脱出・5
―ああ、聞こえるわ
―私のノーリ……
“それ”には、理解ができなかった。栄養源に過ぎない物体が、何故かくも意味不明な動きをするのかが。
“それ”が今までに喰らってきたものたちは、殊に最近はどれもそうだった。大きな音を出したり、距離を取ろうとしたり、かと思えば、“それ”に損傷を与えるように激しく突進してきたりする。
度し難い。道理に合わない。
“それ”にとって、“それ”以外のすべての存在が、実に異質極まるものばかりだった。
いずれは分子構造を変え、“それ”を構成する一部へとなるだけだというのに。何をしようとも、“それ”がすべてを喰らい尽くすという未来は変わらないというのに。
ただの栄養源が、捕食者の“意”にそぐわぬ行動をとるなど、まったく宇宙の理に反しているではないか。
だから“それ”は、考えた。
“それ”以外のすべてを、理解しようと努めた。
果たして、単なる栄養源どもに、“それ”と同等の意志があるのか否か。
確かめようとしたのだ……
団の城。
麗しの我が家。
永久の象徴。
無限に広がる宇宙を股にかけるその威容が、黒い泥によって穢されている。
不死者の旅路を阻む同位体、その1号。生物として窮極の進化を遂げた結果、全てを欲望のままに喰らう存在となり果てた醜い姿。あれもまた、自分たちと等しく不死であるなどとは、ドスには断じて認めたくない事実であった。
否。恐らくは、全ての団員にとってそうであろう。
「ようもやってくれよったなぁ、“貪食”よ」
城の上空を飛行する炎の精霊の手の上で、ドスは歯ぎしりをしていた。
あのどろどろは、ドスと、そして名も知らぬ若者の魂を侮辱したのみならず、不死人の寄る辺すら奪おうというのだ。もはや許しておく理由など、微塵もありはしない。
「もう、いいのか?」
むっつりと地上をねめつけるドスの隣から、声がかかった。ドスの親友にして、この精霊の主人であるスィスだ。ドスとは反対側の手に乗り、横目でこちらを見つめている。
「大帝との一騎打ちの直後に、“貪食”に喰われかかったのだ。城で休んでいたとて、文句を言う者はおらんぞ」
「なぁぁに、新入りが踏ん張って見せたんじゃ。古参の儂が、一等働かんでどうするよ」
ドスはそちらを見もせずに答えると、両手の指をゴキゴキと鳴らした。すでに焼け爛れていた肌は完全に再生し、傷一つない元の肉体に戻っている。“気”の制御によって新陳代謝を高め、傷を癒したのだ。身体機能は極めて良好、健康そのものである。
それでも、“気”力と体力の消耗を誤魔化すことはできないが。
「我としては、一度城に戻るべきだと思うがな。……その恰好」
「あぁ? 何の問題があるっちゅうんじゃ」
「見苦しいのだ。団の品位を貶められるのは不本意なのでな」
そう言ってスィスが、杖の先でこちらを指示した。
その指摘の通り、現在のドスはその身に何一つまとっていない。完全な素裸である。ゲルム軍から執拗な砲撃を受け、大帝とド付き合い、止めに“貪食”の溶解液プールでひと泳ぎしたのだからしかたがない。いかに団の技術を結集して縫製された特注品であっても、所詮は布切れなのだ。
一応、辛うじて団員の証であるペンダントだけは首にぶら下がっているのだが、ドスの人並み以上の大きさの逸物を隠すには、心元が無さすぎる。全体、跨ぐらまで届かないが。
「この緊急事態に何を言っとる! それに胴着なぞなくとも、儂の実力には何も関係ないわ!」
ドスはぶっきらぼうに言い返すと、腕組みをした。
眼下では、トリー、フィーア、セーミの3人が、城にこびり付いた汚れを拭おうと奮闘している。だが如何せん、効果は薄いようだった。どれだけ切りつけ、叩き潰しても、すぐに新たな泥が押し寄せてくるのだ。フィーアの炎の魔法ならば多少は効果が見込めるが、それでも焼け石に水だ。
“貪食”の恐ろしさとは、世界を飲み込むほどのその体積にある。即ちこの化け物を十全に殺し切るには、世界を砕く程の圧倒的な力が必要だ。不死者だ何だと嘯いたところで、神ならぬ身には不可能である。
あるいは、スィスとフィーアが最大限の力を行使すれば、この一帯を綺麗に消し炭にすることもできるだろう。しかしそれではそもそも、城の耐久力がもたない。
ピャーチもまだ防衛機構を復旧できていないようだし、この環状の世界を脱出するためには、ドスも参戦して時間を稼ぐ他にないのだ。
「では、どうする。こうして空を飛び回ってばかりで、戦闘は女どもに任せきりではないか」
「黙っとれぃ。今、探しとるところじゃ」
「何をだ。またぞろ忘れ物でもしたのか?」
胡乱気な目つきで、スィスが杖を持っているのとは反対側の手を持ち上げた。そこにあるのは、七色に輝く円盤を設えた冠だ。ドスが“貪食”の体液の中から探し出した、大切な戦利品である。
「違うわ! 有効な一手を打つ機会をじゃ! それとその冠、決して捨てるでないぞ!」
「分かったから早くしろ。わざわざお前を運ぶために戦闘から離れているのだからな」
「ちっ……」
スィスの言う通り、炎の力を司る精霊ならば、フィーアと組んで城の周囲の粘体を完全に駆逐しきれるだろう。実際、前回この同位体1号と対峙した際には、その戦術は非常に有効だった。
だが今回は、それだけでは駄目なのだ。明らかに今の“貪食”は、只の下等生物としての域を越えつつある。あるいは、すでに大きく越えている……!
「むっ!」
ふとドスは、地上を流れる“気”に変化が生じたのを感じとった。ただ漫然と散らばっていた、禍々しい無数の“気”配。それらが、一点に集中していくのが分かる。
眼を凝らすと、おりしもその兆候を感じ取った位置。城を取り囲む汚泥の一画が、まるでこぶのように盛り上がっていくところであった。
「あれじゃ。あの真上まで頼む」
ドスが腕組みを解き、下を指さした。
それに対して不機嫌そうに唸るスィスだったが、即座に精霊に命じて移動をしてくれた。そして老人もまた、“貪食”の変化を認めて眼を細める。
「やつは……何をするつもりなのだ?」
「分からん。だが恐らくは、この膠着状態を覆さんとする、策なのじゃろうて」
「策と言ったか? この下等生物が、策を弄すると? 世迷いごとを」
スィスが不快感も露に言う。
恐らく団の中でも、あの同位体1号を最も嫌悪しているのはこの老人だ。彼には団に招かれる以前、己の興味と欲求の赴くままに世界の全てを玩具としていたという、暗い過去がある。そんな独りよがりで一本調子な生き方の行き着く未来の1つが、この醜く泡立つ黒い泥となれば、不快感で押しつぶされそうになるのは間違いない。
その心中は察するに余りあるが、この状況で感情に支配されて脅威を見誤るなど、やはりスィスらしくない有様であった。
ドスは少しだけ声音を落とし、諭すように言った。
「応とも。奴は間違いなく、策を弄する程の知性をもっておる。そうでもなければ、わざわざ人の姿をとりはせんだろう」
「信じ難い話だな。あれは単に、この世界の住人の姿を真似ただけにほかならん。トンネルの中の反響と同じで、その意味を理解などしてはおるまい」
「ならば奴は、次に何を真似ると思うね?」
その問いかけに、スィスが押し黙る。
確かにあの薄汚い“貪食”は、未だに食欲という本能的な動機に基づく行動をとっているらしい。それは間違いないだろう。だが果たしてそれは、奴に知性がないということの証明になるのだろうか。
文明そのものに完璧に擬態し、団の戦力を分散して各個撃破するかの如く振舞って見せる。そんなことが、下等生物にできるのだろうか。
それら一連の行動が、人間の様な意志から来るものなのか、あるいは高次化した反射の一環に過ぎないのか。
その答えは、すぐに分かるだろう。
「兎に角、儂は行くぞ」
そう言ってドスは、精霊の指先に足をかけた。眼下で盛り上がる粘体は、今や小さな山のような大きさにまで膨れている。それに伴い、“貪食”の気の密度も高まっているのだ。
狙うなら、今、ここしかない!
「……ふん、よかろう。心置きなく死んで来い」
「抜かせ! こやつにくれてやるほど、儂の命は安くないわい!」
ドスは威勢よく叫ぶと、宙に躍り出た。途端に身体が重力の、否、遠心力による疑似重力の虜となり、作り物の大地に引き寄せられていく。自由落下だ。内臓がくすぐられるような奇妙な感覚に、全身にびゅうびゅうと強い風がぶち当たる感触が、全身を襲う。
地上までは、おおよそ十数秒といったところだろうか。ドスは大きく右手を振り上げた。まるで、腕を1本の刀剣のように見立て、“気”を込める。
「かぁぁぁぁっ……」
後のことは考えない。“貪食”の気が集中する一点と、この右手を結ぶことだけに、全意識を傾ける。
連戦によって疲弊した身体の中に残った、最後の力をすべてつぎ込んだ渾身の一打。否、一太刀だ。
ずずずっ……
粘体が盛り上がる速度が増した。どうやら向こうも、こちらの接近に気づいたらしい。山頂部分に無数の突起が生じ、それが枝葉の様になって、勢いよく伸び始める。触手の群れだ。
―まだじゃ。まだ、もう少し……
あの強大な“気”の塊を断ち切るには、今しばらく呼吸を整えねばならない。
悔しいことに、“貪食”に対して生半な攻撃が通じないというのは、ドスにとっても当てはまることなのだ。どれだけ殴っても蹴っても、海の水を引っ掻き回すのと変わりがない。
故に狙うのは、急所。相手の“気”が集中する箇所に同等以上の“気”をぶつけて、粉砕してやるのだ。
動きの出鼻を、最大の力をもって挫く。隙を作るには、これ以外に手段はない。
ぶわわわっ!
無数の触手が、一斉にドスに襲い掛かってきた。独特の軌道を描く鞭のように、音速を遥かにしのぐ速さで振るわれる。1本1本が人の胴回りよりもなお太いという、恐ろしい大きさだ。かすっただけでも、致命傷は免れないだろう。
しかし、何も恐れることはない。
不死者は1人にあらず。
ゆえに団なのだ。
『炎よっ』
『焼き払え!』
胸元のペンダントから、鋭い声が上がった。それと同時に、触手の群れに向かって火炎の渦が放たれる。フィーアの魔法と、スィスの使役する炎の精霊による援護だ。行く手を遮るように展開していた触手たちが瞬く間に灰燼に帰し、標的の姿が再び露になる。
“貪食”の方も止まらない。
焦熱の奔流が消え去るや否や、新たな触手を生やして迎撃の姿勢を見せる。どうやら完全に、こちらの狙いを読んでいるらしい。性懲りも無く、宙にあるドスを叩き落とそうと身体を伸ばしてくる。
そしてその分、地上への注意は散漫になったようだ。
『……甘いっ!』
『邪魔はさせませんわっ!』
またもや、ドスに迫っていた触手たちが次々と倒れていった。
トリーとセーミが、触手の上を跳ね回りながらそれぞれの得物を叩きつけたのだ。目を貫かれ、叩き潰され、のたうち回る触手たち。やはり、いずれの攻撃も“貪食”に対する決定打とはなっていない。
だが、有効ではあった。粘体の中から感じ取れる“気”に、わずかながらも乱れが生じているのが感じられたからだ。
―これならば、届く!
そう、ドスが確信した時だった。
またもや、地上で盛り上がる粘体に、変化が生じたのだ。
ぶるりっ!
粘体の表面が激しく震え、まるで“立ち上がる”かのように隆起した。
その際の凄まじい衝撃に耐え切れず、2人の少女がはじき落とされる。
『きゃぁっ!』
『むっ……』
足場を失い、地上の泥に向かって落下するトリーとセーミ。慌てて急降下をしたフィーアが、寸でのところで2人の腕を掴んで事なきを得る。
ほっと息をつく暇はない。
“貪食”が動揺から立ち直り、より一層“気”を強めて、こちらに敵意を向けてきているのだ。
しかし、今さっきのように、無分別に攻撃を仕掛けてくる様子はない。
こちらの手の内を見透かしたうえで、何かもっと別の対抗手段を用意しているのか。
―ええぃ、ままよっ!!
もうここまできて、後戻りはできない。後は野となれ山となれだ。
永い人生の終着が“貪食”の胃袋の中というのは面白くない話だが、素晴らしい友人たちとともに闘い、死力を尽くした結果ならば、受け入れるにやぶさかではない。
覚悟を決めたドスは、からっけつになるまで振り絞った“気”を右手に乗せ、絶叫した。
「つ え ぇ ぇ ぇ ー ー ー い っ ! ! 」
瞬間。
裂帛の気合とともに振り下ろされた手刀が、大気を切り裂いた。
泥の表面が、まるで聖人が引き起こした奇跡のように真っ二つに割れ、それでもなお勢いは止まらずに、大地が揺さぶられる。
もしもこの時、人工の世界を外から観測している者がいたならば、謎の衝撃によってリングの回転軸に歪みが生じ、緊急用ブースターの働きによって軌道修正が為されている様子を目撃しただろう。
そしてそれが外部からの要因、すなわち他天体などの衝突によって引き起こされたのではないことを認め、首を傾げたに違いない。
それ程に、ドスという1人の漢が引き起こした現象は、常軌を逸していた。
だが。
そんな、武人の魂の籠った渾身の手刀は。
“巨大な黒い手”によって、がっしりと受け止められていた。
―大分困っているようね
―そろそろ、目覚めの時だわ……




