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脱出・7


「……本気マジで言ってんのかよ?」


 奇妙な程の自信に満ちたノーリの言葉に、ナインは思わず振り返った。そして肩に置かれた小さな手に、まるで縋るようにして自分のそれを重ねる。

 精神はすでに諦念に支配されており、守護するべき対象を前にしながら体面を繕うことすらできていない。情けないことこの上ないが、あんな常軌を逸した存在を前に正気を保ち続けていられるだけでも、かなり頑張っているほうではないだろうか。


 するとノーリは、そんなナインを鼓舞するように続けて言った。


本気まじ本気まじです。確かにあの“貪食”は強壮ですが、私たちが敗北することはありませんから」 

「アホか。お強い団員なかまたちが、揃って子ども扱いだぞ。奴の方が圧倒的に……」

「いいえ! まだ勝負はついていません!」

「な……!?」


 突然、ノーリが両手でナインの頬を掴んだ。眼の中にお互いの顔が映る程、急接近する。

 自暴自棄になっている自分が恥ずかしくなる程の、真っすぐで強い意志の籠った瞳が見えた。それは自信ではなく、もはや確信の光。


 この少女は。

 団長のノーリは、この状況をひっくり返せると、何の疑いも無くそう思っているのだ。

 

「さっき言ったでしょう? 最後まであきらめない者にこそ、勝利の女神が微笑むと」

「そんな奇跡みたいなこと、そう何度も起きるかよ……」


 それでもナインの中で、センチメンタルな部分が卑屈に喚き散らしていた。


 確かに、ノーリの言うことは間違ってはいない。

 極々稀なことではあるが、敗北が確定していた状況が一変し、弱者が強者を打ちのめすという事態も起こり得るものだ。

 環境や不測の事態などの外的要因。精神や身体状況などの内的要因。それらが複合的に作用しあい、場合によっては大きな番狂わせを引き起こす。かなり贔屓目に見れば、先のナインの奮闘がそれに当てはまるだろう。


 だが相手が化け物では、それも文字通りの巨人ジャイアントキリングしとくれば、とてつもなく大きな要素ファクターが必要だ。まさしく奇跡と呼べるような何かが。

 そんなものが、ほいほいと手に入れられる筈もない。

 

 しかし。


「いいえ。奇跡はすでに、私たちの手の中にあります」


 呆然とするナインに向かって微笑みながら、ノーリはそう言い切る。

 

 それと、ほぼ同時に。


「あ」


 視界の端で、巨人が動き出したのが見えた。


 こちらに狙いを定めていた右手が、近づいてくる。

 直撃すればどんなものでも木っ端微塵に砕いてしまいそうな暴力の塊が、こちらに向かって突き進んでくる。

 いよいよ訪れた、最後の瞬間。


 だが。


 そんな状況にあって。


 ノーリのその顔には、確信めいた笑顔が浮かんでいた。







「出番ですよ! 私のチィ!」


 団長たるノーリが、大声で命じる。するとその瞬間、城の奥底から光が溢れた。

 新参者であるナインには知る由も無い、数十枚からなる特殊隔壁と魔法陣によって完璧に防護された区画。高密度のエネルギーで満たされた小部屋のど真ん中に鎮座する、大きな大きな卵型の動力炉から、鐘のような声が鳴り響く。 

 



 




『任せてッ!』







 眠りから目覚めた大いなる力が、壁を突き抜け、城の外へと跳び出した。そしてそのまま、まるで一条の光のように、ただ真っすぐに巨人へと突き進んでいく。


 ただの光りではない。はっきりとした形がある。

 人だ。特徴的なとんがり帽子に、マントやズボン。癖のある髪を揺らす、可憐な少女。団長ノーリと瓜二つの格好だが、しかし色だけはすべて真っ白だ。


 そんな奇妙な少女が、全身に光をまといながら、拳骨をぐるぐると回し始めた。


「どぉぉぉりゃぁぁぁっ!!」


 少女が怒声を上げ、勢いのついた右拳を放つ。

 それは巨人の放った正拳突きに、真正面からぶち当たった。


 すがあぁあんっ!!  ぎちぎちぎちっ!!


 拳と拳。

 光と闇。

 大きく異なる2つが激突し、まるで対消滅するかの如き衝撃を放つ。


 体格差、質量差。それらを考えれば、結果など明らかだというのに。

 何たることだろうか。

 輝く少女が闇の巨人の一撃に耐え、それどころか押しとどめているではないか。


「おお!」

「……やっと、お目覚め」

「遅いわよぉ!」 

「やれやれ、まったく」

「待たせますわね!」


 疲弊し、戦闘不能にまで追いやられていた団員たちが、出現した少女に向かって一斉に不平を漏らした。だがその顔に現れているのは、まごうことなき希望だ。

 まるで少女の身体から溢れ出す温かい光に、心まで照らされているかのようである。


 少女はそんな団員たちを一瞥すると、大きく頷いて見せた。そして息を吸い込み、再び闇の巨人を見据える。

 

「うおおおおッ! 全ッ! 力ッ! 全ッ! 開ッ!」


 絶叫とともに、鍔ぜり合う右拳から一層強い光が迸った。それは突風のように、城にまとわりつき、地上に堆積していた汚泥を吹き飛ばしていく。


 その恐るべき力の波に中てられた巨人が、後退すまいと後ろ足に力を込めた。

 しかし、無駄なことだった。


 びきびき! ばきぃんっ!

 

 すぐに巨人の拳が限界に達し、ひび割れていく。瞬く間にそれは闇の巨人の二の腕から右肘まで広がっていき、破裂するように砕けてしまう。バランスを失った巨人は大きく仰け反り、もはや土ばかりとなった大地にその巨体を投げ出した。


 ずっしいぃぃん!


 地面が大きく陥没し、ひび割れ、大量の砂埃を巻き上げる。それを見届けた光の少女は、戦果を誇るように腰に手を当ててふんぞり返ると、どうだとばかりに言い放った。


「ノーリと仲間たちは、このチィが護って見せる!」




 








 ナインは、見開いた眼を何度もしばたたかせていた。


 状況が、ひっくり返った。

 突如出現した少女が、団員たちをことごとく打ち払った巨人を、一方的に殴り飛ばしたのだ。

 光をまとうその雄姿に、胸中を満たしていた恐怖と諦めが洗い流されていくのが分かる。


 女神。 

 そう、あれはまさしく勝利の女神だ。 


―だが、いったい何者なんだ?


 力強い、希望の象徴の如き存在感に胸を高鳴らせながらも、疑問が湧き上がってくる。

 あの顔立ち。装い。何故彼女は、ああもノーリとそっくりなのだろうか。

 

「おい、ノーリ…?」


 ナインが、少女の正体についてノーリに訊ねようとした、その時。会議室が衝撃によって揺さぶられた。砕けた巨人の腕が、巨大な破片となって降り注いでいるのだ。

 ほとんどは城壁にぶち当たるコースのようだったが、一際大きな塊が偶然にもこちらを目掛けて飛んでくるのが見えた。


「やべっ!」

「うわぅっ!?」


 ナインは反射的にノーリを抱きかかえると、無理やり床に伏せさせた。華奢な身体の上に覆いかぶさるように圧し掛かると、両手で頭を抱える。


 ばちんっ!


 あわや破片が衝突するその瞬間、すさまじい閃光が走った。会議室に直撃する筈だった黒い塊が、目に見えない障壁によって防がれる。


「何だぁっ!?」


 ナインが思わず叫ぶと、耳慣れた声でアナウンスがかかった。


『申し訳ありません、“清掃”に手間取りまして! 間に合ったようで何よりです!』

 

 ピャーチだ。今のは、彼が城の防衛装置とやらを起動させたことによるものらしい。城内に侵入していた触手たちの駆逐が完了したのだろう。


『でわでわ只今より、戦闘を開始します! さぁあいくぞぉ!』 


 自称AIが、妙にハイテンションな口調で言う。どうやらこのまま少女を援護し、一気に叩くつもりのようだ。

 しかしそこでノーリが、慌てて止めに入った。


「いいえ、ピャーチ! 攻撃の必要はありません」


 言いながら、ナインの身体を押しのけて立ち上る。

 揺れる桃色髪の下に、紅く染まった頬がちらりと見えた。


「チィが時間を稼いでくれている間に、この世界を脱出します。貴方は防御に専念してください」

『そんなっ!? しかしノーリ様、これは“貪食”を滅ぼす好機なのではありませんか?』

「違います、危機を脱する好機なのです。皆の損耗を考えれば、戦い続けることの愚は理解できるでしょう?」

『しかし……』


 ピャーチが、なおも食い下がろうとして口籠る。どうも話しを漏れ聞くに、彼はあの化け物との間に因縁をもっているらしいので、見過ごすことは業腹なのだろう。


 だがノーリは、聞く耳持たずといった様子で続ける。


「皆、聞いていましたね!? チィは、もう少しだけ時間を稼いで! 他の者はその間に、急いで城に戻ってください! 」


 ピャーチの返答も聞かず、ノーリが胸元のペンダントに向かって大声で叫んだ。すぐに団員たちから『了解』の旨の返答がなされる。

 ノーリは満足げに頷き、歩き出した。荒れ果てた会議室の中心、叩き割られた円卓の破片が飛び散ったところで、その足を止める。

 ナインはその隣へ駆け寄ると、訊ねた。

 

「すぐに、その……世界を渡れるのか?」 

「ええ、緊急避難を実行します」

「緊急避難って?」

「こういった事態が起こった時に逃げ込む世界を、あらかじめ決めてあるんです」


 ノーリが、少しだけ眼を背けながら言った。どうやら、世界規模で安全区域セーフティ・ゾーンを設定しているらしい。

 なんとも壮大なことだが、取り合えずこの世界からおさらばすることには変わりないようで、一安心である。出来ればもっと見て回りたかったが……全体、この世界の全てが化け物の擬態に過ぎなかった異常、それを惜しむのは無為極まることであろう。


 そんなことを考えていると、ピャーチから『準備完了しました』とのアナウンスが入る。外に出ていた団員たちが、城の中へ退避を完了したようだ。


 それを受け、やにわにノーリは床に片膝をつき、両手を組んで念じ始めた。

 初めて見た“世界渡り”の魔法の発動。それよりも随分と切羽詰まった、余裕のない感じのする表情だ。この状況がそうさせるのだろうが、こんな調子できちんと超魔法メタマジックとやらは発動するのだろうか。


 ふと思い立ったナインは、ノーリの肩に手を置いた。

 一瞬、その身体が小さく震え、少女がこちらを見つめてくる。


「何です?」

「いや、別に」


 少女は訝し気な視線を送ってくるが、すぐにナインから顔を背ける。しかしその表情は、わずかばかりに和らいでいた。

 

「……渡ります」


 その宣言と共に、ノーリと、ナインと。

 そして城の全てが、激しい燐光に包まれた。

 

 

 










 




 



 包み込むような暖かさの陽光と、安らぎを覚えるような静けさ。一面に広がる白い靄の上で、1人の少女が佇んでいた。

 年の頃は、まだ十代といったところだろうか。真っ白な薄衣に身を包み、長い金色の髪を揺らす可憐な娘。下を見つめるその顔には、憂いの色が浮かんでいる。


「如何した?」


 少女の背後から、凛とした声がかかった。するとその拍子に、何もない空間に1人の女性が現れ出る。

 甲冑をまとい、腰に大きく反り返った刀剣を携えた、若い女戦士だ。艶のある黒髪から覗く2本の角は、その女性が“無能人”ではないことを示している。


 金髪の少女は、振り向かずに答えた。


「何者かが、異界より到来したようです。とても強い力を感じます」

「何、すると邪神の類か?」


 女戦士が眉根を寄せた。その拍子に腰元の刀剣が震え、花の形をあしらった鍔が『りーん』と鳴る。彼女の強い闘気に反応したのだ。


 無限に広がる宇宙には、この“名も無き世界”を含めた無数の世界が、泡のように生まれては消えてを繰り返している。それらの間には眼に見えない、とても分厚く高い障壁が存在しているのだが、時折それを突破してくるような来訪者がいるのだ。

 そして、かつてこの世界に訪れた“世界を渡る者”は、被造物をことごとく侮辱し、欲望のままに蹂躙し、汚らわしい死を振り撒いた。


 邪神デーモン

 この名も無き世界を創造した“真なる神”と同等の力をゆうするとされる、恐るべき存在。

 そんなものがまたやってきたとなれば、平常ではいられない。


 しかし、いきり立つ女戦士に対し、少女は戸惑ったように言う。


「それが、分からないのです。あの邪神デーモン皇子プリンスのような禍々しさは、微塵も感じられなくて……」

「では、この世界を侵略しに来た者ではないと?」

「はっきりとは申し上げられません。ですが……」


 少女は口籠った。彼女がこの地位についてからというもの、このような事態は初めてのことだった。だから、どうすればよいのかの判断が即座にはつけられない。ひょっとすると、世界の危機かもしれないというのに。


 そうやって、少女が思案していると。


「ならば直接行って、確かめればいいんじゃねぇのかい?」


 ぞんざいな口調とともに、割り込んでくる者がいた。やはり何もないところから現れたのは、少年だ。

 赤銅色の鎧を着込み、背中には大剣を吊り下げている。薄茶色の短髪の下では、まだ幼さを十分に残した顔つきの中に、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。


「我々が“下”へ赴く、ということか?」

「応よ。何処の何方様かは存じねぇが、挨拶ぐらいはしても良かろ?」


 何ならそのままヤキをぶっこんでもな、と女戦士の隣に立ちながら少年は笑う。

 つまり、この3“柱”が直々に来訪者の正体を確かめ、世界にとって危険な存在ならばそのまま刈り取ろうというのだ。いずれも“この場”をおいそれと離れることが出来ない立場だというのに、随分と無責任な発言である。


 しかし少女は、少し考えてから頷いた。


「……そうですね、それが良いでしょう。何よりも重視するべきは、この世界の安寧なのですから」

「ふむ。最悪の場合を考えれば、それが適切であろうな」


 女戦士も少女に同意する。


 仮に来訪者たちに無法を為す気がないというのなら、それでいい。この世界を守護する者として迎え入れてやるだけだ。だがそうでないならば、次元の壁を打ち破る存在との滅ぼし合いが始まってしまう。

 それはつまり、邪神デーモンと闘うことと同義だ。ならばいたずらに天使エンジェルたちを投入して犠牲を出すよりも、最初から最大戦力を差し向ける方がよい。


「決まりじゃな! いやあ、久方ぶりで腕が鳴るのぉ!」


 少年は上機嫌に吠えると、背中の大剣を抜き放った。何やら不謹慎なことを期待しているらしい。

 それを見た女戦士が、たしなめるように言う。


「これ、小坊主の弟子よ。まだ闘うと決まった訳ではないのだぞ」

「分かっとりますよぉ、大師匠様! だが、いざとなれば……」

「うむ。その時は手加減は無用だ。存分にやるがいい」

「そう来なくっちゃぁな!」

「そこまでになさってください。そろそろ参りましょう」


 少女が戦装束の2人に向かってぴしゃりと言い放つと、軽く腕を振った。すると少女の足元の靄がぱっくりと割れて穴が開き、下の風景が露になる。

 そこには海があり、山があり、草原があり、街があり……人々や、あらゆる生命が息づいていた。


 世界だ。


 その様子を睥睨しながら、3“柱”は愛おし気に呟いた。


「全ての生命を護る。それこそが、私たちの使命」

「うむ。偉大なる主上の創り給うたこの世界、誰の手にも渡してなるものか」

「応とも。世話になった奴が、まだくたばっておらんでな。少しは恩を返さにゃぁ」


 3“柱”は頷き合うと、一斉に穴の中に飛び込んだ。

 そしてすぐに、“天上”の雲の間から差し込む3本の光の柱となって、“地上”へと降り注いでいく。


 この名も無き世界を守護する、偉大なる神々。

 

 神話として記録されることになる、顕現の1つであった。

 


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