アラインの全ての科学・魔法技術を用いて張り巡らされた無数のトラップやセンサからなる防御網を、それらの内ただ1つにさえ触れることなく城内に侵入してきたことになる。

 勿論、城の防衛能力が“貪食”によって著しく損傷させられていたというのも大きな原因だろうが、それでもこの場の誰にも気取られずにそれだけのことをやってのけるというのは、尋常なことではない。

 やはり、今しもチィと戦闘を繰り広げている天使や、城の設備を破壊して回っている女戦士。そしてこのタムの中に入り込んだジーグとやらは、いずれも恐るべき同位体なのだ。


「くっ!」


 このままでは不味い。ノーリは奥歯をかみしめながら、唾を飲み込んだ

 

 現状、世界を渡る唯一の手段であるノーリが囚われている以上、仲間たちは下手な行動をとれない。そうなれば必然、この正体不明の同位体たちに全員が拘束されることになるだろう。その後の処遇がどうなるのかは、まったく分からない。

 ただ断言できるのは、誠心誠意言葉を尽くせば分かってもらえるなどというのは、幻想に過ぎないということだけだ。


 以前ノーリは、とある世界で同じように力ある存在に捕らわれかけたことがある。ノーリの“世界渡り”の超魔法メタマジックを欲したその同位体が、ノーリを“喰らう”ことで能力を奪おうとしたのだ。

 その時は、チィを始めとするすべての団員たちが力を尽くしてくれたおかげで事なきを得たが、この同位体たちも同じことを画策していないと、どうして言えるのだろうか。


―なんにせよ、このまま皆の足枷になったままではいられませんね


 ノーリは揺れる心を落ち着けると、深呼吸をした。そして、“世界渡り”の発動によって消耗した体内の“気”を絞り出し、練り上げていく。


 ドス直伝の、“息吹”。

 気の運用によって身体能力を飛躍的に向上させる、呼吸法の一種だ。未だ達人の域には程遠いノーリには、その効力はせいぜいもって数分間。疲弊したこの状況では数秒が関の山だろうが、この慮外者を払いのけるには十分だ。

 

 ノーリは眼を閉じ、意識を集中した。か細い二の腕に力がみなぎってゆくのを確認すると、ゆっくりと両の拳を握りしめる。

 力比べをしている余裕はない。密着したメイドの腹部に強烈な肘鉄を叩き込み、一瞬で拘束を解く。そして団員たちに、壁の穴から“このタム”を放り出してもらうのだ。

 そうなれば、後は城ごと転移して隠れることができる。

 大幅に数を減らしたタムの分身体をまた失うことになるのは口惜しいし、外で闘っているチィがこちらの思惑に気づいてくれるかどうかは怪しいところだが、それでも現状を打破するためにはやるしかない。


―この身を護るため。そして、アライン仲間メンバーたちとの旅を存続させるため


 気の流れが臨界にまで達したところで、ノーリは呼吸を止めた。

 そして右手を大きく前に突き出して振りかぶり……


 


「おぉっとぉ、そうはいかんぞ!」


 “タム”が短く叫ぶと、即座に両腕に力を込めた。そして容赦なくノーリの首を締め上げていく。

 どうやらノーリの反撃の兆候は、完全に察知されていたようだ。


「う……ぐ……」


 瞬間、酸欠による苦痛で集中力を乱され、ノーリの気が霧散してしまう。ジタバタともがいた拍子に右肘がメイドの腹に命中したが、両腕に集まっていた力はすでに完全に失せていたため、硬い腹筋を貫くことはできなかった。


「ノーリ!?」

「貴様、いい加減にせんかっ!」 

「心配すんなよ、殺しはせん。もっとも、そっちの出方次第じゃぁ分からんがな?」 


 苦悶の表情を浮かべるノーリの背後で、タムが不敵に笑う。

 揺れる視界の中で、仲間たちが悔し気に顔を歪ませるのが見えた。


―ああ、なんてこと。こんなところで、私たちの旅が終わってしまうなんて……


 “タム”の腕に爪を立てながら、ノーリが胸の中を絶望でいっぱいにしていた。



 その時だった。














「やれよ」













 張り詰めた空気の中、静かに、短く言葉が走った。


「あぁん?」


 “タム”が口の端をひんまげて、その声がした方を見やる。団員たちもまた、ぎょっとしながらも、しかし“タム”から注意を逸らすことなく、そっと視線を送った。


「その小娘を殺したけりゃぁ、ひと思いに殺せ」


 そう言って幽鬼のように立ち上がったのは、ナインだった。末席にして最弱の団員ナンバー9が、満身創痍のままよろよろとこちらへ歩み寄り、切れ長の目を細めてノーリを。否、“タム”を睨みつけている。

 絶句するノーリの耳元で、“タム”が鼻を鳴らしてから問いかけた。


「なんじゃぁ、お前。この娘がどうなっても良いのか?」

「そうは言ってない。いや、むしろ大事さ。……“この団にとっては”な」


 血の混じった唾を吐き捨てながら、ナインが答えた。

 その言葉の中で、『団にとっては』のあたりが妙に強調されたように思える。自分を見捨てるような口ぶりよりも、ノーリには何故だかそちらの方が気にかかった。


 そんな気持ちに気づいてもらえる筈も無く、両者の会話はノーリを挟んだまま続いていく。


「言ってることが無茶苦茶じゃぞ、お前さん。この娘が大事なら、何故俺の言う通りにせん?」

「気に入らねんだよ。そいつの生殺与奪がテメェの手の中にあるからって、オレらが大人しく従う道理はねぇだろうが」

「なんじゃ、結局は己が身の方が大事ってか」

「当たり前だろうが。所詮寄り合い所帯だぞ? そんな小娘のために、命を懸けられるかっての」

「んなっ!?」


 あんまりな物言いに、思わずノーリは素っ頓狂な声を上げた。

 真っ黒に染められつつあった胸中が、一気に炎の如き鮮明な紅に埋め尽くされていく。


「な、な、な、ナイン! 貴方って人は、この期に及んで何を!?」

「うるせぇぞ、お嬢さん。お前こそ、この期に及んでもまだ守ってもらえるだとか、都合のいいことを考えちゃいねぇだろうな?」

「……っ!!」


 ノーリは自分が人質になっていることも忘れ、無言でじたばたと手足を振るった。“タム”が呆れ顔で抑えつけてくるのにも構わず、怒りに任せて暴れ続ける。


 ああまったく、何て酷い男!守ってくれると約束した筈なのに!あの悍ましい同位体1号を相手に奮闘して見せたかと思えば、何という情けない体たらくだろうか!

 

 そう憤るノーリを余所に、ナインは異様なくらいに淡々と告げる。


「テメェがその娘を殺すってんなら、オレは止めねぇ。だが、覚悟しとけよ」

「覚悟じゃと?」

「その娘が死んだ瞬間、俺たちのたがは外れる。好き勝手やらせてもらうってことだ。この意味は、分かるよな?」

「ほぉ……」


 “タム”の目つきが険しくなったのが見えた。同時に、ノーリの首を絞めつける腕に、また少しずつ力が込められていく。

 ノーリが抵抗するのを止め、小さくうめき声を上げたが……それでも、ナインは止まらなかった。


「そうだな、取り合えず目に付いた街は全部ぶち壊してまわる。あと、住人も皆殺しだ。女も子どもも関係なし。それに、自然破壊ってのもいいな。森を焼いたり河を汚したり……」


 “タム”の視線を受けながらも、指を折って恐ろしい提言を続けるナイン。その異様な雰囲気に、今度はノーリは顔を青くすることになった。

 

 何故。彼はどうして、そんなとんでもないことを言い出すのだろうか。ノーリの“世界渡り”が失われれば、確かに団員の中には自棄になる者たちも出るかもしれない。だがそれでも、その一線だけは超えることは絶対にない。それだけは、永い付き合いで確信できている。


 だというのにナインは、何の根拠があってそのような啖呵を切れるのだろうか。全体、何故他の団員たちは黙って……?


「お前らも躍起になって止めようとするだろうが、この場に揃ってるのはただの人間じゃねぇぞ。お前らが護っているこの世界中に、ありとあらゆる災厄を振りまいてやる。だから、覚悟しとけ」


 そこまで言ってから、ナインはようやく止まった。そのまま、“タム”をじっと見据える。

 “タム”の方もまた、硬い表情でナインを睨みつけていた。最初の頃の余裕ぶった様子はすでになく、その眼には怒気の様な光が見え隠れしている。

 世界の守護者を自称する者たちにそんな脅し文句をぶつければ、さもありなんである。そして力ある存在の怒りをかえば、返ってくるのは往々にして報復だ。


―この人は本当に、この期に及んで状況を悪化させて……!


 しかしノーリの懸念を余所に、しばしの沈黙の後。

 突然“タム”は、『ぶはっ』と気の抜けたような声を上げた。直後、心の底から楽しそうに、豪快に笑いだす。


「ぬはははは! いいハッタリじゃなぁ、お前!」

「……ハッタリかどうか、試してみるか?」


 ナインが眉一つ動かさずに言う。あくまでもその表情は、“タム”とは対照的に冷徹だ。


「いやいや! そんな健気な眼ぇされちゃあ堪らんわ。ほらよ」


 “タム”はそう言うと、呆気なくノーリから離れた。そればかりか背中に両手を当てると、思い切り突き飛ばしたではないか。


「うわぅっ!」


 間の抜けた声とともに、バランスを崩したノーリの小柄な身体が、吸い込まれるように床へと倒れていく。あわや硬い床へと接吻をかましかけた、その時。


「あぶねっ!」


 寸でのところで、ナインが身体を滑り込ませてきた。床に飛び込むようにしてノーリを抱きかかえると、そのまま即座に立ち上がって“タム”から距離をとる。

 その素早い動きに驚き、ノーリは吐き出すべき悪態を飲み込んでしまった。


「ぬははは! 中々いい動きじゃねぇかよ」


 腰に手を当てて笑い続ける“タム”を、今度は団員たちが取り囲むこととなった。ノーリという人質を取り戻したため、まるで鬱憤を晴らすかのように、全員が一斉に強力な殺気を放ち出す。

 だがそんな状況で“タム”は、最初のときのような余裕たっぷりな様子に戻ってしまっていた。


「何のつもりだ、貴様。みすみすあの娘を解放するとは」

「いやぁ、なに。どうやら俺らの“主上様”が、お前さんがたに用があるみたいなんでな」


 スィスに答えながら、“タム”が肩越しに背後の壁の穴を振り返る。その視線は、チィや彼女と対峙する天使を跳び越えて。遥かなる上空を見つめていた。

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