涙と微笑み
季節は巡り、15、16回目の面談も何事もなく、山田さんに出会ってから2度目の夏がやってきた。今日は、17回目の面談だ。蒸し暑くてノースリーブのブラウスすら脱ぎ捨てたくなるほどの暑さの中、私はインターフォンを鳴らした。
「相談員の瀬戸内です」
「あ、はるなさん。開けますね」
「こんにちは、体調はどうですか?、あ、珍しく半袖着てるんですね」
「あぁ、体調は大丈夫です。半袖は…もう隠す必要もないかなと」
「はい、全然大丈夫です。もうあの時みたいに動揺なんてしませんから」
「ふふ、強くなりましたね。あ、そう、そろそろ退職願を出そうと思ってて」
「あぁ、もうそんな時期ですね。あと半年と2ヶ月ですしね」
その言葉を口にして、少し胸が疼いた。
「うん、そう。それでさ、退職理由に提供人になるためなんて書いたらやばいじゃないですか。何書けばいいですかね」
「そうですね…皆さん私情のためで誤魔化してますけど…」
「まあ書面はそれでいいですけど問い詰められたらどうしよう」
「うーん、新しい道に進むことを決意しました、なんて言えばいいんじゃないですか。嘘ではないですし」
「確かにですね」
こんな会話をしながら、着々と「その時」が近づいているのを感じる。
「はるなさんは、何で前の仕事辞めてこれを始めたんですか?」
「…難しいこと聞きますね。ぶっちゃけるとお金いっぱいもらえるんで…」
「めっちゃはるなさんらしいですね。でも安心しました。俺のこと仕事だって割り切ってくれてそうで」
「そうでもないですよ。いつも試行錯誤です」
「そうか、…俺は、外の出来事を割り切れなくて、何度も心壊して、だから仕事とか学校とか嫌いなんですよ。だからさ、やっぱり、割り切れるなら、きっぱり割り切ったほうが、いいんだと思います。はるなさんのためにも」
「…そうですよね、その通りだと思います」
山田さんの優しさが嬉しいのと同時に、心に突き刺さる。彼は自分の苦い経験をもとに、私に優しくしてくれてるんだ。
「いつもありがとうございます。はるなさんは、きっと、相談員に1番向いてますよ」
「…ありがとうございます。今日はここら辺で大丈夫ですか?」
「もちろん。ありがとう。また来月」
「はい、また来月」
過去のことを、ほとんど話さない山田さんが少しだけ自分の過去について話してくれた。彼にとって私が「信用できる人」になっているのだ。相談員としてこれ以上ない名誉だろう。なのに、私は、それでも死に突き進んでいく山田さんの覚悟に胸が締め付けられた。死にたい思いは、完全悪じゃないはずなのに。
『やっほー、勇輝だよー』
18回目の面談が無事に終わった後の、休みの日の真っ昼間、暑すぎて外出する気にもならずダラダラYouTubeをみていると、最近あまり追えてなかった推しの生配信に偶然ありついた。相も変わらずにこやかに配信をしている。平日の昼だがどうやら『重大発表』があるらしく、同接数はかなり多かった。
『サムネの通り、今日は俺から大事なお知らせがあるんだ、あ、別に悪いことじゃないよ、そう俺、来年の夏にソロライブがきまりましたー!!早すぎって?まあいいでしょみんな予定空けとけよー!日時は…』
来年の夏…来年の夏…
その頃は山田さんは、もういないのか。彼の提供日は4月初旬の予定だ。
その頃には、もう、いない。
そんなこと、ずっと前からわかってたはずなのに。
今になって、どうしようもない気持ちが胸を押さえつける。
カラフルになって大盛り上がりのチャット欄を横目に、私はそっと配信を閉じた。
今日は19回目の面談だ。そして、山田さんの提供日まで、残り、ちょうど半年。
「相談員の瀬戸内です」
「あ、はるなさん、開けますねー!」
「おはようございます、体調はどうですか?」
「いやそれがですね!仕事辞めてからめっちゃ調子いいんです!だから死ぬまでにしたいことリストをこうやって作って少しずつ実行中でこの前はそう、ケーキたべにいったんです!」
「楽しそうで何よりです」
「人生で初めて、生きてて楽しいって思ってるよ」
…それなら、やめちゃえばいいのに。そう言いたいけど、言える間柄ではない。
「そうなんですね、それは本当にいいことです」
「…でも、やっぱりこの幸せは、後もうすぐで終わるから幸せなんですよね。終わりのない真っ暗なトンネルに、急に出口が見えて光が差し込んだみたいな。提供人にならなかったら、暗いまま無理やりトンネルを進み続けなくちゃいけなかった。だからこの制度に感謝してます」
「…そうですか。大変な人生でしたもんね。そう、後半年なんで、いろいろ手続きが進んでるか確認させてほしくて」
「あぁ、あの書類とってきます」
「はい」
彼の、死への率直な喜びが、いいことなはずなのに私の息を浅くする。私だって今、右も左もわからない暗い道を進んでいる。
「えっと、これですね、はい。仕事はやめましたし、死亡保険は解約済み、相続とか葬儀とかに関する書類も作り始めてます」
「ちゃんと進んでますね、良かったです。何かあったらいつでも相談してくださいね」
「はい、ありがとうございます。はるなさんと会えるのも、あと指で数えられるくらいしかないですね…。それだけは、少し寂しいです」
意外な言葉にビクッとしてしまった。
「そうなんですか…、私も…寂しいです。でも、山田さんが決めたこと、ちゃんと応援します」
「…ありがとうございます。じゃあ、今日はこの辺で」
「はい、ありがとうございました。また来月」
あと指で数えられるほどの面談に、どれほどの意味を私は作り出せるだろう。
また来月とこぼせるのは、あと数回。
何事もいつか終わりが来るけれど、その終わりがわかっているというのは、いいことかもしれないけど、でも。やっぱり、喉の辺りに引っかかるものがある。
20回目、21回目、22回目、23回目の面談は、本当に何事もなく終わった。提供について、特に深くも話さず、過去や未来についても話さず、「体調は元気です。手続きは順調です。ではまた来月」そのくらいの軽いノリで終わってしまった。相手が望んでいないことまで話させない、そんな掟を破りたくて仕方がなかったが、毎度笑顔でやり抜いた。
そして、24回目の、つまり最後の面談が来た。1ヶ月後に、彼は提供する。
「相談員の瀬戸内です」
「あ、はるなさん、開けますね」
「おはようございます。これが最後の面談になります。次会うのは病院です。今日は体調確認と、最後の意志確認をします。これで決定で、提供をきめたら、2日後くらいに時間と場所をお伝えします」
「はい。体調は元気で、意志に変わりはありません。俺は、1ヶ月後に提供します」
重い言葉だった。彼は初めて真剣に、提供という言葉を使った。
「…分かりました。それでは、ここの同意書にサインお願いします」
「はい」
“山田 海斗 印”
「できました」
「ありがとうございます。何が不安なこととか大丈夫ですか」
「…2年間、本当に、ありがとうございました。俺は、はるなさんに、本当に、救われました」
救われました。その一言が、重く心にのしかかる。
「小学校からの俺の人生は、はっきり言って地獄でした。心無い言葉を幾度もかけられ、物がなくなり、暴力を振るわれ、うつになり、自殺未遂をし、入院し、大学に行くのも諦めて専門に行き、就職し、うつを再発し、また自殺未遂、入院。復職後も毎日死にたいとだけ思って生きてきました。そしてここに応募しました」
深くは話してないはずなのに、その壮絶さに涙が堪えられなかった。今日は泣かないと決めていたのに。
「相談員って人と2年も面談しなきゃいけないって聞いて、うわ、絶対おばさんに説教されるんだ、って思ったんですよ、でも、そこにやってきたのは俺より若くて、とっても優しいはるなさんだった」
嬉しくて、悲しくて、そして悔しいような、そんな、複雑な気持ちが渦巻いて、涙がとめどなく溢れてくる。
「はるなさんと一緒に面談するにつれ、死にたい思いはあれど、この世界は一概に地獄と言っちゃいけない。そう思えるようになったんです。この世の中クソだから死んでやるって思いでした自殺未遂とは違って、この地獄みたいな世界に少しでも希望があるなら、その希望を持った人に俺を託そう、そう思うようになったんです」
涙は溢れて、鼻を啜る音が話を邪魔しているようで何だかおかしくて、でも悲しくて…
「だから本当に、ありがとうございました。俺は、この世に生まれて、悪いことばっかりじゃ、なかったと思います」
山田さんは思いっきり頭を下げた。
「…こちらこそ、本当に、ありがとう、ござい、ましたっ」
泣いてしまってうまく言えなかったけれど、私も頭を下げた。
「初めて受け持ったのが、山田さんで、本当に、よかったです。こんな私を、信頼して、くれて、ありがとうございました」
山田さんの目からも、涙が溢れて、お互い泣いた。それ以上は、話さなかった。
「…では、次は、病院で」
「はい、ありがとうございました」
とうとう、その日がやってきた。
初めての受け持ちの提供ということで、川田先輩もついてきてくれ、病院に到着した。私は資料を提出して、山田さんと最期に少しだけお話しする。それだけだ。
「えっと、これが同意書で、これが面談の記録です。先輩、これは病院の精神科医さんに出せばいいんですよね?」
「うん、あの人」
先輩が示した人は、ついさっき山田さんの診察をした医者だ。万が一精神疾患と判定されると、全て帳消しになる。
「山田さんの相談員の瀬戸内です。こちらが同意書と面談記録です。よろしくお願いします」
「はい。山田さんは精神鑑定はパスしたから、あと数時間で実施します。最期に話してあげてください」
「…はい」
パスしなきゃいいと思ってた。でも、彼のこの前の面談を思い返すと、彼の健常な心の本心だということは考えるまでもないだろう。
「山田さん、相談員の瀬戸内です」
「はるなさん、どうぞ」
「…開けますねじゃなくなりましたね」
「…だって鍵かかってないですしね、ただのカーテン」
「それもそうですね」
「そっちも第一声が、体調確認じゃないんですね」
「だって、それはさっき散々したでしょう?心身の健康診断をしてきたんですから結構大変ですよね」
「はい、大変でしたけど、全然、大丈夫でした」
「…なら、良かったです。なにか、伝えたいことはありますか?」
「俺の臓器をもらった人に、俺は、絶望なんかしてる人じゃなかったって、伝えてあげてほしい。彼らの未来は、俺がついている以上明るいよって」
「…必ず伝えます。山田さんの思いは、きっと彼らのなかで生き続けますもんね」
「ふふ…本当に、ありがとう」
「はい、ありがとうございます」
そこに、看護師が入ってきた。
「山田さん、そろそろ手術の準備ができるんですが、もう移動して大丈夫ですか?」
「はい、お願いします。…はるなさん、本当に本当にありがとうございました」
彼は微笑んだ。そこに涙はなくて、笑顔でお別れしようと言っているようだった。
「はい、ありがとうございました」
私も微笑んだ。
それが、最後の会話になった。




