第59話 空っぽの瓶
数日後、捜査のためクロードと官吏らは卸市場へ向かった。
そこには既に商人らと、巻き毛の優しげな少年――ハニスがいた。
官吏は訝しげにクロードに耳打ちする。
「クロードさん、彼が例の......?」
「はい、隠密班の新人のひとりです」
「目を瞑っているのは一体......?」
「彼は盲目なのだそうです。しかし、嗅覚が異常な程に鋭いと聞いています。何か新たな手がかりが掴めるかもしれません」
クロードは気難しい顔で立っている商人らに声をかけた。
「捜査へのご協力、ありがとうございます。こちらの少年は、官吏見習いとして同行させてもらいます」
ハニスは朗らかに笑い、軽く頭を下げた。
「みなさん、よろしくお願いします!」
だがその笑顔の裏には、薄っすらと影が透けて見えた。
『隠密』として嘘をつき続ける――そんな自分への違和感が。
そしてクロードは、自然な様子でハニスに向かって言った。
「荷車に入っている武器油を運ぶのを手伝ってもらえますか」
「はい!」
ハニスは、官吏と共に、近くに停めた荷車に向かった。そのまま、武器油の入った箱を開ける。
片方の箱には普段どおりの武器油、もう片方には、例の腐食液が混入した武器油が入っている。
ハニスは、箱の中身を探るふりをしながら、こっそりと瓶の蓋をとった。
(こっちはただの油の匂いだ)
もう一つの箱の中の瓶も開ける。
(それならこっちの油は......あれ?)
ハニスは眉を寄せながら嗅ぎ比べる。
(おかしい、どっちも同じ油の匂いだ)
「おい、まだかい?」
卸市の商人が声をあげる。
「ちょっと散らかってるので、待っててください!」
官吏は大きな声で返した。
ハニスは次々に瓶を手に取り、匂いを比べる。
そして、ことり、と瓶を置いた。
「......どうだ?」
官吏は小声で尋ねる。
ハニスは首を傾げたまま答えた。
「どちらも油の匂いです」
「そうか......やはり区別がつかないか」
「――ただ、こっちの箱の瓶だけ、女の人の匂いが残っています」
「女......?武器油の瓶に? そんなはずはないのだが......」
唸っている二人のもとに、クロードが歩み寄ってきた。
「どうですか?......あまり長いと怪しまれます。ひとまず、運びましょうか」
「はい。......ただ、この少年が、こちら側の瓶だけ女性の匂いがすると」
クロードは少し考えたのち、箱を抱えて言った。
「......やはり、卸市周辺のようですね」
商人らの元に戻ると、クロードは穏やかに言った。
「待たせてしまい失礼しました。こちらが、不具合のあった武器油です」
商人らは瓶を手に取り、月光にかざした。そして蓋を開けて匂いを嗅ぐ。
「......何もおかしなところはありませんが」
クロードは軽くうなずくと、小袋から腐食した金属片を取り出した。
「こちらは、この武器油を塗って数日経った金属です」
表面には粉が吹き、今にも崩れそうになっている。
商人らは目を丸くして見つめ、そして口々に言った。
「なんだこれは......」
「うちの油でこんな風になるわけがない!」
クロードはなだめる。
「わかりました。ですが念のため、店の様子だけ見せてもらえますか?」
油店の店主は大きくうなずく。
「何もやましいことはしていませんので、お好きなだけどうぞ」
店主に案内され、クロードらは店内へと入った。
獣脂のむっとした香りや、ナッツのような香ばしい香り、鉄のような金属臭――様々な匂いが層になって押し寄せる。
棚には大小の瓶がぎっしりと並び、その後ろには大きな樽が控えている。
さらに奥に進むと、屈強な男たちが重そうな箱を抱えて行き交っていた。大きな柄杓で、油を混ぜたり汲んだりしている。
クロードは辺りを見回しながら、店主に言った。
「男性が多いですね」
「力仕事だし、油臭くなる仕事ですので。なかなか女子には務まりませんわ」
「確かに、独特の臭いですね」
「ええ、このあいだ雇った女の子も、すぐ逃げちまいましたよ」
その言葉に、クロードはモノクルを光らせた。
「......その子が勤めていたのは、前回王室用の油を売ったときでは?」
「えっ......?」
店主は豆鉄砲を食らったような顔をし、慌てて続けた。
「そのとおりです。ですが、油の管理はさせていません! 瓶を洗わせていただけで!」
「洗い終わった瓶に仕込みをした――その可能性はないでしょうか」
店主は言葉を失い、場に沈黙が落ちる。
クロードは落ち着いた声で続けた。
「......近衛兵用の瓶は、まだ残っていますか?」
「は、はい」
動揺した様子のまま、店主は瓶倉庫へと案内した。
「......こちらが、瓶の余りでございます」
クロードは瓶を一本手に取って灯りにかざす。見た目には、特に怪しい部分は見当たらない。
「念のため、こちらの瓶はすべて回収させていただきます」
店主は肩を落とした。
「......私は誓ってこの件には関与しておりません。ただ、瓶を確認していなかったのはこちらの落ち度です」
クロードは穏やかに声をかけた。
「このような手口を見抜くのは困難です。安易に処罰されることがないよう、私からも口添えしておきますので。......ただ、引き続き捜査には協力願います」
店主は顔を上げ、ほっとしたようにうなずいた。




