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克美の店は、酒場のすぐ向かいにあった。
古い町屋の作りで、それでも倭国の町屋や旅籠と比べるととても綺麗なしつらえだ。
「今はお彼岸で、此岸と彼岸が最も近づく時期。お盆のように地獄の窯の蓋が開いたりはしませんが、雑鬼が混じりやすいので気をつけなければならない時です」
陸波羅の異変とは、放っておけばその雑鬼が現世に溢れるというものらしい。
克美によれば、現世と冥界をつなぐ井戸があり、現在は一方通行。ゆえに一度溢れるとこちらの世界にも影響が出る。
三郎太が自力で戻れないのならば、陸波羅が三郎太を呼び寄せたという事だ。こちらの問題を解決しなければ、恐らく三郎太は元の世界には戻れないとも説明された。
克美の願いを断ることは簡単だったが、戻れないと言われてしまっては、助力をするしかない。
そして、この場に至る。
克美の願いを受けたからと言って、三郎太の方が解決するとは思えない。だが、一晩遅れたぐらいでどうにかなるものでもなし。一晩遅れて、取り返しの付かなくなるような依頼だったとしたら、最初から受けていない。
そんな理由で、克美の提案を受け入れたのだ。
「ただいま、ブルー」
店に入ると、そこで寝そべっている灰色の猫が目に入る。
これが、招き猫とやらか。
「ブルーは、既に夢の中ですね。私、着替えて来ます」
克美が二階に上がると。
「俺は、先に行ってる。『本物の』陰陽師にも準備は必要だからな」
綾瀬もそんな事を言う。
「本物とは?」
尋ねてみると、綾瀬は少し嫌な顔をした。
「もう一人の、俺。俺みたいな、末裔ってだけで修羅場を知らない紛い物じゃない奴だよ。お互いを認識してからは、着替えは預かったけど。他にも色々準備がいるらしいしな」
陸波羅に行けば、そのもう一人の綾瀬に会えるらしい。
それは、頼もしいと思いつつ。三郎太には気掛かりな事がある。
「それだけか? 克美を避けているように思えたが」
克美に惚れていると思うのに、決して名前を呼ばない。着替えた姿を見ようとしない。
「椎奈さんは、武士の情けって知ってるか?」
「無論。その時には介錯つかまつる」
三郎太の言葉は、もちろん本気だ。敵に囚われるぐらいならと、自害した者。任務に失敗して、違約金を払えなかった者もいた。
三郎太の本気が分かったからなのだろう。綾瀬は軽く笑うと「御免こうむる」と告げて片手を挙げた。
その姿が、ゆっくりと消えて行く。
「お待たせ、あら。先輩は?」
それから少しして、克美が降りて来た。白い小袖に緋袴の、巫女装束だ。
長く垂らしていた髪は、後ろで一つにまとめられ、額に天冠を結びつけている。
「綾瀬なら、先に行った」
「だったら、早くしなきゃ怒られるわね。椎奈さん、何か必要なものはありますか? この店で、気になったものがあれば言ってください」
特にない、そう言いかけた。元々、討伐依頼に出向く途中。準備は万端だったので。
だが、店の片隅に立てかけられた弓が気になった。三郎太も使えないわけではないが、そんなに得手とするわけでもない武器だ。しかも、矢もないのに。
「これを、借りて良いか?」
何故か、手にしていた。
「特に、謂れのあるものでもありませんけど。これで良いのですか?」
手に触れて確認してから、克美が尋ねる。
「他には、気になるものはない」
「そうですか。では、行きましょう」
差し出された手を、取る。
ぐらりと、視野が揺れた。
「来たね、三代目」
店とよく似た場所で。(違うのは、雑多に置かれていた骨董品がない事ぐらいか)三郎太達を迎えたのは、灰色の髪、青い目の少年だった。
少年と言っても、そう見えるだけで物怪であることは三郎太にはすぐに分かったが。
「先ほどの、猫か。尾はないようだが」
猫の物怪ならば、尾があり、二つに割れているものをよく見かける。
尾の数が多いほど高位の物怪だが、この猫はその尾を隠せるほどの能力があるようだ。
「いきなり、あんた失礼だね」
少年の青い目が、すうっと細められる。
「ブルー、大人しくして。椎奈さんは、私がお願いして来てもらったんだから」
克美が嗜めると、少年はふんとそっぽを向いた。
「そっちこそ。今日は逃げずに来たね。大丈夫なの? 逃げても良いんだよ。別に」
「逃げない」
そう言って、白川克美はリビングのソファーに腰をかける。
雷鳴が轟き、ガラス窓の外の光景がはっきりと見えた。
そこに照らし出されたのは、無数の鬼の姿だった。




