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環状の世界・6


 静まり返っていた森が、再び騒めき出した。

 枝葉や草花が揺れ、その度に黒い染みのような影が浮き出てくる。生命の息吹とは真逆のそれらは、重苦しい殺意と敵意を放ちながらナインたちを取り囲んでいく。

 まるでこの森が1つの巨大な生き物となって、ナインたちを飲み込もうとしているかのようだ。


―実際、猛獣の口の中に入り込んだのと同じだな……


 刺す様な視線を全身に浴びながら、それでもナインは冷静に状況の分析を開始した。

 

 こちらに声をかけて来た相手。あえて表現すれば、“敵”の正体は不明だ。それどころか、正確な人数も、装備も計り知れない。唯一はっきりとしているのは、彼らが非常に危険な存在だということだ。

 ノーリにじゃれつかれていたというのがあったにしても、ナインは周囲への警戒を怠ってはいなかった。それをかいくぐり、ここまで見事にこちらを包囲していることから、彼らが相当な手練れであることは間違いない。


 さらに悪いことに、向こうは出鼻から敵対的である。その明確な理由は不明だが、ヒントになりそうなのは『聖域』というキーワードだ。それを取っ掛かりに彼らの真意を確かめ、可能ならば戦闘を回避せねばならない。

 唯一の幸運は、使用言語が共通しているという点だ。有り得ない出来事ではあるが、これを突破口にしない手はない。向こうからコミュニケーションを求めてきもいることだし、どうにかして上手くこの状況を切り抜けねば、ノーリはおろか団員のことごとくが危険だ。


 恐らく他の団員らも、同じ考えだろう。そう思いながらナインは、ちらりと背後を見やる。


「おやおや、不味いことになったようじゃなぁ」

「……どうしよ……ぴーんち」

「緊張感ねぇな、オイ!?」


 腕組みをしたまま薄ら笑いを浮かべるドスと、無表情のままわざとらしく頭を抱えたポーズをとるトリー。この状況を愉しんでいるかのような2人に、ナインは思わず怒鳴り声を上げた。

 実に余裕たっぷりの態度だ。この反応を見るに、どうやら彼らは敵集団の接近を感知していたらしい。あるいは、この致命的な局面を切り抜ける自信があるのだろう。実に頼りがいのあることだが、しかしこちらには非戦闘員がいることを覚えているのだろうか。


 ナインは舌打ちをしながら、続けて背後に佇む足手まとい筆頭のノーリの方を見やる。

 こちらもこちらで、状況にそぐわない無表情のままだ。この落ち着きようが、数多の世界を渡り歩いてきたことで得た経験値によるものならば良いが、彼女の場合はいわゆる“天然”の要素によるところが大きいように思われてならない。


 つまりここに至り、この桃色のお嬢様は、自身が置かれた状況を理解できていない恐れが……


『重ねて問う。汝らは、何者か』


 こちらが返答をしないことに焦れたのか、影が再び問いかけてきた。それに呼応するように、波打つような敵意が断続的に降り注いでくる。

 見事な風景に心奪われるのも束の間。野生動物の襲撃を受けたと思えば、知性を有する存在との初接触ファースト・コンタクトがこれとは、まったく散々な異世界旅行もあったものだ。


―さて、どうしたもんかな

 

 一同の先頭に立つナインは、如何に返答したものかと思案した。

 ここでどのような対応をするかで“敵”は、そして“敵”の属する組織は、こちらへの認識を決定する。

 故に下手なことは言えない。しかし沈黙を貫いたところで、しびれを切らした連中が襲い掛かってくることは容易に想像がつく。


「では、私がお答えしましょう」


 逡巡するナインを余所に、背後から声が上がった。誰のものかは言うまでもない。


「ちょ、おまっ、何のつもりだ!?」

「何って、質問されているのですから答えるんでしょうが」

「いや、そうだろうがな。お前でなくてもいいだろ!?」

「問題ありません。私は団長なのですから、皆さんを代表して対話するのは当たり前でしょう」

「まったくもって仰る通りですがね。一抹の不安ってもんがあるんですよ、こっちにも!」


 実際は一抹どころではない。と、すまし顔のノーリを見ながら、ナインはそっと独り言ちる。

 ナインとて、交渉事が得意という訳では無い。むしろ、それが拗れた際に腕っぷしを披露することばかりをやっていたような立場だ。

 だがそれでも、この娘の暴走っぷりを普段から眼にしていれば、彼女にこの場の全員の命運を託すという行為が、爆薬満載の輸送車で敵陣に突撃するより危険に思えてならないのだ。


「ちょっと五月蠅いですわよ、ナイン」

「そうよぉ。ノーリちゃんのお話を聞きなさぁい」

「少しは落ち着け。団としての品位を損なうぞ」

「……どうやら危機感もねぇようだな」


 他の団員らも、ナインを援護するどころか封殺する始末である。もはやここまでのようだ。

 ナインが諦念に至る中、ノーリが大きく息を吸い込み、口上を述べた。

 

「私たちは旅人です! どうやら貴方がたの大切な土地に踏み込んでしまったようですが、それについては謝罪いたします! つきましては、何方か代表者とお話をしたいのですが!?」

 

 力の籠った叫びが、森中を駆け抜けた。その瞬間、騒めきがぴたりと止む。

 また周囲一帯が沈黙に包まれ、それと同時に重苦しい空気が雲散霧消していくのをはっきりと感じ取れた。


―ああ、よかった。どうやら事なきを得たようだな


 意外な展開ではあったが、ナインは取り合えず胸をなでおろした。

 

 こちらの非を明言することになったが、ノーリのその真摯さが逆に功を奏したらしい。ならば続けて心尽くしの謝罪を行えば、良好な関係を構築し直せるかもしれない。


 ナインはゆっくりと、熱線拳銃レーザー・ガンの銃口を下げた。

























「ならば、死ね」






 耳元でその囁き声が聞こえた瞬間、ナインの視界が90度近く左に倒れた。

 ごぐん、という重い音が首から響き、同時に指先、手と足首、肘と膝の関節、腰と肩の順に、感覚が失われていく。身体がまったく動かない。


 どうやら背後から頸椎を捻じられてしまったらしい。しかも、かなり中枢神経に近い部分をだ。


 自由のきかない身体が力を失い、地面へと倒れていく中、ナインはようやくそれを理解した。

 脳幹から身体へ垂れさがる脊椎には、手足の運動の他にも、循環器や呼吸器などへ命令を伝えるという重要な役割がある。その首に近い部分である頸椎を絶たれた今、ナインは呼吸機能を損ない、半身不随となってしまった。


 視界の中で、すべてがスローモーションになる。お嬢様が驚愕に眼を見開き、そんな彼女に向かって、黒装束の男が手を伸ばそうとしているのが見えた。

 この下手人は、想像通りにかなりの手練れだったようだ。背後をとられたこともそうだが、急所を狙った一撃は鮮やかの一言しかない。このままでは、お嬢様も即座にナインと同じ運命を辿ることになってしまう。

 死にゆくナインは、もはやそれを眺めていることしかできないであろう。



 しかしそれは。







 ナインが、普通の人間だった場合のことだ。



「ぬおっ!」

「なっ!?」


 ナインは寸でのところで倒れかかった身体を支え、踏み留まった。そして、こちらに背後を晒している影に向かって跳びつくと、両腕を首元に回して、足を相手のそれに絡ませる。

 予想外の逆襲に驚いた影は、それを振り払うこともできずにバランスを崩した。2人は絡み合うようにして、身体を地面に投げ出す。


「やってくれるじゃねぇか、テメェ!」

「ぐ、むむ……」


 お返しとばかりにギチギチと締め上げながら、ナインが吠えた。

 黒装束はもがきながらも、懐からナイフを取り出し、ナインの腕や足を狙って何度も突き刺す。

 だが、ナインは離さない。血塗れになることも厭わず、さらに腕に込める力を強めていく。


 ナインの不死性とは、再生能力の高さによるものだ。首を切り落とされたのならばまだしも、捻られた程度ならば1分とかからずに損傷個所の修復が可能である。

 流石に数秒ではデリケートな神経系の完治しきれず、指先に痺れが残っており、この男の首をへし折ることも、絞め落とすこともできそうにない。だが、拘束し続けることくらいは可能だった。


 ナインは暗殺者を巻き込んで無様に地面を転がりながら、力の限り叫んだ。


「今だ! ノーリ!」

「ええ、分かっていますとも!」


 ナインの意図を汲み取ったノーリが、壮絶な笑みを浮かべた。それを見たナインも、腕に全力を注ぎこみながら口の端を釣り上げる。


―そうだ、速く逃げ……


「かはぁぁぁっ」

「えっ」


 ナインの思惑とは真逆に、ノーリは逃げようとはしなかった。それどころか、大きく深呼吸を繰り返すと、ナインと影のすぐそばにやや内股になって立ち、拳をぎちぎちと握りしめる。

 仰天するナインは、暴れる暗殺者をどうにか押さえつけながら、ノーリに非難の言葉を投げかけた。


「何やってんだ馬鹿、とっとと逃げろ!」

「大丈夫です! 私もそこそこ腕が立ちますから!」

「お、お前……」


 口から泡を飛ばすナインを無視して、拳を下へと向けるノーリ。そのまま、まるで弓を引き絞る様にして身構える。


 そのときナインは、彼女の背後から力の本流の様な何かが立ち上っていくのをはっきり目撃した。まるで彼女の中で圧倒的なエネルギーがみなぎり、小さな身体に納まりきらないそれが勢いよく溢れ出しているかのようだ。


 もはや、何をしようとしているのかは明白である。暗殺者もそれを察したのか、拘束から抜け出ようと一層激しく抵抗した。


『ちょ、まって……』


 ナインは手を離すこともできず、そして暗殺者は逃げ出すことも叶わず、縋る思いで慈悲を乞う。何とも不思議なことに、使用言語と同じく、両者の願いは奇妙な一致を見た。

 異なる世界での、敵同士としての出会い。そんな境遇を越えて、ここに奇跡は発現したのだ。


 だがしかし。


 待てと言われて待つ人間がいるはずもないのは、どこの世界でも常のこと。


「喝っ!」


 強大な“気”の籠った裂帛の掛け声と共に、ノーリが無慈悲にも拳を振り下ろす。 


 絡まり合う男たちに向かって、致命的な一撃が振舞われた。




   ず   ど   が   ん   っ   !



 大地が、木々が、空気が。


 ノーリとナインと、そして暗殺者を中心として、すべてが大きく揺さぶられた。







 

 森が静けさを取り戻すまで、1分とかからなかった。

 スィスが新参者の“善戦ぶり”を評価している間に、親友たるドスを始めとした武闘派たちが、次々と襲い来る暗殺者集団の始末を終えてしまったのだ。


「相手をした感触は、どうだったかな」


 スィスが訊ねると、ドスらがうーんと首を傾げる。


「大したことは無かったなぁ。前の世界の“ぐんけいさつ”とどっこいどっこいかのぅ」

「ちょーっと叩いたら潰れてしまうんですもの。かえって手加減するのが大変でしたわ」


 言いながら、セーミが視線を落とす。

 そこには、倒れ伏す無数の黒装束の姿があった。その数、34名。誰もが苦悶に表情を歪ませ、白目をむき、口から泡を吹いている。昏倒しているのだ。


 実に拍子抜けな結果である。この襲撃者たちにとってこちらは正体不明の存在であり、それを適切に排除しようと考えるならば、最大戦力をぶつけてくる筈だ。こちらを少数と侮ったにしても、この体たらくとは情けないにも程がある。


「ピャーチが、『この世界には間違いなく強大な管理者がいる』って言ってたけどぉ。彼らがそうなのかしらぁ?」 

「その可能性は低いな。この環状の世界たる、超構造体メガ・ストラクチャーを創り上げるだけの技術力を有しているのならば……」

「うん……もっといい装備、持ってる筈……」

 

 トリーが黒装束の身体をまさぐりながら言う。


「携帯食料……遠見鏡……鍵縄……あと目ぼしいのは、ナイフくらい……」


 トリーの手によって地面に並べられていく黒装束の持ち物は、この世界の本質から見れば酷く前時代的な物ばかりだった。文明レベルで言えば、初期段階の発明品である。あえてそうした装備にしているのかもしれないが、だとしたらその理由は何なのか。


「『聖域』とか言ってましたし、何かの宗教か、儀式的なものかもしれませんわね」

「ふむ。新たな調査目標が増えたな」


 スィスが杖の先で黒装束を突きながら呟いた。

 2日目にして一定水準の知性を有する生命体に接触できたというのに、彼らの正体、そしてこの世界の現状について、かえって謎が深まってしまった。

 散々な初邂逅ではあったが、こうして情報源である捕虜を確保できたことだけは、収穫と言えるだろう。彼らから証言を得られれば、今後の団の方針も立てやすくなるというものである。


「しかし、それにしても……のぅ……」

 

 不意にドスが言葉を濁し、仲間たちにチラチラと視線で合図を送った。

 するとそれに気付いた団員らが、そろって複雑な表情を浮かべる。状況確認に検分と、今までずっと無視を決め込んでいたのだが、流石にいたたまれなくなったのだ。

 しかしこのまま捨て置く訳にもいかない。団員らは、ゆっくりと背後を振り返った。


 すると、そこには。



「ナイン!? しっかりしてください、ナイン!!」


 地面にしゃがみ込み、半泣きになる団長殿と。

 重なり合うように倒れたまま、2人そろって気絶しているナインと暗殺者の姿があった。

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