第38話 二度目の影歩き
雪がちらつき始めた頃、訓練校に重い知らせが届いた。
教官は少年らを集め、低い声で告げた。
「……山道を突破され、敵が拠点を築き始めている」
ダスクレイド帝国との国境には山脈がある。
これまでは、その険しい山道での攻防戦が最後の防衛線だった。
そこを突破されたということは――
敵が本格的に王国内へ侵攻し始めた、ということだ。
「そこで、大規模な奪還作戦が行われる。お前たちも補助兵として向かうことになる」
ロアは、無意識に目をそらしていた現実を突きつけられ、頭の中が真っ暗になった。
誰も口を開かない。しんとした空気が広がる。
教官は続けた。
「帝国は我が国の肥沃な土地を狙っているはずだ。……つまり、人の住む村々だ。
なんとしても侵攻を止めねばならない」
そして、わずかに声を落とした。
「……ペルセウス殿下も、すでに前線へ向かわれている」
しんとした空気が、かすかに揺れた。
ペルセウス殿下――この国の第一王子。
王家は『影の神の加護を受けた家系』だと聞いたことがある。
そんな特別な方が前線へ向かう。
それだけ、この状況が国にとって重大なのだ。
「明日の夕には出発する。本日は訓練は行わない。各自、準備をしておくように」
教官の言葉に、少年たちは重い足取りで寮へ戻った。
部屋に入ると、リオがぽつりとつぶやいた。
「急に準備って……どうすればいいの」
ファルクが落ち着いた声で答える。
「国境までの道は険しい。防寒着は必須だ。それから水筒と非常食、包帯や薬も持っておけ。……補助兵とはいえ、自前の武器があるなら持っておいた方が良い」
ハニスが小さく言った。
「……あと、両親に手紙を出さなくちゃ」
「手紙……」
リオがつぶやく。
ロアもリオも、訓練校に来てから一度も両親に手紙を出していなかった。
なんだか、かえって心配させる気がして――書けなかった。
ラピンはうなずき、もう机に向かって手紙を書き始めている。
ロアも紙を取り出したが、フローラへの手紙と違って、まったくペンが進まない。
父さん、母さん
お元気ですか。
明日から国境に行くことになりました。
そこでペンが止まった。
何を書いても不安にさせてしまう気がして、言葉が出てこなかった。
そのとき、「俺も書く」とリオが言い、ペンを取った。
でも心配しないで!
補助兵だし、俺も兄ちゃんも強くなったから。
頑張ってくるね!
元気な字で殴り書くリオを見て、ロアは少しだけ微笑んだ。
二人はそれぞれ最後に名前を書き、郵便係に手紙を渡した。
フローラへも書くか迷ったが――
改まって『前線へ行く』と伝えるのは、どうにも気恥ずかしかった。
それから背嚢に荷物を詰め、
最後に、母からもらった刺繍を胸ポケットにそっと入れた。
翌日。
少年らは荷物を抱えて寮の前に集まった。
「初めの仕事は、戦場に運ぶ物資運びだ。道が険しいから荷車は無しだ。割り当てられた物資を持て」
教官の声に従い、少年たちは倉庫へ向かった。
倉庫の中には、山のように積まれた物資が並んでいる。
食糧が多いが、調理器具やテント、ロープ、薬箱も見える。
ロアは乾パンの袋を受け取った。
そのとき、視界の端で――大きな鍋が、ゆっくりと動いた。
「……ラピン?」
鍋を背負ったラピンが、亀のように床を這っていた。
「交換しよう!」
ロアは慌てて駆け寄った。
「ごめんねロア……ありがとう」
ラピンはもぞもぞと鍋から這い出した。
ロアは大鍋を背負った。
背中にずしりと重みがのしかかる。まるで鉄の鎧を着たようだった。
ラピンは申し訳なさそうに言った。
「……せめてロアの荷物は持つね」
そう言って、ロアの背嚢を抱え上げた。
少年らは物資を背負い、再び寮の前に整列した。
教官がゆっくりと列を見渡し、言う。
「これからしばらく、ここには戻れない。気を引き締めろ。……列を乱すな」
背中の荷物が重い。
でも胸の奥の重さの方が、もっと重かった。
そうして少年らは、うっすらと雪の積もる道を歩き始めた。
前を行く影が、地面に長く伸びている。
それを見つめながら、ロアはふと、卒業式の『影歩き』を思い出した。




