25. 冷酷教師の恋心
ロザンナ達は無事図書館を脱出すると、翌日、中庭のベンチで再び話し合った。
ノックスは王都を滅ぼせるほどの悪魔を召喚しようとしていて、学園にはそれを可能にするほどの魔石が埋まっている。
「魔法陣は合計八つ、学園を囲むように設置が必要なはずだ。俺が確認しただけでも四つ……今までに刻まれてしまった正確な数は、不明だ」
「あと四つ残っているかもしれないけど、次で最後かもしれないということね」
「もう迷っている時間はない。誰か信頼できる教師に、全てを打ち明けよう」
カロンの提案は、カロン自身の立場を危うくするものだ。一度はロザンナが断ったものの、もはやそうしなければ、学園の全員が危険に晒されるところまで来てしまったのだった。
「でも……でも何か他に方法が……」
「前に言っただろう。余計なものに気を払っていたら、全てを失うぞ」
「あなたの方こそ。人には偉そうなこと言って、自分だけは不幸でいいみたいな顔しないで!」
「……目を覚ませよ。俺は実際に罪を犯したんだ。裁かれるべきなんだよ」
カロンがセレティアの部屋に侵入し、襲撃しようとしたのは確かだ。呪いを刻まれて命令に背けなかったからとはいえ、その事実は無くならない。
「……証拠があればいいんでしょ」
「何するつもりだ?」
「内緒」
「おい待てよ! どうするつもりだ!」
人目も気にせず、カロンは立ち去ろうとするロザンナの腕を掴んだ。
「あなたの言う通りよ、カロン。私の一番信頼できる人に、全て打ち明ける。文句はないでしょ?」
「あ、ああ。だが……」
「無礼よ、ルーク。私を誰だと思っているんです!」
「ちっ……」
生徒たちの注目を集めたロザンナは、いつも通りの振舞いに戻り、カロンの手を振り払った。カロンは周囲の目もあって、それ以上追いかけることもできず、悪態を吐いた。
ロザンナはそのまま、早足である場所へ向かう。
「私たちが気づいていることに、ノックスは気づいていない……そして、私の演技はノックスに通じる……それなら、カロンが捕まらなくても、証拠を得る方法はある……そう。やれるわ」
そうしてロザンナがたどり着いたのは、アッシュの部屋だった。
「今回は何の用だ?」
ロザンナの顔を見るなり、アッシュはいつものように嫌そうな表情でそう尋ねた。
「魔石を貸して欲しいのですわ。これが最後でいいですから」
「いつになく真剣な表情だな?」
ロザンナの雰囲気が違うとみて、アッシュは意外にも素直に魔石を取り出し、以前のように机の上に広げた。ロザンナは見定めていた魔石を手に取ると、ふとアッシュに尋ねた。
「……何も聞かないんですのね」
「興味が無いからな」
「嘘ですわ。先生は、どうして私にそんなに良くしてくださるの?」
なんとなく、アッシュが本当に自分の脅しに屈して従っているわけではないと、近頃ロザンナは思うようになっていた。そんなもの跳ね除けるだけの知能も、権力も、アッシュは有しているはずなのだ。
「わかっているだろう、お前が生徒にも関わらず、スピナールらしく教師を脅迫しているからだ」
「えーっと。実は私、お父様が何か弱味を握っている、ということしか知らなくて……」
ロザンナは父親がアッシュの過去、特に学生時代の弱みを握っている、という事実だけをなんとなく知っていた。しかし、その具体的な内容までは知らないまま、なんとなく匂わせるだけでアッシュに対する交渉材料として利用していたのだった。
「何だと……?」
アッシュがいつもよりもさらに低い声で、そう言い、俯いた。さすがに本気で起こった様子で、ロザンナは目当ての魔石を思わず懐に突っ込んだ。
「内容も知らずに、俺を利用していたのか? ロザンナ・スピナール。ずいぶん舐めた真似をするのだな」
「ええっと……でも、先生は私に手は出せませんわよね……? だってお父様に弱味を……」
「それじゃあ、教えてやろう。俺自ら、何があったのかを、な」
「い、いえいえ、それは次の機会に~……ってきゃあっ!?」
気づけばアッシュの闇魔法が発動していて、黒い蔦状の闇がロザンナの胴を素早く縛り上げた。ロザンナは座ったまま、身動きも取れず、逃げられなくなってしまった。
そんなロザンナに、アッシュは自分の机の方から一歩、一歩と近づいてくる。小さな部屋の中に、アッシュの重そうな革靴の音が響いた。
「かつてこの学園で、貴様などとは比べ物にならないほど、著しく成績のいい模範的な青年がいた」
「な、何の話ですの?」
「そして、それとほぼ同じ時期に、たまたま一時的にこの学園で講師をしていた、赤髪の美しい女性がいたのだ」
「赤髪……」
赤髪の女性は珍しく、学園にいるような貴族の家系であれば全員の名前が上げられるほどのものだった。
「青年はやがて、恋に落ちた。強く美しいかの教師は、同級生などよりよほど魅力的に見えたのだ。しかし悲しいことに、その女性はすでに結婚していた。まだ若かった青年は、向こう見ずだ。駆け落ちでもいいからと、教師に気持ちを打ち明けた……」
アッシュはロザンナが腰かけるソファの後ろへ周り込み、話を続ける。
「が、教師はそんな誘いに乗るはずもなく、青年には忘れ去りたい過去だけが残った。そして妻からそんな下らん話を聞いた公爵殿は、未だに頼みごとをするときにはそんな下らん話を持ち出して人をからかう、ろくでもない男というわけだ」
「へ……? ということは、その教師というのは……」
ロザンナも聞いたことがあった。自分の母親が、短い期間、臨時でこの学園で働いていたということを。つまり、アッシュがかつて恋したというのは……ロザンナの母親のことだ。そして父はことあるごとにその時の話をしては、アッシュに無理を聞いてもらっているらしい。
「そうだ、ロザンナ。だから気を付けることだな」
アッシュはロザンナの髪から一束をそっと持ち上げ、誰かを思い出すかのように目元まで近づけて深く息を吐いた。
「貴様が俺を利用できるのは母上のおかげだが、赤い長髪の後姿を……校内で見かける時、俺の心はあの頃に戻っているのだから」
「アッシュ先生? それって……?」
ロザンナは首を少し回したが、縛られているせいでアッシュの顔色を窺うことはできなかった。
「魔石は持っていけ。だがこれが最後だ。それと……」
魔法が解かれて、ロザンナは自由になった。アッシュはソファを離れて、自分の机の奥の窓際へと再び歩いて行った。
「母上を悲しませるなよ」
そう言ったきり、アッシュは窓の外を見て、視線を部屋の方へ戻しはしなかった。その背中は逆光で暗く、ロザンナにはひどく寂しそうに見えた。
(なんだか可哀想に思えて来たわ。私は今まで、アッシュ先生のかつての恋心を利用してきたのね……)
アッシュはその見た目の良さと冷静な性格から生徒の人気も高かったが、未だに未婚で恋人がいるという話も聞かなかった。もしかしたらまだ、ロザンナの母親に心を奪われたままなのかもしれない。
本来なら、それを救うのはセレティアなのかもしれないが……この世界ではあまりそのような気配はなかった。ロザンナが先に、アッシュに協力を仰いでしまったせいだろうか。
アッシュが不憫に思えたロザンナは、そのまま部屋を出るのも悪いように思えて、思わずアッシュのそばに歩いて行った。
「終いだと言ったはずだ。とっとと帰りたまえ」
慰めようと思ったロザンナは、しかしアッシュにそう突き放されて、少しむっとしてしまった。
ロザンナは仕返しとばかりに、目もくれないアッシュに後ろからぴったり抱き着いて、言った。
「ロンバリー君、元気ないね。先生が慰めてあげようか?」
それを聞いたアッシュは、ついにロザンナの方を振り向いたが……その表情は当然、鬼のような形相だった。
「スピナール、貴様という奴は……大人をからかうとどうなるのか、思い知る必要があるようだな……?」
「じょ、冗談……冗談ですわ!」
次の瞬間、ロザンナは猛スピードで部屋の出口へと駆けたが、ついさっきまでロザンナが立っていた場所は闇魔法の鋭い棘で貫かれ、走り抜けたその後ろを黒い棘が追いかけるように地面から次々生えて来た。
「ぎゃあああっ、ごめんなさいいい!!」
ロザンナはかろうじて部屋の外に出ると、封印するかのように勢いよく扉を閉めた。幸い、アッシュも部屋の外まで追いかけては来なかった。
「何であんなことしちゃったんだろ……」
慰めようとしたのに邪険にされたせいで、衝動的にからかってしまった。しかしそうした衝動は、幼少期のロザンナが積み上げてきた悪女の性根が、突然暴発したようなものかもしれない。
「何はともあれ、魔石は手に入れたわ。あとは……レオン殿下。私はあなたに……」
ロザンナは金色に輝く魔石を握りしめて、覚悟を決めたように、深呼吸した。




