環状の世界・5
―ノーリの奴、機嫌がいいのぉ。どうしたんじゃ
―きっとあれよぉ。女の喜びを知ったのよぉ
―なんと! まさかもうそんな仲に!?
―貴様ら、いい加減に下世話な話は止めろ
この環状の世界に転移してから2日目となった。
つまり、不動の太陽を拝むのは2度目になるということである。
ナインにとって馴染み深い、東から昇って西に沈むそれとは異なり、夜が明けた瞬間にすでに天頂にある太陽というのは、実に奇妙な光景だった。城の背後に佇む巨壁と、遠方に見える湾曲した大地も併せて、既知の常識が通用しない。
―やっぱりここは、異世界なんだなぁ……
空を見上げながら、ナインはその事実を再確認する。
まったく異常な世界だ。しかし逆に言えば、それらの異常性を除けば完璧な環境でもある。“美味い”空気に、美しい風景。人が生活をするのに適した気圧・気温に、その他もろもろ。もはや超広大なリゾート地だ。
では、これ程の完全な世界を創造した知性体とは、果たしてどのような存在なのか。速やかに発見し、接触せねばならない。
それを当面の目標とすることが、今朝方の緊急会議を兼ねた朝食の席にて決定していた。
ナインとしては、得体の知れない、それどころか世界を丸々1つこさえてしまえるような超存在に、不用意に近寄るのは御免被りたいところであった。
異文明同士の接触が闘いの種になるのは、おそらくナインのいた世界だけではないだろうし、まして異世界の住人同士では、価値観から何からがまったく異なる可能性が高い。向こうがこちらを生命体と認識するかどうかすら危ういのだ。
だが、新参者の身分では否とも応とも言えない。ただ団の意向に従う……もとい、引っ張られるだけである。
「しっかしまぁ……。あてもなくぶらぶらするってのは、非効率じゃないかね?」
ナインは森の中を引きずられるようにして歩きながら、ぼそりと呟いた。するとその拍子に前につんのめり、バランスを崩しかける。隣を歩いていた人物が、急に腕を強く引いたからだ。
「いいじゃぁないですか。時間ならたっぷりあるんですから」
ノーリがナインの手を握りしめながら、上機嫌に言った。
「だとしても、だ。団長のお前がわざわざ前線に出てくるもんかね? 指揮官なら偵察は下っ端に任せて、後ろで構えてろよ」
「えー? それじゃぁつまらないでしょうが」
「つまらないって……まあいいや」
屈託のない笑顔で返され、ナインはそれ以上の追及を諦めた。指揮官殿がそうしたいと望むのだ。下っ端のナインには、やはり否も応もない。
ナインは苦笑を返しつつ、ノーリに従って歩き続けた。
2日目の活動内容は、森の調査だった。具体的には、森を越えるルートの確保だ。
団の方針はこの世界の創造主たる知性体に接触することであるが、何処に行けばよいのか目星すらつけられないのが現状である。城の探索機能に限界があるというだけでなく、周囲を背の高い木々で囲まれているため、森の向こうに何があるのかがはっきりとしないのだ。
空の向こうに見える遥か遠方の大地を観察することも不可能ではない。
しかしまず着手すべきは、城周辺の地形の把握である。
それが大まかな会議の結論だった。
それについてはナインも内心で同意していたが、しかし懸念事項がなかったわけでは無い。
団員の半数以上がその調査活動に参加することになったことがそれだ。
ドス、トリー、セーミらの、明らかに武闘派と思える連中はいい。初めて邂逅した際にその実力はおおよそ確認しているし、彼らならば不測の事態にも後れをとることはないだろう。しかし、明らかに非戦闘員と思われるフィーアやスィスまでついてくるのは問題だった。
ただでさえノーリというお荷物を抱えているのに、ドレスにヒールで森の中に入ってくる女に、健脚そうなのにわざわざ宝石のついた杖を持ってくる老人だ。格好については他の団員らも似たり寄ったりではあるが、これでは足手まといになるのは間違いない。
―昨日みたいに“くまさん”にでも出会った日にゃあ、死人がでるかもな
いくら優れた能力をもつ人材がそろった部隊でも、たった数人に足を引っ張られるだけで全滅する危険性がある。戦場でそれを嫌という程に経験してきたナインにとっては、気が気ではなかった。
だからナインは呑気にお手々を繋ぎつつも、忙しなく周囲に警戒の視線を走らせていた。せめて自分が斥候としての仕事を全うすれば、余計なリスクを回避できるかもしれないのだ。
しかしそんなナインの思いなどつゆ知らず、ノーリは足取りも軽くずんずん進んでいく。索敵も何もあったものではない。
「そんなに緊張しないでいいんですよ、ナイン!」
「……お前は油断しすぎなんだよ、まったく」
現状、最もナインの足ならぬ手を引っ張る娘に笑顔で言われ、ナインはぶっきらぼうに言った。すると背後の少し離れたところから、声が掛けられる。
「成程、あれがデートなんですわね」
「応とも。恋仲の男女が手を繋いで歩けば、それはもう立派な“でぇと”じゃ」
「あらあらぁ、妬いちゃうわねぇ」
「ふむ。我の見立ては間違っていたのかな?」
やいのやいのと、はやし立てるような、わざとこちらに聞かせるような会話が引っ切り無しに聞こえてくる。城を出てからずっとこの調子だ。
いい加減に堪らなくなったナインは、振り向き叫んだ。
「うるっせーな、黙ってろよ!」
「ナイン……静かに……仕事でしょ……」
「うぐっ。はい……」
即座にトリーに冷静に諭され、ナインはしかめっ面で正面方向へと注意を戻した。
腕を掴まれ行動の自由を奪われ、背後からは集中砲火が浴びせられる。実にやり難いことこの上ない。こんなことなら斥候など引き受けるのではなかったと、自らの過ちを呪うばかりである。
実は森の探索とそのためのメンバーが選出された際、ナインは自分から先頭に立つことを進言していた。『是非やらせて欲しい、自信がある』と。
団の一員として何らかの実績を示したいという打算は、勿論あった。別に職業差別をするつもりはないが、城の床掃除などナインでなくてもできることだからだ。
何より軍人時代に、ジャングルにおける行軍はしっかりと訓練を受けている。元の世界では終ぞ役に立たなかったが、ここではそうはならない筈だ。
他の団員らはナインの意見に対し、特に反対をしなかった。『任せてみよう』といった具合だ。
もとよりナインなど比較にもならない戦闘能力を有する連中にとっては、誰が前に出ようとさしたる問題はなかったのだろう。だがひょっとしたら彼らの方も、ナインの実力を確かめたかったのかもしれない。
それでも構わないとばかりに、ナインは奮起していた。
しかしここで、問題が発生した。
団長が、『自分も一緒に隣を歩く』という条件を提示したのだ。
斥候として部隊の戦闘をあるくナインの、すぐ隣を、である。当然それについてはナインは強硬に反対したが……残念ながら、援護はしてもらえなかった。
『別にいいんでないの?』といった調子である。
その結果については、最早論じるまでもない。
「ほらほら、ナイン! きれいなお花ですよ!」
「分かった。あんまり急ぐなよ」
「あ! 今度は美味しそうな木の実!」
「分かったから! ちっとは落ち着け!」
こちらの注意が耳に届いているのかいないのか。年相応にはしゃぐノーリは、何かを見つけてはあっちへこっちへと引っ張り回す。彼女が指し示すものが物珍しいのは、ナインにとっても同じだったが、この不用心さにはさっきから何度も肝を冷やしているのだ。
正直言ってやめて欲しいが、しかしこの娘がナインの訴えに素直に従うようなタマではないことは重々承知しているので、もう無駄な抵抗はしない。
まだ包帯のとれないノーリの左手をやんわりと握り返しながら、ナインは問う。
「ところで、どの程度進むつもりだ? かなり早いが」
「勿論、行けるところまでです! どんどん進んじゃいましょう!」
「……賛成しかねるな。拠点から離れすぎると、それだけ帰還するのに時間がかかる。何かあってからじゃあ不味いぞ」
能天気な指揮官殿に対し、ナインは苦言を呈した。
長距離行軍というのは、常に危険と隣り合わせだ。道中で接敵する可能性もあるし、それ以外にも不測の事態で負傷者が出ることもある。輸送機でもあれば話は別だが、これだけ見事な樹木が所せましと生い茂っているようでは、ヘリコプターか垂直離着陸機でもなければ役に立たないだろう。全体、そんなものがあるのならば、最初から徒歩での探索などしない筈だ。
しかしナインの懸念を余所に、ノーリは桃色の癖っ毛を揺らしながらこともなげに言う。
「大丈夫です。もしものときには、瞬間移動で戻れますから!」
「テレポートって……まさか、そんな超技術が!?」
「はい! フィーアが使えます!」
そう言ってノーリが、背後を振り返る。その視線の先には妖艶な美女がいた。今日も今日とて“動く翼”や“角の被り物”のコスプレをしているのは、いっそ感心してしまいそうだ。
「まかせなさぁい。1秒もかからずにひとっ飛びよぉ」
フィーアがそう言って、にっこりとほほ笑む。同時に、流れるように両腕を組み、乳房を持ち上げた。
その自然な動作に思わず見惚れそうになるナインだったが、ノーリに小突かれて我に返ると、慌てて問い返した。
「そんなことが可能なのか? いったいどんな装置で……」
「当然、魔法よぉ。ノーリちゃんみたいに世界の壁は越えられないけどぉ、1つの世界の中くらいなら自由に飛び回れるわぁ」
「……ああ、そう。やっぱり“魔法”なんスね」
あっけらかんと言うフィーアに、ナインは「またそれか……」とばかりに顔をしかめた。
どうやらノーリ以外にも、魔法とやらの使い手がいらしたようだ。その存在を疑うことはもうしないが、しかしそれでも何か、納得しかねる思いが芽生えてしまう。
テレポーテーションとは、いつの時代でも指導者の頭を悩ませていた、兵站という絶対の課題を解決する夢の様な技術だ。離れた二点の空間を繋ぎ合わせるとか、対象を素粒子レベルに分解して目的地で再構築するだとか、様々な理論を書物で読んだ覚えがある。しかし、実用化したものは1つとしてなかった。
―そんなもんがあったら、随分と楽ができただろうなぁ……
実際に輸送任務で死にかけたことを思い出し、ナインはコスプレ女に遠い目を向けた。
魔法というものは、実に便利で万能らしい。目下、ナインの常識を最も力強く否定する理不尽な力だ。
人が多大な犠牲の基に積み上げてきた知性、科学技術。その集大成と言えるのが、つまりはこの環状の世界だ。恐るべき超技術ではあるが、それでも物理法則という宇宙のルールを破ることは決してない。それは昨晩のピャーチやドスの解説からも明らかだ。
然るに魔法というやつは、その障壁をいとも容易く突破してしまう。異なる世界間を渡り、一瞬で離れた土地へと移動する。恐らく手の平から火を噴いたり、雷を落としたりもできるのではなかろうか。
―高度に発達した科学技術は魔法と区別がつかない、だったかな……うん?
半ば投げやりにそんなことを考えていたナインは、突然違和感を覚えた。
森が静かだ。否、静かすぎる。
無風のために木々のざわめきがないというのもあるが、いつの間にか獣たちの息遣いや小鳥のさえずりが止まっている。まるで森の中から、ナインたちを除いた一切が消え去ってしまったかのようだ。
―いや、違うな
肌に張り付くじっとりとした感触から、ナインは“それ”の正体を看破した。散々体験して、慣れ親しんだ感覚だ。
考えるよりも速くノーリの手を振り払い、自由になった右手を懐に突っ込む。そして、ホルスターから熱線拳銃を引き抜いて構える。
「ナイン?」
「静かに」
訝るノーリの肩を空いた左手で掴むと、有無を言わさずに後ろに下がらせた。
背筋に走る怖気が、加速度的に増していくのが分かる。
殺気だ。
どうやらナインたちは、キルゾーンに踏み込んでしまったらしい。
野生動物のような暴力的ではないが、まるで鋭利な刃物のようにはっきりとした敵意を感じる。
いったい相手は何者なのか。まさか、この世界の創造主である知性体……
『問う』
唐突に、声が響き渡った。反響しているためにその源が分からないが、こちらに向かって問いかけられているのは分かる。
『汝らは何者か。何故、聖域に踏み込んだ?』
ざわり、と周囲の木々が波を立てるように一斉に騒めいた。同時に、一同の間を一陣の風が通り抜ける。
「おい、まさかこれは!?」
「ふぇっ?」
ノーリを背後に隠しながら、ナインが叫ぶ。
隠そうともしない強い気配が、周囲から浴びせかけられているのを感じ取ったのだ。
目を向ければ、木の陰や枝葉の隙間からこちらを覗き込む何者かの姿が、いくつもいくつも……
「ナイン、これってもしかして……?」
「ああ、そうだな……」
ようやく事態を飲み込んだのか、ノーリが震えた声で言う。
ナインは冷や汗をかきながら、背中越しに頷いてやった。
「完全に、囲まれてる」




