第53話 無知
「前へ、進め!」
近衛兵長の号令が響くと、近衛兵たちは一斉に足並みを揃えて歩き始めた。
歩幅も、腕の振りも、音までもが揃っている。
ロアはその大きな歩幅に必死で合わせ、遅れまいと前へ進む。
「全体――止まれ!右向け右!」
隊列がぴたりと止まり、くるりと一斉に回る。
ロアだけがつんのめり、慌てて体勢を立て直した。
「休め!」
ロアはほっと息を吐き、肩の力を抜いた――が、横を見ると、
近衛兵たちは腕を後ろに組み、背筋をぴしりと伸ばしたまま微動だにしない。
(えっ……これが『休め』……?)
ロアは慌てて同じ姿勢をとり、息を止めるようにして立った。
その後も、くるりくるりと動く隊列に翻弄されながら、
ロアは必死に足を運んだ。
一通りの行進が終わると、近衛兵長が声を張って言った。
「護衛訓練に移る。武器を持て!」
号令と同時に、近衛兵たちは列を崩さず武器置き場へ駆けていき、
剣や槍、盾を迷いなく手に取った。
ロアは立ちすくんだ。
アトラトルは荷袋の中だし、どれを持てばいいのかもわからない。
そのとき、近衛兵のひとりが声をかけてきた。
「何か使ったことはあるかい?」
穏やかな声に、ロアはほっとして答えた。
「槍が使えます!」
近衛兵はうなずき、余っていた槍を手渡してくれた。
柄には細かな模様が彫られ、槍先は村で見たどの槍よりも長く、鋭い。
ロアは一瞬見惚れ、すぐに隊列へ駆け戻った。
戻ってきたロアを見て、近衛兵長が言った。
「槍か。……試しに使ってみなさい」
「はい!」
ロアは緊張しながら、人のいない方向へ向き直った。
「やっ!!」
振りかぶり、勢いよく投げた。
重い槍は少し飛んで落ち、芝生に突き刺さる。
振り返ると、近衛兵たちが一斉にロアを見ていた。
皆、目を丸くしている。
近衛兵長はこめかみを押さえ、近くの兵に言った。
「……練習用の木槍を持ってきてくれないか」
そしてロアに向き直る。
「……この槍は投げてはいけない。他の者の動きを見て、まねて練習しなさい」
「……はい」
ロアが後ろを振り返ると、
槍が抜かれた芝生に、ぽっかりと穴が開いていた。
近衛兵の槍の使い方は、ロアの想像とはまるで違っていた。
陣形を組み、中心を守るように槍を交差させる。
――王子を護衛するための形だ。
「構え!」
号令と同時に、槍先が一斉に前へと向けられる。
角度も高さも、まるで一本の線を描くように揃っていた。
「列に入らなくて良い。横で動きを覚えろ」
そう言われたロアは、陣形の横に立ち、木槍を握りしめた。
近衛兵たちは、まるで一つの生き物のように動いていた。
足の位置、呼吸までもが揃っている。
ロアだけが、ぽつんと横で遅れながら真似を続けていた。
槍を動かし続けて腕が震え始めたころ、近衛兵長が声を張った。
「本日の訓練を終える! 各自、配置につけ!」
号令と同時に、近衛兵たちは散っていった。
それぞれが迷いなく持ち場へ向かう。
(配置……?)
ロアはきょろきょろと周りを見回した。
自分だけが取り残されている。
近衛兵長が歩み寄り、静かに言った。
「君はもう部屋に戻ってよろしい。明日また来なさい」
その言葉で、ロアはようやく気づいた。
近衛兵たちは、この後も『仕事』があるのだ。
自分だけが、今日の役目を終えてしまったのだ。
ロアは誰もいない宿舎に戻り、自室の椅子に腰を下ろした。
(まだ今日は始まったばかりなのに……このまま、ここにいていいのかな)
静かな部屋で、昨日と今日の出来事が次々と胸に浮かんだ。
謁見用の服を持ってこなかったこと。
礼儀作法を知らなかったこと。
敵国の皇帝の名前を知らなかったこと。
食事の仕方が違ったこと。
貴重な槍を投げて、芝生に穴を開けたこと。
(僕は……何もかも知らないんだ)
ロアは椅子から立ち上がり、部屋を出た。




