第41話 色
その頃ロアは、陣幕内での設営作業をしていた。
野営で見た兵とは違い、ここにいるのは重厚な装備を身につけた上級兵ばかりだ。
その空気にのまれ、ロアは自然と背筋を伸ばした。
「そこの補助兵! 敷物を敷くから重石を上げろ!」
鋭い声が飛ぶ。
「はいっ!」
ロアが重石を持ち上げると、兵が素早く柔らかな布を差し込んだ。
「次は屋根張りだ。もうすぐ殿下がここにお座りになる。急げ!」
ロアたち補助兵は大慌てで縄や幌布を運びはじめる。
そのとき――
陣の奥、仕切り布の向こうから、
カチャリ、と金具の触れ合う小さな音がした。
ゆっくりと歩み出る影。
兵たちが一斉に頭を下げる。
ロアも慌てて頭を下げたが、好奇心に負けて視線を少しだけ上げた。
第一王子――ペルセウス・ヴェイル・ノクス。
ロアがその姿を見るのは初めてだった。
影に吸い込まれそうな髪の下から、整った横顔が覗く。
静かなのに、鎧の装飾に負けないほどの気配の強さがあった。
(これが……影の神の加護……)
幌布を張り終えると、ロアは兵に声をかけられた。
「おい、この机、裏に運んでくれ」
兵は陣の端を指差す。
「はい!」
ロアは机を抱え、陣幕に沿って歩き始めた。
王子の後ろ姿が近づく。
その高貴な気配に、思わず視線がそちらへ向かう。
そのとき――
「……えっ?」
王子の前に差し出された椀に、ロアの目は吸い寄せられた。
椀の中身は――明らかに異様だった。
ごとん、と机を落とす。
「歩兵、そこをどけ。殿下のお食事の邪魔だ」
冷たい叱責が飛ぶ。
だがロアは、椀を凝視したまま動けなかった。
喉が詰まり、ひゅうひゅうと息が鳴る。
なぜなら、その光はまるで――
「――待ってください!!」
ロアは無意識に叫んでいた。
自分の声だけが陣幕中に響き渡り、辺りが静まり返る。
兵たちが一斉に振り返る。
だが、ロアは勢いのままに続けた。
「その食事……『光が揺れて』ます!」
「何を言っている!殿下に無礼だぞ!」
王子の側近らしき男が怒鳴る。
ロアははっとした。
(僕は、何を……)
脚ががたがたと震える。
そのとき、王子の視線がゆっくりとこちらへ向いた。
切れ長の目が、まっすぐロアをとらえる。
視線が交差した瞬間、ロアの心臓が強く跳ねた。
一瞬、世界から音が消え、キンと耳鳴りがする。
ロアは震える拳を握りしめる。
(でも……言わないと。殿下が……!)
そしてゆっくりと口を開き、言葉を絞り出した。
「……不気味な光が揺れていて……
見ているだけで息が苦しくなるんです。
ヤミヌイヘビの毒に触れたときと……同じような……!!」
陣内の兵たちがざわつく。
そのとき、王子の目がわずかに見開かれた気がした。
そして、微かにその唇が動く。
「……その者を放せ」
陣幕の空気が止まった。
「で、殿下……?」
「この少年は嘘をついていない」
王子は異様に光る椀にすっと匙を入れ、顔に近づける。
ロアの心臓がどくんと跳ねた。
だが、王子はすぐに匙を顔から離し、言った。
「……確かに、匂いが違うな」
椀を脇へ押しやる。
ロアの背に、どっと汗が流れた。
その直後、陣幕の外で怒号が上がった。
「暗殺者だ! 捕まえろ!」
兵たちが一斉に駆け出し、影がロアの前を横切っていく。
ロアは何が起こっているのかわからず、その場に立ち尽くした。
王子は身体をロアの方へ向け、じっと目を見つめている。
静かに、だが何かを確かめるかのように。
そして、微かな声でつぶやいた。
「……『色』か」
(……『イロ』?)
聞き慣れない単語が、不思議と脳にこびりついた。
頭の中が、その一語だけで埋め尽くされる。
――そのとき。
シュパッ
王子の肩すれすれを、一本の矢が横切った。
空気が裂ける音が、一瞬遅れて耳に届く。
「えっ?」
ロアはますます状況がわからず、間抜けにつぶやいた。




