脱出・4
―分からない、理解できない
―これらは、一体何をしているのだ?
ナインが軍人として生きる上で習得してきた殺人術によれば、人体には無数の急所が存在している。
こめかみ。
喉。
頸椎。
心臓。
脳髄
金的。
眼。
いずれも生命・運動機能を維持するために必須の器官や、神経の集中する重要な部位だ。
対人戦闘においてそれらの弱点を突くということは、対峙する脅威を速やかに排除し、ひいては自身や仲間の命を守る手段として非常に有効である。
しかしそれはあくまでも、“人間”やそれに近しい生物にのみ当てはまる概念でしかない。
恒星を取り囲む超構造体すら飲み込むような超々巨大な化け物に、果たして急所といえるような部位が存在するのか。
全体、それを人間如きの矮小な力で突くことができるのか。
実に分の悪い賭けであったが、しかし“ご加護”は実在したらしい。
効果はてきめんであった。
ぎ ぃ あ あ あ ぁ ぁ ぁ っ ! ! !
捕らわれたナインの、窮鼠の如き一噛み。その効果は絶大であった。
触手の束が悲鳴を上げ、ナインを締め上げたまま会議室の中をのたうち回りだしたのだ。
壁に大きなヒビをこさえ、円卓を叩き割り、朝食の残りを床にぶちまける。それに巻き込まれる形となったナインは、あたかもカクテルシェイカーの中でかき混ぜられる氷のように、とんでもない速度で部屋中を振り回されることとなった。
「ぬぉぉあっ……」
皮肉にも、分厚い触手がクッションになってくれてはいたが、それでも許容できる衝撃には限度があった。
すぐさま全身のあちこちが骨折し、内出血が引き起こされる。揺さぶられる胃袋が中身をひっくり返そうとするが、上下左右を目まぐるしく入れ替える遠心力のせいで、すぐに引っ込んでしまう有様だ。
おまけにこの触手は、酷い痛みを感じたためか、分泌する溶解液の量を増やしたらしい。叩きつけられる感触に混じって、肌が強く焼かれていくのが分かる。このままでは、角が取れて丸みを帯びるどころでは済まされないだろう。
しかし、幸か不幸か。
本来ナインを捕食するためのそれは、この状況にあってはまるで反対の結果を導くこととなった。大量の粘液が、ナインを包み込む潤滑剤として働いたのである。
ずぽんっ
触手の束が一際大きくのたくった拍子に、ナインの身体が、まるで1本の矢のように解き放たれた。そしてそのまま、タムを抱きかかえて縮こまっていたノーリのすぐそばの壁へと、勢いよく激突する。
ずがんっ!
「ぶごふっ!」
頭から突き刺ささる形となったナインは、衝撃によって閉じられた口から、呻きとも嗚咽ともとれない声を漏らした。頭蓋骨が陥没したような激痛を覚え、自由になった両手で頭を抱える。
「ナイン、ぶ、無事ですか?」
「ぐぉぉぉ……どうにかなぁ……」
恐る恐る声をかけてきたノーリに対し、ナインは後頭部を抑えながら答えた。そして、機能を停止しつつある平衡感覚に鞭打ち、どうにかして立ち上がる。
果たしてこの眩暈は、触手に振り回されたことによる三半規管の狂いが原因か。それとも、脳に著しい損傷を受けたためか。
―どっちにしろ、やるしかねぇ……
ナインは、未だ苦し気にのたうつ触手を正面に見据えながら、粘液に塗れたフォークを握りなおした。まだ眼玉を一つ潰してやっただけだ、追撃に備えねばならない。血の泡を吹きながら、ゆっくりと身構える。
腰と肋骨の数か所にヒビが入り、首から下の肌は、ほとんどが溶解液によって焼けただれている。振り回された時にひねったのか、首も痛くて仕方がない。満身創痍だ。
だがそれでも、まだナインは生きている。
だから、為すべきことを為さねばならない。
悲壮な思いで、触手に向かってフォークを突き出す。
しかし。
ナインの覚悟を余所に、触手の束がそれ以上襲い掛かってくる様子はなかった。それどころか、ずるずると窓の外へと引っこんでいくではないか。完全に、戦意を喪失してしまったようだ。
「や、やったのか?」
「どうやら、そのようですね」
触手が退散したのを確認し、ナインとノーリがそろって安堵のため息をついた。ほとんど破れかぶれの手だったが、予想外に上手くいったようだ。
その呆気なさに少々拍子抜けしたナインだったが、やがて引きつった笑みを浮かべると、感極まったように雄たけびを上げた。
「どうだぁ、オラッ! この化け物ヤローがっ!」
当初の、潰される寸前にまで膨らませていた恐怖は何処へやら。まるでスラムのチンピラのように、両手の指を卑猥な形に折り曲げて挑発をするナイン。
背後で少女が眉をひそめるのにも構わない。想像を絶する脅威を撃退してのけたという事実と、ノーリを守り通せたという自負が、ナインの脳を熱くする。
―やれた! “今度こそ”、俺は……!
そこでナインは、ふと気が付いた。
動作不良を起こしたので胸元に突っ込んでおいた、大切な熱線拳銃。まさかあのタコ足野郎に掴まれた時に、壊れてはいないだろうか。
途端に冷や水をぶっかけられたような思いになり、ボロボロになったスーツの上着に手をかける。
胸元のペンダントが喚き出したのは、まさにその時であった。
『いよぅ、ナイン! 根性見せたのぉ!』
「うぉっ!?」
そのドスからの通信と同時に、城の軋みがぴたりと止む。そして外から、新たな悲鳴と振動が響いてきた。
屋根の上を、2人の少女が走り回っていた。1人は身の丈を越える杖を抱え、1人は細身の剣を握り、城にとりついた触手の群れに向かって突進していく。
「どりゃあっ!」
「……えいっ」
1人はセーミだ。禍々しく捻じくれた杖を鈍器のように振るい、迫りくる触手を大雑把に吹き飛ばし、叩き潰していく。その人並み外れた膂力と豪快なスウィングは、さながら暴風のようである。
もう1人はトリーだ。触手の間を縫うように移動しながら、浮き出た眼玉の1つ1つに刺突剣を突き立てていく。その尋常ならざる速度と流麗な一撃は、さながら疾風のようである。
なんとも対照的であったが、しかしその実2人は、お互いの死角や隙をカバーし合うように動いていた。
セーミが逃した触手をトリーが後ろから刺し貫き、トリーを捉えようと一斉に襲い掛かる触手の群れをセーミが薙ぎ払う。
雑なようで、熟練した連携。次から次へと押し寄せていく触手たちであったが、少女らには触れることすら叶わない。
傍から見れば一方的な展開であったが、しかし少女らの表情には、明らかな焦りが浮かんでいた。
―……一体、どういうことなの……?
剣を振るいながら、トリーは深く思考していた。戦いの最中に気を散らすなど危険極まりないが、此度の同位体1号、“貪食”の動きには、不明瞭な点が多すぎたのだ。
その本質を見誤っては、取り返しのつかない事態になりかねない。そんな直感にしつこく囁かれ、トリーは眼の前の脅威に今一つ集中できずにいた。
「ピャーチ、まだですの!? 早くしてくださいまし!」
足に巻き付こうとしていた触手の1本を踏み潰しながら、セーミが怒鳴った。すると即座に、城の管理人たる人工知能から返答がなされる。
『申し訳ありません、城の内部にまで侵入されているようでして、そちらの対応に手いっぱいなのです。今しばしお待ちを!』
「そう言われても……ちょっと、大変……」
トリーがそう呟きながら、横なぎに振るわれた触手の一撃を躱す。
他の団員たちよりも一足早く守備についたのはいいが、実のところは、かなりの劣勢だった。城の防衛機構と連携が取れればかなり楽になるのだが、どうやらそうはいかないらしい。
『分かっておりますとも! 取り急ぎ、こいつらを排除してから……アアア……排除ぉ……』
「え? え? どうしたんですの?」
「あ……これは不味い……」
『排除! 排除! 排除! 排除! この失敗作め、今日こそ排除してやるぞぉ!!』
ペンダントの向こうから、怨嗟の声が流れ出した。こうなってしまうと、しばらくまともな会話は成立しない。未だに人の感情を理解できないなどと宣うピャーチではあるが、この同位体1号が絡むと、いつもの様な冷静で論理的な思考ができなくなってしまうらしい。
彼と彼の故郷、“荒廃した世界”との間に浅からぬ因縁が存在するが故なのだろうが、この状況で戦力の1枚が使い物にならないのは非常に厳しい。
「……取り合えず……持ちこたえるしか、ない……」
「が、合点ですわ」
背中合わせに立ちながら、セーミとトリーが顔を歪める。
2人の周囲には、今しがたぶちのめした触手たちが粘体へと姿を変え、再び押し寄せてきていた。
持ちこたえる。
そう。彼女たちには、持ちこたえるより他に手段がなかった。
トリーやセーミらの戦闘力は、団の中でも決して低い方ではない。ただ、この同位体1号が相手となると、壊滅的に相性が良くないのだ。
この超巨大なアメーバの身体は、極めて強靭で柔軟性に富んだ細胞が寄り集まって構成されている。再生や増殖は当然のこと、姿かたちを変形させ、一部を分離させ、再び融合することだってできてしまう。剣で切っても杖で叩いても、その部分のわずかな細胞が傷つくだけで、残った細胞たちが即座に態勢を立て直してしまうのだ。
この“貪食”を相手取るには、物理的な攻撃手段よりも、ピャーチの保有する火炎放射器や熱線砲や、フィーアやスィスが得意とする魔法の方が有効なのである。
早くあの2人が戻ってくるか、あの暴走AIが城内の清掃を終えてこちらに加勢してくれるのを祈るしかない。
ずもももっ
2人を取り囲んでいた粘体が、急に暈を増し始めた。ブクブクと泡立ちながら、丸い堰のようなものを築いていく。どうやら、2人まとめて取り込む積もりらしい。
「冗談じゃぁありませんわよっ!」
慌ててセーミが杖を振り回すが、意味はなかった。泥水を掻きまわしたように、表面に波が立つばかりである。
どうやら“貪食”は、触手の形態を維持するよりも、こうして密度の低い半個体を維持した方が、トリーやセーミに対しては有効であるということに気が付いたようだ。
見る間に黒い堰がドームのように2人を包み込んでいき、天頂に輝く太陽の光を完全に遮断してしまう。
「くっ!」
こうなれば、ペンダントの“瞬間移動”機能を使うしかない。クールタイムの長さを考えれば使用は避けるべきだが、ここに至って出し惜しみをしている場合ではない。
戸惑うセーミの腕を引っ掴むと、トリーは胸元のペンダントを握りしめた。
その時。
「炎よっ!」
力強い叫び声が、ドームの外から響いてきた。直後、闇がひび割れ、砕ける。凄まじい熱風と共に、焼き尽くされ、灰となった“貪食”の一部が吹き飛ばされていく。
「大丈夫だったぁ?」
再び頭上から降り注ぐ陽光を仰いでいると、さっと黒い影が視界をよぎった。大きな蝙蝠の翼をはためかせながら、トリーとセーミの前に降り立ったのは、魔人のフィーアだ。今しがたの火炎は、彼女の魔法によるものだろう。
あわや喰われる寸前というところだったが、助かった。
「んもう、フィーア! 間に合わないかと、冷や冷やしましたわよ!?」
「御免なさいねぇ、タムを安全な場所に運ぶ必要があったからぁ」
セーミに詰め寄られるフィーアだったが、少しも悪びれることなくころころと笑うばかりである。それを見たセーミは、土気色の頬を精一杯に膨らませる。
そんな仲間たちの様子をぼんやりと眺めながら、トリーはまだ考え続けていた。
―……やっぱりこいつには、意志があるの……? 私たちのように……
剣にこびり付いた汚れを振り払いながら、トリーは初めて“貪食”に出会ったときのことを思い出していた。
まだ彼女が、団に招かれてからそれ程の年月が経っていないあるとき。トリー達が立ち寄ったとある世界は、貪食の餌食になりかけていた。
その際の“貪食”の行動理念は、もっと単純だった。ただただ黒い粘体の津波となって周囲を飲み込み、喰らおうとするばかり。
今のように、戦術めいた動きなど、まるきり見せなかったのに。
―……この世界の住人を真似ていたのも、そう。……いったいこいつは……?
―確かめねばならない
―もう一度、触手を動かさねば




