第54話 重い扉
居ても立ってもいられず部屋から飛び出したロアだったが、どこへ行けばいいのか、まるで見当がつかなかった。
廊下をうろうろしていると、中年の女性がバケツとモップを持って歩いてきた。
「あのっ」
声をかけると、女性はロアを見て首を傾げ――すぐに納得したように笑った。
「ああ、見習いの子だね!どうしたんだい」
久しぶりに聞く、気取らない言葉づかいに、ロアはほっとした。
「近衛兵長に会いたいんですが……」
女性はバケツを床に置くと、申し訳なさそうに言った。
「この時間はお忙しいから、会えないと思うけれど……」
「そうですよね……」
ロアはうつむいた。
そのとき、足元のバケツに水がたっぷり入っているのが目に入った。
「あの、手伝っても良いですか」
女性は困ったように眉を寄せた。
「見習いとはいえ、そんなことさせられないよ」
「いえ、手が空いているので!その水、僕が持ちます」
「そうねえ……じゃあ、一緒に二階まで運んでくれるかい?」
「はい!」
ロアはバケツをひょいと肩にかけ、階段を上り始めた。
女性は目を丸くして言った。
「へえ、慣れているね!」
「はい。水汲みは、故郷の村でよくしていたので」
「村育ちなのかい!?相当優秀な子なんだねえ」
ロアは少しだけ顔を曇らせた。
自分はたまたま毒に気づいただけで、優秀でもなんでもない。そう思うと、胸が痛んだ。
二階に着くと、女性はバケツを受け取りながら言った。
「ありがとうね。助かったよ」
「あの、他にやることは……」
ロアが遠慮がちに言うと、女性は苦笑した。
「そうは言っても、モップは一本だけだもの。部屋で本でも読んで、ゆっくりしてちょうだいな」
「本……」
ロアは言葉に詰まった。
筆記具は持ってきたが、本は持ってきていない。
そもそも、家には一冊も本がなかった。
女性ははっとしたように目を見開いた。
「そうかい……」
少し考え込んだあと、ぱっと表情を明るくした。
「そうだ、城の西棟に書庫があるから。近衛兵は入って良いはずだよ」
ロアは宿舎を出ると、城へと歩き出した。
昨日、宿舎へ案内されたときに通った道だ。
見えてきた城の裏口には、鎧を着た兵が立っている。
ロアは勇気を振り絞って声をかけた。
「あの、僕、書庫へ行きたいんです」
兵は怪訝そうに眉を寄せたが、ロアの着ている近衛の服に気づくと、黙って道を開けた。
ロアは深く頭を下げ、おずおずと城内へ足を踏み入れた。
廊下には誰もおらず、高い天井に足音が吸い込まれていく。
まるで忍び込んでいるようで、どこか罪悪感を覚えた。
突き当たりを西に進むと、再び兵が立っていた。
「書庫に行きたいんです」
そう声をかけると、兵はロアの服を一瞥し、黙って扉を開けた。
「失礼します……」
中に入ると、扉が二重になっていた。
重い扉を押し開けた瞬間、紙の香りがふわりと舞い上がり、ロアは思わず目を見開いた。
そのとき、横から淡々とした声がした。
「何をお探しで」
振り向くと、きちりとした服を着た官吏――司書官が座っていた。
モノクル越しの視線が、ロアの返答を静かに待っている。
「あ……帝国の皇帝の名前が載っている本は、ありますか?」




