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17. 止まった時間


「勝負あったな」


 レオンが着地しながら、ノックスの首元に剣を突きつけ、勝利を宣言した。


「残念、引き分けでしたね」


 ところが、ノックスの口からはそんな言葉が出て来た。表情からして、負け惜しみには見えない。


「何だと? ……っ!?」


 突然、ぐわん、とレオンの視界が歪み、たまらず膝をついた。


「レオン殿下!?」


 決闘がレオンの勝利に終わったかと思いきや、膝をつくレオンを見て生徒たちはざわめき立つ。


「これがカエデス流です」

「毒……か」


 みるみる顔色の悪くなったレオンはついに、うつ伏せに倒れ込んでしまった。

 遠目で見ていた生徒達からしても、レオンの糸が切れたような倒れ方は明らかに普通ではなかった。ロザンナも、その倒れ方にぞっとして、グスマンの結界が解除されると同時にレオンの元へと駆け寄った。


「レオン! 大丈夫!? レオン!」


 アッシュが反対側にしゃがみ、レオンの様子を確認する。外傷は頬についた浅い切り傷だけ。そこから入った微量の毒によって、レオンは倒れてしまったようだ。


「どういう毒だ?」


 アッシュの疑念、そしてロザンナの軽蔑の眼差しに、ノックスは戸惑いながら答えた。


「嫌だな、そう悪者扱いしないでください。一時的に動きを止めるだけの毒ですよ。麻酔みたいなものです。じき動けるようになります」

「解毒剤は?」

「ありませんが、時間経過でよくなります。夕方ごろには動けるようになるでしょう」

「全く……前代未聞だぞ」


 アッシュが脈拍や瞳孔を見て、ノックスの言葉に嘘がないか確かめている時、グスマンはノックスのすぐ後ろで仁王立ちしていた。


「これは非常に卑怯と言わざるを得んぞ、ノックス!」


 学園じゅうに響き渡るような大声で、グスマンが叫ぶ。見守っていた生徒たちも、鼓膜を守るために思わず耳を塞いだ。


「そうなのですか? カエデスでは模擬戦でこれを塗るのは普通なのに。だって勝者がわかりやすいでしょう? しかし、こちらの国の文化を知らず、申し訳ありませんでした」

「むぅ……文化的違いは仕方がないとはいえ、これはさすがに」

「おいグスマン、間違っているぞ」


 アッシュはレオンに生命の危険が無いとわかると立ち上がり、グスマンに言い放った。


「貴様の魔法は致命傷を防ぐようになっていた。これが致死毒だったら、あの攻撃はちゃんと止まっていたのか?」

「い、いや……」

「ならば決闘を取り仕切った我々監督者の責任だ。不手際を詫びよう、レオン、ノックス。そして生徒諸君。このような事態、二度と起こってはならないことだ」

「あ、ああ。そうだな。確かに……すまなかった」


 アッシュは謝罪すると、すぐに男子生徒に声をかけて、レオンを保健室へと運ばせた。


 ロザンナもそれに付き添い、共に保健室へと向かった。

 グスマンがノックスのナイフに塗られた薬を調べているが、ノックスの言っていることが真実かどうか、ちゃんと診てもらうまではわからなかった。


 しばらく後、魔法薬学の教師がレオンの様子を診て、ノックスの言葉に嘘がないということが分かった。

 しかしロザンナは先ほどレオンが倒れた姿が衝撃的だったせいもあり、レオンがちゃんと目を覚ますまでは、病室のベッドの隣で様子を見ることにした。


 思い返せば、レオンが決闘に参加すると言った時から嫌な予感がしていた。そして実際に崩れ落ちる姿をみて、ロザンナはレオンが死んでしまったのではないかと本気で思った。


(普通に考えて、こんなに白昼堂々と王子を暗殺するはずないわ。私ったらそれなのに、あんなに取り乱して駆け寄るなんて)


 身体を動かせず今は眠っているレオンの横顔を見ながら、ロザンナは先ほどまでのことを思い返していた。あんな風に必死で駆け寄って心配するなんて、ロザンナ自身も自分の行動に驚いていた。


 なにせ、今までロザンナはずっとレオンに嫌われようと、断罪されようと行動してきたのだ。それどころか、婚約を解消して欲しいと申し出て、冷え切った関係になっていたというのに。


(でも、幼い頃から過ごしてきた仲だもの。死んでほしいわけがないわ)


 関わり方は奇妙な形だったかもしれないが、それでも小さな頃から何度も顔を合わせて来た幼馴染としての記憶もある。こんな風に倒れたら、心配するのは当然だ。


(そうよね。幼馴染だから。それだけの話よ)


 ロザンナはレオンのベッドの隣に椅子を置き、回復するまでそわそわしながらも、じっとその場で物思いに耽った。しかしそのうち心労のせいもあってか、レオンのベッドに突っ伏してうたた寝してしまった。




 しばらく経ったあと、少しずつ身体が動くようになったレオンが、ひっそりと目を覚ました。

 上体を起こすと、すぐ隣で寝てしまっているロザンナが目に入った。


「ロザンナ……一番に駆け寄ってきてくれた君の姿を覚えている」


 レオンはロザンナの赤い髪を、起こさないようにそっと撫でた。


「こうして寄り添ってくれているのも。でも、それは相手が他の人間でも同じだろう? 君は優しいから」


 薄暗くなり始めた部屋の中で、レオンは苦笑する。何かを期待していた自分自身を嘲るように。


「俺はふさわしいのだろうか? 決闘に負け、君を守れないような男が。君のような……世界で一番の女性に……いや、まったく陳腐な表現だな」


 そうしていると、ロザンナもレオンが起きていることに気づいて、ようやく目を覚ました。


「……殿下?」


 そうして、普段通りのレオンの様子に、ロザンナは思わず安堵の笑顔を浮かべた。


「よかった」


 そう言うロザンナの笑顔を見て、レオンは思わずロザンナを抱きしめた。

 以前のように強すぎず、優しく包み込むような抱擁だった。


「みっともないところを見せてしまったね」

「い、いえ、そんな。とにかく、無事で何よりですわ」

「ロザンナ。私は君の幸せを一番に願っているよ」

「え、ええ。どうしたんですの、唐突に」

「考えたんだ。私は、君との婚約を解消し」

「ダメですわ、殿下」


 ロザンナは思わず、耳元で囁くレオンから、身体を離した。


 そうして、それ以上言葉を続けないように、レオンの口元に人差し指を当てた。


「そんな理由で考えを変えられるのは、嫌ですわ」

「ロザンナ……」


 レオンはあれほどロザンナとの婚約を解消しないと言い張っていた。しかし、今それを撤回するのは、どう考えてもノックスとの決闘で倒れて弱気になったからだ。


 ロザンナはノックスの卑怯なやり方にまだ納得していなかったし、そのせいでレオンが負けた気になってしまうのは、おかしいと思った。


(何言ってるんだろう、私。そのまま受け入れていれば、長年の目標が叶ったのに。でも、こんな風に殿下が落ち込むのは、納得できない)


「殿下は負けてなどおりませんわ。胸をお張りなさい」


 実際、アッシュは勝者の名前を宣言しなかった。

 ノックスも自分が勝ったとは思っておらず、相打ちだ、と自身で言っていた。倒れてしまったからレオンは負けたと思っているが、レオンが倒れる前に決闘終了の合図は出ていたのだ。そういう意味では、レオンが勝ったと言っても過言ではない。


「ロザンナ、君は本当に……」


 レオンはロザンナの手を引いて、ベッドの方へと身を寄せさせる。そして、レオンはゆっくりと顔を近づけ、言った。


「本当に……悪女だね」


 その意図が分からないロザンナが戸惑っていると、ごく自然に、まるで雨の滴が地面に落ちるくらい当然のように……レオンはロザンナに口づけをした。


 顔を傾け、驚き見開いた視線は、やがてそっと閉じられる。視覚以外の感覚に意識を全部奪われるかのようだった。

 一部始終がスローに見えて、それどころか時間が止まったように身体が動かず、ロザンナは唇に、他人の唇が触れる感触を初めて味わった。


 ロザンナは、自分がなぜ拒絶しなかったのか、嫌悪感を感じなかったのか、嬉しかったのか興奮したのか、自分でもわからないまま、頭の中が真っ白になっていた。


 耳鳴りがするような止まった時間の中で、唇から感じる柔らかく温かい感触が、世界の全てのように思えた。


「もう寮へお帰り、ロザンナ。」


 そう声をかけられるまで、ロザンナはぼーっと硬直したままだった。レオンの声を合図に、再生ボタンを押したように止まっていた時が動き出し、空気が音を伝え始めた。


 レオンは今しがたロザンナと初めてのキスをしたというのに、そうは思えないほど悲し気な笑みを浮かべていた。


「え、ええ。そう……ですわね」

「君は自由だよ、ロザンナ。私が何を言おうとね」


 今起きたことが現実か確かめるように、自分の唇にそっと触れながら、ロザンナは言われるままに立ち上がった。


 ロザンナは何も考えることができないまま、ただ習慣に従って足が動く通りに寮に戻った。


 そしてその夜ベッドに入ってからも、眠れないまま呆然と天井を見つめ、一晩を明かしたのだった。


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