禁じられた言葉
10回目の面談の日がやってきた。
年をまたぎ、寒さも身に染みると同時に、インターフォンを押す自分の手が微かに震えていることに気づいた。
ピンポーン
「相談員の瀬戸内です」
「あ、はるなさん、今開けまーす」
「あけましておめでとうございます。あの後、体調はどうですか?」
「あけましておめでとうございます。この前は本当にすみません、もう大丈夫です。心配かけちゃってすいません、うつがひどかった時より何倍もましですし、ほら、この通り元気です。大丈夫です」
…本当は大丈夫じゃないんじゃないかな。
「そうですか。それなら安心です。何か気になることとかありますか?」
「あー、そうですね、提供人の方々って、いつ頃仕事を辞めるんでしょうか。俺は貯金も割とあるしあと数ヶ月でやめようと思ってるんですけど…」
「お仕事に関しては意志が変わった時のためなるべくギリギリまで続けていただくと言うのがマニュアルになっていて、みなさん半年前ぐらいまではお仕事をされますね。少しでも迷いのある方はこちらから1ヶ月前の面談までは続けてもらうようお願いしますが、山田さんはあと半年ちょっとくらいで辞めて大丈夫だと思います」
「あと半年…ですか。結構ありますね…」
「何らかの事情があればもちろんやめていただいて構いませんよ。こちらは強制もできませんしね」
「…あー、いや、大丈夫です。まあ単純に働きたくないだけですしね」
…また大丈夫って。私の前ぐらい無理しなくていいのに。
「分かりました。他に何かありますか?」
「いや、特にないです。いつも本当にありがとうございます。はるなさんもご自愛くださいね。寒いですし」
「はい、ありがとうございます。ではまた来月」
良かった。いつもの山田さんだった。でも、何かが引っかかって、ガムを飲み込んでしまった時のような不快感が心に張り付いていた。
11,12回目の面談も無事に終わり、とうとう1年が経って13回目の面談の日が訪れた。去年は緊張のあまり意識していなかったが、山田さんのアパートの近くは桜並木で、とてもきれいだった。
ピンポーン
「山田さん、相談員の瀬戸内です」
「あ、開けまーす」
「よろしくお願いします。体調はどうですか?」
「この通り元気です。ちょっと仕事で異動があったりして大変だったんですけど、今は全然大丈夫です!」
元気です…大丈夫です…その彼の口癖を、何となく数えるようになってしまっていた。
「それは良かったです。それで今日の本題なんですが、今回で面談を始めてから一年目になります。そして提供予定日まであと一年になりました。意志のところ、お変わりないですか?」
「もうそんなに経ったんだ。うん、変わってないよ」
「そうですか。そしたら、提供までに何をするかとかを書いた説明書がこちらにあるので、次の面談までに一読お願いします」
「あ、ありがとう。へぇー、あそっか、個人的な保険とかも解約しなきゃだよね…うわー忘れてたなぁ」
「手続きに関しては私たちがお手伝いすることもできますので、気軽に言ってくださいね」
「いや、まあ大人だし大丈夫だよ」
また大丈夫…
「まあ皆さんお手伝いは呼びますし、本当に気軽に呼んでくださいね。大人だって大丈夫じゃない時、いくらでもありますし」
「そうだね、ありがとう、でも大丈夫だよ俺」
「…私にくらい、大丈夫じゃないって言っていいんですよ?そのために私がいますし」
言った瞬間、ドキッとしてしまった。「何を言われても否定しない」を、破ってしまったような、そんな不安が渦巻く。
「…そうですね。でも困りますよ…そんなこと言われてもね」
山田さんは苦笑した。
「じゃあ今日は、ここら辺で…瀬戸内さんありがとうございました」
「あ、はい、ありがとうございます。また来月」
どうしよう、言ってはいけないことを言ってしまった。相談員の言葉は、死を望む人の最後のトドメになることもある…そう何度も言われてきたのに。私の言葉で山田さんの人生が変わってしまうのに。心臓がドクドクうるさく、呼吸は浅くなっていく。自分は相談員なんてやっぱり、向いてなかったんじゃないか…
面談中に小雨が降ったらしく、桜の花は少し元気を失っていた。
「え、何、はるなちゃん大丈夫なんて言わなくていいって言ったことを気に病んでんの?」
「川田先輩みたいにうまくやれないんですよ、わたし。次の面談で拒否されたり、万が一それまでに死なれたりしたらどうしましょう、ほんとに…」
「いや一回のミスぐらいで人は死なないよ、それ以前までの信頼もあるし何より山田さんは安定してる方でしょ?取り乱したこと一回しかないとかとんだ希少種よ。大丈夫。なにかあってもはるなちゃんのせいじゃないわよ」
「…でも」
「次の面談でちゃんと規則通りやれれば大丈夫。信頼はいくらでも取り返しがつく」
「…分かりました。あ、14回目の面談計画です」
「お、早いじゃん。オッケー、帰っていいよ」
「ありがとうございました。お疲れ様です」
ピンポーン
「相談員の瀬戸内です」
「はい、開けます」
「体調はどうですか?」
「全然大丈夫…あ、いや、うーん、まあ平気です」
「分かりました。良かったです」
いつも通り、規則通り、やれれば大丈夫。
「何か気になることとかありますか?」
「あ、…そうですね、いつもありがとうございます。でも、瀬戸内さんの負担になってるのなら、俺のとこ来なくていいですよ」
「山田さんがどう思うかは分かりませんが…私にとっては負担ではないですよ。むしろ、山田さんのおかげで、面倒で慣れない書類作りも乗り越えてきましたし」
川田先輩に教えてもらった必殺技。あなたがどう思うかはわからないけど、私はこう思う、そう言ったら自分の意見も割と安全に伝えられる。
「…ふふ、書類作りくらい、頑張ってくださいよはるなさん」
「あれ、難しくないですか?実は私、この仕事始める前までずーっとフリーターやってたんで慣れなくて…」
「やっぱり面白い子ですね。今日もありがとうございました。」
「ありがとうございます。では、また来月。」
「うん、よろしくお願いします」
…よかった。良かったのかは分からないけど、でも、安心した。
それと同時に、面談の回数が残り10回と言うことを思い出し、背筋がゾクっとした。
彼は、この決断を変えることはないだろう。
そのことが、私の体に重くのしかかる。
死にたいのは、悪いことじゃないのに、どうしてこうも悲しくなってしまうのだろうか。
でも残り10回もある。そう思ってマンションを後にした。




