環状の世界・7
――のぅ、だれか止めてくれんか、あれ
――いつまで続くのかしらぁ……
――せっかくの晩御飯が、台無しですわ……
遥か昔に団が訪れた世界には、『人の舌を押さえておくことなどできない』という諺があった。
人が人へと情報を伝達する行為は防ぐことができない、という意味だ。
どれほど強固な意志で自分を律しても、どれほど訓練を受けていても、人が身の内に秘めたものを完全に隠し通すことは難しい。ほんのわずかなきっかけがあれば、まるで決壊した堤防のようにそれを噴出させてしまう。
殊に、この団に属する専門家たちを前にしては、人のもつ最も原始的な情報媒体たる言葉の紡ぎを止めることなど、およそ不可能である。
魔法による催眠。
話術による人間関係の構築。
光や音の刺激による洗脳。
拷問などという野蛮な手段に頼る必要はない。
その道を知る者にとっては、例え手練れの暗殺者集団が相手であっても、無垢な子どもを菓子で誘惑するかのように、いとも容易く秘密を聞き出してしまう。
彼らの手に掛かれば、相手は自害を図ることすら叶わない。完全に自由意志を剥奪され、都合よくコントロールされるだけの人形へと変えられてしまうのだ。もっとも、仮に自ら命を絶つことができたとしても、墓穴に秘密を持ち逃げすることすら許されないのだが。
「……皆、そろそろよろしいかな?」
夕食後の会議室にて。
空になったティーカップを円卓の上に置き、スィスが周囲によく聞こえる様にと大きめの声で言う。すると、“ほとんど”の団員たちが、待ちかねたとばかりに俯き加減だった顔を向けた。
奇妙なことに、そのいずれもが渋い表情をしているというのに、延期を提案する者がいない。全体、彼らをうんざりとさせている要因とは、会議ではなかったからだ。
「うむ。では、報告会を始める」
“雑音”に負けじと声を張り上げ、スィスが開会を宣言した。
本来、転移してきてから数日で2回目の会議が招集されることは稀なことだが、それこそ数日のうちに現地住民から襲撃を受けるという事態もまた稀なことである。この調子で、逝く先々で不要なトラブルに巻き込まれ、旅路を妨げられては堪らない。むしろそれをこそ望む団員もいるにはいるが、大多数の意見はその真逆なのだ。
未知の環境を快適に踏破しようと思うのならば、まずは情報を共有し、対策を練ることが肝要。
いつも通りに議長役を務めるスィスが、眉間にしわを寄せながら口火を切る。
「ではまず始めに、我らの得た成果についてを報告しよう」
「そうねぇ。ピャーチ、お願ぁい」
『承知しました』
スィスとフィーアからの目配せを受け、ピャーチがチキチキと軋んだ笑みを浮かべながら頷く。
成果というのは勿論のこと。尋問、もといこの世界での新しい友人たちとの“楽しい語らい”で知り得た、耳寄りなお話である。
襲撃を受けた直後、団員らは昏倒する黒装束の男たちと他一名を城へと運び込み、前者の方からこの世界に関する情報を聞き出すことに専念していたのだ。わずか半日という短時間であったが、結果は上々であった。
『供述内容は、そのすべてがほぼ完全に一致していました。その分、深みもありませんでしたが』
言いながらピャーチが、円卓の中央に3次元映像を出力した。例の環の立体投影物が拡大され、内側に張り付く大地の1つが大きく引き伸ばされていく。
『彼らは、この大陸を支配する帝国、“ゲルム”から派遣されてきたようです。任務内容は、僕たちの正体を見極め、場合によっては抹殺すること』
映像の横に、“友人”らの顔写真と大まかな証言内容が羅列されていく。
スィスとフィーアはそれぞれ独自の手段で、総勢34名の黒装束の男たちと“対話”をしていたが、彼らの話す内容にはほとんど違いがなかった。隊長格と思しき男のそれもだ。
「あんなに大勢の殿方のお相手をするなんてぇ、久しぶりだったわぁ」
「まったくだ。この老体にはかなり堪えたぞ」
「……34人全員から聞き出すだなんて、本当にお疲れ様ですわね」
表情に疲労が色濃く浮かんでいるフィーアとスィスに対し、セーミが紅茶の入ったカップを傾けながら、若干呆れ気味に呟く。しかし、否定はしない。同様のことを“セーミのやり方”で為そうとすれば、体力自慢の彼女でも消耗を免れないと分かっているのだ。
「毎度のこととは言え、面倒ですわね」
「仕方ない……情報は……大切……」
「それは分かってますわ。ドスからしっかり教わりましたから」
「うむ。ちなみに遠心力についてはまだのようじゃがのぅ」
「それは勉強中ですわ! 探索が始まる前に完璧に理解して見せます!」
「期待しとるぞ。取り合えず、儂の道場を水浸しにするのはもう勘弁して欲しいのぉ」
土気色のまま頬を膨らませるセーミの頭を隣の席から撫でてやりながら、ドスが言った。
この団は、転移してまず始めの数週間は、世界の情報を集めることに注力する。
人が居るのならば語り掛け、共同体があるのならば潜り込み、文化を、政治を、歴史を、道徳を学ぶのだ。そのためには備蓄を切り崩したり、必要ならば少々“手荒”なことをしたりもする。
そうして大まかな世界の全体像を掴んだところで、やっと本格的な探索に乗り出す訳だ。
ただ、今回のように向こうから情報源が転がり込んでくることもあるが、あの襲撃者たちは同じ組織に属しているようなので、それだけを当てにはしない。
なにせ定命の人間の知り得る情報などは、不死者として永年を生きる者からすれば、ごくわずかなものでしかない。それに、得られた情報がその世界における常識かどうかも分からない。情報源が近しい存在であれば、なおのことだ。
おまけに人の記憶というのは実に曖昧で、都合の悪い部分を改竄したり無かったことにしたりすることなどが、日常的に、しかも無意識的に行われている。一度でも人という媒体を経由してしまったならば、その情報は大なり小なり歪んでしまう。
ゆえに欲しい情報の確度を上げるためには、複数の、それも出所の違う証言や文献を照合する必要があるのだ。気の長い話ではあるが、不死者にとっての時間は無限なので、さしたる問題にはならない。
「それにしてもぉ」
むくれる少女とそれをからかうオッサンを眺めながら、フィーアが水を向ける。
「よっぽどこの森が大切なのかしらねぇ? ほとんど、問答無用ってカンジだったじゃなぁい」
「むぅ、そう言われればそうですわねぇ」
「儂もそう思う。彼奴等が儂等に向けた殺気は、尋常ではなかった」
ドスがセーミを撫でるのを止め、鷹揚に頷いた。
不死となる以前からすでに武術の達人であった彼は、人の放つ“気”配を鋭敏に感じ取ることができる。その強弱は勿論のこと、そこから相手の実力を推し量ることすらできてしまうのだ。
今回の遭遇で彼が只の1人も殺傷していないのは、それに値しない実力のもち主ばかりだったからに他ならない。もし仮に、彼が認めるほどの強者が明確な殺意を向けてきたのならば、ドスは躊躇せずにその命を奪っていただろう。
「この森は、まさに彼奴等にとっての『聖域』。不可侵の地なのじゃろうて。故に儂等を排除しようとした」
「でも……それならなんで……すぐに手を出してこなかったの……?」
「それについてだが、我らを『古の者』ではないかと疑っていたらしい」
「『古の者』? それはいったい何ですの?」
「分からないわぁ。ただ漠然と、すっごく尊くて神聖な存在と考えてるみたい」
「恐らく彼らは、その本質を知らされていないのだろう。現状のように、悪意ある他者に情報を奪われない為にな」
スィスの発言と伴に、投影されている議事録の中に大きく『古の者』という単語が浮かび上がった。そして即座にその下に、『現時点では不明』という但し書きがされる。
「これが宗教的な意味合いでの創造主なのか、あるいは実際にこの環状の世界を創造した知性体を指すのかは分からん。しかし、重要な単語として頭にとどめておいて欲しい」
「“同位体”ということは無いんですの?」
「否定はできないわぁ。でも、肯定もできなぁい」
「つまり、はっきりとは分からんってことかい」
「それで……その帝国には……中枢はあるの?」
『はい。この城の背後の壁から反対側の方角へ、約200キロメートルの位置に、首都が存在しています』
ピャーチが指し示すと、歪なステーキ肉の様な形の大陸の中央、その1点が激しく点滅し始めた。ゲルムの首都の位置だ。そこから大分離れた位置に、“現在位置”と書かれたマーカーがある。
『大陸全土に領地を有しているようですが、国家としての中枢機能はすべてこの首都に集約されています。典型的なピラミッド型社会で、“大帝”を中心として物事が回っているようです』
「まあ、よくある社会構造だな。2日目にして敵対組織が出現し、さらにその弱点まで明らかになった訳だ……」
スィスが大仰な仕草でため息をつく。それを見た団員たちは口々に、『ご愁傷様』と言葉をかけた。
このご老体がドスのようないわゆる武人タイプではなく、個々人の小規模な戦闘で優劣を決することに大した価値を感じていないことは、仲間たちに周知される事実であった。
鍛え上げた肉体を用いて正々堂々と強敵を打ち破る、という行為そのものを侮蔑している訳では無く、スィスが望むのはあくまでも知性と知性のぶつかり合いなのだ。
政治、軍事、経済、どの方面でも構わない。駒に指示を下し、手札を整え、場を制圧して対戦相手を下す。それこそが、スィスが旅を続ける理由なのである。
然るに、現状はどうか。
すでに城の位置は知られているが、こちらも相手側の拠点を捉えつつある。もう少し裏を取ってから一気に乗り込み、帝国の頂点たる“大帝”を下せば、そこでゲームは終了だ。
こちらにはそれを可能とするだけの魔法・科学技術と戦闘力がそろっているというのに、それを知らずに仕掛けて来た大帝殿には、正にご愁傷様以外の言葉をかけようがない。
「これではワンサイドゲームだ。我の出る幕はなさそうだな」
「まぁまぁ。そうやって結論を急ぐものじゃぁないわよぉ」
まだ見ぬ敵の首魁に早々と失望する老人をたしなめつつ、フィーアが苦笑する。
敵。そう、敵だ。
団は不死者の集団として、数多の世界を渡り歩く集団である。その構成員たちはほとんどが何かしらの強大な力を有しているが、それをもって訪れた先の世界を破滅させたり、あるいは支配したりしようなどという目論見はもっていない。
あくまでも異邦人としてその世界を散策し、未知のものに触れ、味わい尽くしたら静かに去る。時に自らの存在証明として、英雄的・伝説的な記録を遺すこともあるが、そんなことは稀有な例だ。
団の古くから続くスタンスは、“可能な限りその地の掟に従う”ことなのである。
だが、“喧嘩を売られた”のならば話は別だ。
団は世界を敵としないが、世界が団を敵とするのならば、もてる全力でお相手をする。それもまた古くから続くスタンスであり、今までに滅ぼした国家やら自治体やらは数知れない。
今回のように、こちらに落ち度があるのかどうかも判断がつかない内から強硬な手段に出られては、団員もその気にならざるを得ないのである。
もっとも、本当に“喧嘩”になるのかどうかは、相手の出方と実力次第ではあるが。
「まあ、ゲルムと一戦を交えるかどうかの判断は、まだせずともよかろう。差し当たっては、その首都で情報を収集することとしたいが……異存はないな?」
咳払いをしたスィスが、会議室をぐるりと見回す。無言でうなずく団員ばかりで、反対意見はなかった。
団の方針がいつもと同じ結論に落ち着いたところで、スィスが早々に閉会を言い渡そうとしたところで、突然フィーアが手を上げた。
「何かな?」
「……」
無言でフィーアが背後を指さす。すると途端に、スィスを始めとした団員らが、会議が始まる前の渋い顔に戻ってしまった。
夕食の間もずっと我慢してきたのだが、それも限界に達しつつある。各々が無視を決め込んで自室に引きこもるという選択肢もあったが、それでは何の解決にもならない。
「まだやっとるのか、あ奴らは?」
「誰か止めてくださいまし。私は嫌ですわ」
「………」
「おい、儂を見るな! 儂だって御免じゃ!」
団員らがうんざりしながら、視線を円卓の一角に向ける。
そこでは、会議が始まるよりずっと以前から、“2人の若人”が火花を散らしていた。
「お前マジでいい加減にしろよなマジで! 終いにゃキレるぞ!」
「だからっ! あの状況では仕方がなかったと何度言えばっ!」
「いくらでも仕方があったろうがよこの暴力女が! わざわざ身を挺して庇ってやった俺に対する仕打ちかあれが!?」
「あの程度の相手なんか私1人でも倒せました! 要らないお節介をして自滅した貴方の落ち度ではないですか!」
「お前マジでキレるぞマジで! この●●●!!」
「何て悪い言葉をっ! 私も怒りますよ! ぶちますよ!?」
「おうおうやってみやがれこの脳筋女が! 今すぐ殺せ! さぁ殺せ!」
先の戦闘で金星を挙げたノーリと、無様にも地に伏したナインが、耳障りな怒号を垂れ流し合う。隣の席同士、今にもとっつかみ合いを始めそうな雰囲気だ。
タムが間に立って必死に仲裁を試みてはいたのだが、食後のデザートを出してもコーヒーを出してもなしのつぶてなので、珍しく困り顔でおろおろとするばかりである。
「お、お二人ともそのあたりで……」
「いーや! いくら姐さんの頼みでも、ここは引けねぇ!」
「それはこっちのセリフです! 大体貴方が、事あるごとに私を子ども扱いするのが悪いんです!」
「どっからどこ見てもガキだろうが! 女のくせに自分の部屋もまともに掃除できないんだからよ!」
「んな! 今それは関係ないことでしょうが! そういうのを“せくはら”って言うんですよ、“せくはら”!!」
「あああっ! このっ!」
口喧嘩の原因は言わずもがな、今朝がたの襲撃を受けた際の不慮の事故だった筈なのだが、もはやその内容は日々のお互いの言動に対しての鬱憤へとシフトしている。どこかの世界に“喧嘩をするほど仲がいい”などという諺もあったが、まだ出会って1月程度だというのに、よくもここまで仲睦まじくなれるものだ。
呆れの視線を送る団員らの誰かが、「子どもが2人……」と呟いた。しかしそれは即座に、ヒートアップしていく2人の若人の声に掻き消されてしまう。
このまま放置しては、朝食の席までずっと罵り合いが続きそうである。そうなれば、生きる愉しみの1つであるタムの食事が不味くなってしまいそうだ。団員らは、げんなりした表情で席を立つと、団長と新入りのもとへと歩み寄っていく。
長い夜になりそうだった。




