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18. 彼が見ていたもの


「それで、ルーシェったらどうしたと思います? ……ロザンナ様。ロザンナ様~?」


 講義中のひそひそ話はエミルの楽しみの一つだったが、ロザンナは今朝から心ここにあらずで、まともな反応が帰ってこなかった。明らかに何かあった様子だ。


「あ、ああ。エミル? ど、どうしたのかしら!?」

「コラ、そこ! 私語はやめるように」


 驚いて大声を出したロザンナが、珍しく教師から注意を受ける。


「ご、ごめんなさい」

「全く。私は誰にでも平等に注意しますよ。それがこの学園の教師ってもんです。ではえーと、どこからだったかしら。学園の地下に大量の魔石が眠っているのはここがかつての……」


 魔石学の先生が小言を言って講義に戻ると、ロザンナはがっくりとうな垂れた。


「ダメですよロザンナ様、あんな大声出しては」

「そうね……」


 しかしそう言ったきり、またロザンナの瞳はどこも見ていないような状態に戻って、心は異次元に飛んで行ってしまう。


「絶対変ですよ、何かあったに違いありませんわ」

「そうですね。レオン殿下の決闘が、よほどショックだったのでしょうか……」


 講義が終わっても席を立とうとせず、窓の外を見つめるロザンナのそばで、エミルはセレティアと大声で相談していた。自分について話すそんな会話が耳に入ってなお、ロザンナは反応を示そうとしない。


 もちろんこうなった原因は、ロザンナが昨日、レオンにふいに口づけされたからだが、そんなことはエミルとセレティアには知る由もなかった。


「ほらロザンナ様、行きますよ! 次の講義の時間ですから!」

「ええ、そうね」


 エミルに引っ張り起こされて、ようやくロザンナは席を立った。移動している最中も、ロザンナは話に加わる様子が無かった。


 その日、ロザンナはお茶をするときに紅茶をこぼし、階段で転びそうになってセレティアに受け止められ、いつも通っている教室に行くのに何故か迷って遅れて来た。


 そうしてしまいには、教室移動で中庭を歩いていた時……


「ちょっと、ロザンナ様こっちですよ!?」


 ふらふらと角を曲がったロザンナは、水やり当番の生徒の水魔法の目の前に、気づかず飛び出していってしまった。


「きゃあっ!?」


 悲鳴を上げたのはロザンナではない。水をかけてしまった生徒の方が驚いて悲鳴を上げたのだった。

 エミルとセレティアが急いで駆けつけると、そこには髪から靴まで全身水浸しになって立ち尽くすロザンナと、震えながら尻餅をついている女生徒の姿があった。


「ご、ご、ごめんなさい、ロザンナ様! どうか、どうかお命だけは!」


 最近丸くなったとはいえ、公爵令嬢ロザンナがいかに恐ろしいかという噂は、入学前から貴族中に知れ渡っている。


 セレティアがどう思っているかはさておき、学園内でロザンナがセレティアを叱りつける様子を見て震えあがっている生徒も少なくは無い。そして今しがたロザンナに水をかけてしまった下級貴族の彼女も、そんな生徒の中の一人だった。


「ロ、ロザンナ様。彼女もわざとではないと思いますので、どうか!」

「そうですよロザンナ様。下級貴族としてあるまじき狼藉ですが、ここは穏便に……」


 エミルとセレティアが、俯いたまま表情の読み取れないロザンナを必死でなだめる。沈黙の中、ぽたぽたと音を立てて、赤い髪を伝った水滴が地面に落ちていった。


「ええ、そうね……悪かったわ。くしゅんっ」


(あ、謝った……!!? 水をかけられたのに!?)


 三人が絶句して驚く中、ロザンナは当然のように謝罪し、小さく一つくしゃみをした。そして身体を拭こうともせずに、踵を返して教室の方へと歩き始めた。


「ちょちょちょ、ロザンナ様ぁ!? そのまま教室に行くつもりですか!」

「寮へ、一度寮へ戻りましょう! 着替えないと!」

「そう?」


 そうしてロザンナはその日、寮へ帰って、午後の講義を休んだが……


 水を被ったせいか、その日の夜からしっかり体調を崩し、寝込むことになったのだった。




 ロザンナは翌日、念のため保健室で診察を受けて、薬を飲んでベッドで休んでいた。


(どうして今度は私がここにいるのかしら。馬鹿みたいね……)


 奇しくも、ロザンナが今眠るベッドは、レオンからキスをされたのとまさに同じ場所だった。


 付き添ったセレティアとエミルは、心配しながらも、自分たちの講義のために、保健室を離れた。

 ロザンナは頭痛のせいで眉間にしわを寄せながら、目を閉じて休んでいた。ただの風邪にしては熱が高く、眠ってもうなされて、何度か目覚めた。



 そんな時、講義の合間にレオンが尋ねて来た。


「妙な気分だな。昨日は反対だったのに」


 ロザンナが決闘で寝込んだレオンを看病したばかりなのに、今度は正反対の位置で、ロザンナがベッドで寝込み、レオンは椅子に座ってロザンナを見つめていた。


 しばらくするとロザンナはレオンに気づいて、上体を起こそうとする。しかしレオンがすぐ立ち上がって、それを制止した。


「いいんだ。そのままで」

「殿下の前で、こんな格好……」


 言いかけて、ロザンナは思ったよりかすれて声が出ずに、咳き込んでしまった。


「いいから楽にしていてくれ。ただ隣にいたいだけなんだ」


 ロザンナは大人しく従って、再びベッドに静かに横になった。


「具合はどう?」

「薬のおかげで、少しましになりましたわ」

「よかった」


 二言三言交わして、しばらく沈黙が流れた。


「せめて、何か、お話してください……」


 気まずい空気に、ロザンナは思わずそう言った。何もしゃべらずにその場所にいると、どうしても昨日のことを思い出す。まさにこの場所で、ロザンナはレオンとキスをしたのだから。安静にしないといけないのに動悸が止まらない。


「そうだな……ああ。そうだ。思い出した」

「何をです?」

「昔もこんなことがあったね。君が水を被って……」

「そうだったかしら」


 ロザンナはすぐ思い出せなかったが、レオンは何かを思い出したようで、くすっと笑った。


「昔は……君が嫌いだった」


 レオンはそう、ぽつりと呟くように言った。


 嫌い、という言葉を聞いて、昔のことを言っているとはいえ、ロザンナは思ったより胸の奥がズキンと痛んだことに、自分でも驚いた。


 思わずレオンの方を見ると、レオンは言葉とは正反対の優しい目で、ロザンナの方を見つめ返した。


「もちろん、昔の話だよ。子供のころ、君の家を訪ねて行ったとき、ティータイムの後に庭を歩いたんだ。……その途中で君が転んで、水たまりの中に入ってしまったことあっただろう?」

「なんとなく、あったような気がしますわ」


 前世の記憶を取り戻したものの、ロザンナは過去の記憶を全て忘れてしまったわけではない。

 かといって詳しく覚えているかといえば、前世の記憶が脳に戻った分、幼い頃の記憶が追い出されたかのように、かなり希薄で、曖昧に感じるようになっていた。


「その後の君といったら……転んだのは使用人のせいだと当たり散らして、庭師を呼んで整備が悪いと謝らせて、まだ幼いのに年上の使用人たちを怯えさせていたのをよく覚えているよ。『パパに頼めばあんたたちなんて、いつでもクビにできるんだから!』なんて言ってたな」

「もう、忘れてください……」


 ロザンナは聞いていて、頭痛がひどくなったような気がした。


「思えば、その頃から君の使用人たちは、君に直接見つからないような嫌がらせを考えるようになっていったんだろうな」


 そうしてロザンナが最近まで嫌がらせを受けていたのを、レオンが見つけ、今度はレオンがロザンナの使用人達を本当にクビにしてしまったのだった。


「本当に彼女たちをクビにしたのは殿下ですもの。怖いのは、殿下の方ですわね」

「ロザンナのためなら、暴君にでもなってみせるさ」


 レオンはそう言って笑う。ロザンナも笑いかけたが、頭を動かすと痛いので控えめに微笑んだ。


「君は変わったよ、ロザンナ。まるで『別人』のようだ」

「っ……」


 別人、と言われて、ロザンナは思わず身構えた。実際自分が完全に別人のようになってしまったと自覚していたからだ。自分に何が起きたか話しても誰にも信じてもらえないだろうから、率直に話したことは誰にも無かった。


「私は、何も変わっておりませんわ」

「君は変わったよ。まるで入れ替わったみたいに。いつしか君は人の悪いところを馬鹿にしたりしなくなって、いいところばかり見つけるようになった。王妃の地位への興味を失った代わりに、小鳥の声を愛して、空の美しさに見とれるようになった。そして、その代わりに……私の方をあまり見てくれなくなった」

「殿下、私は……」

「いいんだ」


 レオンは寂しそうに笑い、いつもより熱のあるロザンナの手を握った。


「そんな君が、学園に入った頃、急にセレティアを悪く言い始めた。どこか……無理をしているような感じでね。君は結構わかりやすいんだよ。気づいてる? だから私は、嬉しかった」

「嬉しかった? どうして?」

「本当はセレティアを嫌いになり切れないのに、無理をして彼女を悪く言う君を見て、私とセレティアが男女として近づいて欲しくないんだ、と思ったんだ」

「そういう、ことでしたの……」


 ロザンナはようやく、上手くいっていると思っていた自分の計画がまるで進まなかった理由を理解した。レオンの瞳は演技を見透かして、他の意図を読み取ってしまったらしい。


「優しくなった君が、以前の君みたいに振舞って、嫉妬を露わにしているのだと思ったから、私は一層君を愛らしいと思ったんだよ。でも、違ったんだろう?」

「それは」

「目を見ればわかるよ、ロザンナ。君はすぐ表情に出るんだ。無理に演じても、悪役は向いてない」

「うぅ……」


 ロザンナは思わずうめき声をあげて、目を逸らした。横たわっていることもあって、逃げ場もない。


「だとしても、君を愛している」


 レオンは真っすぐロザンナの方を見て、そう言った。

 ロザンナは一度レオンの透き通った空のような瞳を見て、そして直ぐにまた視線を逸らした。


 思えば、レオンはずっとその透き通った瞳でロザンナを見てきた。



 いや、違う。ロザンナではない。

 ロザンナではなく、その中に生まれた、以前の記憶を持つ、「私」を、レオンはずっと見ていたのだ。


 はりぼてのロザンナじゃなくて、丸裸の私を。


 私はそんな自分を見透かされているのがずっと恥ずかしくて、誤魔化してきたのかもしれない。

 悪役みたいに振舞って、かつての推しに会うのが正しいと頑なに信じ込んで、まだ見ぬノックスに会うことだけを目指して、逃げて来た。その澄んだ瞳と向き合うのを。


 私は、決められた設定……いや、運命に、縛られ続けすぎていたのかもしれない。



 ロザンナは雷に打たれたかのように、そのことに気づいて、しばし放心状態になった。


「殿下、私……殿下に婚約のことを……っ!」


 声を荒げたロザンナは再び咳き込んでしまった。レオンはロザンナを気遣って背中を撫でると、ロザンナの口元に人差し指を当てた。つい先日ロザンナが、レオンにそうしたように。


「ダメだよ、ロザンナ。今は身体を壊して、心身共に弱っているんだから。そういう時に大事な結論を出してはいけない……」


 レオンはロザンナにそう言うと、ロザンナの肩までシーツをかけた。


「私も講義にいかなくては。今はゆっくりおやすみ、ロザンナ」


 レオンはロザンナを置いて、部屋を出た。

 ベッドのそばには、レオンが持ってきた見舞いの果物がいつの間にか置かれていた。


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