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二話の舞台は倭国。あるいは日本になります。
秋の長雨に、見渡す光景も沈み込んでいるようだ。
椎奈三郎太。
倭国の退魔士の家計に生まれ、歴代でも力の強い部類に入ると将来を期待されてきた。それは事実だ。否定する気はない。
ただ。三郎太には誰にも言えない秘密があった。徒党を組むこともなく、一人で厳しい家業を続けているのはそのせいだ。
今回の依頼は、かなり厄介だ。退魔士としての技量はもちろん、一人で行動をしていることも三郎太が選ばれた理由のひとつなのだろう。
雨が、菅笠を叩く。仕事着の上から羽織った黒い合羽もすっかり湿ってしまい、重い。
雨はまだまだ、止む気配はなかった。目的地まであと数刻か。休憩をしたいところだが、街道から離れたこんな荒地には茶店ひとつないだろう。
歩き続けているうちに、雨足がひときわ激しくなった。笠は被っているものの、雨で前もよく見えない。
どこか雨宿りできる場所は? 目を凝らして見渡すと、小さな小屋が見えた。
百姓の作業小屋か? かなり朽ちているようだが、少しは凌げるかも知れない。
早足で駆け寄って、壊れかけた扉を開く。
三郎太の目の前に飛び込んで来たのは。
ざわざわとした、ひといきれ。
古い酒樽独特の、芳香。
そして。
若い女性の胸ぐらを掴みあげる、頭頂が禿げ上がった男。
話は少し遡る。
昼時をとうに過ぎた『止まり木亭』は、かなり落ち着いていた。
ホールの給仕をもう一人のホール係に任せて、レミィは大事なおやつタイム。
今日のおやつは、バターがたっぷり入ったホカホカのマフィン。それにクリームをたっぷりつけて頂く、背徳の食べ物。その代わり紅茶には砂糖は入れない、レミィ好みのフレーバーティー。
マフィンを口いっぱいに頬張った、その時。
「オーナー、一大事です!」
唐突に駆け寄って来て、やや声を顰めながらも十分に大きな声で告げたのは、件のホール担当アルバイトのデリラ。
レミィより年下に見える、あどけない顔立ちの少女だ。だが、もちろん酒場で働いているので未成年ではない。
「どうしたの? デラちゃん」
数日前からスタッフが一人減っているが、今のところ補充が必要な程ではない。二階と兼業しているもう一人のアルバイト、ビルドも二階のチェックイン時間まではこっちに来てくれているから、仕事の量としては問題はない。
だが。
「客が、ルーイに難癖つけています」
デリラの言葉に、レミィは「あーあ」と頭を抱えた。
ルーイは、この酒場のバーテンダー。不幸を呼ぶ美青年で、オーナーであるレミィがその貞操の危機を守る為に? バーカウンターから出る事を禁じている。
寝食すら、カウンターの片隅でほそぼそと行っているのか、美形はご飯なんぞ食べないしトイレにも行かないのかは不明だ。
「仕方ないなぁ。エイラの姐さんは出稼ぎ中だし」
名残惜しげにマフィンを置き、ぶつぶつと文句を言いながらバーカウンターへ向かう、レミィ。
客は、酔っ払った小太りの男だ。
頭頂が薄くなっており、少しテカっている。レミィにとって、あまりお近づきにはなりたくないタイプだったりする。
「お客様、従業員に不手際でもございましたでしょうか?」
それでも営業スマイルで声をかけると。
「酌をしろって言っただけだ! それなのに、こいつがひとを小馬鹿にして……この店は従業員に、どういう教育をしてんだ!?」
ここに居ない白川克美の住む日本という国なら、間違いなくセクハラとかアルハラと言われる行為だ。
レミィはため息を押し殺す。
「勿論、お客様には手を触れないよう教育しております。このバーテンダーは不幸を呼びますので」
「ふざけるな、小娘」
客がレミィの心の琴線に触れた。
いや、レミィの琴線は13弦どころかピアノ線なみに多いのだが。
「生憎、わたくしは小娘という名ではありません。ほら、ここに名札がついておりますでしょう?」
そこにはレミィの名と「面倒くさい酒場のオーナー」の文字が。
「オーナー? お前みたいな小娘が?」
がははと、太った体を揺らして男が笑う。レミィの額に、ピキリ青筋が浮かんだ。
「レミィ、ふぁいと」
「オーナー、がんばってください」
ルーイとデリラに励まされて、とりあえず見栄を切る。
「お客さん、人を外見で判断してもらっては困りますね。私は、この店のオーナー。つまり、この店のルールは私が決めてるんだ。ルールに従わないなら、どうぞ、引き取りを」
だが、何の武器も持っていない上に、見た目が普通にかわいい女の子であるレミィが言っても迫力ないことこの上ない。
「客に向かって、その態度か!」
無理ですよと、レミィが密かに思う。やっぱり、用心棒が居ないとこういう時にとても困る。
非常事態だ。助けを呼ぶか。
レミィの右手の親指が、胸のブローチに触れる。
扉が開いたのは、そんな時だった。
「御免」
扉をくぐって来たのは、頭に菅笠を被って、黒い合羽を羽織った──ずぶ濡れの男? 菅笠で顔は見えない。
胸に何らかの印を刻んだ呪具のようなもの。腰には太刀を指しているように、合羽が膨らんでいる。
つかつかとレミィの襟首を掴んだ男に歩み寄り、その手を振り払う。
「女に狼藉を働くのは、感心せぬな」
レミィとしては、拍手喝采したい気分だった。もちろん、ぐっと我慢する。
「なんだ? てめぇは!」
酔っ払いが声を荒げて今度はずぶ濡れの男に掴み掛かろうとすると、鮮やかに体を反転させて男の手を捻りあげた。
これは、と、レミィは思った。
「拾い物かなぁ……」
本音が、ポツリと出た。
「この男、どうする?」
菅笠の男に尋ねられて、レミィは小さく首を振る。
「お代はいいから、とっとと店から追い出してもらえませんか?」
「解った」
男が、酔っ払いをつまみ出す。
「覚えてやがれ」
酔っ払いは常套句を告げ、
「おとといおいで!」
レミィも、やはり常套句で返した。
勧められるままに菅笠と合羽を脱ぎ、渡された手拭いで濡れた身体を拭いていると、今度は暖かい湯の入った足桶が用意された。
ありがたい。柔らかく吸水性の良い上等の手拭い。それに、程よい暖かさの足湯。草鞋を脱いで足を洗う。
「お侍様、お腹は減ってます? お酒は、行ける口?」
握り飯とだし巻き卵、それに緑茶をお盆に乗せた、れみぃと名乗った赤毛の女がそう尋ねる。
「ありがたいが、今は酒は飲まん。仕事があるからな」
ありがたく握り飯とだし巻きを頂き、暖かい茶を飲むと、冷えていた身体もほぐれて来た。
「へーぇ。随分ストイックなんだね。レミィ、言ってやりなよ。ここは酒場だって」
先ほどの男が揉めていたあたりを振り返り、三郎太の背筋が冷えた。
なんだ、これは。
銀色の髪。この店のオーナーの「れみぃ」も赤い髪だし「でりら」も白茶の色の髪をしている。この店に一歩入った時から倭国の常識は通じないと分かっていた。
だが、この男は。
ただならぬ、気配。
とても見目麗しい男子であり、あでやかに笑って見せているが、その圧倒的な陰の気。
冥界の神など会ったことはないが、それに匹敵するであろうと三郎太は思う。
だが、なぜ声をかけられるまでそれに気が付かなかったのか。
「おだまり、ルーイ」
レミィが低い声で名を呼ぶと、男から陰の気が見るみる消えて行った。
この女は。
そして、この店は?
「あの」
追加の握り飯を皿に乗せたデリラが、困ったように空いた茶碗に茶を注ぐ。
「すみません。うちの女主人と、ルーイって遠慮がなくて」
デリラが手づから差し出した茶を受け取って、三郎太は腑に落ちた。
「なるほど」
そう。三郎太は雨の中、雨宿りをするべく朽ちた作業小屋に入った。
差し出された手拭いの柔らかさ、足湯の温かさ、握り飯の美味さに誤魔化される所だった。
「そなたらは、ひとではないのだな」
時間が止まったかと思った。
実際に、止まっていたのかも知れない。振り返ったのは、レミィだけだったから。
「二話目で、そこを突っ込まれるとはね」
意味が分からない。
「二話? なんの話だ?」
レミィは、ごまかすように両手でバツを作る。
「こちらの話ですよ。お侍様は、特別なお力をお持ちなんですね」
「侍ではない。しがない退魔士だ」
「ああ、その首から下げたお札がその証なんですね。お名前は、椎奈三郎太さま?」
レミィには、この札に書かれた小さな文字も読める視力があるらしい。
「女性なのに?」
レミィの声は、ごくごく小さなものだった。三郎太にのみ聞こえるぐらいの。
でも、三郎太の視野が一瞬真っ白になった。
立ち上がり、その細い首に手をかける。
「女に狼藉を働くんですか? 椎奈さま」
言われて、慌てて三郎太が力を抜く。
「だが、わたしの秘密を何故……それに、ここはどこだ? わたしは、どこに迷い込んだ?」




