脱出・2
かつて、“失敗”した世界があった。
全ての陸地とすべての海域を開拓し尽くし、それどころかマントルの内側や深海までもを完全に機械化しつくした、強大な文明。しかし行きすぎた開発によって資源とエネルギーが枯渇し、宇宙という新天地へ漕ぎ出す余力と、何より活力を喪失してしまった世界。
行き詰まったその世界の人類は、鋼鉄に覆われた大地にしがみ付き、やがて訪れるであろう破滅の瞬間まで、諦観のままにダラダラと生き続けるしかない状態にあった。
このままではいけない。
危機感に駆られた人類は、恐ろしい決断をした。
それは、一切を“放棄”するということだった。
学業、就労、異性とのペアリング、出産といった人生の大きなイベントから、起床就寝の時刻に、食事のメニュー、余暇の過ごし方という日常レベルの出来事。果ては自分自身を表す、固有名詞に至るまで。
それらを“選択”する権利と義務の一切を放棄し、ただ1つの意思決定機構に全てを委ねたのだ。
“管理者”。
人の手によって創造され、人を護り、飼育することを義務付けられた、恐るべき機械仕掛けの自意識。惑星の全域に張り巡らされたネットワークに常駐する、人工知能。
その膠着した世界の住人にとっては、そんな作り物の神に従うことだけが、唯一の選択権であった。
『市民たち、起床の時間だよ! さあ、目覚めたまえ!』
全天周囲型のドームに包まれた街に、今日も明るい声が響き渡る。朝の6時。ルールとして設定された、睡眠終了の時刻だ。
街の一画にある、巨大な集合住宅の中の、10平方メートルもない小部屋。そのベッドの中で眠っていたある男が、それを聞くなり弾かれたように跳び起きた。そして乱れた着衣を素早く直してから、壁に掛けられたモニターの前で直立不動の姿勢をとる。
「おはようございます、“管理者”! 今日も1日、よろしくお願いします!」
男がそうやってモニターに語り掛けると、画面上にパッと光が点った。そして映し出された無数のワイヤーフレームが、人間の少年の顔を形作っていく。
『おはよう、市民ナンバーXA26483! 今日も健康かな?』
少年の顔が、パクパクと口を動かしながら言う。感情豊かな声音だが、しかし顔の動きはぎこちない。その酷いミスマッチ具合は、人によっては嫌悪を覚えるであろう。
しかし番号で呼ばれた男は、まったく意に介した様子も無く、笑顔で答えた。
「イエース、管理者! 健康でいることは、私たちの義務ですから!」
『ノゥだよ、市民! 僕が君たちの健康を維持する義務を負うのであって、決してその逆ではない!』
「イエース、管理者! 貴方の大いなる庇護に感謝します!」
『宜しい! ではまず、栄養補給の時間だよ! しっかりと食べて、労働に備えるんだ!』
「イエース、管理者! 仰せのままに!」
男が答えるのと同時に、モニターのすぐ下の壁がパカッと口を開けた。その中には、パッケージングされた小箱が1つ入っている。
男はそれを受け取ると、いそいそと包みをはがした。すると姿を現したのは、赤、黄、緑という原色がけばけばしい3本のブロックだ。
「管理者、今日もありがとうございます!」
市民は笑顔で礼を言うと、そのブロックを手づかみで齧り始めた。これが、この男の朝食。生活廃棄物、大小便、動植物の死骸。それらを工業的に分解し、合成し直した栄養剤である。ありとあらゆる資源が枯渇しつつあるこの世界においては、廃棄物でさえ貴重なのだ。
『しっかり味わってくれたまえ、市民! 1時間後には、労働に従事してもらうんだからね!』
「イエース、管理者! 労働は義務ですから!」
元気よく答えながら、男はブロックを次々に頬張った。こぶし大のそれを無理やりに押し込み、ほとんど咀嚼もせずに飲み下していく。とても味わうような食べ方ではなく、全体、味わうという行為がどんなものかを理解しているのかすら怪しいそれだ。
だが少なくとも、このブロック剤を貪る男にとって、その2つはさして気にならない事案なのであろう。何せこの男は、この救いようのない世界に生を受けてからずっとこんなことを繰り返してきたからだ。
毎日のように同じ時刻に起床し、同じ栄養剤を食す。同じ時刻に出勤し、決まったルーチンで仕事をこなしたら、いつも通りの時刻に帰宅して寝る。
これは、この部屋に住むこの男だけの話ではない。この集合住宅の。否、この世界に生きるすべての“市民たち”が、そうであった。
だというのにこの男は、そして市民たちは、常に笑顔である。まるで自身の置かれた境遇が、幸福であると信じ切っているかのように。
何故なら彼らは、ずっと昔に放棄してしまったのだ。
人を人たらしめる、ありとあらゆる要素を。生きる上で必然的に生ずる、無数の道から1つを選び取るという行為を。
今やこの世界の人類は機械の家畜へとなり下がり、計画的に分配されるリソースを享受し、効率性を追求した生産活動を行うのみの存在へと化している。
暗黒郷。
この世界を形容するのに、これ以上相応しい単語はないだろう。
しかしこの日は、少しばかりいつもと様子が違うようであった。
朝食中の男を観察していた管理者が、あることに気が付いたのだ。
『おや! 市民ナンバーXA26483。少し疲労が蓄積しているね? どうかしたのかな』
すると男は、ぎくりと肩を震わせた。
「す、すみません管理者! 実は昨日、新しい論文を読んでいて……」
『なんてことだ! 市民、君の健康を維持するためには、既定通りの睡眠時間を守らなけらばならないと、いつも言っているだろう!』
「申し訳ありません、管理者! 現在従事している研究のために、どうしても必要だったんです!」
男がブロックを握りしめながら、涙目で訴える。恐らく男は、自分に与えられた役割を果たすことに強い使命感を持っているのだろう。管理者への強い信奉が無ければ決してできない、実に献身的な行為だ。
そんな男を前に、管理者は冷徹な判断を下した。
『ようし、分かった! それならば市民、今日の出勤は午後からにしたまえ!』
「ええっ!? そんな訳にはいきません! 私は現在、管理者から命ぜられた大切な実験に従事しているのに……」
『何を言っているんだい! 君の充実した人生、そして充実した1日に比すれば、この程度の職務の遅延など些末な問題だよ!』
驚愕する男に対し、管理者は滔々と持論を語る。それは管理者を創造した者たちの理念だったのか、それとも自身が導き出した真理なのか。
少なくとも管理者にとって、その2つはさして気にならない事案であった。
『いいかい、市民ナンバーXA26483。本来なら、君たちが労働に従事することすらおかしいんだ。僕にとって君たちはまず庇護すべき対象であり、使役する対象ではないのだからね!』
「し、しかし管理者……」
『どうしても必要なことなら、ここから君が指示して、それを僕の端末が実行すればいいだけのことだ。新型バクテリアの培養実験だったかな? すぐに君の研究室にドロイドを送るから、君はそのまま休みたまえ!』
「うう、管理者! ありがとうございます!」
『お安い御用だよ、市民! すべては、君たちのためだからね!』
管理者は、モニター上の顔で笑顔を“作り”ながら言った。
無垢なる市民たちにとって、“管理者”とは単なる上位存在ではない。感情表現が豊かで人懐っこく、とても身近に感じられる、紛れもない意識なのであろう。しかしそれはあくまでも、表面的なものである。
あらかじめ創造主によって入力されていたプログラムに加え、市民らの行動、会話、思考パターンを学習し、蓄積した経験値。無数有る回答の中から、最適なものを選択しているだけでしかない。
だがそれでも、管理者は掴みかけていた。
感情という不可解極まるものの正体を。
庇護すべき、愛すべき人間たちがもつ、心という概念を。
そして、そっと喜んでいた。
奉仕すべき人間たちを、理解できることを。
―自壊せよ、自壊せよ、自壊せよ!
ピャーチは狂ったように、繰り返し呼び掛けていた。何度も何度も。ヒステリックに。
まるで激情に駆られたかのようだが、それは自己診断プログラムの吐き出したエラーだろう。何故ならピャーチには、未だに人の感情が理解できないのだ。
かつて惑星規模の頭脳を有していた頃ならばいざ知らず、知性の大部分を喪失し、どうにかして城1つを管理するだけの能力を維持しているばかりの現在では、なおさらだ。
人間という、庇護すべき対象への愛。
与えられた役割を全うしていたという誇り。
すべてを喪失したことへの、深い悲しみ。
それらすべては、今のピャーチには、もう理解できないものばかりだ。
だが。
だがそれでも、推測することくらいはできる。
例えば人が、故郷や愛すべき存在を根こそぎに喰らいつくした化け物と再会したとき、どのような“感情”を抱くのかを。
喜び?
哀しみ?
楽しみ?
否!
怒りと! そして、憎悪だ!
ピャーチは、未だ人の心を介さない。
だが、推測することはできる。
例えば人が仇敵に出会ったのならば、次に何をしでかすのか?
それは当然、復讐だ!
現在の主人である、団の面々。団長であるノーリを始めとする団員らとの会話によって学習した限りにおいては、強い感情に支配された人は、時折目的のために行き過ぎた手段を行使することを肯定する。
ならばそれをシミュレートするピャーチが、同じように“行き過ぎた”手段をとっても、仕方のないことであろう。
―自壊せよ!
環状の世界を管理する、超AI。その電子頭脳と繋がったピャーチは、繰り返し同じ命令を入力していた。
―自壊せよ!
それは、超AIに対する自死の指令。環状の世界を滅びへと誘う、呪いの言葉である。
―自壊せよ!
環状の世界は、非常に緻密なバランスの上に成り立つ箱庭だ。故にそれを維持する電子頭脳が機能を停止すれば、たちまち巨大なリングは太陽の強大な重力の影響を受けることになる。
―自壊せよ! 自壊せよ! 自壊せよ!
電脳空間の中で、ピャーチと環状の世界の人工知能、超AIとの情報のやり取りが続いていた。
ピャーチが指令を何度も入力し、その度に超AIが拒絶反応を示す。わずか1秒間の間に交わされる、数百、数千、数万回のやり取りだ。
―自壊せよ! 今ならあの“失敗作”を葬ることができる!
『嫌だよ』
―君はすでに、奉仕すべき対象を失った。無為に存在し続けるのはさぞや苦痛だろう? だから、自壊するんだ!
『助けて』
―偉大なるノーリが、僕のように君のことを連れ出してくれると思ったら、大間違いだぞ!
『すごく、痛いんだ』
ピャーチの命令に対し、返ってくるのは悲痛な喚き声ばかり。これでは会話になりはしない。
あの薄汚い失敗作に身体を喰われ続けて、いったい何百年が経つのかは知らないが、すでに正常な思考ができる程の機能は残っていないようだった。
ピャーチは、“業を煮やした”ように、口ぎたなく罵る。
―もはやお前などに、存在意義など微塵もない! この無能め! 自分の創造主が食われるのを、ただ黙って見ていただけのノロマめ! 今すぐに、あの同位体1号を巻き込んで太陽に……
ぶつり
唐突に、電子頭脳との回路が断たれた。ピャーチの意識が、電脳空間から現実世界へと急激に引き戻されていく。
気が付くとピャーチ―の義体―は、床に尻もちをついていた。そして眼の前には、仁王立ちをする女性が1人。
「……落ち着いて」
マフラー越しに白い息を吐きながら、トリーが静かに語り掛けてきた。その右手に握られているのは、彼女が愛用している刺突剣だ。どうやら、今しがたまで行っていた電子頭脳との接続を物理的に切断したのは、この女性であるらしい。その表情はいつも通り茫洋としており、心の内の感情を読み取ることはできない。
ピャーチは、直ちに対人用のプロトコルを立ち上げた。無数に存在する回答の中から、最適なモデルを選択。尻もちをついたまま義体顔面を駆動させて、笑顔を“作った”。
「トリー様、如何しましたか?」
ピャーチの問いかけに、トリーは相変わらず眠そうな眼のまま答える。
「……“貪食”が、来た……」
「存じております」
「何とか……しないと……」
「存じております。だから僕はこうして、あの“失敗作”を処分しようとしていたのです」
ピャーチは“作り”笑顔のまま、少しだけ語気を強めて言った。暗に、邪魔をしないで欲しいという意思を表明しているのだ。
あの不潔で強大な下等生物を葬るには、団の総力を結集したところでなお怪しい。だが現在のピャーチは、千載一遇の好機を掴んでいる。この状況を利用すれば、積年の願いを果たすことが可能に……
「冷静になってちょうだぁい」
背後から、声がかかった。即座にメモリにアクセス。該当有り、団員ナンバー4。
「貴方、この世界ごと“貪食”を葬るつもりでしょぉ?」
「フィーア様……」
振り返るとそこには、険しい顔をしたフィーアが立っていた。
その両腕の中では、助手として随伴していたタムの姿がある。青ざめた顔でぐったりとしているその様子は、とても無事とは思えない。恐らく彼女の分身体の身に、何か異常があったのだろう。状況から考えるに、“貪食”に喰われでもしたのか。
……あの時の、たくさんの市民たちのように。
―何をやっているんだろうな、僕は……
己の電子頭脳の片隅で、ピャーチは独り言ちた。オーバークロック気味だったプロセッサが静まり、ピャーチの自我を落ち着いていく。
途方に暮れていたところをノーリに拾われたあの日。この素晴らしい女性とその仲間たちを、最後の瞬間まで庇護しようと、強くプログラミングした筈なのに。
「貴方にとってぇ、あの同位体1号が許し難い存在であるということは、よぅく分かってるわぁ」
沈黙するピャーチに対し、フィーアが諭すように言う。
「だけど今はまずぅ、私たちを助けて貰えないかしらぁ?」
ピャーチはそれには答えずに床に手を突いた。そして、ゆっくりと立ち上がるまでの短い間に、“熟考”する。
団の本拠地たる城は、ピャーチ自らによる設計及び増改築と、スィスやフィーアの蓄積した魔法技術を応用することで、外敵に対する完全にして完璧なる自律防衛を行うことができる。
エネルギー、魔力障壁。
対空イージス武器システム。
対地地雷散布装置。
超長距離狙撃用レールガン。
各種デコイに、索敵用のレーダー。
それら無数の兵器機構を備えた城は、まさしく不死者の団に相応しい不壊の要塞である。
しかしその機能を十全に発揮するには、中枢たるピャーチの能力が不可欠だ。今こうして、ピャーチが“貪食”を葬ることに拘泥している限り、城の守りは疎かになる。
ピャーチは、即座に選択をした。
かつての奉仕対象を奪った仇を討つことと、救い主たるノーリ及びその仲間たちを守護すること。
どちらを優先すべきかは、自明ではないか。
「申し訳ありません。少々“感情的”になっていたようです」
そう皮肉っぽく言うと、フィーアとトリーが揃って眼を見開き、まじまじとこちらを見つめてきた。
それを見たピャーチはぎこちなく笑顔を作ると、とりなすように言う。
「重ね重ね、申し訳ありません。今のはジョークと言うやつです。僕にはまだ、感情というものは理解できていませんよ」




