第61話 軍規か、倫理か
部屋を出て廊下を見回すと、大家が建物の入り口付近に立っていた。
ファルクは歩み寄り、落ち着いた声で尋ねた。
「すみません、一点確認したいのですが。この部屋に、他に入った人はいましたか?」
大家は少し考え、思い出すように言った。
「弟さんらしい子がね、何度か来てたよ。 細い子で、いつも怯えたような顔をしてた。最後は……その子が全部の荷物をまとめて出ていったよ」
(……姉弟だったのか)
ハニスはうつむき、部屋の匂いを思い返す。
姉の匂いと、弟の匂いが重なる。
二人が寄り添って逃げていく姿が、目に浮かぶようだった。
大家から話を聞き終えると、もう日が昇りかけていた。
三人は卸市の近くの宿屋に部屋をとった。
部屋に入っても、ハニスはずっと黙り込んだままだった。
ファルクが肩に手をかけ問う。
「おい、お前......何に気づいた?」
しばらく沈黙が続き、ハニスはようやくゆっくりと口を開いた。
「もう一人の――弟の方の匂いに嗅ぎ覚えがあったんだ。僕が補助兵のときに出会った、帝国の男の子。あの怯えたような匂い......間違いない」
ファルクとラピンは、はっとしたように顔を上げた。
第一王子ペルセウスが暗殺されかけた事件。その際、蛇毒を運んでいた、あの少年――
「僕のせいで、手がかりを失った。でも正直......お姉さんを連れて逃げることができたことに、ほっとしてるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、ファルクの顔が険しくなった。
「ハニス。甘えるな」
その声に、後ろで聞いてきたラピンが、びくりと肩を震わせた。
「確かに俺はあのとき、『俺が口を出すことではない』と言った。だが――今は隠密班だ。敵に悪意があろうとなかろうと、自国に被害を出さないために捕らえる。それが俺たちの仕事だ」
ハニスは言い返せず、唇を噛んだ。
ファルクは重い声で続けた。
「『かわいそうだから』で判断していたら、守れるものも守れない」
長い沈黙が落ちた。
そのとき、ラピンがぽつりと言った。
「でもさ……少年が姉さんを早く逃がしたおかげで、仕込まれた腐食液の数は減ったんじゃない?」
ファルクは目を丸くしてラピンを見つめた。
そして、ゆっくりとハニスの方へ向き直る。
「……ハニス。ひとつ、はっきり言っておく」
声の調子が変わった。
「隠密班は『情報を握る部隊』だ。軍規違反をすれば、良くて投獄だ。……敵のスパイと通じていたと誤解されれば、それ以上の処罰もあり得る」
ハニスの表情が固まる。
ファルクは肩に置いた手に力を込め、絞り出すように続けた。
「お前独りがそんな羽目に陥るのは……俺は見ていられない」
その声は怒りではなく、必死の願いだった。
「だから今後は、何かあればすぐに報告してくれ。勝手に背負うな。俺たちは班だ」
そして、少し迷ったあと、覚悟を決めたように言い切った。
「……結果として軍規を破る結論に至っても、そのときは俺も責任を負う」




