脱出・6
「ぬおぉぉぉっ!?」
乾坤一擲の一撃を防がれたドスが、驚愕の叫びを上げながら、殆ど弾き飛ばされるように大地に向かって落下していく。
その巨躯が地上を満たす汚泥に触れる直前に、ふわりと浮き上がった。何かが、ドスの身体を受け止めたのだ。
「うむっ……た、助かった」
ドスが背後を見上げ、短く礼を言う。その視線の先には、白いもやを身にまとう巨大な男がいた。逞しいという程ではないが、すらりと引き締まった青白い体つき。はっきりとそこに存在しているというのに、身体の向こう側が透けて見える。知らぬ者が見たら、幽霊と勘違いしてしまうだろう。
大気の精霊。
炎のそれと同じく、老練の魔法士によって使役される、元素の化身の1体だ。大男のドスを片手に乗せることができているあたり、やはりこの精霊のサイズも巨大であったが……今やそれを巨人と呼称することが適切するべきなのか否か。定義があやふやになりつつあった。
「そんな、まさか……」
絶望的な呟きが、ほんのわずかにその場の沈黙を乱す。いずれの団員のものなのかは分からなかったが、その言葉は間違いなく団の総意であった。
のそり
同位体1号が。“貪食”が、ゆっくりと“頭をもたげた”。
世界を揺るがす程の衝撃を受け止めた“右腕を降ろし”、汚泥の中から悠然と地上を“睥睨する”。2本の足で起立するその姿は、完全に。
人間そのものだった。
そして間違いなく。
人間とは、大きく異なるものだった。
「何て、趣味の悪い姿ですの…」
仲間に掴まれて飛行しながら、セーミがうめくように言った。その言葉に、他の団員たちも同意するかの如く唸り声を上げる。新たな形態をとる同位体1号に対し、様々な感情が胸中を入り乱れているのだ。
降り注ぐ太陽の光を一切反射しない、真っ黒な体表。まるで全てを飲み込む闇が、人の形をとったような悍ましさだ。頭部にある2つのくぼみには数百からなる眼球が密集し、ぎょろぎょろと忙しなく周囲を観察しているその様は、吐き気を催すほどである。
だが何より異常なのは、その全長だった。団の城をすら易々と見下ろしていることから、100メートルを優に超えていることがはっきりと分かる。
巨人。
精霊をすら遥かに凌駕するその巨躯は、はまさに闇の巨人だった。
「いったい、何のために…?」
大気の精霊の手の上で、ドスが奥歯を噛み締める。彼もそうだが、団員たちは皆、同位体1号のこの変態の意味を掴みかねていた。
世界そのものに擬態し、動植物や自然のサイクルを再現しただけでなく、数百万の人格をシミュレートして文明を築く。それだけでも恐るべき進化だというのに、今度はこれだ。今までに相対してきた同位体1号とは、明らかにその行動様式が異なっている。
果たして“貪食”は、何を考えてこのような姿をとったのか。あるいは、この粘体の中に自我など一切存在せず、ただもっとも効率よく栄養源を捕食するための手段として動いているのか。
ずもりっ
団員たちが硬直する中、巨人がのっそりと動いた。何をしようというのか、両の拳を握りしめ、ゆっくりと持ち上げていき……そして、ぴたりと止める。
『なっ!?』
その見覚えのある格好に、団員たちがそろって驚きの声を上げた。特にドスにとっては、忘れたくても忘れようがなかった。
握った両手を頭上に置いた、その構え。それは紛うことなく、彼がこの世界で出会い、死闘を繰り広げた、素晴らしい好敵手の構えだったからだ。
「1号ォっ! 貴様は何処までっ!!」
「なっ、ドスっ!?」
「いけませんわっ!」
激昂したドスが、精霊の手から跳び上がった。そして仲間たちの制止に耳を傾けることなく、右足の爪先をとがらせ、勢いのまま巨人に向かって鋭い蹴りを放つ。
すると巨人もまた、応じるように動き出した。ドスの攻撃に合わせるように、もったりと右拳を打ち下ろす。その馬鹿馬鹿しい程の巨体ゆえに酷く緩慢に見えるが、実際はすさまじい速度だ。
巨人に挑む蟻。そんな象徴的な構図の激突が展開され……
そして、即座に決着がついた。
どがぁあんっ!
「ぐぉあっ!」
呆気なく吹き飛ばされ、宙を舞う巨漢。単純な質量差もあったが、何よりドスはつい先ほど、“貪食”に致命的な一撃を見舞おうと、なけなしの“気”力を振り絞ったばかりなのだ。すでに彼の体内には満足に闘えるだけの力は残っておらず、そしてそんな状態でしかけた無謀な突撃により、今度こそ戦闘不能の状態に陥ってしまう。
白目をひん剥いて錐揉み回転をする巨漢を、寸でのところで大気の精霊がキャッチする。
それに対して追撃をかけようとしているのか、闇の巨人が、ずしんと歩を進めた。
「……不味い!」
「フィーアよ! 2人に術をかけろ! 同時に攻撃をかける!」
「分かってるわぁ!」
仲間の危機を見て取った団員たちが、色めき立った。
スィスが炎の精霊を駆り、巨人の正面へと回り込む。その隙にフィーアが飛行の魔法を唱え、セーミとトリーに飛行能力を付与する。
団員たちは巨人を取り囲むように散開すると、タイミングを計るように攻撃の姿勢をとった。
すると。
ぶるり
突如巨人が頭をかがめて、身震いをした。次の瞬間、その大きな背中一面に、無数の不気味な穴が開く。まるで昆虫の気門か、植物の気孔を思わせるそれらは、もぞもぞとグロテスクに蠢きだした。
「いかんっ! 皆、離れろっ!」
危険な兆候を感じ取ったスィスは、すぐさま攻撃を中断した。そして、ドスを抱えたまま退避行動をとっている精霊に、大声で命じる。
「大気の精霊よっ! 我らを護れっ!」
スィスの言葉に、精霊が吠えた。すると周囲に小さな風の渦が幾つも巻き起こり、団員たちと、そして城にまとわりつき、包み込んでいく。
超高速の暴風による局所的な真空。不可視の障壁だ。風圧と空気の断層による防護は、触手程度ならば難なく弾くことができる。よしんばあの大きな腕を叩きつけられたとて、致命傷は回避できる筈。
スィスを始め、団員たちが用心深く距離を取った。
だが。
巨人のとった行動は、彼らの予想を上回っていた。
ぶごわぁぁああっ!
真黒き巨人の背中の穴が一斉に大口を開け、火を吹き出した。
それらは即座に混じり合って炎の奔流となり、空にある団員たちと、地上にある団の城を完全に包み込んでしまう。
「炎ですって!?」
「我と、フィーアの力を真似たかっ……!」
血液が沸騰するような感覚の中、フィーアとスィスが呻く。
どうやらただの炎ではなく、大気の精霊ですら防ぎきれない程の、強力な遠赤外線やマイクロウェーブを撒き散らしているらしい。
予想だにしない攻撃に、団員たちは為すすべもなく巻き込まれてしまう。火炎はあまりに広範囲に放射されていたため、逃げ場も無い。ペンダントの“瞬間移動”を起動する隙すらない。
わずか数秒後。
巨人が火炎を吐き尽くす頃には、団員たちはいずれも疲弊し、辛うじて宙に浮かぶばかりだった。最早攻撃を仕掛けるどころか、抵抗すらままならない。このまま巨人が無造作に腕を振るえば、弱り切った蚊のように、無残に地上へと叩き落とされることになるだろう。
ありえないことだった。
“貪食”は本来、炎に対して著しい脆弱性をもっていた筈だ。散々自らを傷つけてきた脅威を、自らを守るために使用するなどと、どうして想像できようか。
否。“貪食”を、只の膨れ上がった下等生物と見下していたことへの、これは強烈なしっぺ返しか。
団員たちが救いようのない結末を予測し、臍を噛む中。
闇の巨人は、またしても意外な行動をとった。
相変わらずゆっくりとした動作で足を開くと、どっしりと腰を落とし、右拳を引き絞っていく。誰が見てもはっきりと理解できる、攻撃的な構え。
「…なっ!?」
「こ、今度は」
「ドスの……!?」
それは団員たちにとって、よく見慣れた動作だった。
ドスが日課の鍛錬として行っている、正拳突き。ゲルムの軍勢を吹き飛ばした、あの強烈な一撃を放つ構えだ。
しかしそんな姿勢をとりながら、巨人は、もはや団員たちに眼もくれていなかった。
死に体のコイツらなど、後でいくらでも料理してやれる。今はもっと、逃したくない獲物がいる。
…とばかりに、城の方へと狙いを定めたのだ。
巨人の顔に浮き出た無数の目玉は、正確に城の一点を。会議室を見つめる。
その視線の先には、他の者たちと同じく強烈な炎にさられた筈なのに、“不思議と消耗が見られない”桃色の髪の少女がいた。
「終わり、かな」
外の様子を眺めていたナインが、ぽつりと呟いた。巨人がこの会議室に拳を叩きこもうとしているのを察し、気の抜けたようなため息をつく。
つい先ほどまで繰り広げられていた、まるで馬鹿馬鹿しい超常能力の応酬が、終局を迎えつつある。
それも団の敗北という、最悪の形で。
終わり。
詰みだ。
「ん、まぁ、そこそこ楽しめたかなぁ」
足腰から完全に力がぬけ、ずるずるとだらしなく尻もちをつく。もうここまでくると、恐怖も後悔もありはしない。どうにでもしてくれ、としか思えない。
ナインには仲間たちの闘いぶりの、その半分にすらも理解が及ばない。まだ出会ってから日が浅いというのもあるが、まずもってナインという男は、所詮は一般人に毛が生えた程度の能力しかもっていないからだ。
ナインは強者ではない。ゆえに、強者を理解できない。
地を這う虫けらが、人間の身体能力を知覚できないように。ナインに認識できる団員たちの実力など、せいぜいが『とんでもなく強い』程度のものだ。
だがそれでも、どうにか分かることがある。
ドスも。
トリーも。
フィーアも。
ピャーチも。
スィスも。
セーミも。
タムも。
いずれであっても、例え彼らが束になったとしても、あの同位体1号とやらには勝てない、ということだ。
団と、あの化け物との間には、どうしようもない差が存在している。隔絶した、埋めようのない差だ。それこそ、生物として違い過ぎる。
あんな出鱈目な存在が相手では、何をどうしようが、全ては無駄なのだ。
弱者は強者に屈し、強者は更なる強者の前に跪く。それは覆しようのない、宇宙の理なのだろう。
だからナインの旅は、ここで終わる。
その事実もまた、覆らない……
「大丈夫です」
ナインの肩に、ふわりと温かい感触が落ちる。
「私たちは、絶対に負けません。こんなところで、私たちの旅が終わるものですか」




