今は大丈夫
研修も終わり、春風も吹く頃、はじめて担当する人の基礎情報が書かれた書類を渡された。
『山田海斗 30歳男性 職業:会社員 備考:うつ病経験あり』
「あれ、川田先輩。精神疾患の人って応募できないんじゃないんでしたっけ?」
「あぁ、この人は寛解…つまり医者が治ったって言ってるからありなのよ。ただ経験ありだから再発サインに注意してねってこと」
「あぁ、なるほど」
研修の中でいろんな対応や規則を習った。30代男性は10代女性と並んで多い志願者の層だと言われていたから、さほど驚きはない。川田さんは今では先輩としてわたしを支えてくださっている。年齢は不詳だ。
「じゃあ、初勤務行ってきます」
「行ってらっしゃい、何かおかしなことがあったら電話よ。あくまで仕事だからね」
「はい」
そうしてついた家は、普通のワンルームのマンションだった。
ピンポーン
「はーい」
「提供人相談員の瀬戸内です」
「あ、それね、開けまーす」
「本日から担当させて頂く瀬戸内はるなです。不束者ですがよろしくお願いします」
「山田海斗です。よろしくお願いします。あ、お茶とか用意したんで、どうぞ」
「わぁ、ありがとうございます!ただ次からはお気遣いなさらず…」
「いや次もだしますよ。大変な仕事だしお茶とお菓子くらい出します。大したことないから大丈夫です!」
なんか、うつだったと思えないくらい明るい人だな…。
「早速なんですが…提供人に応募されたきっかけとか、話せる範囲でいいので教えていただけますか?」
「あぁ、うーん、そうですね…まあ、うつとかやって、入院も何度かして、今は大丈夫だけど、人に迷惑散々かけたし…これからも迷惑かけるよりかは、まあ、臓器提供して役に立って死ぬ方がいいかなと」
「なるほど、ありがとうございます」
そんなことないのに、って言いそうになるのをグッと堪える。それは、1番言っちゃダメなやつ。
「あ、否定とかしないんですね」
「否定しちゃダメなんですよ、そういうルールです」
「めんどくさいんですね、いいですよ俺のことくらい否定したって大丈夫です」
「まあ、ルールですし」
「そっかぁ」
「あと…話せる範囲で構わないので今までの人生とかについて語っていただけますか?」
「あぁ、そうか、そんな話もしなきゃですね、そらそうだ。えっと、まあ、小中高といじめられその辺りではじめてのうつになって、高校の時自殺未遂でいっかい入院、大学は諦めて専門入ってそのあとここら辺の会社員になって、そこでまたうつやって2度目の入院、で今復帰して…こんな感じですかね、まあ大したことないし大丈夫ですけど」
大したことなくないだろう、大丈夫じゃないだろう、そんな思いも、むねにしまって、
「それは辛かったですね」
習った定型文。否定はダメ。
「本日聞かなきゃいけないことはこれで終わりなんですけど、何かご質問とか不安なことありますか?」
「あー、次もはるなさんが来るの?」
「はい、提供人相談員は基本的に2年間1人で勤めさせていただきます。」
「じゃあよろしくね、ありがとう、聴いてくれて」
「いえ、仕事なんで…本日はありがとうございました。また来月よろしくお願いします」
そう言って、家を出た。
なんかやっぱり、あっさりしてるなぁ。
本当に私はこれであってたんだろうか。なんかもっと、彼は私に何かを、伝えようとしてたんじゃないか。
あ、川田先輩に連絡しなきゃ。
「先輩、終わりました」
「あ、案外早いね。変な人じゃなかった?」
「いやむしろ…明るくて爽やかで、何でこんな人が鬱で死にたいんだって感じでした。」
「そんなもんよね。まあそのうち本性表すかもだから気をつけてね」
「はい」
こんなことで、お金がもらえちゃうのか…
そんな思いは置いといて、もらった初給料をどこに使うか、それを考えて心を躍らせることにした。
2度目の面談はすぐにやってきた。
「相談員の瀬戸内です」
「はい、開けます」
「お邪魔します」
「いらっしゃーい、えっと、名前ははるなさんだよね?」
「はい、本日もよろしくお願いします」
「お願いします!」
「えっと、定期面談では、意志の確認と心身の調子についてお聞きしてるんですけど…」
「あぁ、なるほど。意志は変わってないです。今すぐに死んだって構わないですしね。心も体も全然元気です!うつになったら取り消しですしね、再発防止のためにこう見えて頑張ってるんですよ」
笑い混じりでそんなことを言うから、本当にこの人は提供人志願者かと錯覚する。
「分かりました。ありがとうございます、何か他に言いたいこととかありますかね?」
「うーん、いつもありがとう。大変でしょう?はるなさんの心の方が壊れちゃいそうで怖いから、大変な時は逃げてくださいね?」
…私のことを心配してくれるなんて、本当に優しいひとなんだな…
「そんなそんな、ストレス耐性とかはある方なんで。お気遣いいただきありがとうございます」
「まあ、耐性あると思ってる人が壊れてくから、ご自愛してくださいね」
「はい、ありがとうございます。本日はこの辺で大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。また来月よろしくお願いします」
またあっさり終わってしまった。
否定しない、肯定もしない、深掘りもしない。規則通りにできているはずなのに、なぜか心の奥が疼く。よく分からない嫌悪感が残る。
難しいなぁ、案外。
3度目の面談もそんな感じで終わり、4度目の面談の日が来た。季節はすっかり夏で、蝉の音がうるさい。
「山田さん、相談員の瀬戸内です」
「はい、開けます」
「今日は暑いですね、体調とか大丈夫ですか?」
そう言い終えた時、私は彼の半袖のシャツから出る細い腕にある無数の傷跡を見つけてしまった。
「全然元気です…あぁ、長袖にするの忘れてました。不快にさせちゃいましたよね、ごめんなさい、着替えてきてもいいですかね?」
「あ、いや、このままで私は構わないんですけど…ちょっと、あんまり見慣れてはないんで」
「見慣れてたら怖いですよ、じゃあ、ちょっと羽織だけ。そうですね、これ高校くらいのうつがひどかった時に何度もやっちゃったんすよね、今考えると馬鹿だけどまあ、当時の自分はこれくらいしか逃げ場なかったんでね。今は大丈夫ですけど」
「そうですか…本当に、大変な思いを…」
「いやまあ大したことないんだけどね。もうしないですし。いまはほら、こうやって聴いてくださる方もいるんで、救われてますよ」
「そう…ですか。なら、よかっ、たです」
言葉に詰まってしまう。うまく言語化できない何かが心の中に少しずつ溜まっていく感覚。本当にこれでいいのだろうか…
「やっぱり嫌でしたよね?!本当にごめんなさい。普段人と会う時は絶対上着着るんですけど家なんで油断してました…反省します」
「いえ、全然、大丈夫です。隠さずにいれる人がいるっていうのは、それだけでもいいことですしね」
「…そうですね。はるなさんは、優しい人ですね、ほんとに。俺なんかに時間割いてくれて、本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ…何か言いたいこととかありますか?」
「いや、もう十分だよ。ありがとうございました」
「ではまた、来月ですね。ありがとうございました」
やっぱりここに応募してくる人は、何かが違う。本当に苦しくて、この世が地獄に思えてしまうから、縋るようにここにくるのだ。私はここで働いていて、本当にいいのだろうか。
山田さんの優しい人ですね、がどうしても納得できなくて、でも何で納得できないかも分からなくて、いいしれぬ不安が胸に溜まっていくような不快感を覚えた。
その後の面談では特に何もなく、季節は秋を駆け抜け、冬を迎えようとしていた。私は9回目の面談計画を作り終えた。
「川田先輩、次の面談の計画書できたんで今日は上がりでいいですか?」
「うん、いいよ、はるなちゃんもだいぶ仕事が早くなったんじゃない?」
「山田さんのおかげです。こっちが聞かなきゃなのに、相手の優しい言葉に救われてばかり」
「そう?私ははるなちゃんが頑張ってるからに見えるけど」
「先輩が褒めるなんてやけに上機嫌ですね」
「そんな、いつも褒めてるのに?!そうね、るりちゃんっていたでしょ?あの子、結局辞退することになったのよ。私を救ってくれた川田さんが生きてるのに、私はそれを裏切って安易に死ねないって」
「そうなんですか!本当に良かったです。私もあの一回であってからずっと気にしてたので…」
「あと2ヶ月だったしめっちゃギリギリそう決断してくれて嬉しかったの、まあでも次の人とまた一からやらなきゃなのは大変だけどね」
「あんなに高い給料もらってるんだから頑張りましょ?」
「ふふっ、そうね、じゃあお疲れ様ー」
「お疲れ様です」
その話を聞いていて、嬉しいはずなのに、なぜか頭の中では山田さんの顔が浮かんでいた。
ピンポーン
「山田さん、相談員の瀬戸内です」
「あ、はい、開けます」
「山田さん、体調は…」
そう声をかけようとすると、あんまり大丈夫じゃなさそうな山田さんがいた。目は真っ赤に腫れて、毛布にくるまってゆっくり歩く、いつもとはかけ離れた姿だ。
「すみません、えっと、ちょっとだけ揺り戻しみたいで、ごめんなさい、毛布被ったままでもいいですか、ほんとに、ごめんなさい」
「あ、いえ、大丈夫です。話せるなら、何の支障もないですよ」
そう言って笑いかける。
「ごめんなさい、俺が夜更かししたのが悪いんですけど、ちょっとだけフラッシュバック的な感じで、でも治ってからもたまにあるんで大丈夫です、このくらいはうつじゃなくて。ごめんなさい」
「いえ、謝らなくて大丈夫ですよ。何か体がおかしい、とかはないですか?」
「そこは、大丈夫だと思います。パニックの波はおさまってます。もうすぐ、正気に戻れます、たぶん」
「良かったです。もし見られるのが辛かったら今月はここで終わりで構いませんし、聴いて欲しいことがあればいくらでも聞きますよ」
「今日、話聞いても、ろくなことないんで、帰ってもらって大丈夫です。ごめんなさい、俺のことは心配しないでください、大丈夫なんで」
「謝らなくて大丈夫ですよ。では今月はここで終わりますね。ありがとうございました」
「すみません、ありがとうございました」
はじめて、研修で習ったメンタルサポートが役に立ったと同時に、不安に襲われる。本当にこの決断は彼にとって正しいのか、分からなくなる。でも、規則は規則だ。仕方ない。そう言い聞かせる。言い聞かせるのに、泣きそうになる。




