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9. 野良暗殺者にはお優しく


「先日おっしゃっていた解呪の魔石、あれを下さい」


 アッシュの部屋に入り、扉を後ろ手で閉めるや否や、ロザンナはそう要求した。


「解呪の? そんなもん何に使うんだ」

「いいから早く!」

「全く、これ一つで馬が何頭買えると思ってるんだ……」


 嫌々ながらも、アッシュは机の引き出しから魔石を取り出し、たった今貴重だと言ったのとは裏腹に、雑な手つきでロザンナの方へとひょいと放り投げた。

 ロザンナはその白い魔石をぱしっと受け取ると、すぐに扉を開けて、外へと出た。


「あ、おい! どこへ行くつもりだ!?」

「野暮用ですわ!」


 呼び止めるアッシュを無視して、ロザンナは薄暗い廊下を駆けた。


(時期もシチュエーションも違ったけど、あの人の正体はわかってる。この後どこにいくのかも。だから急がないと……)




 薄暗く、誰もいない学園の廊下を走り、ロザンナは息を切らしながら、学内の礼拝堂へとたどり着いた。

 王立魔法学園は特定の宗教を推奨しているわけではないものの、国教たるアエギス聖教の礼拝堂が設置されている。いくつもの椅子が並んだ先にある、教壇の前に、うずくまる人影があった。


「大丈夫ですか、ルーク様!」


 息を切らして駆け込んだロザンナは、その男子生徒に声をかけた。苦しむ生徒は肩の傷を押さえていて、それはつい先ほどレオンが暗殺者に負わせた傷と全く同じ箇所だった。


「誰だ!」

「しー、静かに……他には誰もいませんわ」


 ロザンナはそっとルークに駆け寄る。ルークと呼ばれた生徒は立ち上がろうと体を動かしたが、痛みのあまりうめき声を上げることしかできなかった。

 深い海のような青髪をした、どこか幼くも見える顔つきのルークは、痛みに顔をしかめ、ロザンナに対する警戒を緩めようとはしなかった。


「傷の処置は?」

「何なんだ……回復薬を使ったが……お前には関係無いだろ」

「まだですわ。これを使います」


 ロザンナは白い魔石を取り出し、ルークに見せた。


「何だそれは? 何なんだお前は。なぜ俺がここにいると知っている?」


 混乱し、狼狽しながら、ルークは痛みに呻き声を上げる。


「何よりもまずは、これを使わせて」

「近づくな、クソ!」


 ルークは強引なロザンナを突き飛ばした。しゃがんで不安定な姿勢だったロザンナは、軽々とバランスを崩して、後ろにころんと転がった。


「信じてください、ルーク・クライン……いいえ、カロン・ステューク」

「なっ!? なぜ本名を知ってやがる?」


 違う名前で呼ばれ、ルークは驚愕する。


「全て知っておりますわ。しかし、事情を話す前にすべきことがある。呪いを解かないとあなたは自由に動けないし、話せないのだから。そうでしょう?」

「クソ……ロザンナ・スピナール……一体何なんだ……さっきも俺の邪魔をしやがって……うぐっ!」


 ルークの首を一周するように彫られていた黒い入れ墨が形を変えて、いくつもの小さな手が生え、螺旋を描きながらルークの首を絞め始めた。ただ見た目上の変化にもかかわらず、ルークは首に手を当てて苦しみ始めた。息ができないようだった。


「今、助けますわ!」


 ロザンナはルークの首元に白い魔石を当てる。

 魔石は白く眩しく輝いて、その光に当たった黒い入れ墨は徐々に薄まり、浄化され、消えていく。


 やがて全ての模様を消し去った時、魔石は音を立てて砕け散った。

 ルークは咳き込んだ後、ようやく呼吸ができるようになった。


「はぁっ……はぁっ……」

「大丈夫ですか?」


 ロザンナは荒い呼吸のルークを落ち着かせるように背中を撫でた。しばらくすると背中の上下も落ち着き、ルークの呼吸は静かにいつも通りの調子に戻っていった。


「俺の呪いを、解いたのか?」

「カエデス帝国でかけられた呪い、ですわね。ええ。魔石を使って、たった今解きました。これであなたは命令に背いても、呪いで苦しんだり死ぬことはありませんわ」

「俺は……カロン。カロン・ステュークだ。カエデス帝国出身で、ルークに成り代わって……この学園に潜入した……クソ、本当だ。呪いが……発動しない」


 真相を話しても、先ほどと違い、もうルーク、いやカロンの首がひとりでに絞まることは無かった。カロンを縛っていた呪いは間違いなく解けたのだった。


「ロザンナ、お前は何者だ? どうして全てを知っている?」

「それは、その」


 もちろんロザンナが全てを知って行動できたのは、前世の知識のおかげだ。


 カロン・ステュークはカエデス帝国出身の没落貴族の息子で、命令に背けないように呪いをかけられてセレティアの暗殺任務を負う。

 カロンはここグランティア王国のルークという生徒に成りすまして入学し、セレティアの命を狙うのだが、セレティアの機転と聖女の能力によって呪いが解かれ、二人は恋に落ちる……


 しかしまた別のルートでは、カロンはロザンナと手を組み、セレティアに瀕死の重傷を負わせることになる。利害関係が一致して、ロザンナと組むこともある、攻略対象の敵国の暗殺者。それがカロンの設定だった。


 とはいえ、そんな話をロザンナの口から説明するわけにはいかない。


「……秘密ですわ。とにかく、これであなたがセレティアの命を狙う理由は無くなりましたわね」

「わけがわからねぇ。セレティアの暗殺を阻止したかと思えば、ここを探し当て、呪いを癒すとは。なぜここがわかったんだ」


 セレティアを殺さなければいけないのに、悪人になり切れないカロンは葛藤している。ただこの礼拝堂に来て、他国の宗教にも関わらず、神に許しを請うことしかできない。

 だからカロンは迷った時、縋るようにこの礼拝堂に駆け込む……ロザンナはそれを知っていたから、ここに駆けつけたのだった。


(私はゲームのすべてのルートをクリアしている。だからカロンのいろんな一面を見てきた。こうして早めに呪いを解いてしまえば、彼が切羽詰まって危ないことをすることはない。血は流れない、はず)


 どんな結果になるとしても、誰かが死ぬことをロザンナは望んでいなかった。だからこそ、彼女は急いで解呪の魔石を借りて、ここへ駆けつけたのだった。


「あなたの疑問には答えられない。でも、敵意は無いと信じて欲しいのですわ」

「そんなこと、できるわけ無いだろ? 何もかも無茶苦茶だ。お前は怪しすぎる、ロザンナ」


 欲を言えば恩を売ってカロンを協力者にしてしまいたいと思い、ロザンナはここまで駆けつけたのだが、事情を話さなければ怪しまれるのは当然だった。

 未然に暗殺を防ぎ、どこに逃げ込むか知っており、そこまでする筋合いもないのに、カロンの呪いを解いたのだ。カロンからすれば、ロザンナの行動全てが不可解で、疑心暗鬼になるのも仕方がない。


「そうね……あなたは、信じられないでしょう。カエデスでは人に裏切られ、利用され、追い詰められてきた。だから、私はあくまで一人の『傍観者』として……」


 プレイヤーとして、と言うべきところを、あえてロザンナは変えた。そんな言い方をしても通じるはずがないからだ。

 カロンは協力者としては期待できないし、誰かに危害を加える理由もなくなった。それなら後のことはロザンナと関わりないことだ。


 ただ彼のすべてを知っている人間として、カロンの幸せを祈るだけだった。


「平凡な幸せを歩んで欲しいですわ。この先のことは自由です。ルークとしてここに留まっても構いません。もうセレティアを暗殺する理由もないでしょう?」

「待て、ロザンナ。俺はお前を逃がさないぞ。こんな風に何もわからないまま、放り出されてたまるか! いったい何が目的なんだ!?」

「目的なんてありませんわ。今はもう。思えば私は、不幸なあなたを利用しようとしてきた人たちと、同じことをしようとしていたのかもしれません……」


 そんな輩と同じにはなりたくない。だからロザンナは、助けた代償に自分に協力しろなどと、もはや言うつもりは無かった。


「ごめんなさい。だからもう、いいんです、カロン。自由に生きてください。どうか、お幸せに……」


 ロザンナはカロンの呪いを解き、一方的にそう告げると、背を向けて立ち去ってしまった。

 薄暗い礼拝堂の中、一人残されたカロンは呆然としていた。


(平凡な幸せ? 俺を利用したくない? 自由に、生きろだと?)


 ロザンナに言われたことが、ぐるぐると頭の中をめぐる。


 彼を縛るものはもはや何もなく、愛する人もいない国に帰るべき理由もなかった。呪いに縛られて目標を勝手に決められてきたカロンの人生は、突然強制力を失い、目指すべきもののない空虚だけが残った。


「俺はこれから一体どうすればいいんだ。全てを知っているように振舞いながら、それを教えてはくれないのか? ロザンナ・スピナール。なんて勝手な女だ」


 礼拝堂に立ち尽くす空虚な彼の心に、たった一つ残ったのは、不可思議な力で自分を助けたロザンナのことだけだった。


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