第23話 君の匂いは、もう覚えた
あの隠密訓練の夜から、
ロアの頭にはずっとファルクの言葉がこびりついていた。
――お前には、この世界がどう見えているんだ?
自分の『見え方』が他の誰とも違う。
その事実が、ゆっくりと形を持ち始めていた。
そんな夕方、ロアとリオはいつものように弓置き場へ向かった。
「……あれ?俺の弓がない!!」
リオが突然叫んだ。
周囲の少年たちが振り向く。
リオの弓はガルンから譲られた特別なものだ。
貸し出し用の弓よりずっと大きく、間違えるはずがない。
リオは焦った顔であたりを見回す。
周囲もざわざわと騒ぎ始めた。
(誰かが盗んだ……?)
ロアの首筋に冷たい汗が流れた。
リオは弓の才能が抜きんでている。
嫉妬した誰かが――かつて自分が抱いたような感情で――
弓を隠したのかもしれない。
だが、それを口に出すことはできなかった。
「僕はあっちの方を探すから!」
ロアはそう言って走り出した。
弓置き場を出たところで、偶然、荷運び訓練中のハニスと出くわした。
「ロア、そんなに焦ってどうしたの?」
「実は、リオの弓が行方不明で……」
ハニスは土嚢をそっと降ろし、真剣な顔になった。
「……弓置き場からなくなってたの?」
ロアはうなずく。
ハニスは少し考え、静かに言った。
「僕も探すのを手伝う。そこに連れて行ってよ」
弓置き場に案内すると、ハニスは周囲をぐるりと見渡し、
空気を嗅ぐように鼻を動かした。
「昨日、みんなはどこを通ってここに来たの?」
「弓の訓練場から、まっすぐ置きに来たよ」
ハニスはさらに深く息を吸い込む。
「……ひとつだけ、変な方向に向かってる匂いが残ってる」
そう言うと、集中した顔で歩き出した。
ロアは黙ってその後ろをついていく。
倉庫裏の木の前で、ハニスは立ち止まり、上を向いた。
「ここで匂いが止まってる」
ロアも上を見上げる。
木の高い枝に、リオの弓が引っ掛かっていた。
ロアは木に登り、弓を取った。
「ここは大きな鳥も多いから……巣の材料にしたかったのかもね」
ハニスが言うと、ロアは胸をなでおろした。
自分の想像は杞憂だったらしい。
「ハニス、本当にすごいよ。君がいないと見つけられなかった」
ハニスはにこりと笑い、言った。
「その弓、早くリオに返してあげよう。不安だろうから」
「うん、ありがとう!」
ロアは弓を抱えて駆けていった。
ロアが去るのを見届けると、
ハニスは再びゆっくりと周囲の空気を嗅ぎ、歩き出した。
「……そこに居るね?」
倉庫の狭間に立っていた少年に声をかける。
少年はびくりと振り向いた。
「な、なんだよ急に!」
「さっきから僕とロアのこと、見てたでしょ」
「……でたらめを言うな!何も見えないくせに!!」
ハニスは少年の首元に近づき、静かに言った。
「リオの弓についてた汗の匂いと一緒だ。よく嗅げば、わかる人にはわかる」
少年の声が上ずる。
「匂いだって?!……俺は触っただけだ!」
「……触っただけ、ね」
ハニスの声は淡々としているのに、逃げ場がない。
「でもこの匂いは、嘘をつくときの匂いだ。
それに、君が昨日の練習後、真っ直ぐ帰らなかったことくらい、周りに聞けばすぐ分かる」
少年はしばらく黙り、やがて震える声で言った。
「頼む……教官には言わないでくれ。バレたら俺は終わりだ……」
「言わないよ」
「……ほんとに? ありがとう、ハニ──」
「でもね」
ハニスは一歩、近づいた。
「僕は、許さない」
少年の顔がこわばる。
「君の匂いは、もう覚えた。
緊張したときの匂いも、
嘘をつくときの匂いも、
後ろめたいときの匂いも……全部」
ハニスは閉じていた目をゆっくり開き、
焦点の合わない瞳で、まっすぐ『匂いの方向』を向いた。
「これから先、誰かを傷つけるようなことをしたら……僕は気づく。
どんなに隠しても、どんなに遠くにいても。
――自分の行動には、気を付けて」




