第55話 辞書
司書官は呆れたようにロアを見たが、すぐにため息をひとつつき、後ろの棚から紙の束を引き抜いた。
ロアの方へ向き直ったときには、もう淡々とした表情に戻っていた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ロアは両手でそっと受け取り、近くの机に向かった。
椅子に腰掛け、表紙を見つめる。
『帝国系譜』
文字は読める。
けれど、それが何を意味するのかはわからない。
ひとまず、1ページ目を開いた。
(……なにこれ)
細かい字がぎっしりと並んでいる。
聞いたことのない単語が無数にある。
その情報量に、ロアは圧倒された。
(でも……今の皇帝の名前は……最後の方にあるに違いない)
気を取り直し、最後のページを開く。
そこだけ紙が新しく、最近追加されたもののようだった。
(名前、名前……)
指で追いながら読み進めると、ある行で目が止まった。
『第六皇子リゲル・ダスクレイド・ノクスが皇帝として即位』
ロアは目を見開いた。
(ノクス……?)
ロアは混乱した。
ロアの住む国――ノクス王国の名が、どうして帝国の皇帝の名前に入っているのだろう。
ロアは震える指で、1ページずつ戻り始めた。
『ノクス』という単語を探す。
すると――
どの皇帝の名前にも、『ノクス』が入っていた。
(どうして……)
食い入るように紙を見つめるロアを、司書官は横目で見ていた。
前の方のページに辿り着くと、一文が目に留まった。
『ダスクレイド領として、ノクス王家から分家』
(……領? 帝国じゃなくて? 領って何……?
どうしてノクス王家の名前が出てくるの……?
分家って……)
疑問が次々と湧き上がり、頭の中がぐるぐると回る。
(だめだ、どうしてもわからない)
ロアは椅子から立ち上がり、司書官の机へ歩み寄った。
「すみません」
司書官はモノクル越しに、目だけをロアへ向けた。
「あの……ここの分家というのは、どういう意味ですか?」
ロアがその一文を指さすと、司書官はわずかに目を見開いた。
そしてすぐに淡々とした声に戻る。
「……本家から枝分かれした家のことです。帝国家は、ノクス王家の血を引いているので」
「え……そうなんですか、じゃあ、なんで」
ロアには理解できなかった。
親戚なら、どうして戦争になっているのだろう。
司書官は棚から厚い本を引き抜いた。
パラパラとページをめくり、ある箇所で指を止める。
そこに紙を挟んでロアに手渡した。
「ここに詳しい記述があります」
その本の表紙には、『帝国史』と書かれていた。
司書官はさらに分厚い本を取り出して言った。
「どうぞ、辞書です」
「じしょ……」
ロアはその言葉の意味がわからなかった。
「……単語の意味が載っています。文字順に並んでいて」
司書官はページをめくり、ある箇所を指で示した。
そこには『分家』と、その意味が丁寧に書かれていた。
ロアは目を見開いた。
ずしりと重い二冊を受け取ると、ロアは深く頭を下げた。
「ありがとうございます……!!」
その日からロアは、訓練を終えるとすぐに書庫へ通うようになった。
王城では、すぐに噂が立った。
「あの見習いの少年、毎日書庫に通っているみたいだぞ」
「村育ちって聞いたが……書庫の本が読めるのか?」
「いや、辞書を抱えてたって話だ。必死に調べてるらしい」
「へえ……変わった子だな」




