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脱出・3


 べきべき、みしみし


 城全体が激しく軋み、身の毛もよだつような異音を奏でる。

 今や周辺の森はすべて、あの同位体なる化け物としての正体を現しつつあった。真黒く巨大な粘体となって、その身体を何本ものロープのように引き伸ばし、城を包み込んでいるのだ。その何ともねっとりとした外見は、かつて文献で目にしたことのある、“蛸”なる海洋生物とそっくりであった。

 たしかそいつは、強靭な触腕によって甲殻類や貝類の固い殻を引きちぎり、中身を貪ったのだとか。さながら現在のナインらは、喰われるのを待つばかりの柔らかい内臓というところだろう。


―まったく、堪ったもんじゃねぇな……


 揺れる会議室の中、ナインは必死に恐怖に耐えていた。両足に力を込めて膝の笑いを押さえ、奥歯を噛み締め歯の根を止める。飲まれることは許されない。せめて、最後の瞬間までは。

 何せナインのすぐ隣には、命を懸けて守護すべき少女がいるのだ。恐らくは、ナイン以上にあの化け物のことを知るがゆえに、ナイン以上の恐怖に襲われながら。


「ナインっ!」 

 

 未だ目を覚まさないタムを抱きかかえながら、ノーリが大きな窓の方を指さした。

 そちらを見ると、格子ガラスにべったりと張り付く影がある。太い触手のうちの一本だ。ぬらぬらと黒く光る表面に浮かんだ無数の眼球がぎょろぎょろと動き回り、一斉にこちらの方を見つめる。


「ひっ……!」

 

 ノーリがか細い悲鳴を上げるのと、窓が割れるのは、ほぼ同時だった。

 ガラスの破片を飛び散らせながら、気味悪くうねる黒い塊が会議室内へと侵入してくる。ナインは迷わず熱線拳銃レーザー・ガンを照準し、トリガーを引いた。


 びしゅん!


 室内に、閃光と悍ましい悲鳴が走る。

 今しも掴みかからんと迫ってきていた触手が、まるで激痛に苦しんでいるかのように、びちびちと跳ね回る。その表面には、わずかに焼け跡が残っているばかり。完全に切り落としたつもりだったが、威力が足りなかったようだ。


「下がってな、お嬢さん」


 言いながらナインは左手で摘まみをいじり、熱線レーザーの威力を調整した。屋内での使用を考慮していたが、もうそんなことは言っていられない。バッテリーが破裂する危険性を度外視し、最大出力に設定する。


 ずるり。


 痛みから立ち直ったのか、触手が再び鎌首をもたげた。蠢く眼球の群れが、ナインを睨みつけてくる。


「オラっ! どうしたよ、バケモンがっ!」


 ナインは触手に向かって挑発するように叫ぶと、再び熱線拳銃レーザー・ガンを構え直した。そして壁際のノーリから離れるように、会議室の中央に向かって、そろそろと移動する。

 敵意を剥き出しにしてくる化け物の気を引いて、囮になろうとしているのだ。


―そら、こっちに来やがれ……!


 しかしそんなナインの思惑に反し、触手はその先端部分を桃色髪の娘の方へと向けた。


 ノーリの中に何か惹きつけられるような要素を感じたのか、抵抗の姿勢を見せるナインよりも脆弱そうに思えたのか。あるいは、単にタムとノーリが2人で固まっているので、捕食しやすいと判断したのか。


 そんな、化け物の行動原理について思案するなどという無意味なことをしている余裕などある筈も無く。ナインは、触手とノーリの間に身体を滑り込ませた。


 また、触手が伸びてくる。

 最初のときよりずっと速い。

 射撃が、間に合わない……!


 ナインはとっさに、空いている左手を前方へと突き出した。

 間髪入れず、触手がナインの腕に巻き付いてくる。凄まじい力だ。気を抜くと、すぐにでも窓の外へと引きずり出されてしまいそうである。


「ナインっ!?」

「クソがっ!」


 ほとんど反射的に銃口を密着させ、トリガーを引く。

 先ほどの一撃を上回る熱量が、右手の小さな機械から放たれた。


「ぎぃぃぃっ!!」


 千切れ跳んだ黒い塊が床に落ち、わななきながらじたばたとのたうちまわる。どうやら、今度は上手く切断してやることが出来たらしい。しかしまだ動くとは、とんでもない生命力だ。

 ナインは舌打ちをしながら狙いを定めると、未だ絶命しない触手の破片に止めの一撃を放った。瞬時に床に大穴が空き、その上に灰が散らばる。


 今度こそ、仕留めた。だが、安堵している余裕はない。


「ナインっ! まだ来ますよ!」

「分かってる!」


 ノーリの言葉に短く答えると、ナインは素早く熱線拳銃レーザー・ガンを構えなおした。間を置かず、割れた窓から触手が侵入してくる。次は2本。ダブルタップで両方とも消し炭にしてやる。

 次は、1、2、3本。どんどん数が増えていく。

 ナインは歯を剥き出しにしながら、必死にトリガーを引き続けた。


 状況は悪化の一途を辿っている。しかしそれと反比例するように、ナインは、自分の身体から次第に震えが失せていくのを感じていた。


 同位体。

 この環状の世界そのものに擬態していた、恐るべき巨大生物。

 1つの恒星系に等しいキャパシティを有する、超構造体メガ・ストラクチャーをすら飲み込む、非常識なサイズ。

 その規格外さに竦んではいたが、しかしこうして相対してみれば、ナイン如き凡人に毛の生えた程度の男でさえ、傷をこさえてやることが出来ている。


 例え巨人に挑む蟻の一撃だとしても、仲間たちが帰還するまでの間、ノーリを守り通すくらいのことはできる。

 その事実が、ナインの胸中にわずかながらでも光明を生じさせていたのだ。

 

 しかし。

 小さ過ぎる光は、簡単に覆い隠されてしまう。

 降って湧いた希望は、些細なことですぐにでも消え去ってしまうのだ。


 ナインが、9本目の触手を撃ち落としたところだった。

 急に手の中の熱線拳銃レーザー・ガンから、ビープ音が流れ出たのだ。


「嘘だろっ!?」


 その不吉極まる予兆に、ナインの背中からどっと冷や汗が溢れ出した。 

 慌ててトリガーを引くが……反応はない。

 威力を調整し直し、もう一度試してみるが、やはり結果は同じだった。


 どうやら高出力で連射をし続けたため、早々に過負荷オーバーロードを起こしてしまったらしい。最近まともに整備していなかったこともあるのだろうが、何もこんな時に動作不良を起こさなくても良いものを。


「……この、じゃじゃ馬めっ!」

「えぇっ!?」

「お前のことじゃねぇよっ!」


 かつて愛した女の形見を握りしめながら、呪いの言葉を吐くナイン。

 おおかた他の女を守ろうとしているものだから、機嫌をそこねでもしたのだろう。気難しいところは 、元のもち主にそっくりだ。むしろ爆発しなかっただけ上等な結果だと言えるだろう。


 ナインは使い物にならなくなった熱線拳銃レーザー・ガンを懐にねじ込み、周囲を見回した。そして、円卓の上に置きっぱなしになっていた、朝食の跡に眼を止める。


「……ったくよぉ。どこの世の中も大概クソだな」

 

 そう呟くと、ナインは1本のフォークを手に取った。武器になりそうな手ごろなものと言えば、この程度だ。だが、何もないよりは遥かにマシだろう。

 すると、それを見ていたノーリが、悲痛な声を上げた。


「ナインっ、無茶は駄目ですよ!」

「心配すんな。時間を稼ぐだけさ」


 そう言ってナインはフォークを握りしめると、ゆっくりと歩き出した。その向かう先の窓は、黒い塊で完全に埋まっている。

 侵入と同時に次々に焼き払われることに業を煮やしたのか、人海戦術よろしく密度を高めた体当たりを仕掛けてくるつもりなのだろう。

 血走ったいくつもの眼球と眼が合い、ナインは思わず引きつった笑い声を上げた。


 ノーリの言う通り。あんな気色の悪い化け物を相手に白兵戦を挑むなど、無茶も良いところだ。だが団長様直々に、『いざとなれば、身を挺してでも』と命じられているのだ。

 今がまさにその“いざ”となれば、無茶をしない訳にもいかない。


 びきびき、ばりんっ!


 窓枠がひび割れ、砕ける。

 薄汚い粘体の塊が、津波となってナインに向かって襲い掛かってきた。


「ぬぉあああっ!!」


 右手を振り上げるが、鉄砲水の如き勢いで押し寄せる触手の束に、為すすべもなく絡めとられてしまう。それに留まらず、首、腰、足までも。全身を、がんじがらめに拘束されてしまう。


 だが、まだだ。

 まだ、ナインは死んでいない。

 

「ナインっ!?」

「大丈夫だっ」

  

 どうにか答えながら、ナインは懸命に右腕を動かした。フォークの先端を触手の表面に突き刺し、引っ掻いてやる。

 しかし、低出力とは言え熱線レーザーでさえ焼き切れなかった外皮は、それを易々とはじき返した。


「クソがっ……」 


 めげずに同じ個所に何度もフォークを突き立てるが、無駄なことだった。固さと弾力を併せ持つこの触手は、正に鍛え上げられた筋肉の塊のようなものだ。締め付けられれば逃れられず、食器程度では満足に傷をつけることすら叶わない。


―どうすりゃぁ……?


 憤るナインが、まとわりつく触手を睨みつける。

 すると、表面に浮き出た一際大きい眼球が、ナインを見つめ返してきた。そして、こちらの焦りを見透かすかのように、じっとりと締め付ける力を強めてくる。

 

 なんとも性格の悪い奴だ。手こずらせてやったものだから、意趣返しのつもりらしい。


 しかし、そこでナインはふと気が付いた。

 

 眼。

 そう、眼だ。 

 触手の表面そのものは駄目だったが、ひょっとするとこっちなら……?


 そう考えていると、今度は体中から煙と異臭が立ち上ってきた。どうやらこの触手が、溶解液のようなものを分泌しているようだ。ほどなくして、身体中に焼けつくような痛みが走る。

 このままじっくりと、捕食するつもりなのだ。


「つくづく嫌なヤローだぜ……」


 痛みに耐えながら、ナインは必死に右腕を動かした。そしてどうにか、こちらを見つめる眼球に狙いをつける。 

 有効かどうかは分からない。よしんば効果があったとて、とてもこの拘束から逃れることはできないだろう。


 だがそれでも。

 ノーリの護衛ボディガードとして、できることは全部やるべきだ。


「ぬおおおああぁっ!!」 

 

 ナインは絶叫しながら、握りしめたフォークを突き立てた。

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