血塗れの手と差し込む光
窓を打つ雨音で今日も目覚めた。最悪の気分だ。
僕は人を殺した。何のためらいもなく。純粋なマナを怒りと共にぶつけて粉々に吹き飛ばした。僕は目を押さえ脳裏にこびりついた映像を打ち消そうとしたがそれは消えなかった。諦めてゆっくりと手を離すと右腕の流麗な腕輪に嵌まる赤黒い宝珠が目に入った。
「アーティファクト……」
思わず呟くが目の前のものよりも脳裏に浮かぶ人間が吹き飛ぶ瞬間が何度も何度も再生される。
脳裏に繰り返し映し出される人が吹き飛ぶ瞬間。その時僕は後悔も悲しみも微塵も感じていなかった。ただ吹き飛ばしただけ。本当にそれだけだった。
自分自身が恐ろしくなり、イヤなことを握りつぶす様に手を思い切り握りしめた。手を握ると爪が掌に食い込み掌からは血が滲む。痛みと共に僕は驚いた。この感覚は、まさか!
違和感に気付いた僕は血塗れになるのも構わずに引き出しを開け魔法陣が掛かれた布を取り出し、すぐにマナを流した。
布の上で安定して5重の魔法陣が光輝いている。
違和感の正体はすぐに分かった。
「マナ過剰生成器官障害症候群……」
昨日はこんな風じゃなかった。魔法陣の輪がどれかが強まるとどれかが消えていたりしていた。
僕は恐る恐るこの魔法陣を起動できるか試してみた。幸いにもマナは身体中にみなぎっており、あふれ出るような感覚すらある。右手を血の滲んだ左手に添えて魔法陣を起動、実行した。
すると左手の傷は跡形もなくなり、マナで拡張された魔法陣は役目を終えたとばかりに光はゆっくりと失われていった。
「できた……」
これでシハルさんの病気が治すことができる。
僕はさっきまで血にまみれていた手が綺麗な手になっている事がおかしくなって笑ってしまった。
人殺しの手が人の病気を癒すのか、なんとも皮肉な話だ。人を殺そうと得た力が人を救うために使われる。
僕は骨折をした足に魔法を掛けようとして止まった。
「これは違うな……」
雨音が響く病室に僕の独り言は塗りつぶされていった。
こんな朝早くから他の病室に向かうのも憚られたのであふれ出るマナを魔法に変えて居た。
病室の中にはこれまでなかったマナの流れが発生しており、心が落ち着くような気がした。
レヴェラミラではあんなに心がかき乱されていたのに、こっちに戻ってきたらそのかき乱された心ごとどこかへ行ってしまった。
ザーと鳴りやまないガラス越しの雨音は僕の罪の意識までは流してくれなかった。
「おはようございまーす。佐倉さーん。検診ですよー」
どこか怒っているようなそんな態度で入ってきたのは黒江さんだ。昨日はこんな風じゃなかったのに、何かあったのだろうか。
「おはようございます。何か悪いことでもあったんですか?」
僕の挨拶を無視する黒江さんはテキパキと検診の用意を進める。
「体温計です。それじゃ腕を出してくださいね」
何も考えずに腕を出したが、それまで腕にあったはずのアーティファクトは消えていた。付けている感覚はあるので透明化でもしているのだろうか。内心驚いている僕は落ち着くためにも黒江さんに話しかけた。
「あのぉ、ごめんなさい」
「何謝ってるんですか? 何に謝っているんですか?」
オカシイ、昨日は付き合いましょうって流れだったはずだ。連絡を取るにも携帯電話は今はないし、それは黒江さんも知っているはず。それじゃなぜ? 僕は怒らせるようなことをしただろうか。
「いや、なんか怒っているようだったので、僕が何かしたのかなぁと……」
「いえ? そんなことはないですよー。ハイ、熱はないですね」
ピピピピと鳴る体温計を僕から取り上げ、すぐに血圧をはかる黒江さん。
「はい、血圧は高めですね。それはそうですよね。あんなに夜中に騒いだら血圧も上がったままになりますよね」
「え? 何の話ですか?」
「まさか覚えてないんですか? 昨日は大変だったんですよ?! もう私どうしたらいいのか分からなかったんですから」
「まさか、寝ぼけて暴れたりしてたんですか?」
「そうですよ! あんなに暴れて普通なら起きるはずなのに、全然意識がないから看護師みんなで抑えつけてようやく収まったんですよ!」
「ごめんなんさい。まったく覚えていないんですが……」
「大丈夫です。時々あるんですよ。これも仕事の内ですから……」
微妙な空気が僕と黒江さんの間に流れた。検診の道具を片づける音が病室に響いている。
「私が昨日あんなことを言ったからですか?」
「え?」
僕は黒江さんの呟きを拾いきれずに聞き返すことしかできなかった。
「なんでもないです。それじゃ、今日も大人しくしていてくださいね。またあとできますからね」
病室を出る前にこちらを振り返った黒江さんははにかんだような笑顔で僕を見つめて手を振って出ていった。
「可愛い……」
石鹸のような、花のような香りが残る病室で朝ごはんが来るまでの間僕は黒江さんの事を考えるのだった。
なんで出会ったばかりの僕にこんなによくしてくれるのだろう。告白みたいな事は確かに僕がしたんだけど、それで付き合ってくれるなんて普通はありえない。
「はーい、ご飯ですよ。今日もちゃんと食べてくださいね」
食事を運んできたのは黒江さんではなく看護師長さんだった。
「あれ? 朝ごはんを看護師長さんが運ぶなんて珍しいですね」
「あら、私はお邪魔だったかしら? 黒江ちゃんは反対の部屋を担当しているのよ」
「いや、そんなつもりで言った訳では……」
歴戦の看護師長さんに心を見透かされて黙り込んでしまった僕
「いいのよ、あの子はみんなから好かれるいい子だからね。だから、あの子の事悲しませちゃだめよ?」
歴戦の看護師長さんは皺が目立つようになってきている目元をもっと柔らかくして僕にウィンクを飛ばしてきた。
「そうそう、昨日は大暴れだったけど、今朝は何ともないみたいね。
あれ? これどういうことだ?
困惑しているうちに看護師長さんは病室から出ていくところだった。
「安心して、片づけは黒江がきますよ」
昨日の事はもう看護師長さんに伝わってしまっているのか。黒江さんの性格からプライベートな事はあまり話をしなさそうだけど。看護師長って凄いな。そんなことを思いながら意外と美味しい病院の朝ごはんを平らげた。
食後にすい臓についての図解入りの医学書を丁寧に読み込んだ。これから起こす奇跡の為に必要な事だからだ。
コンコンと急いでノックする音と共に黒江さんが早足で入ってきた。
「失礼します!」
気のせいだろうか、かなり睨まれている気がする。そしていつもなら開け放たれたままにする扉を黒江さんは両手で閉めている。
「どうしたんですか?」
僕も医学書をパタンと閉じて黒江さんに向き直った。
「どうしたもこうしたもありません! 師長に何を言ったんですか?!」
「えっ? 何のことですか?」
「えっ? じゃないですよ! 師長が佐倉さんとは付き合いが長いのか? とか、どこでしりあったの? とか、質問攻めにされたんですよ?!」
「黒江さんもですか?」
「え?」
なるほど、これは看護師長の長年の経験と勘によって嵌められたみたいだ。
「失礼します」
ノックもなしに開け放たれた扉と共に現れたのは看護師長だ。
「黒江さん。患者さんにストレスを与えるような事をしてはいけませんよ」
食器を下げるでもなく、僕の傍に立つ黒江さん。看護師長の角度から見たら恐らく看護服を来た彼女が見舞に来たように見えるだろうか。いや、きっと師長の目にはそう映っているだろう。
「黒江さん、僕らは罠に嵌まったみたいですよ」
僕はそう言うしかなかった。
「そうですね。佐倉さんにはなんら落ち度はありません。昨日の夜に佐倉さんが暴れたときのこの子の狼狽え方が普通じゃなかったの。佐倉さんにも見せてあげたかったわ」
師長の笑顔を見た黒江さんはこちらを向いて僕と目を合わせたまま、あははと乾いた笑顔を作るのが精一杯のようだった。
「やっぱり貴女は嘘が下手ね。貴方も女ならもう少しだけ裏表を使い分けれるようにならないと、これからもっと大変よ」
師長は優しい笑顔で僕らに声を掛けてくれた。
「佐倉さん、この子はこんなだけどとってもいい子なの、大事にしてあげてね」
「師長もうやめてください」
困った顔の黒江さんも可愛らしい。そんなに可愛い顔をされると僕も意地悪がしたくなってしまう。
「はい、僕なんかにはもったいない女性ですが、必ず幸せにして見せます」
「佐倉さんまで、揶揄わないでください!」
「あらあら。素敵な方を見つけましたね、それじゃ私はこれで」
そう言って病室を出ていく看護師長は悪戯が成功した子供のような笑顔をこちらに向けた。
「他の看護師の目もあるからほどほどにね」
看護師長が出ていった後もそのまま立ち尽くす黒江さん。耳の端まで赤くなっている様子は本当に可愛らしい。結局僕らは看護師長に最後まで翻弄されっぱなしだった。
「黒江さん、僕が退院したらデートに行きましょうね」
「もう! 怒りますよ!」
あれほど強かった雨足は大人しくなり、雲の切れ間から心地よい陽射しが病室に差し込んでいた。
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