10. 推しが、どうして
「そこでロザンナ様は私におっしゃったのです『自分の正しいと思う心に従いなさい』と。最初、私には何のことか、わかりませんでした。しかし……すぐにその意味が分かるようになります」
寮の休憩室に集まった生徒たちは、エミルの元に集まり、暗殺者を撃退した時の話に熱心に聞き入っていた。エミルは畳んだ扇子を振り回し、迫真の語りで、当時の状況を振り返る。
「部屋に潜む暗殺者……邪悪な仮面で顔を隠し、毒を塗ったナイフを振りかざす。震える手。今までで一番、死を身近に感じました。しかしロザンナ様は焦らず、落ち着いて敵の突きをひらり、とかわす! 真っ白な頭の中で、私は思い出す!」
バンバン、と扇子で机を叩くエミル。生徒たちはまるで目の前で事件を目の当たりにしているかのように、生唾を飲み込んだ。
一方、隣にいるロザンナは扇子で真っ赤になった顔を隠しながら気が気ではなかった。
(何でエミルはこんなに語りが上手いのよ。まるで講談師じゃない……いっそ吟遊詩人にでもなったら?)
「『自分の正しいと思う心に……』そうだ。ロザンナ様は確かにおっしゃった。ここで動けず、何が貴族でしょうか!? 私は魔法を唱え……」
「っと失礼、私、用事を思い出しましたわ」
ロザンナはエミルの話にみんなが集中している隙に、そそくさとその場を後にした。
「ふぅ、やってられませんわ。軽くセレティアに嫌がらせしようと思っただけでこの始末。どうしてこう上手くいかないのかしら」
エミルは暗殺者の撃退に成功したことを熱く語っているが、ロザンナからすれば指輪をセレティアの部屋に隠すという計画が大失敗に終わっただけだ。
ロザンナは気分転換に寮を出て、放課後の学園の校舎を散歩することにした。
しかし人ごみを離れて、ようやく手にした平穏も、すぐに崩れ行くことになる。
「あっ、おい。見つけたぞ。ロザンナ! ロザンナ・スピナール!」
「あぁもう、今度は何なんですの?」
後ろから、ロザンナを見つけたカロンが追いかけてきた。あの後結局、カロンはルークとして学園に残っている。セレティアに危害を加えることもなく、犯人を追う教師の目をうまくかいくぐって、捕まる事もなかった。
しかし、ロザンナに何も説明されずに解放されて以来、ロザンナに付きまとっては、あの時起こった事の真相を吐かせようとしてくるのだった。
「まだ逃げられると思ってんのか? いい加減観念しろ」
「私は疲れているの。放っておいてって言ってるでしょう?」
ロザンナは足早に歩くが、カロンもすぐ後ろをついてくる。
だんだん足が疲れてきて、付きまとうな、と振り返って説教をしようとした時のことだった。
「おっと」
どん、とロザンナは肩を正面から来た男子生徒にぶつけてしまった。振り返ってよそ見をしたロザンナは不安定な姿勢だったこともあり、そのまま倒れそうになる。
相手はそんなロザンナの腰を抱き寄せ、手を取り、まるでダンスの最中のように軽やかに、ロザンナを支えた。
「大丈夫ですか?」
「っ……!!!」
ロザンナは言葉を失った。
波立った黒髪に、浅黒い肌。微笑みを浮かべてなお、蛇のように鋭く輝く黄色い瞳。
甘く低い声は聞くのが初めてだったものの、イメージ通りだった。
忘れるはずもない、前世での、推し。
他でもない、ノックス・ヴェルクロードが、たった今、目の前にいた。
(ノックス!? どうして? 彼はカエデス帝国にいるはず。学園に来るなんて設定は無かったはずなのに! 見間違い? ううん、絶対本人だ。ノックスが目の前にいて……私を抱き抱えてる……!?)
「あ……あ、あぁ……?」
あまりに想定外の状況に、ロザンナは自分でも驚くほど口から言葉が出なかった。
「ふふ、大丈夫そうですね。失礼、私はそろそろ行かなくては」
呆然とするロザンナをそっと放すと、ノックスは踵を返して歩き出した。職員室の方へと向かっているようだった。
「そんなはずない、だって、ノックスがここにいるはず、無いもの」
現実を受け止めきれないロザンナ。すぐそばにいたカロンが急に、そんなロザンナの手を引いて、角を曲がって身を隠す。壁に押し付けるようにロザンナを立たせ、声を潜めて耳元でカロンは問い詰めた。
「……おい、どういうことだロザンナ。あれはノックス殿下じゃないか。一体全体どうしてこんなところにいるんだ?」
「そ、そうだ。カロン。あれはノックスよね? 間違いなく、本人?」
「ああ、見間違えるはずもない。ノックス・ヴェルクロードその人だ」
カエデス帝国にいたカロンが、はっきりと本人だと言い切った。そうなればロザンナも、もはや自分の見間違いではないかと思うことはできなかった。
「お前ら、知り合いだったのか?」
「い、いえ、初めて会ったわ。カロンこそ、あなたが呼んだわけじゃないの? それか、失敗したからって罰を与えに?」
「まさか。木っ端の使い捨てスパイにすぎない俺の顔なんぞ、殿下が知るわけないだろ。無関係だ。それだけははっきりしてる」
「そう……とにかく、カロン、あなたは学園を出るといいわ。呪いを解いて任務を諦めたなんて知れたら、それこそあなたの身が危険よ」
「何言ってやがる? 人の心配なんてしている場合か。お前、ひどい顔色だぞ」
ロザンナの顔は青ざめ、今にも倒れそうに何度もまばたきを繰り返していた。自分が考えていた人生のルート、その前提が、たったいまひっくり返されたのだ。もはやここは、ロザンナが何もかも知り尽くしたあのゲームの世界ではなかった。
「ったく。今日のところは勘弁してやる。部屋に戻って、もう休め。ほら、帰るぞ」
ルークは心ここにあらずのロザンナを、女子寮の前まで連れて行った。ロザンナはたまたま入り口で出会ったセレティアに引き取られた。
「ロザンナ様。あぁ……何ということ。まだ暗殺者と戦った時のショックから癒えていないのですね。私がお守りします。あなたには一生かかっても返しきれないほどのご恩があるのですから。さあ、お部屋に戻りましょう?」
片やロザンナは、自分がどうやってここまで戻ってきたのか覚えていないほど、動揺していた。
その翌日、ロザンナは攻撃魔法の講義で、ノックスと改めて出会うことになった。
アッシュに連れられ生徒たちに紹介されたノックスは、出会ったときに来ていたカエデス風の衣装を学園の制服に着替えていて、細い腰、長い手足とスタイルの良さが際立っている。
「知っての通り、カエデス帝国と我が国の関係は、微妙な均衡の上に成り立っている。そんな中お互いを知るために、友好大使としてこの王立魔法学園での生活をノックス第三皇子が体験することになった。複雑な思いの者もいるだろうが、ここにいる限りにおいては彼も一人の生徒に過ぎない。礼節を欠かすことなく、友好を深めてくれたまえ」
熱い言葉の割には無表情に無感情に、アッシュがノックスを紹介する。
「何か一言あるか?」
「ご紹介にあずかった、ノックスです。全てはアッシュ先生に紹介していただいた通りです。私は相互理解のために、無理を言ってここに入学させて頂きました。そして、それが許されたのはレオン王子が前向きだったことも大きな理由の一つです。まずはレオン王子に感謝を」
ノックスがロザンナの隣に座るレオンの方を見て、笑顔を浮かべる。生徒達から自然に起こる拍手を受けて、レオンは軽く手を上げて応えた。
「文化的な違い故、失礼を働くこともあるかもしれません。その時は気兼ねなく、教えて頂けると嬉しい。どうぞよろしく」
挨拶を済ませると、ノックスは優雅にカエデス式の礼をして席に着いた。教室中の皆が、その新たな転校生の美しい姿、完璧な挨拶、心遣い、所作に釘付けだった。もちろん、一番魅入られていたのはロザンナに違いなかった。
(ノックスが、動いてる……! 本物だ。もうそれを見られただけで幸せ……)
感激のあまり口元に手を当て、ロザンナは震えていた。その隣のレオンが、彼女を意味深な目つきで見つめていたことにも気づかずに。




